「いっぽ」のつぶやき

健康に福祉にボランティアにと、自分らしい人生を過ごすために、一歩ずつ歩んでいる「いっぽ」のつぶやきです。

SAKURA祭チラシ完成

2008-02-29 07:32:15 | ボランティア
昨日、3月29日、30日に国際交流会館で開催されるSAKURA祭の最終会議が行なわれました。

「探したい、私にやれること!」というテーマで、国際交流やボランティア活動をしている団体のことを知ってもらい、多くの人に関心をもって、活動に参加してもらいたいという願いがあります。

18の国際交流団体が参加していて、それぞれ関連の国の料理やバザー、活動紹介などを行ないます。
またホールでは、ビエント(Viento)コンサートやブラジル移民100周年記念講演とラテンコンサートなどが行なわれますし、その他高校生による発表や海外協力隊の説明、民族衣装ファッションショーなどもあります。
国際交流会館の玄関前のテント販売のほか、1階から7階まで、全館を使って楽しいイベントがいっぱいです。
クイズラリーも行なわれ、正解者には各団体からのプレゼントが提供されます。

ちょうど、熊本城では築城400年祭もあっていますし、たぶん桜も満開のころだと思いますので、お花見ついでにいかがでしょうか?

SAKURA祭のカラフルなチラシも出来上がり、いよいよ後ひと月になりました。
チラシの中に「押し花栞作り体験」も一つのイベントとして取り上げてもらっています。
その他、好評のぬいぐるみのクジもまだたくさんありますし、衣類や日用品、バッグなどの販売も行ないます。
使用済み切手の整理のワークショップも行ないますので、使用済み切手を集めてみたけどどこに持っていけばいいかわからないという方は、ぜひお持ち下さい。
こんなことでもボランティアになるの、という意外な発見があると思います。
お誘いあわせのうえ、お友達、ご家族みなさまでお越し下さい。


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温石(おんじゃく)

2008-02-28 11:28:07 | 日記
毎月、新聞に情報誌が入ってくるのですが、その中に「遊びの絵日記」という原賀隆一さんのコーナーがあります。
原賀隆一さんは昔なつかしい子どもたちの遊びをイラストで紹介されていて、子どもの頃のいろんな遊びを思い出し、いつも懐かしく見ています。
今回は「温石絵画」をとりあげてありました。

温石(おんじゃく)とは白い石でやわらかく、石や地面にチョークのように書くことができます。
原賀さんはそれを山に探しにいっては、地面に絵を描き、通りがかりの人たちから褒められ、それがきっかけで絵を描く仕事をするようになったそうです。

温石とは、「滑石」、「蝋石」といい、裁断して石筆、印材、その他工業などに昔から利用されていたそうです。
平安時代からこの石を火であたため、布に包んで着物の懐に入れて「カイロ」として使われていたので「温石」と言われるようになったというのを初めて知りました。

また「懐石料理」の語源は、禅寺で修行僧が空腹や寒さをしのぐため温石を懐中に入れたことから、茶の席で出す一時の空腹しのぎ程度の軽い料理、あるいは客人をもてなす料理をそう呼んだという説があるそうです。

原賀さんは山で探されたようですが、私が子どものときは、緑川の河原で拾ったものでした。
私は絵を描くのは苦手でしたが、河原で白石を探すのが楽しくて、よく友達と競争して探していました。
白石には乳白色のものとガラスのように透明がかったものがあり、乳白色のものは「おんじゃく」で、透明のものは「火打石」です。
おんじゃくを見つけると、まずいろんな石に書いてみて、よりつきやすいものを探しては得意になっていましたね。

ちなみに火打石は、2個を叩きつけると火花がでます。
暗いところがよく見えるからと、友達と納屋の奥でやってみたら、ワラに燃え移って、あやうく火事になりそうになり、ひどく怒られた苦い思い出があります。
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講座初日

2008-02-27 07:37:53 | 熊本フットケアアカデミー
昨日はフットケアセラピスト養成講座37期生のスタートの日でした。
ほとんどの方は、広告を見て参加されていますが、たまに修了生の紹介の方もいらっしゃいます。
今回も、知り合いの方が修了生にいて、その方から話を聞いたので参加したと言う方が一人おられました。

お昼休みにおしゃべりしていたら、もう一人、修了生の知り合いの方がいらっしゃいました。
その修了生は、1期生として友達同士2人で参加された方たちです。
このお二人とは以前、職場でいっしょだったそうですが、その人たちから直接ではなく、共通のお友達から、こういうのがあるみたいよ、と勧められたそうです。

思わぬところでつながりがあり、人との出逢いって本当に面白いですね。
この仕事を始めた一番の収穫は、いろんな方と知り合いになれることかもしれません。


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せいしょこさん

2008-02-26 07:40:32 | 日記
先日、NHKの「その時歴史は動いた」で加藤清正が取り上げられていました。
今、熊本城は築城400年のイベントが行なわれ、西南の役で消失した本丸御殿が完成しつつあります。
熊本城を築城した加藤清正は、熊本では「せいしょこさん」と呼ばれ、今でも慕われています。
断片的には知っているつもりでしたが、番組を見て、改めてその人となりがわかりました。

1562年6月24日に尾張国で生まれ、豊臣秀吉とは血縁関係にあったそうです。3歳のころ父親がなくなり、秀吉とねねが育ての親となったのです。幼名を夜叉丸といい、9歳の頃から秀吉に仕え、元服してから加藤虎之助清正を名乗りました。

賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いでは「七本槍」の1人に数えられ、その後も数々の武功を立てました。

1588年、清正は佐々成政が肥後統治に失敗し、処罰された後を受けて、肥後北半国を与えられ、肥後の国に入ります。入国当時の肥後は国衆と呼ばれる土豪がひしめき、長引く戦乱で国内は荒れ果てていました。
その上、川の氾濫で毎年大きな被害を受けていて、人々は貧しい暮らしを強いられていました。

入国後、清正は治山治水、新田開発などに力を入れています。菊池川、白川、緑川、球磨川、それぞれに堤防を築いたり、堰を作ったりして、その功績は今も残っています。
実際、緑川沿いにある実家の近くには、清正が作った堤防がありますし、緑川の流れが速くて堰が作れなかったところ、夢の中に鵜が並んでいる姿が現れ、その形に堰を作ったといわれる「鵜の瀬堰」が有名です。

国衆など謀反を起こしていた人たちも処罰せず、土木事業などで働いた人には男女の区別なくきちんと賃金を与え、とても感謝されたそうです。
また南蛮貿易に乗り出すなど、積極的に領地経営を進め、国はどんどん豊かになり、結果領民からは神様のように慕われるようになりました。

朝鮮征伐では虎退治をしたことで有名ですが、これも病気の秀吉に精のつく虎の肉を食べさせたかったからのようです。

秀吉の死後起きた関ヶ原の合戦では、石田三成らに反発して東軍につき、徳川家康に見方しますが、これも豊臣秀頼を護ってもらいたい一心だったようです。
その功績により、肥後南半国も与えられ、実質ともに54万石の大大名となります。

家康が力をつけてくると、豊臣家を守るためには家康に取り入るしかない、と1611年、二条城で秀頼と徳川家康を会見させ、豊臣家の存続に成功しました。

これで豊臣家も安泰と思われたのですが、清正は二条城の会見から熊本に帰る船中で発病し、熊本城で亡くなりました。享年50歳。奇しくも生まれた日と同じ6月24日でした。豊臣家も清正の没後わずか4年で大坂夏の陣に破れてしまいます。
清正が生きていれば、家康も勝手なことはできなかったかもしれません。

今復興されている熊本城本丸には、「昭君の間」というところがありますが、これは「将軍の間」の隠語ではないかという説もあり、いざとなったらそこに秀頼をかくまうつもりだったといわれています。
実際、この部屋にたどり着くには、地下通路を使わないといけないようになっていて、抜け穴なども作られていたそうです。

肥後の国を豊かにし、豊臣家を最後まで守ろうと力を尽くしたその人柄に、改めて加藤清正のすばらしさを感じました。
そういえば、その後、長い間肥後の国を治めた細川家に関してはあまり聞きませんね。
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子どもフェスティバル2日目

2008-02-25 07:42:41 | ボランティア
二日目は、2時から子ども劇団の公演があるので、販売は10時から1時45分までと決められています。
前日は、たくさんの荷物を一人で運ばなくてはいけなくて、途中で子どもたちに手伝ってもらったのですが、昨日は駐車場に着こうかというときに電話があり、先に来ていた方が荷物運びを手伝ってくれました。

10時になると待ちかねていた子どもたちが、次々にクジを引きにやってきます。
その間、初めてボランティアに参加する二人には押し花しおりの作り方の説明をして、実際にやってもらいました。

昨日は5名の方が手伝ってくださって、お昼になって前日の小学生2人も来てくれたので、交代で食事をしたり、見学したりすることができて、よかったです。
ただ、しおり作りをする人が途切れず、仕上げを担当する私の食事する時間がなかなか取れなくて、みんなが作っている合い間を利用して大急ぎで食べました。

昨日も押し花しおり作りは60枚、クジは300回と大盛況で、あれだけたくさん作ったぬいぐるみの袋詰めの分も、ほとんどなくなりました。
二日間で売れたのは押し花しおりが150枚、クジは600回で、売上は5万円を越えました。
募金箱にも、子どもたちがわずかなお小遣いの中から入れてくれた貴重な1668円が入っていました。

今回始めてお手伝いをしてくださった3名の方も、楽しみながらボランティアができたみたいで、これからも続けたいと言ってくださいました。
たくさんの収益が上がった上に、仲間も増えて、それまでの苦労も吹き飛んでしまいました
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子どもフェスティバル1日目

2008-02-24 07:46:38 | ボランティア
昨日から子どもフェスティバルが始まりました。
今回はバザー出店者が多くて、場所が確保できるのかどうか心配でしたので、前日の夕方、ヴィーブルまで出かけて確認してきました。
すでに「小さな一歩の会」だけは、バザーコーナーとは通路の反対側にあるスペースに机や椅子を置いてもらっていて、十分な広さです。
どうすればやりやすいか、あちこち机や椅子を移動させてみて、ようやく動きやすいような設定にすることができました。

朝は9時に集合するように言われていたので、出かけて行って準備をしたのですが、販売は子ども劇団の公演が終了する11時からです。
先日約束してくれた女子高生が早めにきてくれたので、一通り手順を教えてあげていたら、子どもたちが押し花しおり作りやクジに集まってきました。
いつも押し花しおり作りを手伝ってくれている小学生2人もやってきて、テキパキとしおり作りの補助をしてくれました。
その後、二人の方が参加して、みんなで手分けして対応していきます。

押し花しおり作りでは、子どもたちは、どの花を置いていこうかと悩みながらしおり作りに取り組んでいますが、それをラミネーターを通すと、きれいになって出てくるので、とても喜んでくれます。
母娘で「毎年これを楽しみに来てるんですよ」としおり作りを楽しいんでいらっしゃる方もいました。

一方、クジの方も50円という安さもあり、大好評でした。
まっ先にしてくれた女の子は、いきなり特大のリラックマが当たり大喜びで、続けて何回もやってくれました。
これまでは、1等、2等とか、それぞれ分類し、その中から選んでもらっていたのを、紐を引いて、選んでもらうことにしたので、迷う時間は少なくなったのですが、紐がきつくて、それをはずすのに時間がかかってしまいました
次からは、紐の結び方を工夫しなくてはいけないみたいです。

押し花しおり作りもクジも、ひっきりなしに子どもたちがやってくるので、対応がたいへんです。
2時過ぎになって、小学生と大人の方が用事があって帰られて3人になり、さらに忙しくなりました。
子どもたちに順番を待ってもらいながら、てんてこ舞いでした。
3時半の終了時間間際まで子どもたちが殺到して、翌日にしてもらった子もいました。

帰ってからの仕事として、売上の計算と、ぬいぐるみの補充、押し花の整理が残っています。
押し花は80枚ほどが売れ、クジも300回やったことになり、売上が27000円余りになりました。
ぬいぐるみは大きなものを追加し、前日と同じ量を用意しました。
押し花は、子どもたちが使ったあとは、ごちゃごちゃになりますし、崩れてしまった花も多いので、きれいな花を選び、補充しながら使いやすいように仕分けしていきます。
全部の準備が終わったのは、10時過ぎでした。

今日はお手伝いの方がたくさんいらっしゃる予定なので、少しは余裕でできるかもしれません。
子どもたちがたくさんやってきて、楽しんでくれたらいいですね。
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くじ作り

2008-02-22 07:34:56 | ボランティア
毎年、子どもフェスティバルで、押し花しおり作りをしていますが、今年はぬいぐるみをたくさん頂いていますので、ぬいぐるみのクジもすることにしました。

これまで、バザーで行なうときには、1等、2等、3等など、それぞれぬいぐるみをかごに入れて、その中から好きなものを選んでもらっていたのですが、子どもたちは迷ってしまって、なかなか決まりません。
それに、商品の数だけクジを作らないといけないので、大変でした。

そこで、今回はクジを二色のスーパーボールを用意し、当たりとはずれの二種類にし、当たりのときは、ぬいぐるみについている紐を引いて選んでもらうことにしました。
そのために、ぬいぐるみを一個ずつ袋にいれて、紐を結び付けなくてはいけません。
さまざまな大きさの袋と、タコ糸400本を準備しましたが、袋詰めは一人ではとてもできません。
ということで、3人の方に手伝っていただいて、準備をしました。
3時間ほどかかって、やっと400個の袋詰めが出来ました。

大きいもの小さいものと合わせて50個ずつを一組にして、カゴに入れて販売することにしました。
特大のぬいぐるみがカゴに入らないのでどうしよう、と思っていたんですが、カードにしてクジにすることになり、問題解決です。

はずれも、小さいけどかわいいものばかりですし、UFOキャッチャーだと、最低でも100円はかかるものが、50円で手に入るし、買えば千円以上するものも含まれています。
きっと子どもたちには満足してもらえると思いますので、当日が楽しみです。
2月23日、24日、合志市総合センター「ヴィーブル」でありますので、ぜひ遊びにきてくださいね。
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九州国立博物館

2008-02-21 07:34:35 | 日記
昨日、歌舞伎を観た帰りに、九州国立博物館に立ち寄りました。
着いたのは3時半で、入館者も少ないだろうと思って行ったのですが、駐車場はほぼ満車です。
駐車場からしばらく歩くと、突然、大きなブルーのガラス張りの建物が現れました。

1300円の入場料を払って中へ入ると、ちょうど京都五山展が開催中で、大勢の人でごった返しています。
足利義満六百年御忌記念ということで、京都五山やゆかりの寺院に伝わる禅文化の名宝、秘宝が展示してありました。
お寺に参拝しても見ることができないようなご本尊や仏画・仏像、禅僧の肖像画や彫刻、直筆の書など、珍しいものが間近で見ることができます。
金閣寺の鳳凰もありましたが、明治時代に金閣を修理した際、足の傷みがひどくて取り外されて保管されていたため、昭和25年の消失を免れたものだそうです。
禅文化を伝える五山には順位がつけられていて、南禅寺は五山之上、第一位が天龍寺、第二位が相国寺、第三位が建仁寺、第四位が東福寺、第五位が万寿寺だそうです。
どの展示にも人だかりができていて、解説文を読むのにも一苦労です。
平日の3時半過ぎでこの状態ですから、普段はもっと多いのでしょうね。

その他、常設コーナーには、石器時代から縄文、弥生と時代を追って、たくさんの展示物がありますし、アジアとの関わりがわかるようにもなっています。

歌舞伎を観て、歴史に触れた1日でした。

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花形歌舞伎

2008-02-20 22:05:49 | 日記
今日は博多座で行なわれている「二月花形歌舞伎」を観てきました。
これまで生の歌舞伎を観たことがなく、日本の伝統芸能ですから、一度は観てみたかったんです。
今回、若手7人衆が揃っての公演ということで、主人と観に行くことにしました。

歌舞伎観劇も初めてなら、博多座も初めてだったので、どういうところか緊張しながら入っていきました。
11時開演なので、お昼御飯はどうするのだろうと思っていたら、ちゃんと休憩時間に食べられるようになっているんですね。
博多座の中ではいろんな有名店の弁当が売られていました。
それに博多座ならではのお菓子やお土産もあり、開演前にいろいろ試食させてもらいました。

舞台が始まる前に、まず中村勘太郎さんが挨拶に出てきて、楽しませてくれました。
会場の人に、歌舞伎を始めてみる人、と聞かれて、パラパラと手があがりました。
2回目、3回目と少しずつ手が上がったのですが、5回目以上というと、大勢の方たちが勢いよく手を上げたのにはびっくりです。

いよいよ中村獅童、中村七之助、市川亀治郎などが出演して、義経千本桜が始まりました。
でも化粧しているので、誰が誰だかわかりません。
プログラムであらすじを確認し、イヤホーンから流れる解説で、ようやく内容が把握できました
芝居の見せ場というか、拍手するところが今ひとつわからなくて、会場が中途半端な拍手になったりしたところがあり、役者さんたちに気の毒な気がしました。
歌舞伎座だったら、常連さんが多いのでこういうことはないのでしょうけどね。

その後、勘太郎さんの「高杯」での下駄のタップや、「団子売」で市川亀治郎さんの女踊りなど、さすがにすばらしい踊りで、たっぷりと堪能させてもらいました。

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行列のできる法律相談所でカンボジアに学校建設

2008-02-18 21:39:34 | ボランティア
昨日、新聞のテレビ欄を見ていたら、「行列のできる法律相談所」に「カンボジアに学校建設に13人の大物が」という見出しが出ています。何だろうと思って見てみたら、島田紳助さんがカンボジアに学校を建てようとみんなに呼びかけているようです。
有名人100名に絵を描いてもらい、4月にオークションにかけて、その収益で学校を建てる計画だそうです。

ちょうど萩本欽一さんに絵の依頼に行ってたのですが、そのときに事情を説明するために、前回放映されたビデオが流されました。

カンボジアの小さな村に住む女の子、スレイナちゃんは13歳。
貧しくて学校へ行けず、勉強をしたいと訴えていました。
近くにある小学校は屋根だけで、雨が降れば濡れてしまうようなところ。
しかもその村には子どもが300人もいるのに、先生は3人しかいません。
小学校3年生までしか通えないのです。
隣の町にある別の小学校や中学校は20kmも離れていて、妹たちの世話をしているスレイナちゃんには通うことができません。
村はずれで拾った英語の教科書を、いつか読んでみたいと、大事に持っていました。

ただその映像の中に、地雷が爆発するシーンと共に、ポルポト派の兵士が銃を持った映像があり、貧しさのためにゲリラに加わる子どもがいるとの説明があったのにはびっくりしました。
私の知る限り、ポルポト派はすでに壊滅していますし、子どもたちが銃を持ってゲリラとなるようなことはないはずです。
以前のものを見ていないので、抜粋されていて、私の見間違い、聞き間違いかもしれませんが、誤解する人もいるかもしれません。
地雷の被害に苦しんでいることは確かですが、今は平和で戦闘が行なわれることはないのに、なぜこういう映像を流したのか疑問です。

とにかく、それを見た欽ちゃんは、スレイナちゃんが学校へ行けるよう、ぜひ絵を描こうと、約束してくれました。
その他、石坂浩二さんやちばてつやさんなど、有名人が続々と名乗りでています。
これだけの有名人が一同に集まれば、すごい金額が集まることでしょう

それに比べたら私たちの活動は、一枚150円の押し花しおりや50円のクジ、数百円の不用品など、売上はわずかな金額です。
しかし、たくさんの一般の人たちが関わってくださっていますし、特に多くの子どもたちが、自分たちの少ないお小遣いの中から買ってくれたものです。
そのお陰で毎年、50万円前後ですが、継続して支援することができています。

テレビの力はすごいものがあります。
きっとすばらしい学校ができることでしょう。
しかし、学校を建てて終わり、ということではなく、継続して支援して欲しいものです。
支援を必要としている子どもたちはたくさんいます。
この活動が一過性のものにならないことを願っています。

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