「いっぽ」のつぶやき

健康に福祉にボランティアにと、自分らしい人生を過ごすために、一歩ずつ歩んでいる「いっぽ」のつぶやきです。

加藤清正の普請語録

2013-02-17 20:40:56 | 感動した話
加藤清正は、難攻不落の熊本城を築城したことで有名ですが、
白川や緑川などの洪水を防ぐための治水工事をしたり、
新たに水路を掘って、荒地に水を引き耕作地を増やすなど、
今もその恩恵を受けています。

当時、こうした工事を行うときは、農民などを無報酬で使うのは普通だったのですが、
清正はきちんと賃金を支払ったそうです。
また、労働条件を厳しく定め、男女の区別もしなかったといいます。
清正の言葉を普請奉行が書き残したものが、普請語録です。

一、農民が繁多な季節を深く吟味し、非道の沙汰をしてはならないこと。
二、据石・蒔石・埋木・砂所・水量などで無理なる召し使いをしないこと。
三、どんな子細なことでも賄賂は堅く禁止すること。
四、仕事に陰日向なく働くこと。
五、川普請の手伝いのものには、男女の隔てなく一日米5合を差し遣わすこと。
六、仕事中は酒・煙草類は堅く禁止すること。
七、丁場(仕事場)には60歳以上のお年寄り、14歳以下の童子を召し使うことは禁じること。
八、仕事は辰の刻(午前8時)に始め、午の刻(正午)に昼食、未(ひつじ)半刻(午後3時)に休憩、
  申(さる)半刻(午後5時)までを原則とするが、四季と遠方などを吟味すること。
九、雇夫に給銀を滞りなく与えること。

今でも通用する内容です。
清正は、槍の名手で、虎退治などの豪快な印象がありますが、
とても誠実な人柄だったみたいですね。
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日本初の男女共同参画

2011-10-01 21:21:29 | 感動した話
今日は、午前中、先祖供養でした。
いつもは片付けに2時ごろまでかかるのですが、
午後1時半から講演会があるので、大急ぎで片付けて、出かけました。

熊本市男女共同参画センター「はあもにい」での講演会です。
「先輩から学ぶ!日本を変えた熊本の女性たち」
~ジェーンズが残した日本初の男女共同参画~

講師はジェーンズ邸館長の黒田孔太郎氏です。

ジェーンズは熊本洋学校教師として、明治4年にアメリカから来熊しました。
アメリカでは南北戦争に北軍砲兵大尉として参加し、その後、士官学校の助教授となるも
農場で農業に従事していました。

熊本には幕末、横井小楠という偉大な人がいて、勝海舟から尊敬され、坂本龍馬も訪れています。
明治政府に招聘され、これからというときに、京都で暗殺されてしまいました。
その甥が明治2年末、勉強していたアメリカから帰国し、熊本知藩事に洋学校の作ることを
勧め、ジェーンズが教師として招かれたのです。

10歳から15歳までの少年、約500名の入学希望者が集まり、試験で入学したのは46名でした。
ジェーンズの授業はすべて英語で行われ、答えは教えず、自学自習で、毎日成績順に
席を入れ替えるので、皆、真剣に勉強していたそうです。

4年目のこと、二人の女の子が男の生徒に混じって勉強を始めました。
横井小楠の娘「横井みや子」と徳富蘇峰の姉「徳富初子」です。
男子学生が、猛反発して抗議をしたところ、「君の母親は男か女か?」と言われたそうです。
「女をさげすむ男が、母を持ったり、妹をもったり、まして妻を持ったりすることは
不自然ではないか・・・」と。
男子生徒はぐうの音も出ません。これが、日本初の男女共学です。
のちに、このとき抗議した男子学生が、みや子さんの夫になったというのも不思議な縁ですね。

学生たちはキリスト教に興味を持ち、ジェーンズに請い、ジェーンズ邸で聖書の輪読会が行われました。
その中で熱心なキリスト教信者が明治9年1月30日に花岡山で結盟し、キリスト教を広めようと
「奉教趣意書」を読み上げます。
しかし、そのことが原因で洋学校は閉校になってしまいました。

その後、学生たちは、京都の同志社英学校に移り、熊本方式の授業を取り入れて、熊本バンドと呼ばれました。
明治12年、同志社英学校の初卒業式の卒業生15名はすべてジェーンズの教え子でした。
このとき二人の女子学生も京都に移り、女学校で勉強を続け、のちに教育や女性の地位向上に活躍するのです。

ジェーンズは、食生活改善にも力をそそいでいます。
熊本の野菜の種類の少なく、栄養価が少ないと感じ、アメリカから、キャベツ、カリフラワー、レタス、
オクラ、グリンピースなどの種を取り寄せて、熊本に広めました。
また牛肉や野菜入りのシチューを振舞ったりして、熊本の人が牛乳、牛肉、パンを食べるきっかけになりました。

ジェーンズ邸は現在、水前寺公園の近くに移転されていますが、
元々は熊本城内の古城と呼ばれるところに建てられていて、現在は県立第一高校になっています。

日本初の男女共学となった熊本洋学校ですが、同じ場所に建っている県立第一高校は
男女共学にもかかわらず、現在、男子がいません。
戦前の第一高等女学校のイメージがいまだに残っていて、男子が入ってこないのです。
今年は、市内の中学校を回って、男子入学に力を入れているというのが話題になっています。
なんか不思議な感じですね。

1月14日に第二回目が開催され、本題の女性たちの活躍がテーマです。
ぜひ参加したいです。

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チャイルドドクター

2010-07-28 22:20:34 | 感動した話
NHKのミッションという番組で、慶應義塾大学のキャンパスから特別放送があっていて、
アフリカで活躍する日本人が紹介されていました。

その人はNPO「チャイルド・ドクター」ケニア事務所代表・宮田久也さん(34歳)。
8年前、単身ケニアに行き、スラムの近所にクリニックを開き、医療支援に奔走しています。
といっても、宮田さんは医療関係者ではありません。

ケニアには、多くのスラム街があり、そこでは医療を受けられない多くの子どもたちが命を落としています。
そこで、スラムの子ども一人に日本人の支援者一人がつき、毎月1000円を寄付することで
その子が病気になったとき、無料で診察が受けられるという仕組みを作りました。
しかも、インターネット上で手紙や写真のやり取りをし、交流を深めることで、
密接な関係が出来上がり、継続的な支援をしてもらおうという試みです。

まず、小さなスラムで子ども500人を対象に試したところ、死亡率が格段に下がり
成功を収めました。
次に目指すのは、80万人が暮らすスラム街です。
2年前からの事前調査で2000人の子どもたちの写真を撮り、準備を重ねていますが、
支援する人が集まらなくて、スタートさせられず、住民から不満の声も上がっているそうです。

この模様を見ていた慶応義塾大学の学生が、この運動を広めるためにいろいろと
アイデアを出していましたが、まずは、この活動を知ってもらわないと、支援者は集まりません。

では、宮田さんがなぜこのような活動を始めたのか?
大学生のとき、語学学習のために訪れたカナダで暴漢に襲われ、生死をさまよったとき
「自分はまだ人のために何もしていない」と思ったそうです。
それまではそんなことを考えたこともなく、気ままな学生生活をおくっていたのですが、
命が助かったとき、何かをしなければ、とケニアを訪れたのだそうです。

今度、肥後観音寺で施餓鬼供養をするのですが、餓鬼界に堕ちた先祖の供養のためです。
餓鬼界に堕ちるのは、生前、自分のことしか考えず、人に与えることをしなかったからだといわれます。

「情けは人のためならず」
自分の行いが、だれかに喜んでもらえるのは、人間にとって最高の喜びだと思います。
多くの支援者が集まるといいですね。

興味のある方は、チャイルドドクターをクリックしてみてください。
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あるがままに!

2009-07-15 22:07:04 | 感動した話
新聞の「生きる」という投稿欄に98歳の女性の投稿がありました。

朝起きて、まず礼拝、読経、仏前体操をし、そのあと新聞に目を通し、廊下で歩行運動をしたり
手芸をしたり、その上、毎月十数冊の読書を楽しまれています。

そして、
「ストレスもなければ、悩みもない。身体の不自由、足腰の痛みは長寿のご褒美だとありがたく受けて耐えている。
こうして、連日感謝と忍耐で流れる時を紡ぎ、静かに秘やかにいかされている私である」
と書かれていました。

私もこういう年の取り方をしたいものだと思いました。

また、テレビでは、生まれつき左手の人差し指、中指、薬指がないにもかかわらず、
ピアノの演奏家として活躍する高校3年生の女の子が紹介されていました。
7本の指で奏でられているとは思えない、素晴らしい演奏です。
バイオリンやチェロとのコラボレーションでも、「どうやって演奏しているのかわからないけど、
音の不足はまったく感じない。」とプロの方が驚かれていました。

その演奏を聴いた高校生が「指がないことで、劣等感を感じたことはないですか?」という質問をしたとき、
「生まれたときから、これが自分だと思っているので、劣等感をもったことはないし、
逆に指が10本あったら気持ち悪いと思う」と答えておられました。

彼女のお母さんは「ないものを求めるのではなく、あるものを生かすこと」を教えたそうです。

ないものねだりをするのではなく、あるものに感謝することで、豊かな生活ができるんですよね。
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心臓移植成功

2009-05-26 23:46:21 | 感動した話
拡張型心筋症という重い心臓疾患を患った熊本市の宮原敬助君は、心臓移植しか助かる道がなく、
ドイツで手術を受けることになりましたが、8600万円という高額な費用が必要です。

その敬助君をを助けようと、昨年11月に募金活動が始まり、最終的には1億5千万円が集まって、
3月にドイツに渡りドナーが見つかるのを待っていました。

5月になって症状が悪化し、緊急度が高まっていましたが、奇跡的に5月22日に適合する心臓の提供者がみつかり、
23日未明に4時間半にわたる移植手術が行なわれたそうです。
手術は無事に成功し、既に一般病棟に移り、治療を続けているということで,
ほんとうによかったです。

娘の同級生の弟さんということもあり、整骨院の患者さん、フットケアの受講生、肥後観音寺の信者さん、
といろんな方たちに呼びかけて、みなさんからご協力をいただきました。
あとは、拒絶反応などが起こらないことを祈り、一日も早い回復を願うばかりです。
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つもり違い十ヶ条

2009-02-23 21:09:50 | 感動した話
大津にある日吉神社は、以前、主人の実家の近くだったこともあり、
子どもの成長の節目ごとにお参りに行っているところで、
いつも、正月前にはお札を送ってもらっています。
毎年初詣に行っているのですが、今年は行きそびれてしまったので、
今日はお参りに行ってきました。

お賽銭箱の横に、ご自由にお取りください、と紙が置いてあり、
ちょっと気になってもらってきました。
自分のことを勘違いしないようにしないといけませんね。

つもり違い十ヶ条

一.高いつもりで低いのは  教養
二.低いつもりで高いのが  気位
三.深いつもりで浅いのは  知識
四.浅いつもりで深いのが  欲の皮
五.厚いつもりで薄いのは  人情
六.薄いつもりで厚いのが  面の皮
七.強いつもりで弱いのは  根性
八.弱いつもりで強いのが  我
九.多いつもりで少ないのは 分別
十.少ないつもりで多いのが 無駄







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レインマンのモデル

2008-09-10 22:35:07 | 感動した話
レインマンのモデルになった自閉症の男性キム・パークがテレビで紹介されていました。
幼いころ、医師からは脳の異常があるので14歳までしか生きられない、と言われたそうですが、50歳を過ぎた今でも元気に暮らしています。

キムは9000冊に及ぶ本をすべて暗記しているのだそうです。
自閉症というと障害者のようにみられますが、その能力のすばらしさには感服します。

レインマンの中で、爪楊枝を落として床に散らばるシーンがあるのですが、主役のダスティンホフマンがそれをみて即座に246本といいます。
250本入りだったので、4本足りなかったのですが、よく見ると箱の中に4本残っていたんです。
また喫茶店のウエイトレスの名札を見て、彼女の電話番号をつぶやきます。
電話帳も完璧に記憶しているんです。
これらは、どれもキムの実話なんだそうです。

人とのコミュニケーションはうまく出来ないかもしれませんが、私たちにない特殊な能力を持っています。
そんな彼を愛し、80歳を過ぎた今でも世話を続けているお父さんもすごい。

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おてて絵本

2008-08-05 22:54:02 | 感動した話
新聞に「おてて絵本」の紹介がありました。
子どもが手で本のページをめくるしぐさをしながら、大人との言葉のキャッチボールに刺激され、奇想天外なストーリーを紡ぎ出していく、というものです。

新潟市の絵本作家、佐藤伸さんが発案した遊びです。
15年前、当時2歳の長女に「本を読んで」とせがまれたのですが、仕事で手が離せず、「お父さんに読んで聞かせてよ」と頼んで、朗読する長女に、「ほほう」「あらら」と相槌を挟むと、次第にアドリブが交じり、最後には絵本をほおりだし、手の平を絵本にみたてて、でたらめな物語をまくしたてたそうです。
このことを2年前に雑誌のコラムで紹介したところ、反響が大きかったので、「これで親子のコミュニケーション不足解消に貢献できるのでは」とホームページなどで普及活動をはじめたそうです。

遊び方は、子どもに両手を絵本にみたてて、ページをめくるしぐさで自由に語らせ、合いの手を入れたり、相づちを打って、発言を促すと、子どもは大きな声で物語を続ける。話に詰まったら「次のページをめくってごらん」のひと言で、不思議と新たな展開が口をついてでてくる。日頃考えていても、うまく表現できないことが、自然とわき出てくることも多いということです。

親子で手軽に楽しめて、子どもたちが自分の考えを自由に表現できるようになれば、すごいですね。



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才能と努力

2008-03-10 09:34:42 | 感動した話
先日、何気なく見たテレビで、マジシャンと美容師の卵の女性が対談していました。
美容師の方は、専門学校で優秀な成績で、学校に残って指導者になって欲しいと頼まれたほどで、自分には才能があると思っています。
それが実際に美容室で働くと、掃除やシャンプーばかりさせら、カットさせてもらえないことをすごく不満に思っています。
才能があるんだから、他の人のような努力は必要ないというのです。

一方、マジシャンの方は、人間何事も努力が一番というタイプです。
二人の話はなかなかかみ合いません。

二日目、美容師の女性は、マジシャンがどんな努力をしているのかを知るために、彼女の家を訪れました。
彼女は家のあちこちにトランプを置き、絶えず練習できるようにしています。
居間だけでなく、トイレでも、お風呂でも練習しているのです。
彼女は、自分がとても不器用だということを知っています。
中学、高校と陶芸をし、大学でも陶芸をしたのですが、最も基本である粘土をこねる菊練がなかなかできず、みんなに追いつくためにずいぶん努力をしたのだそうです。
しかし、彼女はその努力は無駄ではないと思っています。

美容師の女性に、「あなたが簡単にできたラインまでは、時間はかかっても努力をした人も到達できる。そのとき、努力をした人の方が得るものが多いので、あなたはその上にいかないと追い抜かれてしまう。」とアドバイスしていました。

トランプを片手で半分に分け、真ん中の一枚を飛ばす、という技を見せてくれたのですが、それを習得するのに1年半かかったそうです。
それを見た美容師もそれをやってみましたが、まったくできません。
何度も何度もくり返しやっています。
「意外と努力家なんじゃないですか?」と言われ、「負けず嫌いだから・・・」と、美容師の子は出来ないことが悔しくてたまらないようです。

5日後、再び会ったとき、美容師はそのトランプの技がほぼ出来るようになっていました。
まずは少ないカードで練習し、その枚数を少しずつ増やしていったそうです。
カットをするときも同じでしょうが、何故出来ないか、どうやったら出来るかを考えることで、他の人より上達が早いのでしょうね。
でも、それをやったことで、彼女は大事なことに気づいたそうです。

少ないカードだと簡単にできることが、ほんの数枚カードを増やすと出来なくなる。練習してそれをクリアするんだけど、何枚かカードを増やすとまた出来ない。
それで、自分の今の実力は少ないカードで出来るだけなんだ、ということに気づき、今をきちんとクリアしないと次に進めないということがわかったのです。
それからは、あんなに無意味だと思ったシャンプーが大事なことに思え、必死になってシャンプーしていて、お客様に満足してもらえるよう努力しているというのです。

マジシャンの方は、それを聞いて、自分ももっと練習して完璧に出来るよう努力しなくっちゃ、と言っていましたが、彼女の言葉で、一人の人を変えてしまったのですから、すごいことです。
自分で本当に努力した人の言葉だから、美容師の人も納得ができたのでしょうね。

今、朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」の中に、若狭塗り箸がでてきます。
いろんなものを塗り重ね、それを磨いて模様をだすのですが、それと同じように、不器用で何度も失敗をした人、回り道をした人は、いろんな経験を積み重ねることで、最後にはきれいな人生模様となって出てくるというのです。
そう思うと、いっぱい失敗したり、悩んだりした方が、楽しい老後が迎えられるのかもしれませんね。







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アンビリバボー

2008-01-11 09:58:22 | 感動した話
昨夜のアンビリバボー10周年記念で、柴田理恵さんが選んだ号泣BEST3をみて、本当に感動しました。

第3位はアメリカで肝臓移植を待つ3歳の女の子に、待望の移植ができるという知らせがあったものの、大雪のため、空港まで行くことができません。それを知った医療コーディネーターがラジオ局に要請し、緊急放送で情報が流されると、航空会社がヘリで空港まで輸送してくれることになり、ヘリが着陸する地点には、ラジオを聞いた200人以上の人たちが集まって雪かきをしてくれて、無事に間に合うことができました。

第二位は山で知り合った夫婦がいて、ご主人がガンで余命3ヶ月を宣告されたとき、自分のことより、奥さんを昔約束したエベレストに連れていってあげたい、と医師の反対を押し切り、二人で5000mの山の登頂に成功したのです。胃や脾臓を摘出したあとに山登りができただけでも奇跡だとおもったのですが、それから6年後、74歳になるご主人は今も健在で、病院にも行っていないのだそうです。

そして第三位は岡田たかし君の物語です。8歳のとき持病の心筋症から脳梗塞を起こして意識不明になり、その後も右半身マヒがのこり、話をすることもできなくなってしまったとき、クラスの子どもたちのメッセージをカセットで聞いて、話すことができるようになりました。
その後、身体にマヒが残っている状態でしたが、学校に戻り、できないところは友達が助けてくれました。
5年生になったとき、いつもみんなから助けてもらうばかりで、自分は何も人の役に立つことができないことを悩み、福祉施設で人形劇をしたいと思っていたら、みんなが協力してくれて実現しました。
そして6年生になった彼は、「僕はなにもできないと思っていたけど、僕が生きていることが大事なんだ。だから生き続けたい」と言っていました。
しかし様態が悪化し、卒業式を待たずに逝ってしまいました。
卒業式のとき、担任の先生がみんなに「死ぬな、絶対に死ぬな」と言った言葉は、クラスメートの心に焼きついたと思います。
事実、そのときのクラスメートは、今、人の役に立ちたいとそれぞれの道を歩んでいます。
詳しくはホームページをご覧下さい。

年間3万人以上の人が自殺をしているそうです。1日に90人が自ら死を選んでいる計算になります。
たかし君がこのことを知ったら、どんなに悔しいと思うでしょう。
自分が生きているだけですばらしいことなんだ、ということをわかって欲しいと思います。

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