19日から1泊2日で、大和ミュージアムと安芸の宮島の旅のバスツアーに行ってきました。
主人が前から行きたいといっていて、前に一度申し込んだのですが、その時は人数が集まらず、取り消しになってしまい、今回ようやく出発することができました。
バスは八代6時20分発で、宇土、熊本交通センターを経て、私たちは植木で8時20分に乗車し、植木インターから高速道路に入ります。
私たちは家を7時半すぎに出たんですが、八代から乗り込んだ6名の方たちは、3時に起きて水俣から八代まできたそうです。
他に元若妻会の仲良し9名組と同級生3名の組、それに夫婦3組と一人参加の方の総勢25名でした。
見たところ、全員、私たちより年上の方のようです。
元々の日程では、初日が錦帯橋と安芸の宮島で、翌日が大和ミュージアムと広島平和公園になっていたんですが、火曜日が大和ミュージアムが休館日ということで、行程が逆になってしまいました。
そのため、広島で昼食をとるのが1時すぎになってしまい、添乗員さんもその後の時間を気にされたんでしょうね、その後の広島平和公園と原爆資料館が30分だけの見学になりました。
資料館では目をそむけたくなるような、生々しい原爆写真や遺留品が展示されていて、そのすごさに圧倒されました。
一発の原爆で、地表面が3000度から4000度の高温になり、あらゆるものを焼き尽くし、爆風で吹き飛ばしてしまっています。
原爆ドームや一部の建物を除いて、すべて破壊されてしまっていました。
これでは人間などひとたまりもないと、改めてその悲惨さがわかります。
もっとじっくり見たかったのですが、なにしろ時間がなくて、大急ぎで回りました。
中にはどうしても行きたいと、原爆ドームにまで足をのばされた方もいて、もっとゆっくり見たかったのに・・・とみんな不満顔でした。
次の大和ミュージアムには、最初に戦争のときに軍艦に飾られた軍旗が展示してあったのですが、これは唯一沈まなかった軍艦から米兵が持ち帰っていて、最近になって「なんでも鑑定団」に出品され、1000万円の値段がつけられたものだそうです。
それを司会の石坂浩二さんが買い取り、この記念館に寄贈されたということでした。
ちょうど、他の団体さんに説明をしている方いたので、その団体にくっついて一緒に説明を聞きましたので、いろいろ面白い話が聞けてよかったです。
ここでは1時間半も時間を取ってあったので、ゆっくり回っても時間があまり、30分前にはみんな戻ってきてしまいました。
ここより、平和公園で時間を取ってもらいたかったのに・・・と更に不満の声があちこちで上がっています。
添乗員さんが男性だったので、こちらの方がいいと思われたようですが、最初にみんなの意向を聞いて欲しかったですね。
時間をもてあまして予定より早く出発したんですが、それでも宮島のホテルに到着したのは7時になっていました。
夕食では、それぞれ知らない者同士でしたが、みなさん、カラオケや踊りなどで盛り上がっていました。
私たちは、厳島神社がライトアップされているということでしたので、早めに切り上げて見にいきました。
ホテルをでるとすぐに暗がりの中に鹿が何頭かいて、びっくりしたんですが、真っ暗な海の中の鳥居が赤く浮かび上がっていて、とてもきれいでした。
ちょうど干潮で鳥居のところまで歩いていけそうなくらいだなぁと思いながら見ていると、なにやら鳥居に向かって動くものが・・・
よくよく目を凝らしてみていたら、どうやら二匹の狸のようです。
しばらく砂の上をちょろちょろしていたんですが、岸壁の方に向かって歩いてきます。
良く確かめようとそちらの方に走って行ったけど、見失ってしまいました。
いったいどこへ消えちゃったんでしょうねぇ。狸?につままれたような感じでした。
翌朝、現地のガイドさんから厳島神社を1時間半かけて案内してもらいました。
高校生のとき、一度来たことがあるのですが、さっと見て回っただけだったので、今回はゆっくりと説明が聞けた上に、厳島神社の裏話なども聞けて、とても面白かったです。
見学が終わり、桟橋についたころに雨がポツポツ降り出して、ちょうどよかったです。
最後の見学地、岩国市の錦帯橋に着いたのはちょうどお昼ごろで、このころには気温も上がり、橋を渡ったところに紅葉の名所もあり、とてもきれいでした。
かなりハードスケジュールで、バスに乗っている時間が長いのには閉口しましたが、いろんな人と出会えて楽しい旅ができました。
参加したご夫婦の中には、2ヶ月に一回は旅行しています、という方もいらっしゃいました。
そこまではできませんが、次はどこに行こうかと計画中です。