先週フットケアの試験をしたのですが、このままではちょっと不安な方二人が希望されたので、昨日の午前中に補講をしました。
そのうちの1人は2月にスタートしてたんですが、なかなか覚えられず、練習もあまりできなくて、一度は「もう私には無理だから、辞めます」と言いにきた人です。
せっかくここまできたのにもったいないからと、もう一度チャレンジするように励ましました。
頑張って試験を受けるところまではきましたが、試験中も途中で順番がわからなくなったり、押さえる場所が違ったりでさんざんな結果でした。
でもそれから一週間、やっと本気になり、どうにか順番は覚えてきたもののまだ自信なさげです。
そこで一度目はひとつひとつ確認してあげて、どうしても出来なかったところも練習するうち出来るようになりました。
二回目は完璧とまではいきませんが、だいたい出来るようになりました。
それまでは、自分は出来ないからとあきらめムードで、なかなか頭に入らなかったようですが、自信がついてきたら施術が楽しくなってきたようで、来週の修了式までにいっぱい練習してきます、と元気に帰っていきました。
午後からは、先日汲んできた水がもうなくなりましたので、岳間水源に水汲みに行くことにしました。
3時にそこの近くに主人が家祓いに行くことになっていたので、その間、私は山鹿温泉プラザで待つことにしました。
一通りお店をみたら、どこか座れるところを見つけて、本でも読もうと思ったのですが、いろんなお店があって、お店を回るだけで時間がきてしまいました。
ブティックやバック屋さんのほかにも、障害者グループの人が出しているお店や、手作りのものを売っている「おばあちゃんの家」というのもありました。
「おばあちゃんの家」の一角に綿入りや座布団などといっしょに、蚕の繭やそれを紡いだ糸、真綿なども展示してあるところがあり、そこで一人のおばあちゃんが綿入りちゃんちゃんこを縫っておられたので、いろいろとお話させてもらいました。
私が小学生のころまで、祖母の家では養蚕を行なっていました。
蚕の時期になると、二間続きの座敷の畳を上げて、そこに蚕棚を作って育てます。
家族はその間、他の狭い部屋で生活しなくてはいけません。
私もときどき泊まりにいってたんですが、その間、障子1枚へだてたところに蚕がいて、祖母たちは朝5時前から暗くなるまで蚕の世話に明け暮れていました。
蚕は新しい桑の葉しか食べませんので、一日に何度か畑に採りに行き、それを食べさせます。
食欲旺盛で、ひたすら食べていて、その音が雨の音のように聞こえていました。
食べ尽くしたころ、下に落ちた糞をとりのぞき、また桑を与えます。
何日かそれをくり返しているうちに、蚕はみるみる大きくなり、20日?ほどしたら体が透明がかってきて、桑を食べなくなり、動きが鈍くなります。
そうなったら、大急ぎで格子状に穴の空いた枠に移しかえなくてはいけません。
蚕はその穴に一匹ずつ入って、繭を作るのです。
急がないと、勝手に蚕棚の角などに繭を作ってしまい、きれいな繭にならず、商品にならないので、このときばかりは家族総出で手伝います。
何日か経つと、真っ白できれいな繭が出来上がり、製糸工場に引き取られ、そこで生糸になって、絹製品に生まれ変わるのです。
子どものときなので、よくはわかりませんが、5月から9月ごろまで何度かこの作業がくり返されていました。
蚕は農家の現金収入源として貴重だったようで、「おカイコさん」と呼び、その時期に合わせて、「春子」「夏子」と呼ばれて大事に育てられていました。
祖母が若いときには、自分の着物はこの繭から糸をつむいで、その糸で機織りして作ることもあったそうです。
調べてみたら、「約2700頭の蚕が約98kgの桑の葉を食べて4900gの繭をつくります。この繭から生糸900gが得られ、絹織物1反[約700g]を織(お)ることができます。」とありました。
「おばあちゃんの家」では、真綿を使って製品作りをしているんですが、真綿って、ご存知ですか?
繭の周りの毛羽立ったところや、繭を開いてのばしたものが真綿です。
繭を開いて四角に広げていくと、ハンカチほどの広さになり、座布団や布団を作るとき、それを綿の一番外側に置いていきます。
綿だけだと使っているうちに切れて片寄ってしまうけど、真綿でくるむことで、綿がずれずに、均等のままなのだそうです。
子どもの頃、母が家で布団を作るときに、真綿を広げて置いていくのを手伝わされたことがありました。
見学に来た小学校の先生が、「あら~どうしましょ、私は子どもたちに真綿とは、綿のことだと教えてました」と慌てられたことがあったそうです。
綿は木綿、綿の木の種からできるものです。
真綿は、蚕の繭からできるもので、元は絹糸と同じなのです。
室町時代に日本に木綿が入ってきたので、それ以前のものを真綿というようになったみたいです。
小さいとき、母が何かを作っていたんでしょうね。一度だけ糸をつむいでいるのをみたことがあります。
お湯に繭を入れて、数個の繭の糸を束ねて、糸巻き機に巻きとっていたんです。
繭がくるくる回っていて、ほんとうに一本の糸で出来ているんだなぁと感心したことでした。
昨日は思わぬところで懐かしいものをみつけ、小さいころのことをいろいろ思い出してしまいました。