ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

毎日監視された生活

2021年04月27日 | 介護
子供の頃から私は毎日母に監視されて暮らしていた。
それは社会人になっても同じで、結婚しても同じだった。
ストーカーのような母に1日の生活を監視され行動を監視されて育ってきた。
半ば娘のストーカーのような母に育てられた。
私は外出したら5m歩く度に後ろを振り返り電信柱の影などを確認していた。
彼氏が出来ても思うようなデートも出来ずに付き合った男とは別れるのだ。
母から逃れる手段は結婚しかないと思っていた。
やっとのことで32歳で結婚をし、母の元を離れるが、その間もこっそり母は我が家に来ていたのだ。
私が留守だとわかると庭の雑草を抜いて帰るのだ。
10年後に母は70歳になり仕事も無理になったので、仕方なく我が家に引き取ることになる。
引き取ったはいいが、再び元の木阿弥であった。
夫婦が寝るまで寝ないのはもちろん、夫婦の会話に口出しをしてくるのである。
旦那の給料から賞与からあらゆることを聞いてきた。
それが認知症になったら益々ひどくなったのは言うまでもない。
親戚の結婚式の祝い金の金額や葬式の香典の金額までも聞いてきた。
お返しが来ないと私に文句を言ってくるのだ。
お金を出すのは我が家なのだ。
お返しが来てもカタログギフトに文句を言い、届いた品にも文句を言うのだ。
こんな母に育てられた娘はこんな娘になるのだ。
今夜も夕飯を作っている側から話しかけてきて嫌な思いをした。

夢を叶えたい

2021年04月27日 | 介護
夢を叶えたい。
子供の頃からの夢でした。
お揃いの物を身につけて好きな芸能人と一緒に記念写真が撮りたい。
他人が聞いたら変な夢だと思うでしょうね?
何しろ子供の発想です。
芸能人は雲の上の他人でした。
ましてや他人です。
ファンは大勢いるのです。
とうとう最初に好きになった芸能人とは叶わず、彼女はあの世に旅立ちました。
その次に好きになった芸能人は写真は撮ってくれるのですが、どうも同じ物を身に付けては無理なようです。
大概写真はキャンペーンの後のCDの販売の時なのです。
コンサートの後のCDの販売の時なのです。
お揃いの物を渡したことはありません。
そもそも子供の頃の発想とはおかしなものですね。
一緒に記念写真を撮ってもらったらそれを大事に持っている。
私が死ぬ時はそれを自分の棺に入れる。
子供の発想ですからね。
どうしてそのような発想をしたのでしょう。
写真をお守りのように持っている。
誰かに自慢したかったわけではありません。
芸能人はいつも心の支えでした。
辛い時や苦しい時の心の支えでした。
私の人生の中で芸能人は別格でした。
憧れでした。
憧れの芸能人と同じ物を身に付けて一緒に記念写真を撮る。
まあ、アホな子供の考えることです。
すいません。
お許しくださいね。
ささやかな夢です。