ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

娘の育て方を間違えた母

2021年05月16日 | 介護
実母は娘の育て方を間違えたと思う。
行きたかった和裁の専門学校にも行けず、やりたかったことはすべて否定されて生きてきた。
どこかストーカーのような母に振り回されてあらゆるものを否定されて生きてきた。
娘の私を心配するあまりに自分のテリトリーに娘を囲っておきたかったのだ。
娘を自分で操縦したかったのだ。
それに反発する娘の私がいる。
最後の夢は自分で着物を着て好きな浪曲を聴きに行き、記念の写真を撮ることだ。
遺影も着物で撮ることだ。
パソコンで加工した写真は嫌なのだ。
その昔、コマ劇場の島倉千代子さんの公演に1度だけ母の着付けで着物を着て出掛けたことがあった。
案の定へたくそな母の着付けはぐちゃぐちゃになった。
そもそも彼女は雲の上のような存在だったので、写真は無理だった。
私は実母のゆがんだ性格が嫌でだった。
ゆがんだ性格の母親に育てられた。
それが嫌だった。
結婚は実母から逃れる一つの方法に過ぎなかった。
ところが逃れたのはいいが、10年後に実母と同居することになるのだ。
再び母の管理下の下で暮らすようになり、大半を否定されて過ごさなければならなくなったのだ。
娘夫婦の話に割り込んでくる。
娘夫婦が寝るまで寝ない。
プライバシーなど無いに等しいのだ。
そんな中で暮らす娘の私は更年期から病気になり、いまだに心療内科に通っている。
母との同居により、思うような自由も無くなり、すべてを監視され生きてくれば病気にならない方がおかしいと言うものだ。
同居をして20年、認知症になった母の介護をして3年、本当の意味での自由も無いままにむざむざと私はこの世を去ってゆくのかもしれない?
旦那と思うような旅行も行かれずにこの世を去るのだ。

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