栗吉の顔を見ている。
視線の先には何もない。
物思いに耽っているような。
ぼんやり漂っているような。

こんな表情を見ていると、京大過去問2015年度2番を思い出す。
「無」についての文章である。
曰く、
実際のところ、「無」は謎のままであるだけでなく(むしろそのためにこそ)、あらゆる場面にその姿を現し続けている。それは、私たちが気づいていようといまいと関係なく。
曰く、
『無』は、かつて禁じられた思考の奥深くから抜け出し、哲学や宗教の聖なる殿堂に迎え入れられ、そしてついには世界へと解き放たれたのだ。
生徒たちは皆、『一体これはなんやねーーん?ww』という。
とりあえずは、「無」は哲学の究極的問いだと答える。
けれどね、そんなことはどうでもいい。
この写真の中の栗吉の眼差しが「無」ではなく「存在」を語っていることを、私は強く認識するのですっ!!
・・・なーーーんちゃって、語ることも何もない深夜、適当なことをカタカタと打ち込んでいたのでしたとさ。ww
高崎市の行方不明猫『まめちゃん』です。
