夕方の、日が暮れるか暮れないかの微妙な時間を、逢魔が時とは、よく言ったものだと思う。
(大禍時という当て字では、恐ろしすぎる。)
仕事柄、この時間帯に表に出ている事はほとんどないが、たまに、外で夕暮れの空を見ると、ぞくっとする。
京都の低い建物と山の間に漂う、不透明な重たい空気。
すっきりと澄み渡った夕暮れ時などこの地には存在しないようにも思える。
街角に棲みついている、昼間は気配を消している物の怪たちが、さてさて、そろそろ出番だと、物陰でひっそりと背伸びをしているような気配がするのだ。
家の前は高瀬川が流れている。
街中だけれど、狭い道で、意外と人通りは少ない。
暗くなると、よくわからない黒いものがもやもやと通りかかる。
全く恐怖を感じないから、恐ろしいものではないのだろう。
あちらの世界とこちらの世界の線引きは意外と曖昧なようだ。
そんなことを思うようになったのも、急に寒くなって来て、夕暮れ時がもの寂しいからだろう。
毎年、ちょっと涼風が吹くと、秋や冬用のワンピースやコートが次々と欲しくなったものだけれど、今年はどうしたものか、全く何も買いそろえていないし、欲しくもならない。
物欲が失せるとは、ついに焼きが回ったかな。ww
・・・・・と、いうことではなく、どうやら、シマム○のお蔭らしい。
シマム○で、千円台の洋服を眺めていると、ファッションに翻弄されるのがバカらしく感ぜられるようになってきたのだ。
でもどうなっているんでしょうね、あのお値段?
フェアトレードなんてどこ吹く風の勢いだ。
とはいえ、美しいバッグや豪奢な靴にはつい心を奪われる。
あ、奪われるのは心だけで済んでいます、今のところ。ww
・・・・・なんて、やっぱり、焼きは回ってないな。ww
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