増田院長記
●日本人は誰でも先生になりたがるようだ。つまり、教えたがる、ということだ。斉藤孝はこれをもって「教育欲」と定義づけた。しかし、教育する力もなにもないのに、虚勢を張って先生たらんとする人を見ると滑稽だなと思う。
私は機会を与えられて教える場を持っているが、基本的には教えるよりも教わる弟子の立場の方が好きである。この師からこれを学ぼうという姿勢である。生涯弟子をつらぬく。
親鸞は法然の弟子であることを隠さなかった。確か次のようなことを言っている「私は法然上人から学んだ。法然上人の教えしか知らない。だから、たとえ法然上人の教えで地獄に行くことになってもかまわない」と言っている。「地獄ぞ一定住みかぞかし」とは親鸞の決意である。
人生で師をもつこと。この師に帰依して学ぶこと。これに過ぎたる幸福はない。念のため、私の家のお寺さんは曹洞宗である。しかし、浄土教や浄土真宗にも関心がある。
●ついに経理の作業を桐井さんに引き継いでもらった。何を隠そう。桐井さんは簿記1級の資格があるのだ。ところが、はるか20年くらい前のことで、それ以来まるきり使わなかったので、すっかり忘れてしまったそうだ。ともかく高校時代の記憶がすっ飛んでしまっているそうだ。それで、経済学部卒で簿記ゼロ級の私がコンピュータ経理の仕方を指南しているというわけだ。
貸方、借方の意味などまるきり知らないのだが、振替伝票では入金は左に金額を入れ、該当項目を右にインプットする。入金は現金、口座への振込みがある。出金は左に該当項目を入れ、右に金の出所(現金、口座、店主借など)と合わせて金額をインプットする。これを毎日毎日繰り返すだけだ。
あとはコンピュータが自動的に各項目別に集計してくれる。今は古い古い「小判頭」を使っているのだが、新年度分からは「弥生」に切り替えようと思っている。
これではれて、経理実務とはおさらばだ。
●本日、瞳孔の計測をした人の結果。40代主婦。左>右。対光反射は左が浅い。それほど縮小せずに戻ってしまう。右は深く、縮小度が大きい。カイロ治療のあとに計測すると、左>右は変わっていないが、治療前と比べるとそれぞれ瞳孔の大きさが小さくなっている。しかし、瞳孔の収縮する大きさはそれぞれ治療前より小さくなっているものの、左右の瞳孔の収縮度の違いに変化は見られなかった。
●さて、本日のドラッカーの金言である。「社会生態学の視点」。副題は「継続と変革の両立こそ文明にかかわる中核の問題である」。ACTION POINTは「あなたやあなたの組織は変化の担い手になっていますか。変革を行い、かつその変革を安定と両立させるためには何をしなければならないでしょうか」。
これは松尾芭蕉の不易流行と同じことである。「不易」とは変わらぬ真理=継続、流行とは時代の風俗=変革、と読み替えることができる。カイロプラクティックにおける継続と変革とをよく考える。特に変革とは何か?私には最先端の科学を導入した治療システムのことだと思える。
●「7つの習慣名言」は「根本的変化は、自分の考えの根源である根っこをいじること、自分の人格を定義し、世界を見るレンズを構成する基礎的なパラダイムそのものを変えることによってのみ、達成できるのである」。「応急処置的な個性主義で行動や態度といった葉っぱをいじって大成できるものではない」。
思いつくままに、私の信条を書くと、
1、人は変えられない。変えられるのは自分だけである。自分が変われば人も変わる。
2、言い訳は絶対にしない。
3、メンター(師)に帰依しながら徹底的に学ぶ。
4、自分にできないことはできる人の応援を頼み、相互依存の関係を築く。
5、常に最新の知的成果を学ぶ。
まだまだあるかな。
●日本人は誰でも先生になりたがるようだ。つまり、教えたがる、ということだ。斉藤孝はこれをもって「教育欲」と定義づけた。しかし、教育する力もなにもないのに、虚勢を張って先生たらんとする人を見ると滑稽だなと思う。
私は機会を与えられて教える場を持っているが、基本的には教えるよりも教わる弟子の立場の方が好きである。この師からこれを学ぼうという姿勢である。生涯弟子をつらぬく。
親鸞は法然の弟子であることを隠さなかった。確か次のようなことを言っている「私は法然上人から学んだ。法然上人の教えしか知らない。だから、たとえ法然上人の教えで地獄に行くことになってもかまわない」と言っている。「地獄ぞ一定住みかぞかし」とは親鸞の決意である。
人生で師をもつこと。この師に帰依して学ぶこと。これに過ぎたる幸福はない。念のため、私の家のお寺さんは曹洞宗である。しかし、浄土教や浄土真宗にも関心がある。
●ついに経理の作業を桐井さんに引き継いでもらった。何を隠そう。桐井さんは簿記1級の資格があるのだ。ところが、はるか20年くらい前のことで、それ以来まるきり使わなかったので、すっかり忘れてしまったそうだ。ともかく高校時代の記憶がすっ飛んでしまっているそうだ。それで、経済学部卒で簿記ゼロ級の私がコンピュータ経理の仕方を指南しているというわけだ。
貸方、借方の意味などまるきり知らないのだが、振替伝票では入金は左に金額を入れ、該当項目を右にインプットする。入金は現金、口座への振込みがある。出金は左に該当項目を入れ、右に金の出所(現金、口座、店主借など)と合わせて金額をインプットする。これを毎日毎日繰り返すだけだ。
あとはコンピュータが自動的に各項目別に集計してくれる。今は古い古い「小判頭」を使っているのだが、新年度分からは「弥生」に切り替えようと思っている。
これではれて、経理実務とはおさらばだ。
●本日、瞳孔の計測をした人の結果。40代主婦。左>右。対光反射は左が浅い。それほど縮小せずに戻ってしまう。右は深く、縮小度が大きい。カイロ治療のあとに計測すると、左>右は変わっていないが、治療前と比べるとそれぞれ瞳孔の大きさが小さくなっている。しかし、瞳孔の収縮する大きさはそれぞれ治療前より小さくなっているものの、左右の瞳孔の収縮度の違いに変化は見られなかった。
●さて、本日のドラッカーの金言である。「社会生態学の視点」。副題は「継続と変革の両立こそ文明にかかわる中核の問題である」。ACTION POINTは「あなたやあなたの組織は変化の担い手になっていますか。変革を行い、かつその変革を安定と両立させるためには何をしなければならないでしょうか」。
これは松尾芭蕉の不易流行と同じことである。「不易」とは変わらぬ真理=継続、流行とは時代の風俗=変革、と読み替えることができる。カイロプラクティックにおける継続と変革とをよく考える。特に変革とは何か?私には最先端の科学を導入した治療システムのことだと思える。
●「7つの習慣名言」は「根本的変化は、自分の考えの根源である根っこをいじること、自分の人格を定義し、世界を見るレンズを構成する基礎的なパラダイムそのものを変えることによってのみ、達成できるのである」。「応急処置的な個性主義で行動や態度といった葉っぱをいじって大成できるものではない」。
思いつくままに、私の信条を書くと、
1、人は変えられない。変えられるのは自分だけである。自分が変われば人も変わる。
2、言い訳は絶対にしない。
3、メンター(師)に帰依しながら徹底的に学ぶ。
4、自分にできないことはできる人の応援を頼み、相互依存の関係を築く。
5、常に最新の知的成果を学ぶ。
まだまだあるかな。