増田カイロプラクティックセンターの近況レポート

筋骨格・神経・アレルギー(NAET)・感情の統合療法。
増田裕D.Cのブログ

2006年2月1日 リベラル

2006-01-31 21:00:53 | 近況
増田院長記

○早いもので今年も2月に入った。1月は4日から営業を始めて精一杯がんばったせいで1月の患者総数は873人であった。もっと多くの人にサービスを提供するためにもっと努力をしなくてはならない。

○坐骨神経痛の患者さん。現在、70代、50代、40代の3人のいずれも男性の患者さんを診ている。いずれも主原因はアレルギーである。40代の男性はかなりがんばってようやく痛みが軽くなってきた。50代の男性はアップダウンがあるが、最初と比べてずいぶん楽になっている。70代の男性はお米とミネラルの治療をし始めたばかりだ。

坐骨神経痛とアレルギー。筋骨格系の視点しかない人にはあまりに唐突に聞こえるかもしれないが、アレルギーがあるとアレルギー反応により浮腫が生じる。それが坐骨神経に浮腫を生じると、坐骨神経痛となる。したがって、アレルギー治療をして反応を除去してあげると、この痛みは消える。これまで何人もこのアレルギー治療でお医者さんが治せなかった坐骨神経痛がよくなった。ただ、患者さんに納得してもらう過程が一番大変だ。なんせ、MRIやらなんやらで「椎間板ヘルニア」を見せられてマインドセットされているものだから、なかなかその呪縛が解けない。

筋骨格系のアプローチだけではなかなか改善しない坐骨神経痛もアレルギー治療を併用すると、治りが早い。

○「操守(そうしゅ)ある保守政治家 三木武夫」(國弘正雄著)を読み始めた。まだ半分近く読んだだけだが、著者の「リベラルには保守系リベラルも革新系リベラルもない。リベラルはリベラルなのだ」という趣旨の言がある。納得する。著者は三木武夫の政策ブレーンの1人、外務大臣時代の秘書官・通訳だった。この本の趣旨は「忍び寄る「笑い顔のファシズム」の時代にこそ、リベラルな政治家・三木武夫を思い出してほしい」に尽きる。


○この本を読んで改めて思ったのは、どうやら私の立場はリベラルにある、ということだ。ドラッカーもコヴィーも丸谷才一も斉藤孝も美輪明宏も野口悠紀雄も村上春樹もみんなリベラルな志向の持ち主である。自由と責任を重んじ、平和と環境を重視する。原則に生きる。

○以前にも書いたが、私の卒業したカイロ大学(パーマー)もリベラルであった。周辺からは哲学とテクニック重視のゴリゴリした窮屈な大学とのイメージで語られることがあるが、実際の経験ではとてもリベラルであった。最低限の規則さえ守れば、後は何をしても自由であった。哲学やテクニックで学生を縛る、ということもなかった。学部学部により、いろんな傾向の教授がいた。決して一本でない。後から考えれば、そこに緊張があり自由があったのかもしれない。

○本日は毎週水曜日午後のヨガ教室に行ってきた。身体が硬いものだからほぐすのに時間がかかる。もう8年も通っているのだが、最劣等生なので、今もって出来が悪い。

○本日のドラッカーは帰宅後行う。本日の金言。「歴史の峠」。副題は「われわれは新しい現実へといたる峠を越えつつある」。ACTION POINTは「昨日の問題に取り組んでいる同僚の目を覚ませる方法を考えてください」である。

カイロプラクティックで言えば、不易流行。「不易」=変わらぬ真理を創始者DDパーマーの原典に当たり蘇生させる。「流行」=最先端の医学の知見で武装する。これにより、伝統的カイロプラクティックの無知蒙昧を正す。

○本日の「7つの習慣名言」は「日々自分の自由の芽を伸ばし続ける人は、徐々にではあるが自らの自由を拡大させることになる」と述べる。

自分の書いた脚本で自分が演じることができる人生を送れるようになる。まず自分の脚本である、という点が大切である。

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2006年1月31日 網野善彦を継ぐ

2006-01-31 10:08:37 | 近況
増田院長記

○本日は午後休診である。午前中、1人の新患。開業当時からの患者である人の紹介で来院。70代のご婦人で、ここ数年不整脈を患っているが、ここ数日それがひどくなって気分が悪いとの訴えである。聴いてみるとすごい不整脈である。お医者さんからもらっている薬が効かない。そこで、代理を使って神経筋敏感テストをすると、BBFに反応がある。自律神経系が乱れている。BBFを反復治療する。計6回である。その後、再び聴いてみると、不整脈は残っているものの、だいぶ安定してきた。患者さんに聞くと、ずいぶん楽になったとのことである。喜んで帰っていただいた。また明日来院する。

○午後、静岡に昨年11月にできた大きなショッピングモールに初めて行ってきた。平日の午後とあって、それほど人はいない。本屋があったので、何冊かまとめ買い。その中の一冊「網野善彦を継ぐ」(中沢新一、赤坂憲雄共著)を読んだ。2004年6月初版、現在3版である。
私は網野善彦の熱心な読者ではなかったが、「百姓は農民ではない」「日本は東と西の文化的制度的に異なる二重国家である」「定住と漂流の同時性」「中世にはアジールがありそこでは自由があった」「中世は海民による交通交易が盛んであった」などのテーゼで人気のあった歴史家のファンの一人であった。しかし、学界からは猛反発され孤高を守った学者だった。
今、この2人が網野善彦の切り開いた学問の成果を継承して、さらに発展させる決意を対談で述べている。まさしく標題にあるように、網野善彦の弟子宣言(マニフェスト)となっている。そのなかで、デビュー作となった「蒙古襲来」のことが語られている。この本は読んでいなかったので、手に入れよう。

○さて、しばらくご無沙汰していたドラッカーの金言は帰宅後書くことにする。本日の金言。「機能する社会」。副題は「権力に正統性がなければ絆としての社会はありえない」。ACTION POINTは「イラクの新政権が正統であるためには何が必要かを考えてください。国民1人ひとりに位置づけと役割をもたらすには何が必要でしょうか」。
イラクの新政権が正統性を持つためには、自由で完全な直接平等選挙によって選ばれた政権が誕生し、宗教的派閥を超えた寛容と融和による「イラク国民」の形成を促すような諸政策をとることである。

○本日の「7つの習慣名言」。
「他人の弱点について争うことをやめてみる」
「自分の弱点を弁護することもやめてみる」
「間違いを犯したときには、すぐにそれを認め、修正し、ミスしたことから得られる教訓を学ぶようにする」
これは大事である。ひとつひとつがとても大切である。


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2006年1月30日 検査の目的

2006-01-31 08:11:42 | 近況
増田院長記

○昨日は3日間の出張の疲れが出てこのレポートのことはすっかり忘れてしまった。途中で気がついたのだが、携帯パソコンをオフィスに忘れてしまったのだ。そこで本日朝書いているという次第である。

○昨日はMCC横浜での特別講義であった。午前9時から午後4時まで。日頃臨床で感じていることを話す。いくつかの点を話したが、ひとつ強調した点は検査の目的である。何人かの生徒に「検査の目的」を聞く。いろんな答が返ってくるが、大当たりではない。みな、間違ってはいないが、正確ではない。検査の目的については1月21日のブログで少し触れた。
あなたはなんだと思いますか?検査は何か異常なことを見つけるのではなくて、診断・分析を確認するものなのである。そのためには問診が非常に重要である。問診で大体悪いところを見つけられなければ、どのような検査をすればよいのか見当をつけることができない。カイロプラクティックの治療に必要な検査は無数にある。そんな検査を全部やったら日が暮れてしまう。実際的ではない。

○たとえば、肩が痛くて動かせないという。どのように動かせないのか?どの方向に動かせないのか?この情報を問診で聞き出せば、どのような検査をすればよいのか見当がつけられる。それにより、真性50肩か偽50肩か棘上筋腱炎か肩鎖関節機能障害かなどがわかる。そして、検査で確認する。そのあとにその奥の原因に神経のアンバランス、アレルギー、感情ナどの要素があるかどうかを調べる。

○くどいようだが、検査は診断を確認するものである。悪いところを見つけるものではない。

○それからテクニックを身につけるための練習の意味である。練習によって技が向上するかどうかは、練習する時の意識に大いに関係がある。練習をただ闇雲に繰り返しても技は上達しない。練習によって技は向上しない。常に一定の感覚を得るために、何度も練習するのだ。結果的に一見単純に見える反復練習ができるのは、このぶれない感覚を得るためである。筋肉検査、足長検査、触診、ティッシュプル、アジャストの仕方など、すべて、身体感覚の標準化である。これは技やスポーツにも繋がる話だと思う。


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