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タンゴの歴史(3)

2013-05-22 05:39:10 | アルゼンチンタンゴ

ガルデルの出現はタンゴ・カンシオンに大きな革命をもたらし、作詞家や作曲家もすぐれた楽曲を競うようになります。
一方、演奏スタイルもオルケスタティピカを中心としてレコード録音も活発となり大きく飛躍していきました。
いわゆるエポカ・デ・オロ=黄金時代となりました。

しかし、1935年、ガルデルの不慮の死をきっかけにタンゴの衰退が始まります。
1930年代の末頃になると、アルゼンチン国内でもジャズなどの外来音楽が浸透し、タンゴ人気は下降線をたどることなります。
沈滞していたタンゴ界に活気を取り戻したのは、1945年のカナロ・モレス合作の 「アディオス・パンパ・ミア」の大ヒットでした。
タンゴ界の重鎮カナロが息を吹き返し、ファン・ダリエンソやカルロス・ディサルリなどが洗練された演奏技術で再び活気づいていきます。
レコードもLPの時代に入りると、音質もいっそう高度になるように工夫され、国外にも多くのレコードファンがタンゴを盛り上げました。
ホセ・バッソ、アニバル・トロイロ、オズワルド・プグリエーセ など、レベルの高い演奏で再び黄金期を取り戻すことになります。
日本でも、1955年に『これがタンゴだ』という番組が始まり、60年代においてもタンゴファンを存分に楽しませてくれました。

しかしながら、タンゴ誕生から半世紀以上も過ぎてしまうと、巨匠が次々に墜ちタンゴ界も新旧の波に飲まれていきました。
カルロス・ディサルリ(60年)、エドグァルド・ドナート(63年)、フランシスコ・カナロ(64年)、ロベルト・フィルポ(69年)、アニバル・トロイロ(75年)
そして1976年には最後の巨星ファン・ダリエンソが姿を消します。
私の愛するタンゴはこの時代でほぼ終焉してしまいました。

近年、アストロ・ピアソラというバンドネオン奏者が脚光を浴びていたようですが、個人的にはどうしてもタンゴとして認めることができないのはなぜなのでしょう。

↓はカルロス・ガルデルの『La última copa(最後の盃)』 (YOUTUBEより)
典型的な歌謡タンゴ、失恋の苦悩を歌い上げています。


タンゴの歴史(2)

2013-05-21 16:04:59 | アルゼンチンタンゴ

今日はタンゴの主な曲の発表を時系列に並べて見ます。
こちらのほうが下手な歴史話よりも手っ取り早いかもしれません。
(註・年に多少のずれがあるかもしれません)

1880年 「ダーメ・ラ・ラータ」 作曲ファン・ペレス
1898年 「エル・ジョロン」(泣き虫) 作曲アンブロシオ・ラドリサーニ 作詞エンリケ・カディカモ
1900年 「ドンファン」 作曲エルネスト・ポンシオ 作詞リカルド・ポデスタ
1905年 「エル・チョクロ」 作曲アルヘン・ビジョルド 作詞エンリケ・サントス・ディセポロ、カルロス・マランビオ・カターン
 同年  「ラ・モローチャ」 作曲エンリケ・サボリド 作詞アンヘル・ヴィジョルド
 同年  「エル・エスキナーソ」(街角) 作曲アンヘル・ヴィジョルド 作詞カルロス・ペッセ
1907年 「ヌーベ・デ・フリオ」(七月九日) 作曲ホセ・ルイス・パドーラ
1908年 「フェリシア」 作曲エンリケ・サボリド
 同年   「インデペンデンシア」 作曲アルフレッド・ベヴィラクア、アントニオ・ポリト
1909年 「エクスポジション酒場」 作曲ルイス・テイセイレ
1910年 「エル・アマネセール」(夜明け) 作曲ロベルト・フィルポ 作詞フェデリコ・シルヴァ
1911年 「ロドリゲス・ペニア」 作曲ヴィセンテ・グレコ
1914年 「ラ・クンパルシータ」 作曲ヘラルド・エルナン・マトス・ロト゜リゲス 作詞パスカル・コントルシ、エンリケ・マローニ
 同年  「エル・インテルナード」 作曲フランシスコ。カナロ
1915年 「エル・ポジート」(ひよこ) 作曲フランシスコ・カナロ 
1916年 「ホエベス」(木曜日) 作曲ラファエル・ロッシ、ウデリノ・トランソ
 同年  「デレーチョ・ビエフォ」 作曲エドアルド・アローラス 作詞ガブリエル・クラウシ
 同年  「花火」 作曲エドアルド・アローラス、ロベルト・フィルポ
1918年  「バンドネオンの嘆き」 作曲ファン・デ・ディオス・フィリベルト
1919年 「チケ」 作曲リカルド・ルイス・ブリグノーロ
 同年  「ミロンギータ」 作曲エンリケ・デルフィーノ 作詞サムエル・リニング
 同年  「パトテロ・センチメンタル」 作曲マヌエル・ホベス 作詞マヌエル・ロペス
1920年 「エル・パニョリート」(白いスカーフ) 作曲ファン・デ・ディオス・フィリベルト 作詞ガビノ・コリア・ペニャローサ
 同年  「インスピラシオン」(霊感) 作曲ペレグリーノ・パウロス 作詞ルイス・ルビステン
 同年  「マノ・ア・マノ」 作曲カルロス・ガルデル 作詞セレドニオ・エステバン・フローレス
 同年  「ソーロ・グリス」(銀狐) 作曲ラファエル・トゥエゴロス 作詞フランシスコ・ガルーシア・ヒメネス
1921年 「ラ・カチーラ」 作曲エドアルド・アローラス 作詞エクトル・ポリート
1922年 「エル・マルネ」 作曲エドアルド・アローラス
 同年  「ア・メディア・ルス」 作曲エドヴァルド・ドナート 作詞カルロス・セサル・レンシ
 同年  「ア・ラ・グラン・ムニェーカ」(大きな人形) 作曲ヘスース・ヴェントウラ 作詞ラファエル・ヴェントウラ
 同年  「フマンド・エスペーロ」(君を待つ間) 作曲ファン・マサナス 作詞フェリックス・ガルソ
1923年 「カミニート」 作曲ファン・デ・ディオス・フィリベルト 作詞コリヤ・ペニャロサ
1924年 「オルガニート・デ・ラ・タルデ」 作曲オヴィディオ・カトロ・ゴンザレス・カスティジョ 作詞ホセ・ゴンザレス・カスティジョ
 同年  「センチミエント・ガウチョ」 作曲フランシスコ・カナロ 作詞ファン・カルーソ
 同年  「カナロ・エン・パリ」 作曲ファン・カルダレージャ、アルハンド・スカルピーノ 作詞ホセ・スカルピーノ
1925年 「エル・オンセ」 作曲オスヴァルド・フレセド、エミリオ・フレセド
 同年  「最後の盃」 作曲フランシスコ・カナロ 作詞ファン・カルーソ
1927年 「ミロンガが泣く時」 作曲ファン・デ・ディオス・フィリベルト 作詞ルイス・マリオ
1928年 「アディオス・ムチャーチョス」作曲フリオ・サンデリス 作詞セサル・ヴェダニ
 同年  「黄金の心」作曲フランシスコ・カナロ
1929年 「ママ恋人が欲しいの」 作曲ラモン・コジャーソ 作詞ロベルト・フォンタイナ
1930年 「ジーラ・ジーラ」 作曲・作詞エンリケ・サントス・ディセポロ
 同年  「タコネアンド」 作曲ペドロ・マフィア 作詞ホセ・オラシオ・スタフォラーニ
 同年  「アディオス・アルヘンチーナ」 作曲ヘラルド・エルナン・マトス・ロドリゲス 作詞フェルナン・シルヴァ・ヴァルティス
1932年 「エル・ウラカン」(台風) 作曲エドガルド・ドナート 作詞ノーロ・ロペス
 同年  「メルセ寺院の鐘」 作曲エンリケ・サントス・ディセポロ 作詞ディセポロ、アルフレッド・レ・ペラ
1936年 「ノスタルヒアス」 作曲ファン・カルロス・コビアン 作詞エンリケ・カディカモ
1945年 「アディオス・パンパ・ミア」作曲フランシスコ・カナロ、マリアノ・モレス 作詞イヴォ・ペライ
1948年 「スール」(南) 作曲アニバル・トロイロ 作詞オメロ・マンシ
1949年 「チェ・バンドネオン」 作曲アニバル・トロイロ 作詞オメロ・マンシ
1954年 「ラ・カレシータ」 作曲マリアノ・モレス 作詞カトロ・カスティージョ
1955年 「タンゲーラ」 作曲マリアノ・モレス
1957年 「バイア・ブランカ」 作曲カルロス・ディサルリ
 同年  「アディオス・コラソン」 作曲ラロ・エチェゴンセライ 作詞エクトル・サペッリ
1958年 「ボンボンシート」 作曲ホルヘ・セリオッティ 作詞ルイス・カルーソ
 同年  「ダンサリン」(踊り子) 作曲フリアン・プラサ

↓はロベルト・フィルポの『Bar Expocicion (エクスポジション酒場)』 (TOUTUBEより)
古典曲の名演です。


タンゴの歴史(1)

2013-05-19 02:38:18 | アルゼンチンタンゴ

タンゴが生まれたのは1880年頃といわれていますが、当時の楽団は極めて少人数で、フルート・ギター・バイオリンなど手頃で可動な楽器で演奏されていたようです。
やがてピアノも普及しはじめ、1900年を過ぎた頃から手回しオルガン、そしてバンドネオンが加わり、オルケスタティピカの基礎が完成します。
同時に、場末の酒場で演奏されていたタンゴは次第にポルテーニョに溶け込んでやっと市民権を得ることになります。
フランシスコ・カナロやロベルト・フィルポなどが楽団を組織し、1912年にはカルロス・ガルデルが登場してタンゴはブエノスアイレスに開花しました。
この頃からレコードの吹き込みが始まると、タンゴはアルゼンチン全土へと広がっていきました。
1914年、ウルグアイのマトス・ロドリゲスが「ラ・クンパルシータ」を作曲してタンゴ界に旋風を巻き起こしました。
アルゼンチンはもとより、ヨーロッパ全土にブームを起こすとともに、曲調も場末の音楽から洗練された品のある演奏へと大きく変化していくのでした。
1924年にはマックス・グルックスマン商会(オデオンレコード)主催の第一回タンゴコンクールが開催され、カナロの「センチミエント・ガウチョ」が優勝するなどタンゴの第一期黄金期を迎えることになります。

なお、同コンクールで第三位になったのが 『オルガーニート・デ・ラ・タルデ(黄昏のオルガニート)』
ロベルト・グレラのギター演奏がYOUTUBにUPされていましたので貼り付けておきます。



今では唄われることもなくなりましたが、
やくざ者とのいさかいで、恋人を奪われたうえ片足をも失った哀れな義足の男が
手押し車のオルゴールをまわしながら黄昏の場末を流す老人とともに仇を探し求める…
といった内容の歌詞でした。
美しいメロディーからこの歌詞は想像できませんね。

タンゴの誕生

2013-05-18 04:57:55 | アルゼンチンタンゴ

アルゼンチン最大の港町である首都ブエノスアイレスの河口にあるボカ地区でタンゴが生まれたといわれています。
今日においても素人が足を踏み入れるような場所ではないといわれるボカ地区は、血の気の多い貧困な港湾労働者を中心に賭博人や無法者、売春婦などが群がる暗黒の溜り場でした。
そんな下卑な人々の荒々しい踊りの伴奏音楽としてボカの場末の酒場でタンゴが誕生しました。
タンゴの歌詞に、失恋や死に怯えながら社会の底辺で必死に生きる荒んだ心情を綴ったものが多いのも頷けます。
その曲調に刹那さや人生の苦悩を感じるのはそういった歴史を脈々と受け継いでいるからなのでしょう。

また、タンゴの曲調のみなもとはアバネラであるといわれています。
アバネラはキューバで生まれた四分の二拍子の軽快なリズムで、大西洋航路の船員たちによってブエノスアイレスの船着場であるボカ地区に流れてきたものと思われます。
やがてアバネラが変化してさらに激しいテンポのミロンガとなり、タンゴへと変化していきました。
1880年にファン・ペレスが作曲した「ダーメ・ラ・ラータ」(銭をくれ)がタンゴとしての最初の作品だといわれています。

YOUTUBEにミロンガの名曲『エル・エスキナーソ(街角)』がUPされていましたので貼っておきます。
ミロンガはタンゴと同じ二拍子ですが、タンゴに比べるとテンポが速く、一拍目にアクセントが置かれています。


EL CHOCLO エル・チョクロ 余談

2013-05-17 01:07:55 | アルゼンチンタンゴ

『エル・チョクロ』はアンヘル・ヴィジョルドが1903年に作曲したものです。
ヴィジョルドは、貧しい中、新聞の活版工をしながら歌手・作曲家として活躍したタンゴ界草分けの象徴的人物です。
タイトルのチョクロは「とうもろこし」という意味ですが、おバカな踊り子のあだ名という説があります。
1906年の末にアルゼンチン海軍の練習艦が『エル・チョクロ』と『ラ・モローチャ』の楽譜を積み込んでパリで配布しました。
バリをはじめ欧州各地で演奏された最初のアルゼンチン・タンゴで、外国から著作権料を受けた最初のタンゴともいわれています。

1930年代にファン・カルロス・マランビオ・カタンが歌詞を書きましたが、1947年のエンリケ・サントス・ディセポロの歌詞が『エル・チョクロ』の歌詞として定着しています。
いかにもアルゼンチンタンゴらしい汚れた裏悲しい人生模様を織り込んでいます。

しかし、洗練された流麗なリズムによるファン・ダリエンソ楽団が料理すると、まったく違った味になっています。
どちらが本当の『エル・チョクロ』なのでしょうね。