港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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1964年 『夢みる想い』 ジリオラ・チンクエッティ

2015-07-27 06:26:27 | 続・60年代ポップス変遷史

”Non ho l'età” Gigliola Cinquetti


1964年サンレモ音楽祭でボビー・ソロの『ほほにかかる涙』を押さえて大賞に輝いたカンツォーネで、また
同年のヨーロッパ最大の音楽コンテストである『 ユーロビジョン・ソング・コンテスト』でも優勝しています。
ジリオラ・チンクエッティがこの曲を唄ったのが16歳、そんな乙女が可憐な恋心を見事に唄い上げていました。
また、この曲はイタリア映画『愛は限りなく』の冒頭で挿入歌として使われていました。
映画 『愛は限りなく』はこのブログの映画音楽史で既に紹介済ですので
http://blog.goo.ne.jp/chochi4510/e/57192a0219fac8abd785c01f8fb70868
をご覧ください。

Non ho l'eta Non ho l'eta per amarti
Non ho l'eta per uscire sola con te
E non avrei Non avrei
Nulla da dirti Perche, tu sai
Molte piu cose di me

↓はジリオラ・チンクエッティの『夢みる想い』 YOUTUBEより



また、ジリオラ・チンクエッティはこの曲を日本語でもレコーディングしています。

1964年 『ほほにかかる涙』 ボビー・ソロ

2015-07-26 03:13:35 | 続・60年代ポップス変遷史

”Una lacrima sul viso” Bobby Solo



1964年サンレモ音楽祭入賞曲で女優のカトリーヌ・スパークが作曲したことで話題になったカンツォーネです。
突如として現れた新星のこの楽曲はイタリアで初めてのミリオンヒットとなりましたが、この年のサンレモでは
ジリオラ・チンクエッティの『夢みる想い』に大賞をさらわれてしまいました。ボビー・ソロとしては自分が大賞を
獲るものと確信していたので相当のショックを受けたそうです。しかし、その無念を乗り越えて翌1965年には
『君に涙と微笑みを』で大賞に輝きリベンジを果たすことになります。
また、この曲のヒットに気をよくして ボビー・ソロ主演で同名の映画も作られています。
この映画 『ほほにかかる涙』はこのブログの映画音楽史で既に紹介済ですので
http://blog.goo.ne.jp/chochi4510/e/ae3d23f76b965d5aa14d7e8bb08c6f84
をご覧ください。

Da una lacrima sul viso
Ho capito molte cose
Dopo tanti e tanti mesi ora so
Cosa sono per te.

↓はボビー・ソロの『ほほにかかる涙』 YOUTUBEより



1964年 『アイドルを探せ』と『恋のショック』 シルヴィー・ヴァルタン

2015-07-25 01:54:57 | 続・60年代ポップス変遷史

”La Plus Belle Pour Aller Dancer” Et ”Si je chante” Sylvie Vartan



元祖フレンチ・アイドルのシルヴィ―・ヴァルタン登場です。
彼女の映画 『アイドルを探せ』はこのブログの映画音楽史で既に紹介済ですので
http://blog.goo.ne.jp/chochi4510/e/da0023b6e1448b0874f7603fab50c3e4
をご覧ください。

Ce soir, je serai la plus belle
pour aller danser, danser
pour mieux evincer toutes celles
que tu as aimees, aimees

↓はシルヴィー・ヴァルタンの『アイドルを探せ』 YOUTUBEより



この『アイドルを探せ』のレコードのB面に収められていたのが『恋のショック』でした。
この曲は皆さんがよく御存じの『メリーさんの羊』をアレンジして恋のもつれを唄い上げています。

Si je chante, c'est pour toi,
C'est pour toi
Oui pour toi
Je t'en prie, ne pleure pas
Et vas secher tes larmes

↓はシルヴィー・ヴァルタンの『恋のショック』 YOUTUBEより



ちなみに、この『恋のショック』はブレンダ・リーもレコードを出しています。

”My whole world is falling down” Brenda Lee



My whole world is falling down,
falling down, falling down
My whole world is falling down,
I'm losing my baby

↓はブレンダ・リーの『恋のショック』 YOUTUBEより



1964年 『街角のプレイガール』 デル・シャノン

2015-07-24 02:40:56 | 続・60年代ポップス変遷史

”Little Town Flirt” Del Shannon



デル・シャノンといえば日本では『街角シリーズ』でお馴染みになりました。
『悲しき街角』『花咲く街角』『さらば街角』に続く第四弾なのですがあまり知られていません。
Runaway ⇒ 悲しき街角
Hats off To Larry ⇒ 花咲く街角
So Long Baby ⇒ さらば街角
そしてこの Little Town Flirt ⇒ 街角のプレイガール

この『街角シリーズ』はまったくもってレコード会社のこじつけ邦題でした。
柳の下に四匹もドジョウがいるはずはありません。
でも、デル・シャノンのドジョウ探しはまだまだ続きます。

Give her lots of loving ⇒ 恋する街角
Stranger in town ⇒ さすらいの街角
Never thought I could ⇒ 涙の街角

当然のごとく殆ど売れていませんし、知られてもいません。
レコード会社の能無しと言われても仕方がありませんね。


Here she comes (here she comes)
Little town flirt (here she comes)
You're fallin' for her
And you're gonna get hurt

↓はデル・シャノンの『街角のプレイガール』 YOUTUBEより



1964年 『朝日のあたる家』 ジ・アニマルズ

2015-07-23 01:54:02 | 続・60年代ポップス変遷史

”The House of The Rising Sun” The Animals



元は娼婦を唄ったアメリカの民謡で、朝日のあたる家で売春をしている娼婦が、妹に自分のようになるな、
と言い聞かせている歌のようです。
これをアニマルズは girl を boy に置き換えて唄っています。
朝日のあたる家とは、女性が歌うと『娼婦の館』,男性の曲では『少年刑務所』ということになるようです。
ビートルズを忌み嫌っていますが、同系統のアニマルズのこの曲だけは何故か認めてしまう私がいます。
どこか荒んでいながらも意味深くて切なくやりきれない内容に心を打たれます。

There is a house in New Orleans 
They call the Rising Sun
It's been the ruin of many a poor boy
Oh God I know I'm one 

↓はジ・アニマルズの『朝日のあたる家』 YOUTUBEより



ちなみに、この曲は1960年にフォークの女王ジョーン・バエズも唄っています。
もちろん、原曲通りに boy ではなく girl で。

参考までに
↓はジョーン・バエズの『朝日のあたる家』 YOUTUBEより



ついでに
ジ・アニマルズは翌1965年に『悲しき願い』をヒットさせています。
これはアニマルズのオリジナルではなく、1964年のニーナ・シモンでした。



Baby, you understand me now
If sometimes you see that I'm mad
Don't you know no-one alive
Can always be an angel?
When everything goes wrong you see some bad
But I'm just a soul whose intentions are good
Oh Lord, please don't let me be misunderstood

↓はニーナ・シモンの『悲しき願い』 YOUTUBEより