港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『2月20日』

2019-02-19 18:01:27 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆シドニー・ポワチエ Sidney Poitier (1927.2.20~ )



少年時代の差別と貧困に打ち勝って黒人としてハリウッドで一大成功をおさめた俳優です。
根性のある黒人だけを採用する劇団「アメリカン・ニグロ・シアター」に入所して舞台でハリー・べラフォンテの代役などを
つとめて頭角を現わしはじめ、1945年には念願の映画の端役を与えられました。1958年には『手錠のままの脱獄』で主役の
トニー・カーチスを食うほどの存在感を示し、以後の作品で人種差別の激しい時代において黒人俳優の地位を向上させることに
尽力した功績は計り知れないほど偉大なものでした。

【主要出演作品】
1952年『復讐鬼』No Way Out
1955年『暴力教室』Blackboard Jungle

1958年『手錠のままの脱獄』The Defiant Ones

1959年『ボギーとベス』Porgy and Bess

1961年『パリの旅愁』Paris Blues
1963年『野のユリ』Lilies of the Field

1964年『いつか見た青い空』A Patch of Blue
1965年『いのちの紐』The Slender Thread
1967年『いつも心に太陽を』To Sir, With Love

1967年『夜の大捜査線』In the Heat of the Night

1967年『招かれざる客』Guess Who's Coming to Dinner


☆リチャード・ベイマー Richard Beymer (1938.2.20~ )



『ウエストサイド物語』のトニー役で一気にブレイクしたアメリカの俳優です。
10歳の時にテレビ児童劇団に入るためにハリウッドに移住し、1953年の『終着駅』で子役としてデビューしました。
1959年の『アンネの日記』、1961年の『ウエストサイド物語』によって一躍青春スターとなりましたがその後は
作品に恵まれず、映画界から姿を消してTVドラマに本拠地を移しています。

【主要出演作品】
1953年『終着駅』Terminal Station

1959年『アンネの日記』The Diary of Anne Frank
1961年『ウエストサイド物語』West Side Story

1961年『独身アパート』Bachelor Flat
1962年『青年』Hemingway's Adventures of a Young Man
1962年『史上最大の作戦』The Longest Day

1963年『七月の女』The Stripper


【ご命日】

★ サンドラ・ディー Sandra Dee (1942.4.23~2005.2.20)



少女ファッション誌のモデルから映画界入りし、青春スターとして活躍したアメリカの女優。
主要出演作品として『避暑地の出来事』『九月になれば』『電話にご用心』『タミーとドクター』などがある。


★ アンソニー・アスキス Anthony Asquith (1902.11.09~1968.2.20)



イギリスの元首相ハーバート・H・アスキスを父に持ち戯曲映画化を得意とするイギリスの映画監督。
主要監督作品として『勇気ある男』『激情』『予期せぬ出来事』『黄色いロールス・ロイス』などがある。


『2月19日』

2019-02-18 17:08:52 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ジョン・フランケンハイマー John Frankenheimer (1930.2.19~2002.7.06)



ダイナミックなアクション映画を得意とするアメリカの映画監督です。
レッド・パージで沈滞していたハリウッドを避けてTV業界に入り、多くのドラマ番組の演出を手掛けました。
この頃にハロルド・ヘクトとバート・ランカスターの新設したプロダクションに新人監督として起用され1961年に
『明日なき十代』で映画監督として一本立ちしました。特にこの作品では既存のハリウッドに対する反発心が強く
表れていて、ニューヨークのスラム街でロケを敢行しドキュメンタリー・タッチでアメリカの病巣をえぐり出した
衝撃作となりました。その後もバート・ランカスターと組んだ作品を監督しましたが1966年以降は独立して自らの
プロダクションを設立しています。

【主要監督作品】
1961年『明日なき十代』 The Young Savages 



1962年『終身犯』 Birdman of Alcatraz

1962年『影なき狙撃者』 The Manchurian Candidate
1964年『五月の七日間』 Seven Days in May
1965年『大列車作戦』 The Train 

1966年『グラン・プリ』 Grand Prix
1968年『フィクサー』 The Fixer
1969年『さすらいの大空』 The Gypsy Moths


☆リー・マーヴィン Lee Marvin (1924.2.19~1987.8.29)



悪役をやらせたら天下一品で、強烈な個性を持つアメリカの俳優です。
太平洋戦争下のサイパン島で瀕死の重傷を負い、療養生活の後に俳優を志してブロードウェイの舞台に立っていた時に
ヘンリー・ハサウェイ監督に認められて映画界入り、数々の汚れ役を演じた後に『キャット・バルー』ではコミカルな
役どころもこなす硬派の俳優として名を残しました。

【主要出演作品】
1952年『ネバダ決死隊』Hangman's Knot
1955年『日本人の勲章』Bad Day at Black Rock
1955年『見知らぬ人でなく』Not as a Stranger
1956年『攻撃 』Attack
1961年『コマンチェロ』The Comancheros
1962年『リバティ・バランスを射った男』The Man Who Shot Liberty Valance

1963年『ドノバン珊瑚礁』Donovan's Reef
1965年『キャット・バルー』Cat Ballou

1965年『愚か者の船』Ship of Fools
1966年『プロフェッショナル』The Professionals
1967年『殺しの分け前/ポイント・ブランク 』Point Blank



『2月18日』

2019-02-17 17:06:25 | 明日は誰の日

【誕生日】

☆マリアノ・モレス Mariano Mores (1922.2.18~2016.4.13)



ポピュラリティーでモダンな演奏スタイルにより人気を博したアルゼンチン・タンゴのマエストロです。
8歳からピアノを習いはじめ1934年にプロ・ピアニストとなり何軒かのタンゴ・バーを掛け持ちするほどの売れっ子と
なりました。1939年にフランシスコ・カナロに招かれて彼の楽団員となり、1945年にフランシスコ・カナロが監修した
タンゴ・ミュージカル「パリのタンゴ」の挿入歌として『さらば草原よ』をカナロと共同で作曲し、沈滞していた
タンゴ界を復活させる大ヒットになりました。1948年に育ててもらったカナロの元を去り「 マリアノ・モレス・オルケスタ・
リリカポプラール」を結成、ティピカ・スタイルとは一線を画した前衛的な演奏を確立しました。

【主要作曲作品】
『ラ・クンパルシータ』La Cumparsita

『さらば草原よ』Adiós pampa mía フランシスコ・カナロとの合作

『ラ・カレシータ』La Calesita
『軍靴の響き』Taquito militar
『ウノ』Uno
『タンゲーラ』Tanguera

『ブエノスアイレスの喫茶店』Cafetín de Buenos Aires


☆グンナール・ヘーグルンド Gunnar Hoglund (1923.2.18~1984.6.16)



元々は映画の子役として活躍した俳優で、『太陽のかけら』で名をあげたスエーデンの映画監督です。
ストックホルム生まれで1938年に子役として映画界入りして14本の映画に出演し、1965年にボッセ・グスタフソンの
小説をもとに、若き日の情熱を幻想と現実を交錯させてサスペンスタッチで描いた異色作『太陽のかけら』を監督して
その表現手法が注目を集めました。
しかし、1968年の『恍惚の泉』では商業的なポルノ作家となってしまい次作の『わが愛を見つめて』以降彼の名前を
耳にすることはありませんでした。

【主要監督作品】
1965年『太陽のかけら』Kungsleden

1968年『恍惚の泉』Som Havets Nakna Vind
1971年『わが愛を見つめて』Want So Much to Believe


『2月17日』

2019-02-16 17:02:55 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ラフ・ヴァローネ Raf Vallone (1916.2.17~2002.10.31)



野性的な風貌によって戦後のイタリア映画界を支え、後には欧米各国で活躍したイタリアの個性的な俳優です。
ジャーナリスト時代にジュゼッペ・デ・サンテス監督と知り合い1948年『にがい米』、1949年『オリーヴの下に平和はない』 
などのネオ・リアリズモ作品によって俳優として認められるようになりました。
1953年にはフランスのマルセル・カルネ監督の『嘆きのテレーズ』、翌1954年のアンリ・ドコワン監督の『愛の迷路』、
1956年にドイツ映画『枯葉 』、1961年にアメリカに渡って『橋からの眺め』、1962年にはギリシャ映画『死んでもいい』
などに主演、国際的な活動を続けました。

【主要出演作品】
1948年『にがい米』 Riso amaro

1949年『オリーヴの下に平和はない』 
1949年『白い国境線』 Cuori senza frontiere
1950年『越境者』 Il Cammino della Speranza
1951年『アンナ』  Anna
1953年『嘆きのテレーズ』  Thérèse Raquin 

1953年『女の平和』Lysistrata
1954年『愛の迷路』Obsession
1956年『芽ばえ』 Guendalina
1956年『枯葉 』Rose Bernd
1960年『女の部屋』Le Garconniere
1960年『ふたりの女』 La Ciociara

1961年『橋からの眺め』 A View from the Bridge

1961年『エル・シド』  El Cid 
1962年『死んでもいい』 Phaedra

1963年『枢機卿』  The Cardinal
1965年『ハーロー』 Harlow
1966年『ネバダ・スミス』  Nevada Smith


☆アラン・ベイツ Alan Bates (1934.2.17~2003.12.27)



1960年前後に起こった「怒れる若者たち」をテーマにしたフリーシネマ運動の一翼を担ったイギリスの俳優です。
音楽一家で育ちましたが子供の頃からの夢であった俳優の世界に入り、舞台劇『怒りをこめて振り返れ』の準主役を射止め
1960年にトニー・リチャードソン監督の『寄席芸人』で映画デビューを果たしました。1962年にはジョン・シュレシンガー
監督の『或る種の愛情』で主役を演じ、1964年の『その男ゾルバ』など役どころに恵まれて世紀を超えて映画に出演し続け
ましたが、本人は映画よりもシェイクスピア劇の舞台がお好みだったようです。

【主要出演作品】
1960年『寄席芸人』The Entertainer
1961年『汚れなき瞳』Whistle Down the Wind
1962年『或る種の愛情』A Kind of Loving

1963年『逃げる男』The Running Man
1964年『その男ゾルバ』Zorba the Greek

1966年『ジョージー・ガール』Georgy Girl
1967年『まぼろしの市街戦』Le Roi de Cœur
1967年『遥か群衆を離れて』Far from the Madding Crowd
1968年『フィクサー』The Fixer


☆ジーン・ビットニー Gene Pitney (1940.2.17~2006.4.05)



典型的なロックンロール『ルイジアナ・ママ』の大ヒットで有名なシンガー・ソング・ライターです。
ハイスクール時代から音楽活動を開め1959年にレコード・デビューしましたがヒットを飛ばすことはできませんでした。
1961年に3枚目のシングル "I Wanna Love My Life Away" でヒットの兆しが見えはじめましたが、彼を有名にさせたのは
同年にリッキー・ネルソンに『ハロー・メリー・ルー』を提供したことでソング・ライターとして脚光を浴びました。
この年に ”Take Me Tonight” をリリースしましたがアメリカではチャート・インはならなかったのですが、このB面に
収められた『ルイジアナ・ママ』が日本で爆発的な大ヒットになりました。
1962年には映画『非情の町』の主題歌がアメリカでヒット、同年の映画『リバティバランスを射った男』は日・米で
大ヒットしました。
しかし、この頃からロックン・ロールも人気が衰え始め、ジーン・ビットニーの歌手生命も終わりを告げました。

【主要歌唱曲】
1961年『ルイジアナ・ママ』Louisiana Mam

1962年『非情の町』Town Without Pity
1962年『リバティバランスを射った男』The Man Who Shot Liberty Valance

1962年『僕と月とキューピット』Mr Moon Mr Cupid and I
1962年『恋のジュークボックス』If I Didn't Have a Dime (To Play the Jukebox)
1963年『恋の二分の一』Half Heaven Half Heartache

1963年『メッカ』Mecca


☆ジョーン・レイトン John Leyton (1935.2.17~ )



英国エセックス生まれの俳優なのですか、『霧の中のジョニー』などによって俳優よりも歌手として有名です。
イギリス人の両親は劇場主の父と元女優の母なのですが、父親から俳優になることに反対され家出、苦学しながら演劇学校で
演技を学び、演劇の端役やTVシリーズに出演するようになります。
1961年から1963年までBBC・TVで放映された "Harpers West One" に「Johnny Saint Cyr」役で出演していた時に、番組の
余興で唄った『霧の中のジョニー』が英国No.1のヒットとなり、俳優というよりも歌手として有名になってしまいました。
その後、アメリカに渡り1963年に『大脱走 』に出演するなど活躍の幅が広がるかに見えたのですが、1966~7年のシリーズ
『ジェリコ』でTVスターに逆戻りし、以後俳優として輝くことはありませんでした。

【主要出演作品】
1963年『大脱走 』The Great Escape

1964年『バタシの鬼軍曹』Guns at Batasi
1965年『脱走特急』Von Ryan's Express
1968年『ジャワの東』East of Java

↓はジョーン・レイトンの『霧の中のジョニー』【YOUTUBEより】 


↓はジョン・レイトンの『霧の中のロンリー・シテイ』【YOUTUBEより】 

(当初のカナ表記はジョーン・レイトンでしたが、この頃からジョン・レイトンになっています)


『2月16日』

2019-02-15 15:41:28 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ジョン・シュレシンガー John Schlesinger (1926.2.16~2003.7.25)



1960年前後に起こった「怒れる若者たち」をテーマにしたフリーシネマ運動の一翼を担ったイギリスの映画監督です。
オックスフォード卒業後、TVドラマ演出、俳優、映画評論などを経歴したのちに1962年の『或る種の愛情』で監督として
一本立ちしました。
その頃のイギリスでは1958年のトニー・リチャードソン監督の『怒りをこめて振り返れ』を旗頭にしてカレル・ライス、
ジャック・クレイトン、リンゼイ・アンダーソンなどによって、停滞したイギリス社会に対する怒りを込めた青年の苛立ちを
前面に押し立てて、これまでの既存の英国映画を打ち破ろうとするフリーシネマ運動が起っていました。
シュレシンガーの『或る種の愛情』も、日常的な生活の中に階級意識の強い社会での不毛な争いを冷酷なリアリズムで描き
英国フリーシネマ史に名を残す名作となりました。
1964年には『ダーリング』で若い女性のフラストレーションを描きながら男社会の構成に視線を向けまたものの、1967年後
『遥か群衆を離れて』と冷酷なリアリズムが影をひそめて精彩を欠く作品が続きました。
その後アメリカに渡って、1969年に大都会の暗闇から抜け出そうとあがく若者を英国風の冷めたリアリズムタッチで描いた
『真夜中のカーボーイ』を発表しましたが、いかにもハリウッド仕立てになってしまいました。

【主要監督作品】
1962年『或る種の愛情』 A Kind of Loving 

1964年『ダーリング』 Darling

1967年『遥か群衆を離れて』 Far from the Madding Crowd
1969年『真夜中のカーボーイ』 Midnight Cowboy



【ご命日】


★ レスリー・ゴーア Lesley Gore (1946.5.02~2015.2.16)



60年代に一時的に輝いた女性ポップ・シンガー、ソングライター。
歌唱曲として『涙のバースデイ・パーティ』『恋と涙の17才』などがある。