乙訓寺から光明寺へはバスの本数が少ないので歩いて向かいました。
光明寺は紅葉の名所でNETでも印象的な紅葉写真を見ましたが、既に散り始めていました。
光明寺の前身・念仏三昧院を建てたのは蓮生(れんせい)上人(熊谷次郎直実)です。
直実は埼玉県北部では有名な武将で熊谷駅前には馬に乗った銅像があり、熊谷市のご当地キャラクターであるニャオざねの元ネタにもなっています。
また平家物語にも登場し、歌舞伎や信長の愛した幸若舞にも取り上げられています。
そんな直実は源平合戦では源氏方の武将として武勲をあげますが、一の谷の合戦で自分の息子ほどの年若い平敦盛を一騎打ちで討ち取った事に世の矛盾を感じ出家します。
埼玉県北部での直実の物語は出家した時点で終わりで、出家後のことは話題になりません。私も光明寺に来て浄土宗の大本山の一つを創建したことを初めて知りました。
蓮生上人は光明寺の他に生地熊谷市に熊谷寺を、京都や長野などにも多くの寺を開基しているので、出家後もかなり活躍した僧侶だったようです。これらのことから熊谷直実は前半生の源氏方の武将として多くの話題に彩られていますが、後半生の浄土宗の僧侶としても多くの物語を紡ぎ出した人生だったのでしょう。
光明寺は紅葉の名所でNETでも印象的な紅葉写真を見ましたが、既に散り始めていました。
光明寺の前身・念仏三昧院を建てたのは蓮生(れんせい)上人(熊谷次郎直実)です。
直実は埼玉県北部では有名な武将で熊谷駅前には馬に乗った銅像があり、熊谷市のご当地キャラクターであるニャオざねの元ネタにもなっています。
また平家物語にも登場し、歌舞伎や信長の愛した幸若舞にも取り上げられています。
そんな直実は源平合戦では源氏方の武将として武勲をあげますが、一の谷の合戦で自分の息子ほどの年若い平敦盛を一騎打ちで討ち取った事に世の矛盾を感じ出家します。
埼玉県北部での直実の物語は出家した時点で終わりで、出家後のことは話題になりません。私も光明寺に来て浄土宗の大本山の一つを創建したことを初めて知りました。
蓮生上人は光明寺の他に生地熊谷市に熊谷寺を、京都や長野などにも多くの寺を開基しているので、出家後もかなり活躍した僧侶だったようです。これらのことから熊谷直実は前半生の源氏方の武将として多くの話題に彩られていますが、後半生の浄土宗の僧侶としても多くの物語を紡ぎ出した人生だったのでしょう。