特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

帰省

2011-05-22 14:00:56 | Weblog
「今年の5月は涼しくていいなぁ・・・」なんてのん気に考えていたら、このところ急に暑くなってきた。
もう夏? ホント、春は短い。
そんな5月、季節に相応しくハツラツと生活している人もいれば、五月病に鬱々としている人もいるだろう。
特に、GW明けがキツかった人は多いのではないだろうか。

私の場合は“万年五月病”。
一年を通して、鬱々としていることが多い。
いいのか悪いのか、それに慣れてしまっている(回りはいい迷惑だろうけど)。
ただ、最近、特に不眠症がヒドくて弱っている。
気はすすまないけど、そろそろ病院に行かないとマズイかもしれない。

そんなことさておき、各人、このGW、どのように過ごしただろうか。
遠くへ旅行に出かけた人、近場のレジャーで済ませた人、故郷に帰省した人、私と同じく仕事をしていた人、色々いただろう。
東北の被災地にボランティアに出掛けた人も多くいたみたい。
自分のお金と自分の時間と自分の身体を人のために使うなんて・・・
「野次馬の物見遊山」などと斜めに見る輩(私)がいないわけではないけど、とにかく、その行動は尊いものだと思う。
そして、それは、帰るべき故郷を津波で失い、帰るべき故郷を放射性物質によって奪われた人々の大きな助けになっているものと思う。

そう思いつつも、私の場合、「自分も行こう」ということにはならない。
会社の一員、社会の一員としての責任や役割を放り出してまでは行けない。
だから、ボランティアに行かないことに迷いや後ろめたさはない。
ただ、「俺みたいな人間は、イザというとき、誰も助けてくれないかもな・・・」といった思いが過ぎったりはする。
が、なにはともあれ、自分の中にある薄情な野次馬根性には気をつけたいものである。


特掃の依頼が入った。
依頼の主は、アパートの大家を名乗る老年の女性。
「住人が部屋で孤独死」「悪臭がヒドイ」「火葬のため、遺族が地方から東京に来ている」「遺族が東京にいる間に来てほしい」とのこと。
話の中身から、早急に現場に行く必要性を感じた私は、女性と話しながらその日の予定を組み替えていった。

出向いた現場は、都心の一等地。
ただ、車も入れない狭い路地奥で、かなりの老朽アパートだった。
約束の時刻ピッタリに参上した私を出迎えたのは、大家女性と故人の弟である遺族男性。
そして、“関係者or部外者”、どちらともとれるような同アパートの住人三人(初老の男女)。
その5人がアパートの前に立ち、時折、笑顔を浮かべながら話に花を咲かせていた。
私は、その輪に入るのは部屋を見た後が適当と判断。
挨拶を簡単に済ませて、「とりあえず、先に見てきます」と玄関を入った。

建物は、外見、一戸建風。
「アパート」というより「下宿」と言ったほうがしっくりくる佇まい。
一階は小さな共用玄関とトイレ、そして、四畳半の居室が二室。
狭い階段を上がった二階には、同じく四畳半の居室は三室。
故人の部屋は、二階の角にあった。

私の鼻は、階段の途中から嗅ぎなれた異臭を感知。
そのまま進み、部屋のドアを開けると、何匹ものハエと悪臭が噴出。
一瞬、それにたじろぎながらも、私は、更に前進。
眼に飛び込んでくる“非日常”を受け止めながら歩を進めた。

部屋の中央には、熟成された汚腐団・・・
床には無数のウジが徘徊・・・
空には無数のハエが乱舞・・・
私は、それらに邪魔されながらも周囲の観察を推し進めた。

部屋は、狭い四畳半。
小さな流し台と押入れがついているのみ。
トイレは共同、風呂はなし。
もちろん、ベランダの類もなし。
家財生活用品の量は多めだったが、一点に立ってグルリと見回すだけで、全部が見分できる程度のものだった。

一つ一つの部屋に公共料金のメーターはついておらず。
全体の費用を、住人が割り勘する仕組みになっていた。
廊下・階段・トイレなどの共有部分は、皆が持ちまわりで清掃。
どこかの学生寮のように、住人にはそのルールが浸透しており、半共同生活のようなスタイルになっていた。

住人はすべて中高年齢者で、長く居住している人ばかり。
一番短い人でも二十数年の居住歴をもっていた。
そんな具合だから、住人達はお互いに顔見知り。
「協力しあっても干渉しあわない」
「親切にするけど御節介は焼かない」
「探られたくない腹は、人に対しても探らない」
「ハードは不備でもハートがある」
住人たちはお互いに適度な距離感を保ちながら、円満にアパート生活を送っているのだった。


故人は、地方出身。
大学入学と同時に上京。
同時に、現場となったアパートに入居。
大学を卒業しても故郷には帰らず東京の会社に就職。
住まいは変えず、このアパートにそのまま居住。
以降、三十数年、ずっとこの部屋で生活していた

転職歴はあったが、仕事もせずブラブラしたりするようなことはなかった。
家賃の滞納がないのはもちろん、スポーツクラブに通ったり酒を飲んだり、趣味を楽しんだりするくらいの経済力はもっていた。
そんな故人に対し、故郷の親兄弟は、家を買うことや、結婚を考えることを促した。
しかし、当の本人は、興味なげに聞き流すばかり。
結局、そのまま結婚適齢期は過ぎ去り、引っ越すきっかけを見つけられないまま時は過ぎていった。

晩年、旅行関係の仕事をしていた故人は、普段から長期出張が多かった。
一週間や二週間、部屋を空けることも頻繁にあり、故人の部屋に人の気配がなくても不審に思わず。
部屋の前に異臭が漂いはじめたときも、ゴミの放置を疑ったくらい。
結果、家族的なアパートでありながら、故人は、酷く腐乱するまで発見されなかったのだった。

「いい人だった!」
「亡くなってるなんて、考えもしなかった!」
「どこか具合でも悪くしてたのかな?」
「もっと早く気づいてあげられてればね・・・」
「なんだか、また戻ってくるような気がする・・・」
大家女性と住人は、口々にそう言った。
故人の死を悼んでいることに違いはなかったが、それはまた、恐縮・消沈する遺族男性に対する心遣いのようにも見え、人の温かさが感じられるものだった。

また、
「作業にあたってご迷惑をおかけすることがあると思いますけど・・・」
と詫びる私に対しても、
「大変な仕事だね・・・気にしなくていいから、遠慮なくどんどんやって!」
と気持ちよく返してくれた。
そして、そんな人間模様に、この老朽アパートの居心地のよさが垣間見えた。

大学に入学した当初、このアパートとこの街は、故人にとって馴染みのない場所だっただろう。
それが、年月とともに故郷のようになり、晩年には生まれ育った故郷よりも愛着のある場所、居心地のいい場所になっていたのではないかと思った。
そして、本望の死ではなかったかもしれないけど、そんな部屋が最期の場所になったことは決して悪いことではなかったのではないかと思った。


数日後、作業を終えた部屋からは、故人が生きていた跡と故人が死んだ痕はなくなった。
ただ、何かの余韻は残っていた。
それが何なのかはわからなかった・・・
先入観からくる錯覚だったのかもしれなかった・・・
けど、私に感じられる何かがあった。

身体と家財を残して故人はどこにいってしまったのか・・・
まったくの無になったのか・・・
死は無なのか・・・
何も残らないのか・・・
魂や霊といったものはないのか・・・
私は、肉が土に還るのと同じように、魂もどこかに帰ったのではないか・・・
そんなことを頭に廻らせ、死の現場であるからこそ受け取れるホッとするような何かを噛みしめた私だった。


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追憶 ~後編~

2011-05-05 15:15:38 | Weblog
「実は・・・母が亡くなったのは、5年も前のことなんです・・・」
「え!?」
「・・・」
「5年ですか!?」
「はい・・・」
「てっきり、そんなに間がないとばかり思ってました・・・」
「悩んでいるうちに、5年もたっちゃいまして・・・」
「そうだったんですか・・・先日、私、何か失礼なこと言いませんでした?」
「いや、それは大丈夫ですけど・・・」
「勝手に勘違いしてまして・・・失礼しました」

私は、故人が亡くなってからそんな年月が経っているとは思わなかった。
現地調査のとき、家には生活感が充分あり清潔も保たれていたから。
また、和室には、遺骨も置いてあり、枕机も仮のものだったから。
しかし、実際は違っていた・・・故人が亡くなってから、もう5年も経っていた。

私は、その年月をきいて驚いた。
私が経験した中では、圧倒的に長い期間だったから。
同時に、そこから、故人に対する女性の思いと葛藤の重さが伝わってきて、私の声のトーンは自然に落ちていった。


夫(女性の父親)を亡くした故人は、最期の数年、一人暮らしをしていた。
ただ、近くに住む女性が故人宅を訪れるのが日常の習慣になっており、近所付き合いもあり、“孤独”というわけではなかった。
また、身体に特段の病気や故障を抱えることもなく、身体介護はもちろん家事支援なども必要としていなかった。
しかし、ある日のこと・・・
いつも通り実家を訪れた女性は、寝室のベッドにもたれかかっている故人を発見。
慌てて揺り動かしたが、すでに息はなく・・・
既に帰らぬ人となっていたのだった。

葬式は、慌ただしく執り行われた。
その慌ただしさは、悲しみを紛らわせてくれた。
しかし、それも束の間。
女性は極度の喪失感に苛まれた。
それでも、実家には故人(母親)の気配が残され、女性はその気配に故人の存在を感じた。
そして、家にあるものに触れるのが恐くなり、故人が亡くなったときのままにしておきたい衝動にかられ・・・
そのまま、時ばかりが過ぎていった。

最初の2年くらいは、母親がいなくなったことが悲しくて寂しくて仕方なくて、遺品処分なんてまったく考えられなかった。
それでも、女性が抱える喪失感と悲哀は少しずつ薄らいでいった。
そして、3年目くらいから、「悲しんでばかりじゃいけない」と思えるように。
自分の手で整理をはじめ、細かなものを少しずつ処分していった。
そして、5年が経ったあるとき、女性は一念発起。
「そろそろ元気をださないと母親(故人)に申し訳ない」と思えるようになり、家財のほとんどを片付ける決心をした。
そして、そのタイミングで、そんな事情があるとは露ほども知らない私が、いつものペースで現地調査を実施したのだった。

しかし、私が送った見積書をみていると、躊躇いの気持ちが再燃。
女性は、寂しさを通り越した恐怖心のような感情に苛まれた。
それでも、「片付けなければ」と、自分を鼓舞。
しかし、考えれば考えるほど、片付けられなくなり・・・
迷っているうちに時は流れ・・・
結局、片付けのタイミングを逸してしまったのだった。


家は、相続によって女性が所有権を取得。
売却の予定もなく、中を空にしなければならない事情も見当たらず。
建物に不具合があるわけでもなく、誰かに迷惑がかかっているわけでもなし。
片付けに期日を設ける必要はなく、無理矢理片付けようとしなくてもいいのではないか・・・
目に見えるものは、自然に古くなり、朽ち果てる・・・心配してもしなくても、いずれ消えていくもの・・・
過去のいた故人が女性の支えになり励ましとなるなら、それを消そうとする必要はないのではないか・・・
むしろ、それは大切にしていいものではないか・・・
私は、女性にそんな風なことを伝えた。

「不思議なことに、父が亡くなったときはこんな風にならなかったんですよ・・・アノ世で父が怒ってるかもしれませんけど・・・」
そう言って女性は笑った。
私は、そんな女性に、自身が悲しみを想い出に変える時間を手に入れつつあることを感じた。
そして、女性が母親の想い出に笑顔を浮かべるようになるのは遠くないものと思った。

「もうしばらく、このままにしておこうと思います・・・すみません・・・」
という女性に
「私がこの仕事をしているかぎり期限はもうけませんから、“片付けよう”と思われたら、またいつでも連絡下さい」
と応えて、電話を終えた私だった。


忘れたくても忘れられない、捨てたくても捨てられない・・・
忘れたほうがいいことは、なかなか忘れることができない・・・
しかし、忘れてはならないことは、簡単に忘れてしまう・・・
捨てたほうがいいものは、なかなか捨てられない・・・
しかし、捨ててはいけないものは、簡単に捨ててしまう・・・
それもまた人間。
これは、理屈でどうこうできるものではない。

何かを記憶にしまい込むには、時間がかかる。
そのために、つらい時間を過ごさざるをえないこともある。
ただ、時間は、感情や温度に関わりなく、乱れることなく、刻一刻と万物に平等に流れる。
どんな記憶も遠い過去にしまってくれる。
大切なのは、忘却を試みることではなく、その時間を待つこと。耐えること。

亡くなった人のことは過去に片付けてしまわないと前に進めない・・・残された人はそんな考えを持ちやすい。
しかし、それらには、片付けたほうがよいものと、そうでないものがあると思う。
寂しさや悲しみ、重荷や足枷になるようなものは片付けた方がいいだろうけど、笑みがこぼれたり元気のもとになるようなものは残しておいた方がいいと思う。

心配しようがしまいが、目に見えるものは、いつか朽ち果て、そして消える。
新築の家も、ピカピカの車も、流行の洋服も・・・
もちろん、この(その)肉体も例外ではない・・・
どんなに大切にしていても、しかるべきときにしかるべきかたちで消えていく。
ただ、目に見えないものの中には、消えないものがあるかもしれない。
死をもってしても消えないものがあるかもしれない。

人は、目に見えないものを心に蓄えることができる。
そして、それらを温めることができる。
更に、過ぎる時間と追憶が、苦しい記憶をも、悲しい記憶をも、辛い記憶をも、生きるためのエネルギーに変えてくれるのである。

それを信じて、今は耐えよう。
そして、今を生きよう。
人は、好きなように生きられるのかもしれないけど、好きなときに生きられるのではないのだから。
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追憶  ~前編~

2011-04-29 08:40:30 | Weblog

最初の大地震からしばらく経つが、地震に関することが頭から離れない。
“しつこい”感もあるけど、文字を打とうとすると、どうしても頭に浮かんできてしまう。
巷に流れるニュースのせいか、やまない余震のせいか、起こったことが衝撃的すぎるせいか・・・
だから、こうして、ブログにも地震に関することを書き続けている。

復興に相当の時間と資金を要することは、政府の試算がなくとも容易に推察できる。
復興資金を確保するための増税案も検討されている様子。
多種多様の税金に囲まれて生活している者からするとゲンナリしてしまうけど、仕方がないとも思う。
納税は国民の義務であり責任だから。
それがないと公共の福祉が実現できず、その恩恵に与ることもできないのだから。
ただ、正直者がバカをみるような制度はやめてほしい。
所得をキチンと申告しない者や社会保険料や税金を納めないことを当然としている者からもキッチリ徴収してほしいと思う。

津波による瓦礫や残骸の片付けは少しずつ進んでいる様子。
映像からそれをうかがい知ることができ、小さな安堵感を覚える。
反して、片付けなければならない問題は増えているようにみえる。
失われた命を取り戻すことはできないし、長い苦難の道が待っているのだろうけど、とにかく、復興再建を目指して辛抱すべきことは辛抱するしかない・・・
離れたところでぬくぬくしている私がこんなことを言っても、「浅慮」「軽率」でしかないのだが、今は、辛抱に希望を見出すほかはないと思う。


今、義援金や物資の提供、ボランティア活動など、各種の支援活動が展開されている。
これには、一般人をはじめ、多くの企業や有名人も積極的に参加している。
私の知人にも、支援物資を送ったり、ボランティア活動に出向いたりしている人がいる。
私?
私は、些少の義援金と身の回りの物資を提供したくらい・・・
良し悪しはさておき、生活費を極端に節約したり貯金を崩したりしてまでは義援金を捻出していない。
また、ボイランティア活動には参加していないし、今後も、仕事を放ってまで参加するつもりはない。
多分、これからも、小額の寄付、節電、日常の経済活動、被災地産品の購入etc・・・日常生活の中で超間接的な支援を心がけるだけだと思う。
もちろん、これが威張れるようなことではないことはわかっているけど、自分は自分なりのことをしていこうと思っている。

ただ、いつまでこんな気持ちを持ち続けていられるものだろうか・・・
時は、よくも悪くも、心を風化させてしまう・・・
来年の今頃、どれだけ人が支援活動を続けているだろうか・・・
どれだけのメディアが被災地の惨状と被災者の苦境を報じているだろうか・・・
(こんなことを考えるのは余計なことかもしれないけど・・・)

「仮設住宅」だけとってみても、阪神大震災の際は、これが必要なくなるまで5年かかったという。
被害の深刻さからみて、今回の復興がそれより長くかかることは容易に想像できる。
しかし、被災地に暮らしていたわけでもなく、被災者の一員にもなっていない私の心に、今回の震災がどれだけの間残るものだろうか。
近いうちに、このマイブームは過ぎ去り、被災地や被災者のことも忘れ去ってしまうのではないかと危惧する。

今はまだ、まったくその段階ではないけど、時の経過とともにメディアから発せられる震災関連のニュースは少なくなるだろう。
序々に、震災に対する興味がなくなっていくわけだ。
冷たいようだが、それもまた人の自然な姿だと思う。
ただ、今の支援ムードが一過性のものではなく、地味でもいいから息の長いものになることを願うばかり。自戒をこめて。
“3.11”を悲しい記念日として過去に片付けるのは、何年も先のことでいいと思う。



遺品処理の依頼が入った。
依頼者は、中年の女性。
現場は、一般的な間取りの一戸建。
故人は女性の母親。
その母親が使っていた家財生活用品を処分したいとのこと。
口数の多くない女性から必要最低限のことを聞いた私は、例によって、現地調査の日時を約して電話を終えた。

現地調査の日・・・
女性は、私を玄関で出迎えてくれた。
何かを思い悩んでいるのかのように表情を暗くし、どちらかというと無愛想。
また、私と余計な会話はしたくなさそう。
ま、状況が状況だけに、元気な方が不自然だったりするわけで・・・
私の方もお喋りが好きなわけじゃないので、女性の温度に合わせて口数を抑えた。

一見は、何の変哲もない、フツーの家。
室内には、どこの家にもあるような家財生活用品は一式あった。
そして、整理整頓はゆきとどき掃除もきれいになされていた。
ただ、日常の家にはないものが一点。
一階の和室に、遺影・位牌・遺骨が置かれ、線香から細い煙がたち昇っていた。
それは、一人の人間の死をリアルに表し・・・
同時に、女性の明るくなれない心情を私に理解させた。

女性は、「ここは、父親の書斎だった」「ここは、自分の部屋だった」「この部分は増築したもの」「ここは○年前にリフォームした」などと、家の中を案内する中で、私が質問したわけでもないのに家の過去を説明。
その姿は、片付けようとしている想い出に別れを告げているようにも見え、少なからずの寂しさを感じさせるものだった。

現地調査を終えて帰社した私は、事務所で見積書を作成し、早速それをポストに投函。
それから、見積書をつくって発送したことだけでも連絡しようかと思ったが、どことなく私との会話を辛そうにしていた女性の様が思い起こされ、「何かあったら連絡してくるだろう」と、こちらから連絡をするのはやめて女性からの返答を待つことに。
結果、女性から連絡が入ることがないまま、時間は過ぎ・・・
他用に追われた私の脳裏から本件のことは消えていった。


それから半年くらい経った頃、私の携帯が鳴った。
ディスプレイには知らない番号。
でてみると、相手は女性の声。
その女性は私を知っているよう。
しかし、私の方は、名前を聞いても思い出せず。
私は、現地の場所と調査に訪問した日を女性に教わりながら記憶をたどり、やっとのことで思い出した。
そして、「どうも!どうも!お久しぶりです!」と、人が変わったかのように愛想よくし、なかなか思い出せなかった気マズさをごまかした。

女性は、
「見積書は確かに受け取った」
「連絡もせず申し訳ない」
「片付けようと思ったのだが、日取りを決める段になると急に躊躇いの気持ちがでてきた」
「結局、どうしても、気持ちの整理がつけられず、今日に至っている」
とのこと。
そして、
「母のことを思い出すと、今でも、涙がでてしまって・・・」
と、声を詰まらせた。
そんな女性の様子は、女性が抱える喪失感が深刻なものであることを如実にうかがわせた。


母親が亡くなった当初、女性は家の中の何にも手をつけることができず。
その生活感を消してしまうことが、母親が存在していたことを自ら否定することになるような気がしてならなかった。
しかし、家庭ゴミからは異臭がしはじめ、冷蔵庫の食品も腐りはじめた。
さすがに、それらは放置しておけない。
余計なところは触らないように、ゴミを出し、放置されたままだった洗濯物や食器も洗って片付けた。
それから、週に一度くらい家を訪れては掃除をし、室内が荒れないように努めたのだった。

「それで、この半年の間に、何か問題がありましたか?」
「いえ・・・特には・・・」
「気持ちの方はいかがですか?」
「それが、まだ・・・」
「でしたら、もう少し待ってからでもいいんじゃないですか?」
「それはまぁ・・・」
「気持ちの整理がつかないのに、焦って片付けることはないと思いますよ」
「そうなんですけど・・・」
「・・・」
「実は・・・」
女性は、言いにくそうに、言葉を続けた。

つづく


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人は見かけによらぬもの?

2011-04-22 08:24:08 | Weblog
「人を見た目で判断してはいけない」
幼い頃、そんな教育を受けたおぼえがある。
拡大解釈すると、
「人は、見た目だけで判断することはできない」
となる。
更に、反対解釈すると、
「人は、見た目で判断できることもある」
となる。

私は、これまで体感してきた実社会においては、「人は外見で判断できる」といった場面に何度となく遭遇してきた。
そして、今は、“身だしなみ・ツラがまえ・物腰・言葉遣い・・・そういった外見で、その人に関するある程度のことは判断できる”といった考えを持つに至っている。
ちなみに、ここにいう“外見”とは、服や持ち物、顔かたちや背格好のことを指しているのではないので誤解なく。

人の品性や教養は、素行や嗜好、学問や交友関係によって養われ・蓄積されるもの。
批難を覚悟で言うけど、人の迷惑も省みず夜の街でバイクをブンブンやっている若者が一流大学に通っている風には見えないし、夜中のコンビニにたむろする金髪の青年が一流企業に勤めている風にも見えない。
(もちろん、この私が、一流企業のビジネスマンに見えることもないだろうけどね。)
そして、そんな人間に限って「人を外見で判断すんじゃねぇ!」とのたまい、品格と教養のなさを露呈させる。
逆もしかり。
一流大学に通う若者達が高校中退の不良少年だったとは思えないし、大手企業で働くビジネスマンが低学歴・低教養だとも思えない。
社会に合った道徳心や、貧欲に勝る理性を持っているように見える。
もちろん、これが当っているかどうかはわからないけど、当っているような気がするのは私だけではないだろう。
結局のところ、“その人の人間性は、その外見である程度判断できる”ということになるのである。

外見で判断できることは他にもある。
それは、年齢。
赤ん坊が大人に見えることはないし、老人が子供に見えることもまずない。
やはり、人の外観は年齢にあわせて変化していく。
それが自然。自然の摂理。
しかし、この世の中には、その摂理に果敢に立ち向かおうとする“戦士”がいる。
過ぎ行く時間なんて、人間ごときがとても立ち向かえるものではないにも関わらず・・・
それは、女性。
女性は、自分が若く見られるために勇敢に戦う。
ファッション、化粧品、サプリメント、美容機器、美容法、整形術・・・戦術に合った武器を調達しながら・・・
戦闘によって肌艶が奪われ、シワが深く刻まれようとも、粘り強く必死に・・・
その戦域は、もはや、「男にモテたいから」なんて理由だけでは片付けられない領域にまで達している(←大げさ過ぎる?)

また、聞いたところによると、女性は、若いときの友達とはお互いに歳を明かしあうけど、いい歳(30くらいが境目?)になってからの知り合った相手とは年齢を確認しないらしい。
知人の中には、自分の子供にさえ実年齢をごまかしている人もおり・・・
社会一般における真偽は不明だけど、女の世界では、それが暗黙のルール(礼儀)になっているのだそうだ。

この価値観は、男の世界には・・・少なくとも、私のコミュニティーにはない。
ただ、よく考えてみると、女性の価値を年齢で測るクセがあるのは女性だけではなく、私を含めた男性も同じこと。
この価値観形成には、男性も充分に加担しているわけで、男連中が反省すべきこともあると思う。
どちらにしろ、女性が女性であるかぎり、若づくりの戦いに終わりは来ないのだろう・・・
せめて、これが泥沼の戦いになって身体加齢を加速させないよう祈るほかないか・・・
でも、案外、年齢に抵抗せず素直に従うことが、若く見られる秘訣だったりするのかもしれないよね。



初老の男性が、自宅で孤独死。
死後一ヵ月。
現場は、故人が暮らしていたマンションの一室。
依頼者は、故人の息子。
私は、依頼者と現地調査の日時を約して、電話を終えた。

出向いたところは、1Rの部屋ばかりが造られた小規模マンション。
どうみても賃貸用に建てられたものだった。
依頼者の男性は、私よりに先に到着。
男性は、上は穴の開いたTシャツ、下は膝のでたスウェット、足はゴムサンダル。
顔には無精ヒゲ、頭はボサボサ。
お世辞もでないくらい貧相な風貌。
しかも、その表情は弱々しく・・・
モジモジしながら話す声は小さく、言葉数も最小限。
人を外見で判断するクセのある私は、「頼りなさそうだな・・・」「お金あんのかなぁ・・・」と、いけない先入観を抱いた。

部屋にある家財生活用品は少量。
しかし、異臭濃度は高く、涌いたウジ・ハエも大量。
主たる腐敗液は、布団とベッドに残留。
誰かが片付けを試みたのか、汚れたパイプベッドは腐敗液をそのままに中央から折り曲げられ、中途半端な状態で放置。
全体的な汚染度はミドル級だったが、ベッドをうまく処理すれば、一気にライト級に下げることができるレベルだった。

「ベッドだけでも早めになんとかした方がいいと思いますけど・・・」
私は、“押し売り”と思われることを懸念。
しかし、急を要すると判断し、早めに手を着ける必要があることを男性に伝えた。

「・・・でも、ちょっと、その金額では・・・」
男性は、恥ずかしそうに、私が提示した見積金額に難色を示した。
そして、顔をゆがめながら、何度も溜息をついた。

「きびしいですか・・・」
男性の経済力は、私が想像していた通りのもの。
私の頭には、“退散”の文字が過ぎり、男性の様子をうかがいながら、それを口にするタイミングをはかった。

「せっかく来てもらったのにスイマセン・・・仕事は頼めません・・・」
“検討する”などとテキトーなことを言っておくこともできたのに、男性は、正直にそう言った。
私にとって、男性のその姿勢は好感を持つに値するものだった。

「そうか・・・」
本件が仕事にならないことは、ほぼ確定。
それでも、部屋の始末をどうつけたらいいのか答が出せないで困っている男性を置いて立ち去るのには抵抗があった。

「んー・・・」
男性は、弱った表情。
場を“おひらき”にしようとするどころか、今後の策を一緒に考えてほしそうな雰囲気をプンプンと醸しだした。

「とりあえず、ベッドの分解梱包だけやりましょうか?・・・お金はいりませんから」
“これも何かの縁?”“乗りかかった舟?”と、私は、自分に質疑。
男性が作業する場合の難しさと私がやる場合の簡単さを天秤にかけ、わずかにしか持ち合わせていないボランティア精神を心の奥のほうから引っ張りだした。

「スイマセン・・・スイマセン・・・じゃ、交通費だけでも・・・」
男性は、平身低頭。
“交通費だけでも払う”と言ってくれたが、私は“お金はいらないと言ったはず”“約束は約束”とカッコつけてそれを固辞した。

「大丈夫ですよ・・・私にとっては簡単なことですから」
男性の低姿勢に乗じた恩着せがましい態度は、品性と教養のなさを露呈させるだけ。
私は、サバサバと受け答え、作業の支度を整えた。


やはり、男性は、自身が言っていたとおり、私に特掃作業を依頼せず。
私が見積もった料金は、どうやっても男性が負担しきれる額ではなかったようで、“自分の手でなんとかする”とのことだった。
悪臭が充満する中、荷物を分別・梱包・搬出し、腐敗液を拭き取る・・・
手伝ってくれる親戚がいるとはいえ、腐敗体液の始末は誰にも頼めるはずはなく・・・
技術的にも精神的にも、重い苦労を要するはず・・・
玄人の私にとってはわけない作業でも、素人の男性にとっては大変な作業になるであろうことは、容易に想像できた。

それからしばらく後、男性が、再び連絡を入れてきた。
“部屋は空けたけど異臭が残留している”“その消臭作業を依頼したい”“それくらいの費用は負担できる”とのこと。
男性は、“消臭は自分では無理”と判断したようだった。
ただ、動機はそれだけではなく、私には、現場まで足を運び、相談に乗り、簡易特掃までやったことに対する義理もあるように感じられた。
そして、それが何とも嬉しかった。

男性は、確かに貧相な風貌だった。
しかし、現実から逃げなかった。私にウソをつかなかった。私への義理を欠かなかった。
私は、そんな男性に対する見方を、反省とともに変えざるをえなかった。
そして、それは、無意識のうちに蔑ろにしていた「人は、外見だけで判断できないこともある」という一石を私に投じた。
と同時に、「見かけがさえないのは仕方がないけど、“中身は悪くない”と人から思ってもらえるくらいの人間になりたいもんだな・・・」という思いを私に与えてくれたのだった。


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Reset ~後編~

2011-04-12 08:40:44 | Weblog
「ひょっとして、ゴミが溜まってるってことないですかね」
「え!?」
「“個人の自由”なのかもしれませんけど・・・」
「・・・」
「うちは小さい子供がいますし、隣があまりに不衛生だと気持ちが悪くて・・・」
「・・・」
「あと、火事も心配ですし・・・」
「・・・」
「前に、この人(依頼者男性)の部屋から大量のゴミがでてきたことがあって、ビックリしたことがあったんです」
「え!?」
「だから、“もしかしてまた?”と思いまして・・・」
「・・・」
女性の言葉に、私はいちいち動揺。
女性は、どうも、中がゴミ部屋になっていることをほぼ見通しているようだった。

個人のプライバシーに関わることを自分が積極的にバラすわけにはいかない。
しかし、状況的にみて、ことが表沙汰になることは避けられそうになく・・・
私は、「これで“近所にバレないように”って言われてもなぁ・・・」と、“トホホ・・・”な気分で、後のことを思案した。

毅然と断って気分を悪くされると、何かと厄介。
住民を敵に回すと、作業がやりにくくなるだけだから。
しかし、女性の要望は私の権限では聞き入れられない。
私は、弱りきった顔をつくって同情を誘い、商業道徳を盾に女性の要望をかわした。
そして、半強制的に会話を終わらせると、「バイバ~イ」と子供に手を振って女性の姿が完全に見えなくなるまで見送った。


男性の部屋は、一人で暮すには贅沢と思われるくらいの2LDK。
広いルーフバルコニーからの眺望は広大で、遠くの山なみも望めた。
ただ、広大なのはそればかりでなく、床に広がるゴミ野も同様・・・
山なみができていないだけマシとはいえ、廊下も台所も部屋も、その床は完全にゴミで覆い尽くされ・・・
私にとっては驚くほどでもなかったが、素人にとっては完全に“ドン引き”するレベルだろうと思われた。

外に出て誰か(特に隣の女性)と顔を合わせたくなかった私は、部屋の中から男性に電話。
男性は、その時間帯に私から電話がかかってくることを予想していたようで、すぐに応答。
話は前略で始め、私はまず、隣人が勘づいているであろうことを報告。
次いで、隣人から室内の様子を知らせてくれるよう頼まれたこと、そして、周囲に気づかれずに片付けることはもはや不可能であることを伝えた。
ただ、その場で蒸し返しても仕方がないので、女性から聞いた男性のゴミ溜め歴については触れないでおいた。

隣宅女性が言っていたとおり、やはり、男性は、部屋に大ゴミを溜めた経験をもっていた。
私が隣宅女性と接触した事実を知って観念したのか、こちらから尋ねるまでもなく男性の方から打ち明けてきた。
その時は、現状のようなゴミ野では済まず、遭難しそうなくらいのゴミ山ができ、玄関ドアを開けただけで、外にゴミがこぼれ落ちるくらいになっていたとのこと。
そして、それらを片付けたのは、男性とその家族・親戚。
男性は、激怒する親と呆れ返る親戚に平身低頭で頼み込んだのだった。

彼らが部屋からゴミは撤去するのには、何日もの時間がかかった。
もちろん、秘密裏に片付けるなんてことはできるはずもなく、近所の人や管理人にはバレバレ。
誰彼かまわず、会う人すべてにペコペコと頭を下げながら作業は進められた。
同時に、好奇と嫌悪の視線は、本人はもちろん手伝う家族・親戚にも向けられ、時に、それは嘲笑の的にされているようにも感じられるものだった。

これに懲りた男性は、「二度とゴミは溜めない」と決心。
以降、こまめなゴミ出しに努めた。
しかし、悲しいかな、人間には性(さが)がある・・・それができたのも当初の期間のみ。
生活スタイルは、次第にもとに戻り、片付けから数週間後には男性がゴミ集積所に姿を現すことはなくなり・・・
結果、一日一日、着実に部屋にはゴミが溜まっていくように・・・
増えゆくゴミと減りゆく空間の中で、次第に男性の心は落ち着きを失っていったのだった。


我々は、片付け作業を秘密裏に行わず、日中堂々と実施。
室内できれいに梱包したうえで運び出したし、知る人には、それがゴミであることは明白だったから。
作業中、嘲笑の的にはされてはいないと思うけど、近隣住民による好奇の視線は感じられた。
ただ、それは、真には依頼者男性に向けられたもので、気に障るほどのものではなかった。
そんな、針のムシロ状態を察してか、結局、男性は、一度も姿を現さず。
その気の弱さと自己管理能力の低さは自分に共通するところがあり、私が男性に対して悪い感情を抱くことはなく・・・むしろ、同士的な好感すらもっていた。

作業が終わり・・・
「今までの生活をリセットして、これから人間らしく生きていきます!」
片付いて安堵したのか、電話の向こうの男性は元気を回復した様子。
冗談めいた大袈裟な言葉で礼を言ってくれた。
「そうですね・・・でも、またやっちゃったら連絡ください」
私は、男性の明るい声に自分の価値を感知。
本心ともジョークともとれる言葉で、笑い声を返したのだった



今回の大震災をうけて「価値観が変わった」とする人は多い。
多くの人が、本音の部分でそう感じているのだろう。
そして、そう感じることを“よし”とする自分が、どこかにいるのだろう。
かく言う私もその一人。
感謝、喜び、恐怖心、不安感etc・・・震災前の感覚と今の感覚が異なっていることが自覚できる。
しかし、人の価値観なんてものは、そう簡単に(起こったことは簡単ではないけど)変えられるものだろうか。
あくまで、自分という人間(私個人)に関して考えることだが、私はそうは思わない。
今起こっている(自分が感じている)のは、“価値観の転換”ではなく“感受性の一時的な変容”。
自分の感受性が非日常的な刺激をうけて、日常にない反応を起こしているだけのこと。
つまり、これは、一過性のもの。
「咽もと過ぎれば熱さ忘れる」ということわざがあるように、今、熱さが咽もとにあるから起こっているに過ぎない現象だと冷ややかに捉えている。

事故、大ケガ、大病、人の死、挫折、不慮の大事etc・・・
今回の震災に限らず、価値観が変えられるくらいの出来事に遭遇したことは、誰しもあると思う。
しかし、それで、以降の価値観は本当に変わっただろうか。
貧欲や浅慮、利己主義があらたまり、正しい知恵や善性が身についただろうか。
抱いた覚悟や決心を崩さず、同じ過ちは二度と繰り返していないだろうか。
残念ながら、私の場合は違う。
時間が経てばもと通り・・・時間とともに心は風化していくのが常。
だから、同様に、今回の震災を受けて転換されたとされる既存の価値観も、時間が経つともと通りになるようにしか思えないのである。

もちろん、人の内面が、もとの鞘(さや)に収まることが全く無意味なことだとは思わない。
それが、何かを考えたり、何かに気づくきっかけになったりすることがあるかもしれないから。
それによって、悲しみが癒えることもあれば、元気が取り戻されることがあるかもしれないから。
人生に大きな変革をもたらさなくても、日々に小さな変化をもたらすことがあるかもしれないから。
ただ、いずれはもとに戻る価値観が一時的に動いたことを転換と勘違いし、その上、それが人の不幸を土台にしたものであることを真に理解せず、「価値観が変わった!価値観が変わった!」と、自分がひとつ成長したかのように喜ぶ(陶酔する)ことに、言いようのない軽々しさと浅はかさと違和感を覚えるのである。


味わった苦痛や受けた苦難は、そう簡単に忘れられるものではない。
リセットした方がいいことは、なかなかリセットできない。
悔い改めや良心の決意は、そんなに長続きしない。
リセットしない方がいいことは、すぐにリセットされてしまう。
それが人間(私)。

過ぎた時間は取り戻せない・・・
起こった過去は取り消せない・・・
はたして、そんな時空に支配された人生をリセットすることはできるのか・・・
・・・私には、わからない。
ただ、そのチャンスだけは、誰にでも分け隔てなく与えられているものだと思いたい。
私は、頑なな価値観を抱えて汲々としているけど、毎日にあるリセットチャンスを信じたい。

暗い自分(誰か)を明るくするために・・・
弱い自分(誰か)を強くするために・・・
折れそうな自分(誰か)を支えるために・・・
・・・今を元気に生きるために。


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Reset ~前編~

2011-04-07 16:32:51 | Weblog
春。4月。
昨年より少し遅いが、東京には桜が咲き始めている。
青い空に薄桃色の花びらが眩しい。
今日、都内各所で新入生らしき子供達と正装した親達を見かけた。
桜と同じく、ピカピカの一年生も眩しく輝いている。
先に待っているのは幸せなことばかりではないだろうけど、子供たちには元気に正しく成長してもらいたい。
そして、短くも長い人生を、明るく歩いていってもらいたいと思う。

私が小学校にあがったのは、もう三十数年前のこと。
亡くなる直前の祖父が買ってくれた黒いランドセル、鉛筆を削ること、消しゴムのニオイ、何もかもが新鮮だった。
しかし、そられはとっくに過ぎ去った・・・遠い・遠い昔のこと。
「あの頃に戻れたら、人生をリセットできるのになぁ・・・」
そんな願望は歳を負うごとに増えるばかり・・・だけど、到底、かなえられるものではない。

「震災前に戻れたら・・・」
「夢であってほしい・・・」
子を亡くした親・・・
親を失った子供・・・
目の前で夫を流された妻・・・
妻を助けられなかった夫・・・
兄弟を、姉妹を、友人を、仲間を亡くした人々・・・
家を、財産を、仕事を失くした人々・・・
何十万・・・いや、それ以上の人々がそう思っていることだろう。
しかし、現実は、そんな人々の前に容赦なく立ちはだかっている。

外野にいる私には、その苦しみをリアルに感じることはできない。
ただ・・・
「この先、どうやって生活を立て直せばいいのか、何も思いつかない」
と苦悶する被災者の姿に、
「俺だったら、立ち直れないかもしれない・・・多分、無理だろう・・・」
と私は思う。
こんなときこそ“生”に固執しなければならないのに、私の頭には、逆の一文字ばかりが過ぎる。
だから、「頑張れ!」という思いを抱くことに、躊躇いと良し悪しの判断ができない無責任さを覚える。

頼りない電力に、降りそそぐ放射性物質・・・何事もなかったかのような日常を取り戻すには、しばらくの時間がかかりそうだ。
離れたところにいる私でもそうなのだから、被災地が復興するには何年もの時間がかかるだろう。
また、被災者の精神が復興するには、より多くの時間を要するだろう。
・・・ひょっとしたら、その傷は、生涯かかっても癒えないものかもしれない。

私も、“何かを楽しもう”という気になかなかなれない。
好きなはずの酒もすすまない。
しかし、これは、私が人の痛みがわかる人間だからではない。
被災地や被災者を慮ってのことではなく、単に社会全体の不安感に圧されているだけのこと。
私のネクラな性格からきているものである。

「不謹慎」と批難されるのかもしれないけど、社会的な節度と良識をもってすれば日常の飲酒やレジャーはあっていいと思う。
買占めや電気の無駄遣いにならないよう注意しながら、通常の経済活動は行ったほうがいいと思う。
経済活動がなかったら税金も集まらないわけで、その税金が復興の原資になるわけだから。

また、放射性物質に過剰反応しないことも肝要だと思う。
とりわけ、悲観的・神経質な性格をもつ私のような人間は。
公の安全情報を信じることもまた、復興の一要素。
乳製品・農産物・海産物・水・・・風評に惑わされないように、「客観的第三者」というよりも少し被災者の立場に寄った判断するよう努めたいと思う。



「部屋にゴミを溜めてしまった」
「恥ずかしいから顔を合わせたくない」
「近所にバレないようにしてほしい」
「スペアキーを送るから勝手に入って見てほしい」

ゴミの片付け依頼が入った。
依頼者は30代? 少なくとも、私よりは若い感じの男性。
言葉遣いは丁寧で、低姿勢。
私は、「恥ずかしいから顔を合わせたくない」という男性に妙な親近感を覚えた。
同時に、その心情を察し、現地を見れば回答が得られるような質問は省略。
短い会話を交わした後、とりあえず、部屋を見に行くことを約束した。

数日後、私は送られてきた鍵を持って現地へ。
現場は、小規模の分譲マンションで常勤の管理人はおらず。
男性の部屋がどちらかはわからなかったが、一部の部屋は所有居住用に、また一部の部屋は運用賃貸用として使われているようだった。

私は、まずエントランスの集合ポストを確認。
すると、案の定、そこには大量のチラシや郵便物が押し込められ、その一部は口からハミ出ていた。
そして、郵便物に記された宛名によって、私は、男性が偽名を使っていないことと部屋番号に間違いがないことを確認し、エレベーターに乗り込んだ。

男性宅の玄関ドアに手をかけたところで、隣の玄関から一人の女性がでてきた。
女性は幼児を連れており、どこかに出掛ける風。
私と目が合うと軽く会釈してくれた。
私は、子供に向かって「こんにちは~」と似合わない笑みを浮かべ、“気のいいおじさん”に変身。
すると、女性は、私の方へ数歩近寄り声をかけてきた。

「こんにちは・・・隣の者なんですけど、○○さん(依頼者男性)はいらっしゃるんですか?」
「いえ・・・」
「中に入られるんですか?」
「はい・・・」
「点検かなにかですか?」
「まぁ・・・そんなもんです・・・」
「ひょっとして引越屋さん?」
「いえ・・・」
「引越しじゃないんですか?」
「えぇ・・・」
「なんだ・・・」
「・・・」
私が引越業者ではないことが知って、女性は残念そうにした。
ただ、それだけで話は終わらず。
女性は、私に声を掛けた動機の核心に向かって話を続けた。

「部屋の中は、フツーですかね?」
「???」
「なんかおかしくないですかねぇ・・・」
「さ、さぁ・・・今日、初めて来たものですから・・・」
「そうですか・・・」
「・・・」
「よその御宅ですから、“私にも見せて下さい”とは言えませんよね?」
「え!? そ、それはちょっと・・・」
「ですよねぇ・・・」
「・・・」
「じゃ、どんな風だったか、あとで教えていただけませんか?」
「え!?」
女性が何かを疑っているのは明らか。
室内の状況に、ひとかたならぬ興味を持っている様子。
一方、私の頭には、「近所にはバレないように・・・」と念を押した男性の言葉が過ぎり・・・
それは、女性の疑念と相反することによって、私にイヤな展開を予感させたのだった。

つづく




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一粒の麦

2011-04-01 09:25:09 | Weblog
彼は、私の二つ年下。
「親友」と呼べるほどの間柄ではなかったかもしれない・・・
が、非一般的な価値観の一つの共有できる数少ない友人だった。

普段、舌の潤滑剤として酒を用いることが多い私。
当初、彼とも、シラフの状態では、うまくコミュニケーションをとることができなかった。
しかし、何度目かの話題が深いところで合致し、以降の付き合いにアルコールの力を借りる必要はなくなった。

彼は、酒も飲まず、タバコも吸わず。
もちろん、ギャンブルや女遊びもやらず。
根本的に私とは違うタイプの人間だったが、私は、自分の信条を表裏なく表すスタイルに共感を覚えていた。

彼が卒業した大学は、私ごときでは“背伸び”どころかハシゴを使っても届かないレベル。
勤務先は名の知れた大手企業。
ただ、私が勝手に羨ましがるだけで、彼が、それらを自慢することは一切なかった。

彼には、妻と三人の幼い子があった。
「出世は望まない」「とにかく、いい家庭をつくりたい」「大学に入ったのも、この会社に就職したのもそのため」
一流企業のビジネスマンではありえないくらいの家事もこなす、真面目な男だった。

そんな彼が、晩冬のある日、体調を崩した。
腹部に不快感を抱きながら帰宅した彼は、家に到着するやいなや洗面所で嘔吐。
ドス黒い粘液を大量に吐いたのだった。

翌日、彼は、会社に常駐する産業医のもとへ。
診察した医師は、胃潰瘍を疑った。
ただ、そこで正式な診断を下すことはできず、病院で検査することになった。

検査結果は、胃潰瘍ではなく胃癌。
しかも悪性。
その回復事例は他種の癌に比べて極端に少なく、死というものを否応なく意識させられるものだった。

彼と家族は、各地に名医・名病院を探した。
色んな病院や医師の技術や治療方針を調べ、希望が持てる治療法を検討。
そして、暗中模索の中で、一つの方法を選んだ。

春の最中、彼は、胃の全摘手術を受けた。
私が病院に彼を見舞ったのは、その翌日。
病室に入ると、彼はベッドの上に座り空ろな目で天井を見上げていた。

私は、彼の病気を知ったとき、「自分じゃなくてよかった」と思ったことを打ち明けた。
しかし、彼は、「気にすることはない」と、私の肩を叩いて同情の顔をみせた。
他人に同情できる余裕なんかなかったはずなのに・・・

梅雨の頃、彼は自宅に戻っていた。
胃がないことが信じられないくらい、食欲は旺盛。
大病を患ったとは思えないほど、元気な姿をみせていた。

回復基調をみせていることに、本人も家族も明るかった。
「定年前に会社を辞めて、自然の中で暮らしたい」「そこで、子供向けの自然学校をやりたい」
将来への希望に、生力が漲っていた。

しかし、そんな平穏な日々は長くは続かなかった。
しばらくして後、腹部にあらたなシコリが発生。
それは、本人が最も恐れていたこと・・・癌が再発したのだった。

彼は、強い恐怖感に苛まれた。
極度の欝状態に陥ったり、自暴自棄になったり・・・r
忍び寄ってくる“死”という現実に恐怖し、病院に行くことさえできなかった。

それでも、生への希望を捨てることはできず・・・
藁をも掴むような思いで、託した療法を貫いた。
しかし、体調は悪化の一途をたどるばかりだった。

彼は、日に日に痩せ衰えていった。
一日一日とその命を短くしながら、家族とともに自宅で過ごした。
そして、晩夏の早朝、家族が看取る中で天にあげられた。

38年余の生涯だった。
私は、再発後の見舞いにも、葬式にも行かなかった。
葬式の日は、遠くの現場で、彼のことを想いながら汗を流した。

私は、心を痛めているフリができる人間。
私は、悲しんでいるフリができる人間。
ありきたりの礼儀や心遣い、薄っぺらい同情心はあっても、そこに真の愛があるだろうか・・・

私は、自分が偽善者であることは、わかっているつもり。
更に、偽善者を自称すればするほど、その偽善性が強まることも認識しているつもり。
だから、再発を知っても見舞いに行けなかったし、葬式にも行けなかった。

彼が勤めていた会社の高層ビルは、私がよく走る高速道路の脇に建っている。
「もっと生きたかっただろうに・・・」
そのビルを見るたびに、彼のことを想い出し、その名をつぶやく。

愛する家族を残して逝かなければならない運命を背負った彼・・・
残された日々に何を思っただろうか・・・
自分がいなくなった後の妻子を案じ、身が引き裂かれるような苦痛を味わったのではないだろうか・・・

彼がいなくなってからも、何事もなかったかのように季節は巡っている・・・
重なる春夏秋冬の中で、将来、私が、彼と同じような境遇にならないという確証はない。
「死んでしまいたい」と泣く日々に、「死にたくない」と泣くときがくるかもしれない。

彼の死によって、結ばれた実は多い・・・
少なくとも、私の中には。
私は、その実をどう熟させ、どう収穫するべきか、今でも考えている。

今回の震災でも、多くの命が失われた。
「宿命」とか「運命」では、片付けられないくらい多くの命が・・・
残された人々の苦痛と悲哀がどれほど深刻なものか・・・離れたところで平穏に暮す私に量ることはできない。

命の価値は、死をもってなくなるものではない。
命の意義は、死をもって終わるものではない。
命の意味は、死をもってわかることがある。

死は、すべてを失わせるものではない。
命が失われることによって、新たな実が結ばれることがある。
先に逝った彼が、その死によって私の内に実を結ばせたように、亡くなった人々もまた、その死によって多くの人に多くの実を結ばせるのだと思う。

悲しむ、哀れむ、憂う、泣く・・・今は、それしかできないかもしれない。
ただ、命は、命を継承し、命を更に強くさせるもの。
悲しく辛いことではあるけど、私は、実をなさない死を遂げた人は一人もいないと思っている。

これから、その実をどう探し、どう収穫するべきか・・・
我々は、これをよくよく考える必要があると思う。
そこに得た命が、自分に、周りの人に、次の人に多くの実を結ばせるのだから。



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臨時更新

2011-03-28 17:27:08 | Weblog
これは、「人間注意報」に書き込まれた公開コメントに対する臨時更新である。

“よっちゃん”は、何年も前から「特殊清掃 戦う男たち」をもとにmixiをやっている人物。
それは私も承知している。
また、“よっちゃん”によると、mixi上で質問を受けた場合、自分が隊長本人ではないことはハッキリ伝えているとのこと。
とにもかくにも、mixiにいる“よっちゃん”は特掃隊長のニセ者ではない。
(ちなみに、私はmixiなどのSNS類は一切やっていない。)

では、“よっちゃん”とは何者?
彼は、私が所属するヒューマンケア㈱のスタッフ。
つまり、私の同僚。
更にいうと、本ブログの管理人である。

正直いうと、私は、“よっちゃん”がニセ者扱いされておかしかった。
しかし、当の本人は困惑。
「書き込まれたコメントを削除したい」と慌てて私に電話してきた。
しかし、私はこれを拒否。
せっかく“よっちゃん”がやっているmixiの宣伝にもなるし、慌てる“よっちゃん”も面白いので、このままにしておくよう指示した。
(善意で書き込んでくれた方、申し訳ない。)

なお、以降の誤解を回避するため、本日をもってニックネームを“よっちゃん”から“ブログ管理人”にあらためたとのこと。

今後とも、本ブログともども、旧“よっちゃん”のmixiをヨロシク(お騒がせしました)。



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人間注意報

2011-03-24 12:17:11 | Weblog
大地震から間もなく二週間が経とうとしている。
それは、それまで“当り前”だと信じていたことが当り前じゃなくなるショックを現実に引き起こした。
そして、それは今も、平安を求める人々の心を、既成の価値観を、余震のように揺さぶり続けている。

温かい食べものがある。三食が当り前にある。糧となる仕事がある。
汗垢を流せる風呂がある。夢に入れる床がある。雨風しのげる家がある。
家族・知人が無事にいる。少しは他人を思いやれる自分がいる。
被災地や被災者の苦境に対する反射的幸福感ではあるけど、そのありがたさが身に染みる。

私の生活圏は、日常を取り戻しつつある。
スーパーやコンビニには商品が戻りつつあり、一昨日あたりからはGSの列も見られなくなった。
地震前には当り前だった光景なのに・・・なんだかホッとさせられるものがある。
とりわけ、私はガソリン不足に神経を尖らせていたため、通常営業しているGSを見ると喜びさえ感じる。

しかし、まだ、ほとんどの店は照明を暗くしている。
多くの人が節電の重要性を理解しているのだろう・・・今や、節電は、世間を漂う当り前の空気になっている。
薄暗くなった世の中を象徴しているように見えるのが難点だけど、これは、非常にいいことだと思う。
自然環境にも優しいし、停電防止にも効果があるだろうから。
私も、暖房を使わないようにしたり早く寝るようにしたりと、ささやかながら節電を心がけている。
皮肉にも、このところ時節に合わない寒さが続いているけど、厚着してしのいでいる。

その甲斐あってか、今のところ、不慮の停電は起こっていない。
ただ、やはり計画停電は避けられない様子。
「夏までで終わらず、冬まで続く」などといった情報もある。
ただ、一日に三時間程度、それが一回か二回あるくらい。
何日も続く停電はキツイけど、それくらいなら我慢できる。
経済への悪影響が懸念されるけど、これも復興の一助になるのだろうから、不平不満は後回しにして積極的に協力したい。
大きな負担は、一人一人が小さく分け合えばいい。
今は、全体の利益(国益)のために、個々が辛抱するべきときだと思う。
その昔、泣き虫の滝沢先生が言っていた「One for all  All for one」の精神だ。

原発の問題は、相変わらず深刻。
現地で作業する人達、問題解決に死力を尽くしている人達には、頭が下がる。
そんな人達の尽力を知ってか知らずか、放射性物質に関するデマは、身近なところにいる知人からも涌いてでた。
露になったその本性は、残念を通り越して不快なものだった。
「まず、その口を閉じろ!」「そんなに恐けりゃ勝手に逃げりゃいいだろ!」
私は、そう言いたくてたまらなくなった。

有事のときこそ、その人間性は際立つもの。
問題は、事の真偽ではなく、その人格だ。
ただ、そんな人を批難することもまた、生産性のない感情を浪費するだけ。
今、やるべきことはそんなことではない。
良心を行動に変えて励んでいる人は、人の批難なんかせず、今やるべきことに没頭している。
人間を見ず、善行を見て、見習うべきところは見習いたい。


今、多くの国民が復興を志して、それぞれの役割をこなしている。
列島には、人の善意や善行があふれている。
そんな中にあって、残念なニュースもでてきた。
デマの吹聴や批難意見の展開だけならいざ知らず、地震便乗商売、義援金詐欺、震災泥棒etc・・・
よくもまぁ、こんな時にそんなことができるものだ。
たいして善人ではない私でも、そんな輩には憤りを覚える。
一体、どういう神経をしているのだろうか。

そうは言いつつ、同時に、人間という生き物の悪性をあらためて思い知らされている。
人間は善いこともできるけど、悪いこともできてしまうもの。
行動に移すか移さないか違うだけで(これが大きな違いだけど)、人間は、その内面に如何ともしがたい悪性を抱える。
決して、他人事ではない。
他人の悪に目がいきがちだけど、自分の中に潜む悪性を省みることもまた、善性を育むにあたって大切なことだと思う。


大災害の話題に続けるには、あまりに小さなことで恐縮だが・・・
どこかに、特掃隊長のニセ者がいやしないだろうか・・・???
非公開コメント欄に入ってくるコメントに、私の他に特掃隊長がいることを疑わせるものが入ってきているのだ。
私や管理人の考えすぎか当人の妄想か空想かであればいいのだが、どう読んでも、やはり、読者の誰かが「特掃隊長」を騙る誰かに騙されている、もしくは、関係のない誰かを特掃隊長と勘違いして傾倒している感が否めない。
この類は文章が盗用されるのとはわけが違うから、自意識過剰を承知のうえで、今回、注意を喚起することにした。

ブログを書くようになってから5年が経とうとしているけど、私は、読者の誰かと個人的に知り合いになったり、プライベートな関わりを持ったりしたことはない。
奇特なことに、個人的な付き合いを希望してくれる人もいたけど、管理人を通じて丁重に断っている。
また、特定個人のホームページやブログを見る習慣もない。
当然、誰かのブログにコメントを入れることもない。

活動範囲は、ほとんど首都圏を中心とした関東圏。
ごくたまに、甲信越・東北地方に行くことはあるけど、北海道にまでは行かない。
また、東海・北陸から西は他支店がカバーしているため、私が出向くことはない。
仕事の依頼者や関係者の中にブログ読者がいたことは何度かあるけど、それでも、自分が特掃隊長であることは否定してきている。
「隊長に来てほしい」と指名を受けた場合は、先入観が重荷になって動きにくくなるので、完全に他の者に任せるか、または自分が主担当に就かないようにしている。
今まで、自分が特掃隊長であることを外に認めたのは、取材を受けた際の雑誌社や出版社、一部のメディアくらい。

私は、実社会の人間関係と同じで、書き手と読み手の間にも適度な距離感があった方がいいと思っている。
顔も名前を知らない間柄だからこそ、照れも、見栄も、体裁も、羞恥心も薄めることができるわけで、そういう関係だからこそ、共有できる何かがあるから。
だから、もう一人の私である「特掃隊長」はブログ上にのみ存在する者とし、そこら辺の実社会には常駐させていないのである。
そして、これからも、このスタンスが変わることはないだろうと思っている。

とにもかくにも、地震便乗商法・義援金詐欺・震災泥棒、そして、いるかもしれないニセ特掃隊長と自分の中の悪人には、くれぐれも注意されたし!



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大和魂

2011-03-19 17:26:45 | Weblog
2011年3月11日(金)14:46・・・
そのとき、私は、会社の敷地内にいた。
ちょうど現場から戻ってきたところで、仲間と二人で積んできたゴミを倉庫に降ろしているところだった。

その揺れは、今までに経験したことのない大きなもの。
二本足だけでは立っていられないほどで、それが地震であるのかどうかさえわからなくなるほど頭の中は真っ白に。
ただただ車につかまって、ザワザワと不気味に揺れる景色にうろたえるばかりだった。

大変なことが起こったことを直感した私は、揺れがひと段落ついたところで、車のTVをつけた。
すると、どのチャンネルも緊急ニュース。
地震の報道に加え、太平洋岸に大津波警報がでていることを慌ただしく伝えていた。

その後の惨状は、誰もが知るところ・・・
未曾有の災害に、多くの犠牲がでている・・・
人を亡くし、家をなくし、仕事をなくし・・・
足りないものだらけの避難生活が、どれほど辛くて不安なものか・・・
人の痛みに対する感受性が乏しい私にはそれらを想像することしかできないけど、それでも、気の毒に思えてならない。


あれから8日が経った。
身体は無事なのだが、精神がいまいち。
社会全体の雰囲気だから仕方がないのかもしれないけど、明るい気分になれない。
また、冷静なつもりでいても、真に冷静さを取り戻しきれていない自分がいるように思う。
それに関係してか、不眠症も悪化。
「緊張感が足りない」「平和ボケ」と言ってしまえばそれまでだが、一日中、軽い睡魔に襲われているような始末である。

余震は、今もなお続いている。
首都圏にも、震度3~4程度の揺れがくることがある。
スーパーやコンビニの品揃えは回復基調にあるが、ガソリンは依然として不足感がある。
休業しているところが目立ち、営業していても長蛇の列で給油量も制限されている。
私も、給油の列に並ぶのが日課にようになっている。

停電による影響も小さくない。
とりわけ、公共交通機関の影響は大きく、通勤通学の足を乱している。
電力会社の停電計画も試行錯誤の中でひねり出されているようで安定しない。
それでも、多くの人々は、良識をもって社会のルールを守り、負担を分かち合っている。

また、こうしている間にも、福島原発には命がけで作業している人達がいる。
被災地には、命がけの生活に耐えている人達がいる。
それを救援するため困難な作業に挑んでいる人達がいる。
そんな方々に対する、感謝と敬意と励ましの念を絶やしてはならないと思う。


自分は、これまで、いかに贅沢で独り善がりな生活を送ってきたか・・・
甘やかされた価値観を、このまま持って生きていっていいものか・・・
目に見えるかたちで現れている人の善意と勇気を、ただ眺めているだけでいいのだろうか・・・
他人の不幸を反射的に捉えるのは好きではないけど、この震災を通じて気づかされることはあまりに多い。

社会における一人一人には、自分の持ち場と役割がある。
こんなちっぽけな私でさえも、社会の一員であることに違いはない。
だから、直接的な何かができなくても、間接的にできることはたくさんある。
大金を寄付できなくても、ボランティアに参加できなくても、自分にできることはある。

省エネすること。
デマに乗らないこと。
批難するばかりの評論家にならないこと。
先の支援のために備えること。
人を想い、国を想い、祈ること。


今、日本人の真価が問われているような気がする。
今だからこそ、考え直すべきことがあるように思う。

失いかけていた大和魂を取り戻すべきときがきているのではないだろうか・・・
一人一人が、それを燃やすべきときがきているのではないだろうか・・・

そんなことを考えながら、私は、地震後の数日と与えられている今を噛みしめているのである。




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vs 先入観

2011-03-10 18:33:17 | Weblog
三寒四温って今の時季をいうのだろうか、寒暖の中に春が感じられるようになってきた。
春になったからって別に何があるわけでもないのだが、この季節には何となく気持ちが和まされる。
あと、ひと月もすれば桜が咲く・・・。
宴会の予定はないけど、街のあちこちに映る桜色が、この冷えた気持ちを温めてくれるのだろう。

そんなこの季節も、いいことばかりではない。
花粉症の人にとっては、つらいものがあると思う。
身近なところにも、クシャミ鼻水に悩まされ、涙目を赤く腫らしている人がいる。
また、鼻をつまらせて、会話をするにも苦しそうにしている人もいる。
見ていると、つらそうだ。

幸い、私は花粉症ではないけど、風邪などからくる鼻づまりは何度となく経験している。
鼻孔がふさがれると、当然、呼吸が苦しくなる。
そのうち気分がイラついてきて、鼻の穴に棒を突き刺したくなるような衝動にかられる。
また、鼻が利かないと、食べ物の味も落ちる・・・というか、味を感じなくなる。
「香りも味のうち」と言われる由縁を痛感する。
そうは言っても、すべての食べ物がいい匂いであるとは限らない。
食べ物のニオイって微妙なもので、生モノや発酵系食品には、「いい香り」とは言えないものが少なくない。

私の場合は、食べ物に腐乱死体臭を感じてしまうことがある。
一種の職業病か?・・・
以前、腐乱死体臭に酷似したニオイのするチーズに困惑した経験を書いたことがあるけど、似たようなことは日常に起こる。
つい最近も、サラダのドレッシングにそれを感じてしまい、困ってしまったことがあった。

街中にいて腐乱臭に近い異臭を感じることもたまにはあるけど、ケースとして多いのは、やはり食事中。
“腐る”という共通要素があるからかどうかわからないけど、そのニオイのほとんどは食べ物に起因する。
そんな時、食事の箸は自然と止まる。
そして、「今、俺が口に入れているものは、本当にfoodか?」と、食器にあるものをマジマジと見つめ、それが間違いなくfoodであることを確認する。
同時に、脳裏に浮かんでくる現場の光景と鼻が覚えた先入観を強制消去する。
それから、悪夢から目醒めたときのような気分をともないながら、食事を再開するのである。



晩夏のある日、特掃の依頼が入った。
依頼者は、アパートの大家を名乗る年配の女性。
「死後二ヶ月」「ヒドイ悪臭」「中に入れない」
私は、女性が話す断片的な情報をつなぎ合わせて、頭の中に一つの光景を作り上げた。
そして、極上のウ○コ男ができあがることに頭を悩ませつつ、現場に向かって車を出した。

現場は、大家宅から歩いて行けるところに建つアパート。
軽量鉄骨造りの二階建。
間取りは2DK。
整理整頓された一室には座り心地のよさそうなローソファーのセット、大型TVと本格的なステレオのセットがあった。
もう一室には、セミダブルのベッド、洋酒や本が並べられた棚など。
それらは、私に、故人の悠々自適な暮らしぶりを想像させた。

部屋は、全体的にきれいにされており、余計なところを見なければ“正常”。
しかし、“異常”を視界から除くことはできず。
ハイレベルの悪臭が充満していたのはもちろんのこと、床には無数のウジ殻(ハエの蛹殻)、窓際には無数のハエの死骸、壁と窓に無数の黒点(ハエの糞)・・・
更には、ソファーに付着した黒い汚れ。
コーヒーか何かをこぼした跡のようにも見えたが、そうではないことはすぐに判明。
それは血・・・故人が吐血した痕のようだった。
目を引いたのは、ベッドの敷布団に浮かび上がっていた暗黒色の人型。
そう・・・故人は、ベッドに横になった状態で息絶え、そして、ベッド下の床に垂れるまでに朽ちたのだった。

亡くなったのは40代の男性。
死因は、自然死(病死)。
推定・死後二ヵ月・・・
それは、血肉が腐り溶けるには充分の時間・・・
二ヶ月もの間、誰にも気づかれなかった原因を見つけることはできなかったが、現実に二ヶ月ほどの時間が経っていることは私の目にも明らかだった。

発見したのは、本件の依頼者である大家女性。
故人の部屋に異常を感じた他住人が、大家に知らせたのがきっかけだった。
女性は、玄関ドアを開ける前から悪い予感を持っていた。
しかし、放っておくわけにもいかずに開錠。
そして、開けたドアの向こうから噴出した凄まじい悪臭に腹と精神をえぐられたのだった。


特殊清掃・家財生活用品撤去・旧内装の剥離撤去・消臭消毒・・・
任せられた作業は、障害らしい障害もなくセオリー通りに進んだ。
床フローリングを剥がし、天井壁クロスを剥がしてもなお異臭は残留したが、それも一ヵ月程度の消臭作業でなくなった。
そして、あとは内装の新装復旧工事を残すのみとなった。

ただ、新装復旧工事前の臭気判定は慎重を要するもの。
臭覚は人によってまちまちで、好みも違えばその感度も異なる。
したがって、臭気判定を単独で行うのはタブーであり、急いてはいけないのだ。
私は、会社の仲間、遺族、管理を受託している不動産会社、それぞれ立場の違う人達に臭気確認を依頼。
判断の公正さを担保するため、複数の客観的意見を収拾した。
結果、臭気確認を依頼した人すべてが、「異臭は感知せず」「問題ない」と回答。
それに確信を得た私は、後日、大家女性とアパートで待ち合わせる約束を交わした。

当日、女性は、暗い面持ちでやってきた。
やはり、部屋に入るのは気がすすまない様子。
私は、大家女性による臭気確認は業務上必要なプロセスであることを伝え、同時に詫びながら玄関を開けた。
玄関に足を踏み入れた女性は、すぐさま「まだ少し臭いますね・・・」とポツリ・・・
返事に困る私に向かって、「気のせいじゃなく、本当に感じるんです・・・」と言葉を続けた。

人間の感覚は、他人が否定できるものではない。
女性が「臭う」と言うものを「そんなはずない!」と否定することはできない。
ただ、私は、大家女性には腐乱死体臭ショックで刻まれた先入観があることを察知。
他に策がなかったわけはなかったが、“精神的な臭い”をとるには時間がかかることは承知していたため、“消臭作業をやり直し”を名目にしてしばらく様子をみることにした。

大家女性が消臭完了を了承したのは、それから約二ヶ月後のこと。
中途半端な状態で部屋を空けておくことで出はじめた悪影響に対処するため、不動産会社が大家女性を説得した様子。
女性は、「まだ臭うような気がするけど、気のせいかもしれない・・・自分でもよくわからない」と困惑しつつ消臭作業の完了を了承。
その口調は重く、“精神的なニオイ”が完全に消えていないのは明らかで、私には、そんな女性が気の毒に思えたのだった。



先入観というヤツは、巧みに実体のフリをする。
知恵のない人間(私)は、それにコロリとやられてしまう。
結果、先入観と実体とを混同して心に植え込んでしまう。
そして、その先入観は、人の思考から自由を奪い、その行動を縛りつけてしまう。

苦悩が尽きないのは、現実の問題があるからだろう。
しかし、その“現実の問題”は、100%実体のあるものだろうか。
そこには、少なからずの・・・いや、多くの先入観が混ざっているのではないだろうか。

いつまで経っても悪い予感が消えないのは、マイナスの先入観が自分の心に根を張っているせいではないか・・・
明るい未来が描けないのも、そのせいではないか・・・
抱えている心配事のほとんどは、実体のない先入観がつくり上げた風船怪物なのではないか・・・

今また、つまらない先入観を捨てられないで不自由している自分にそんな疑問を投げかけている私である。




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言いわけ

2011-02-15 17:52:35 | Weblog
なんだかんだやっているうちに、二月も半ば。
前回の更新から、はやくも一ヵ月が経とうとしている。
労苦をベースに考えると日が経つのは遅いけど、ブログ更新をベースに考えると、日が経つのは早く感じられる。

怠け者の言いわけにしか聞こえないかもしれないけど・・・
ブログ製作は、私の本業ではない。
以前にも言ったように、私はデスクワーカーではなく“デスワーカー”だから。
そして、読み手が思っている以上に?手間がかかるわけで、結構な頭と時間がとられるもの。
だから、頭と時間にそれなりの余裕がないと、書く気が起きないのである。
そうは言っても、読んでくれる人がいる以上、長期の放ったらかしはマナー違反?
だとしたら、詫びるしかない(あらためる気はないけど)。

今回、しばらくブログが更新できなかったのは、現場に集中していたため。
昨年夏と同じような状況があったからで、精神がダウンしてブログ製作どころではなかったからではない。
それどころか、幸い、精神状態は、安定傾向に戻りつつある。
日々に現場仕事が与えられており、鬱々としがちな気分が紛れているのだ。

残念ながら、ブログ製作は、自分に対する訓戒や教示などの効果はあるけど、気分転換や気分浮揚などの効果はあまりない。
それは、弱音や泣き言が多い文面から読み取れると思う。
鬱々とした気分を紛らしてくれるのは、やはり、特掃隊長の真骨頂である現場業務。
私にとって、現場業務は大切なものなのだ。
だから、現場業務には、感謝と喜びをもって積極的に出かけて行くように心掛けている。
身体的には楽じゃないけど、しなびた精神を立ち直らせることができるから。


「気が紛れること」といえば、前回の記事に書いた通り、酒に酔ったときもそう。
なんとなく、気持ちが浮揚する。
その酒のことだけど、前回ブログの後、やっとのことで減酒に着手。
本来なら、 “禁酒”がベストなのだろうけど、そのプレッシャーに対するストレスはかなりしんどそうなので、とりあえず“減酒”にした。
飲まない日をつくったり、飲むにしてもその量を減らすように心がけた。
アルコールをゼロにしなかったのがよかったせいか、覚悟したほどのストレスは抱えないでいられた。
酒代も節約でき、肝心要の肝臓を労わることもできた。
また、気のせいか、翌朝の精神ダウンも飲酒翌日にくらべると軽いような気がした。
財布にも、身体にも、精神にも優しい・・・酒を遠ざけることによってもたらされるメリットは大きかった。

しかし!・・・上記が過去形になっていることにご注目!
残念ながら、調子よく減酒できたのは始めの二週間くらい。
真面目に減酒を続ける自分への御褒美で“にごり酒”を買ったのが運の尽き・・・
現在は、「今日は仕事を頑張ったから」「今日は早く帰れたから」「明日は休みだから」etc・・・
なんやかやと自分に都合のいい言いわけをしては、酒の量を増やしてしまい・・・
自分が意志の弱い人間であることを、つくづく思い知らされている今日この頃なのである。



特殊清掃の依頼が入った。
電話を入れてきたのは、顔見知りの不動産管理会社スタッフ。
「管理物件で、硫化水素の事故が起こった」
「現場はひと段落ついているので、後片付けと清掃をお願いしたい」
とのことだった。

硫化水素なんて深海や専門工場など特別な場所では珍しいものではなくても、社会一般の存在するものではない。
しかしながら、ある意味で名の知れた代物。
私も、それを聞いて、現場で何が起こったか容易に想像できた。

指示された現場は、一般的なマンション。
事故が起こったのは、その一室の浴室内だった。
私を出迎えたのは、中年の女性。
「留守番を頼まれている親戚」とのこと。
私が管理会社の依頼をうけた清掃業者であることを伝えると、女性は深々と頭を下げて足元にスリッパを出してくれた。

浴室をのぞくと、故人が使った薬品の容器やボトルがビニール袋に梱包された状態で残置。
それらは消防隊員が梱包したらしく、更に、隊員は浴室内を洗浄してから撤退していったとのことだった。
それでも、浴室に足を踏み入れると、かすかな硫黄臭を感知。
それに肌寒さを感じた私は、専用マスクを装着し、女性に浴室から離れて窓辺にいるよう指示した。

消防による一次作業も済んでおり、浴室の清掃作業は難しいものにはならなかった。
でも、あまり簡単に済ませてしまうと、家族に不安感が残るかもしれず・・・
私は、必要性の低い作業を組み入れて、かなり厳重な作業を行った。
そして、その時間の中で、若者が死ぬ道を選んだことに思いを廻らせ、自分の中にいる同士にその意味を尋ねた。

作業を終えた私は、不動産会社の担当者に電話。
現場の状況と作業の内容を報告した。
担当者は、まず、私の作業を労ってくれた。
そして、事を起こした本人の身勝手な振る舞いを批難する気持ちと、そういう行動を起こす神経が理解できないことを強調しながら、聞きたがる野次馬(私)にことの経緯を話してくれた。

部屋には、両親とその長男と長女、4人が居住。
決行したのは長男で、20代の若者。
それを助けようとした父親もまきぞいに。
消防や警察がかけつけて、付近は、一時騒然。
担当者も現場に駆けつけ、近隣対策に奔走。
本人と父親は、病院に救急搬送。
母親と長女も救急車を追うように家を飛び出した。
父親は、重症でありながらも一命をとりとめた。
しかし、本人は病院に着く前に死亡が確認されたのだった。

担当者は、一連の騒動に疲れ気味。
また、故人に対しては、憤りをおぼえている様子。
「亡くなった人のことを悪く言ってはいけないのかもしれないけど・・・」と前置きしながらも、おさまらない気持ちを次々に口にした。
一方、それに同調できるほどの見識を持たない私は、気持ちの入っていない生返事を繰り返すばかりだった。


自殺を図る人の中で、本当に死にたくてやる人はどれだけいるのだろうか・・・
個人的な先入観があるかもしれないけど、私は、少なからずの人は死にたくて自殺を図るわけではないと思っている。
自分に言いわけがきかなくなったから・・・
自分を最も甘やかしてくれるはずの自分が、自分を甘やかさなくなったから・・・
そして、そんな自分が許せなくなり、生きていることに耐えられなくなったから・・・
薬やアルコールの力をかりて決行した痕跡を垣間見ると、そう思わざるを得ない。

“死にたいから自殺を図る”“生きていたくないから自殺を図る”
私の概念では、この二つは同義ではない。似て非なるもの。根本的に違うものがある。
では、なぜ、決行してしまうのか。
それは、「生きているのがツラいから」「生きていくことに耐えられないから」。
「絶対的に死にたいから」ではないのだ。
この類のことは、“生に対する健常者”には理解してもらえないものかもしれない。

「若いうちは、いくらでもやり直せる」と、“健常者”は言う。
しかし、“やり直しがきく”“きかない”は、年齢の問題ではない。
確率の問題でいえば、高年齢より若年齢のほうがやり直しやすいかもしれないけど、時代はもはやそんなに甘くなくなってきている。
この社会が、やり直しのきかない仕組みになっているのは、多くの人が感じていることだろう。
そして、若いからこそ、生きるのがイヤになることもあると思う。
先の長さが重荷になって、中高年者より重い憂鬱感に苛まれる・・・
自分の将来にはどんな苦難が待っているのかと思うと、生きていたくなくなるのは不自然なことではない。

「死ぬ気になれば、なんだってできる」と、“健常者”は思う。
しかし、生きる気がないと何もできない。
人は、“生きるため”という積極目的があるからであって、“死なないため”という消極目的を達成するために何かをするわけではないから。
死なないために何かをしても、楽しくも嬉しくもなく、幸福感もないだろう。
そんな人生に、生きていることの喜びが見いだせるだろうか・・・

「生きていればいいことがある」と、“健常者”は考える。
しかし、これは、漠然としすぎ。
似たようなことを訴えていながらも、諸手を挙げては賛成できない。
私は、“命が助かること”と、“人生が救われること”は別物であると考えており、少々の“いいこと”は救いにならないと考えているから。
もちろん、自死を推奨し容認しているわけではない。
ただ、“生還”した人のうちで、一体どれだけの人が幸福感を得られているのだろうと思うと、疑問を持たざるを得ないのだ。


私は、他人の不幸に胸を痛めるような人間ではないけど、それでも、この現場にいて何かを気の毒に思った。
それは、多分、故人の死を悼むものではなく、残された家族のことを痛ましく思う気持ちだったのだろうと思う。
同時に、「(故人が)助かればよかったのに・・・」と言い切れない冷たい自分もいた。
私は、そんな自分に深い溜息をつきつつ、「そんな人間は、俺だけじゃないはず・・・」と、自分に言いわけをしたのであった。




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隊長不良

2011-01-16 07:40:36 | Weblog
私は、これまで、大病を患ったことがない。
平凡的な体調不良にみまわれるたり、入院の危機に晒されたりしたことはあったけど。
また、大ケガを負ったこともない。
骨折したことは三度あるけど、手術したり入院したりするほどのことではなかった。
金で治療は買えるけど、健康までは買えない。
身体の健康が守られていることは、本当に幸いなこと。
大切にしたいものである。

ストレス、運動不足、偏食、睡眠不足・・・健康を害する要因は色々ある。
私も、多くの不健康要因を抱えている。
その代表格は、ストレス。
そして、酒。
大晦日に深酒して以降、毎晩の飲酒量が減らなくて困っている。
飲酒の条件をつくって禁酒や減酒を試みるのだが、夜になるとどうしても飲みたくなって負けてしまう。
そして、一定の量でやめられず、次の一杯に手をだしてしまう。
“身体に悪い”とわかっていてもやめられない・・・
禁断症状がでるほどではないけど、これも一種のアル中なのだろうか。

しかし、酒は、身体に悪くても精神にはよかったりするもの。
私の飲み方も、長くそんな風だった。
ただ、今回の酒はちょっと違ってきている。
沈んだ気持ちが浮揚するような、暗い気持ちにボンヤリとした明りが灯されるような・・・鬱々とした気分が、何の根拠もなく紛れて楽になるのだ。
もちろん、これは悪いことではない。
たまになら、これはこれでいいのかもしれない。
ただ、日常的な依存癖にしてしまうのはどんなものか・・・
酒が一種の精神安定剤のような存在になりつつあるのではないかと、危機感を感じ始めている。
精神の安楽を酔魔に求めるクセがついたら、現実を生きていくことがますます辛くなっていくに決まっているから。
今のうちに、なんとかせねば・・・


自分の心が暗くなっているせいか、世間も暗く見えてしまう。
実際、世の中を流れるニュースも、暗いものが多い。
混乱する政治、停滞しっぱなしの経済、人の悪性が表れる事件、凄惨な事故・・・
どこを見ても、明るいネタは少ない。
メディアを通してみる政治家は、“覚悟のなさ”と“頼りなさ”を露呈。
支配階級の事情は被支配階級に属する私が知る由もないことだけど、「国のために命をかけて仕事をしている」といった気概は伝わってこない。
命がけの生活を強いられている人々がいる中で・・・

経済も相変わらず暗い。
長引く不況ももはや特別なことではなく当り前の景観として定着しつつあり、中小企業ばかりでなく大手企業も倒産の憂き目に遭っている。
巷には、就職できない学生と失業者があふれ、「一億総中流」は過去の夢幻と化し・・・
一部の勝ち組と富裕層をよそに貧困層は拡大の一途をたどり、生活苦にあえぐ人々が生きることに耐えられず、命を手放している。

これも、負け組の宿命か。人生に対する自己責任か。
人生に命をかける生き方はいいにしても、生活に命をかけなければならない生き方には、辛いものがある。
生き地獄をも感じさせるこの難局は、いつまで続くのか・・・
どう乗り越えればいいのか・・・
「憂いても何かが好転するわけではない」とわかっていても、悲観思考が染み付いている私の心は明るくなっていかない。


そんな世の中にあっても、明るいニュースがでてきた。
児童施設にランドセルを贈る等の、例の事象だ。
これが一時的な流行であったとしても、ホッとさせられるものがある。
贈る人、贈られる人、それぞれに想いと事情があるのだろうから、私のような者がコメントするのは軽率でしかないのだが、単純に、心が温められる。
そして、「俺にもできることがあるかも・・・」と考えるきっかけを与えてくれている。
「自分を犠牲にしてまでのことはできないけど、自分でも何かできることはないだろうか・・・」と。

これは、“善意の押し売り”“ただの自己満足”かもしれない。
“一時的な自己陶酔”“一過性の偽善意”であるかもしれない。
しかし、私のように、余計なことを考えてばかりで何も行動しないのが最もダメなパターン。
理屈ばかりこねていても、誰も幸せになれない。
理屈が100点でも、行動がなければ0点と同じことだ。

常日頃の私は、能書きは一人前のくせに、行動は半人前。
観客席で野次をとばすばかりの人間。
そんな人間が行動を起こすことを考えているわけだから、進歩といえば進歩。
ただ、寂しいことに、私は、自分の善行を周囲に知ってもらえないと気が済まないタイプ。
私は、“善い人だと思ってもらいたい”“人によく思われたい”という気持ちが強い人間なのである。

このブログもそう。
初期の頃は、そんな下心も少なく、バカバカしい記事を挙げていたのに、いつの間にか名誉欲や自己顕示欲が色濃く滲むようになっている。
こんな小さな世界で、私は、有名人を気取り、ヒーローを気取っている。
「思慮深いでしょ?」「頑張ってるでしょ?」「わりと善い人でしょ?」と言いたいのがアリアリと見て取れると思う。
(ま、これを打ち明けることによって、その色は濃くなるだけなんだけど・・・)
ま、今更そんなこと説明する必要ないか・・・
そんなの承知の上で、読んでもらってるんだろうから・・・
私のような人間は、自分に対して自己顕示できないから、人に対して自己顕示したがるのだろう。

私の貧欲は、自己顕示欲だけではない。
時々書いていることだけど、金銭欲もまた人一倍強い。
若い頃に比べると弱くなってきたけど、情欲もある。
また、弱虫と泣虫にも寄生されている。
弱虫は子供のときから掬っているけど、最近は、それに加えて泣虫まで涌いてきた。
害虫駆除には慣れているはずが、この駆除にはかなり手を焼いている。
泣虫の駆除に泣いているような始末で・・・(この滑稽さに笑えれば、泣虫は駆除できるかもね。)

私は、これらのものを、今の体調不良の原因の一つであると認識している。
更に、この他にも、“知恵のなさ”“勇気のなさ”“忍耐力のなさ”“猜疑心の強さ”etc・・・挙げていけばキリがないくらいのものがある。
前向きになれない自分、上向いていかない気分・・・結局のところ、その病原は、自分の不完全さと悪性なのである。
だから、一生治らない可能性も充分にある・・・いや、完治する可能性はないはず。
それでも、それがわかっていても、生きているかぎり“治療”することをやめてはならない。
痛い手術を施され、苦い薬を飲まされ、辛いリハビリを強いられながらも、私は、“治療”するために生きていかなければならない。
それが、私のとるべき生き方なのである。


先日、とある御宅に特殊清掃に出向いた。
私の担当現場ではなかったが、志願して行った。
楽な作業ではなかった。
作業服は汚れ、身体中が臭くなった。
でも、一生懸命やった。必死にやった。
余計なことは考えず、汚腐呂をお風呂に戻すことだけに集中した。
作業中、私から余計な思い煩いは消えていた。
このふやけた身体と精神に、鬱々と失せていた力が漲っていた。

そして、その内には、「それでいいんだ」と私の肩をたたく特掃隊長がいた。




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笑顔の想い出  ~2011prologue~

2011-01-10 11:00:30 | Weblog
2011年1月10日(月)、新年が明けてから10日が経つ。
・・・遅ればせながら、「謹賀新年」(←今年はもう、死語になった?)。
昨秋から散々な状態ながら、昨年は、内面に自覚できるほどの変化があった。
今年は、それらが更に錬られ、“変化”から“変革”へと進化することを期待している。
とにもかくにも、この年が、それぞれにとって充実したものになるよう祈りたい。

私の仕事始めは1月2日。
仲間の協力があり、快晴の元旦は、久しぶりに休暇をとることができた。
大晦日の夜は、結構な夜更かしをしたのに、朝は、不眠症のお陰でいつもの時刻に覚醒。
それでも、「せっかくの休日」と自分に言いきかせ、ある程度の時間まで無理矢理に横になっていた。

そうは言っても、せっかくの正月休み。せっかくの快晴。
思い煩いに苛まれて一日中家に閉じこもっているのももったいない気がした。
しかし、出かける宛はなし。出かけたいところもなし。
考えても時間が過ぎるばかりで、なかなか行く先が思いつかず。
せいぜい頭に浮かぶのは、人の少なそうな海か山。
結局、私は、昨年の11月に欝状態で出かけたときと同じ海に出掛けることにした。

到着した浜辺の景色は、前回と変わらず。
頭上には、真っ青な空。
地上には、冷たい強風。
目の前には、荒波の太平洋。
体感温度はかなり低く、まばらな人影は、皆、厚い防寒着。
正月らしい服装の人はおらず、凧上げをする人とハイテンションの暴走族だけが、正月を感じさせた。

足元に目をやると、風に流された砂粒が吹雪のように流れていた。
ともない、自分が歩いた足跡も、すぐに消えていった。
それは、目の前の現実が消されているような光景・・・
人生の儚さを思い知らされるような光景・・・
何かが、私の頭と心を覆っている思い煩いを流し去ろうとしてくれているように感じられ、何か癒されるものがあった。


遺品処理の問い合わせが入った。
「自分が亡くなった後の始末を準備しておきたい」とのこと。
依頼主は、年配の女性。
現場は、自宅マンション。
この類の問い合わせは漠然とした依頼が多く、電話だけで済ませることがほとんど。
しかし、女性宅は当社から遠くなく、訪問日時も私の都合でいいとのことだったので、私は、「仕事にならなそうな仕事だけど、何か収穫があるかもしれない」と思い、とりあえず女性宅を訪問することにした。

出向いた現場は、築年数の浅そうなマンション。
1Fエントランスでインターフォンを押し、オートロックをくぐり抜けた。
玄関で出迎えてくれたのは、高齢の女性。
「お待ちしてました」と、大切な客でも迎えるかのように丁重な挨拶をしてくれた。
それから、私をリビングに通し、ソファーに座るよう促した。
女性との話が長くなることを予感した私は、部屋にある時計の位置を確認しながらソファーに着座。
女性も、お茶とお茶菓子を出してから、私の斜め向かいのソファーに腰掛けた。
そして、“何から話そうか・・・”と迷う素振りをみせてから、今回の依頼に至った経緯を話し始めた。

女性が、このマンションで暮らし始めたのは数年前。
独居となったことがきっかけだった。
もともと、女性一家は、同じ街の一戸建に生活。
夫と二人の息子と、四人の家族だった。
しかし、二人の息子は独立。
それぞれ家庭を持ち、違う街に移り住んだ。
その後、夫も他界し、その家の暮すのは女性一人となった。
そんな生活で、次第に女性は、家を持て余すように。
息子の提案と、老齢独居となる先々のことを勘案して、マンション生活を選択。
想い出のたくさん詰まった家を手放し、このマンションに移り住んだのだった。

新しく始めたマンション生活は、身体に優しく、思った以上に快適。
ただ、加齢にともなう身体の衰えは否めず。
足腰をはじめ、視力や聴力、記憶力などの衰えが如実に感じられるようになった。
また、大病を患うことはないにしても、近年は、病院にかかることも多くなった。
時間には逆らえないことを痛感するそんな年月の中で、女性は、自分の死を考えるように。
残された時間を悲観してのことではなく、現実のこととして自分の後始末を段取っておこうと思い立ったのだった。

女性は、自分の死をきちんと見つめていた。
日常の生活に追われてばかりで死を考える余裕がなく、死を嫌悪するばかりに真正面から考えようともせず、生きていることを当然に思い、死を自分のこととして捉えられない人が少なくないと思われるこの世の中で、死とその後のことを真剣に考えていた。
私は、その真剣な眼差しと毅然とした物腰から、女性の覚悟と見識の深さを見て取った。

察した通り、女性は、死後の始末について相応の知識と準備を整えていた。
家財生活用品や遺産の処分方法、葬儀の仕様、遺骨や墓地についてetc・・・専門業者ながら、女性に教えることはほとんどなかった。
しかし、欠けていることが一点。
イレギュラーな死・・・女性は、孤独死を想定しておらず。
私は、そこのところを指摘。
更に、発見が遅れた場合は、別の問題が発生してくることも伝えた。

女性は、孤独死や死後の肉体変容については考えたことがなく、単に、死んだ後は葬式をだして火葬することをもってすべてが完結すると思っていた。
しかし、私の説明を聞いて、目からウロコが落ちたよう。
私の話に驚き、また、大いに納得。
そこのところに気づかなかったことを悔しく思うと同時に、肝心なことに気づかなかった自分が不思議で仕方がないようで、感嘆の声をあげた。

女性は、私の説明によって “孤独死”はイメージできたようだったが、やはり、その後の“腐乱”まではイメージできない様子。
孤独死のことだけでなく、腐乱死体についてのことまでも詳しく訊いてきた。
私には、それが、好奇心からではなく“他人事ではない”との危機感からきているものであることは理解できた。
しかし、何をどこまで話すべきか、私は困惑。
何せ、“液体人間”の話は、やはりグロテスク過ぎる。
どこまでのことをどう話せばいいのか、悩んでしまうもの。
そうは言っても、漠然とした話にとどめたり、事実を歪曲させたりしては、女性の期待に応えられない。
私は、かなりグロテスクな話になることを前置きした上で、肉体が朽ちていく過程とそれが原因で発生する諸問題をストレートに話した。

腐乱死体の話を一通り終えると、女性は、私がこの仕事を始めた動機を訊ねてきた。
私にとっても、女性がそこに興味を覚えるのは不自然なことではなく、訊かれることに不快感はなかった。
ただ、それは業務に必要な話ではない。
しかも、女性とは初対面で、縁の薄い間柄。
無難な話に終始して、テキトーに受け流すこともできた。
しかし、重ねた年齢からくる懐の深さか、自分の死を身近に捉えている人の優しさか、女性から滲み出る人間性と他に誰もいない空間は、私から頑なな体裁を取り除いた。

結果、私は、仕事に関係ないことでも、訊かれたことには正直に答えることに。
話は、私がこの仕事を始めたきっかけに始まり、以降の労苦や、遭遇した出来事にまで及び・・・
そのうち、女性が訊きもしない核心的な心情や苦悩が加わり・・・
そんなことを話しているうちに、目に涙が滲み始め、時折、声が詰まりだし・・・
そして、生きていくことの辛さと生きていることの喜びを話そうとしたところで、とうとう、私の涙腺は決壊してしまった。

私の話を聞く女性は、真剣な面持ち。
時に眉を顰めたり、驚嘆の声を上げたりしながら、潤んだ眼差しで私を見つめていた。
そして、話が進むにつれ、女性の目からも涙がこぼれ始め・・・
話の内容にショックを受けたのか、私に同情してくれたのか、女性もまた泣きながら私の話を聞いてくれたのだった。


これは、一昨年の初夏の話。
あれから、一年半余が経つけど、今、女性がどうしているか知らない。
今も元気に暮らしておられるものと思うけど、亡くなるのを待っている感じがするので連絡は控えている。
どちらにしろ、女性が亡くなって後、その遺族から連絡が入る確証はなく、多分、再び顔を合わせることはないだろう。
そして、時の移ろいとともに、この記憶も薄らいでいくのかもしれない。
しかし、今はまだ、私と一緒に泣いてくれた優しい笑顔を想い出すことができる。
そして、それは、自分のためだけにしか泣けない私に、人のために泣ける人間になるチャンスを与えてくれているような気がするのである。




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笑顔の想い出  ~2010epilogue~

2010-12-31 09:19:54 | Weblog
2010年12月31日、金曜日。
大晦日の東京は晴天。日向にいれば少しは暖かい。
しかし、残念ながら、私の気分は曇ったまま。そして、凍えている。
そうは言っても、晴れ間がないわけではない。
一時的ながら、雲の切れるときがある。
寒い今だからこそ、その分だけ空気は澄み、暗い今だからこそ、その分だけ青い空はきれいに映る。

心は空に映り、空は心に映る。
曇る日もあれば、雨の日もある。
雪も降れば、風も吹く。
晴れた日ばかりじゃないのは、自然の摂理、自然の知恵。
人生も、また同じ。
明暗寒暑それぞれに、はかり知ることのできない意味がある。

毎年のことだけど、今年も色んなことがあった。
色んな人との、色んな死との出合いがあった。
色んなことを教えられ、色んなことを感じ、色んなことを考えさせられた。
気持ちが落ちたこと、気分が浮かなくなったこと、ブルーな気分を引きずったこともあった。
もちろん、嬉しかったこと、楽しかったこともたくさんあった。
この経験が、この先にどう表れてくるものか、この経験を、来年にどう生かせばいいのか・・・
毎年、大晦日には、こんな感慨が湧いてくる。

今年は今年なりに、一生懸命にやってきたつもり。
しかし、仕事において、その必死さは、昨年よりも劣るように思える。
「休みなく働くこと」と「必死に・一生懸命に働くこと」は同義ではないと思うけど、何となく自分に甘くしてしまったように思える。
まだまだ、楽していい歳ではないはずなのに。
私に余計な思い煩いが多いのは、この辺にも原因がありそうだ。
でも、まぁ、浮かべた笑顔は昨年より多かったと思える分、幸せかもしれない。


現地調査の依頼が入った。
現場は、“孤独死+腐乱”。
亡くなったのは、50代の男性。
依頼者は、「知人」と名乗る中年声の女性で、「正式な依頼人ではない」とのこと。
私は怪訝に思ったが、細かいことは現地を見た後に確認することにして、現地調査の日時を女性と約した。

現場は、ある程度の築年数を感じさせる大規模マンション。
依頼者の女性は、約束の時刻を前に現れた。
女性は、どこか落ち着かない様子。
私に対して悪い態度をとることはなかったものの、その感情には、日常にないザワつきがあることが伺えた。
そしてまた、女性には、故人の死を悼んでいる様子はなし。
それどころか、もう何年も故人の存在すら忘れていたみたいで、本件に関わらざるをえないことがかなり迷惑そう。
「さっさと部屋を片付けて、売却処分するつもり」と、この後始末を早く終えたいようだった。

女性は、故人の元妻。
故人とは、20年数年前に結婚。
しかし、平和な結婚生活は長くは続かず、数年で離婚。
二人の間には男児が一人いたが、まだ幼かったこともあって、女性が養育することに。
その後、二人の間には、事務的な手紙のやりとりが数回あったのみ。
顔を合わせることや電話を交わすことはなく、近年はずっと音沙汰なしの状態が続いていた。

幼かった息子は、父親(故人)とは会うことなく成長。
そして、故人の死によってその法定相続人となった。
しかし、当人は、仕事の都合で海外に暮らしており、相続についての実務が担えず。
そこで、本来は相続権のない女性が、相続権者である息子の代理として動いていたのであった。

このマンションは、二人が結婚して間もない頃、新築で買ったもの。
大手施工の建物で、購入時の金額は安くなかったよう。
二人が別れて以降は、故人が一人で暮らしながらローンを払い続けていた。
女性は、間取りこそ記憶していたものの、具体的な状況は把握しておらず。
警察もまた、室内の様子を説明したうえで、“入らない方がいい”と女性に忠告した。

警察は、遺体の回収と同時に、財布と通帳・カードなどの主だった貴重品も回収。
遺体との面会は勧められなかったが、貴重品類は受け取るように促された。
ただ、それ以外の貴重品が部屋にあるかどうかまでは不明。
女性は、「たいした物はないはず」と興味なさそうで、また、それらを手に入れようとする気もさらさらなさそう。
結局、片付け作業の中で貴重品類がでてきたら取り避けておくことにして、私は、本件を任されることになった。


特殊清掃は、その日のうちに施工。
そして、その数日後、室内物の撤去作業を実施した。
女性の言っていた通り、女性に引き渡した方がよさそうな貴重品類はほとんど出てこなかった。
ただ、取捨を迷ったものがないわけではなかった。
それは、TVラックにしまわれた数冊のアルバム。
その装丁はかなり古びており、年代物であることが一目瞭然・・・
チラッと中をめくると、中には何枚もの古い写真・・・
そこに写っていたのは、故人らしき若い男性、若かりし頃の女性、小さな男の子・・・
それは、家族三人が共に暮らしていた頃の写真なのだろう・・・皆が幸せそうな笑顔を浮かべていた。

私は、それを処分するかどうか迷った。
勝手に処分したからといって、文句は言われないはず。
そうは言っても、ひょっとしたら、“とっておきたい”と思うものかもしれない。
私は、しばらく、その取捨を迷い、結局、女性に確認することに。
間違って捨てないよう、少ない貴重品とともに押入れの隅に隔離した。


部屋を空にしてから数週間後・・・
室内には二十数年分の生活汚損は残ったものの、臭気は通常のレベルにまで回復。
請け負った作業が完了し、私は、空になった部屋で女性と再会した。

「とりあえず、請け負った作業は完了しましたので」
「ありがとうございます」
「この後、売却されるんですよね?」
「はい」
「少しでも高い値がつくといいですね」
「息子に決めさせますけど、多分、買って下さる方の言い値で処分することになると思います」
「そうですか・・・」
「もともと自分達のものではありませんし、息子にとっても思い入れがある部屋ではありませんから・・・」
女性にとって、そこは、元の自宅。
離婚して依頼、一度も訪れたことがなかったとはいえ、結婚当初の想い出がつまっているであろう部屋。
しかし、女性のサバサバとした態度は、最初に会ったときと変わりなかった。

「必要なものかどうかわかりませんけど・・・」
「???」
「部屋に写真がありまして・・・」
「写真ですか?」
「捨てていいものかどうか判断しかねたものですから・・・」
「・・・」
「いらなければ、処分しますけど・・・」
「写真ねぇ・・・」
女性は、怪訝の表情。
興味なさそうに、手渡した袋から一冊のアルバムを取り出した。
そして、無言のまま、ページをめくった。

「見たところ、昔の写真みたいですけど・・・」
「ですね・・・」
「どうです?必要なものですか?」
「んー・・・」
「いらなければ、回収していきますけど・・・」
「“いらない”って言えばいらないものですけど・・・」
「・・・」
「でも・・・せっかくですから、持って帰ります・・・ありがとうございます」
若き日の想い出が甦ったのだろうか、女性の表情はにわかに緩んだ。
そして、昔を懐かしむ心情が、その表情に見え隠れしはじめた。
一考の末、女性は、写真を持ち帰ることに。
わざわざアルバムを取り避けておいた私に義理立てしてくれたのかもしれなかったけど、女性は、どことなく嬉しそうな笑みを浮かべた。
そして、そんな女性の笑顔に、私は心をあたためられ、ひと仕事を終えたのだった。


今の私は、笑顔をつくれるような気分ではない。
外でみせるプラスティックスマイルも引きつり気味で、浮かない顔・力ない表情をしている。
明日からの2011年も、自分にどんなことが起こるのか、自分に何が待っているのか、“楽しみ”よりも“不安”の方が大きい。
しかし、楽しくたって苦しくたって、この現実は夢幻。
いくら浮いたって、いくら沈んだって、永遠の現実ではない。
いつか、夢幻の想い出に変わるのである。

“想い出”っていいもの。
私は、想い出をあたためるのが昔から大好きである。
そして、それを反芻することも。
忘れたくても忘れられないものもあれば、忘れたくなくても忘れてしまうものもあるけど、それがしまってある引き出しは自分で選べる。
笑顔の想い出だけを取り出すことができる。
そして、そんな想い出は、今と未来をあたためてくれる・・・自分を癒し、励ましてくれるのである。

隊長最後の2011年に一つでも多くの笑顔が残せるよう、今宵は、好きな酒でもゆっくり飲んで、冷えた心をあたためよう・・・
笑顔の想い出を肴にして。




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