特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

負けるな

2017-12-31 09:07:13 | その他
薄日差す曇空の大晦日。
2017年も今日でおしまい。
例によって、私は、大晦日の今日が仕事納めで、元旦の明日が仕事始め。
正月三が日ぐらいはゆっくり休んでみたいところだけど、珍業の零細企業に そのゆとりはない。
「だから・・・」というわけではないけど、私は、神社仏閣への初詣とかは、毎年、当然のように行かない。
単に時間がないからではなく、そっち系の信心もなければ興味もないから。
大袈裟な言い方だけど、それを越えて、逆に、心害があるくらいに思っている。

それでも、年末年始の祝ムードは好き。
人生において何十回か目の正月を迎えられることを祝いたい。
だから、今夜は、そんな気分を肴に、美味い酒を飲もうと思う。
ま、そうは言っても、明日も朝から仕事だから深酒はできないし、「美味い酒」といっても、飲むのはいつものウイスキー。
正月だからと言って、特別な酒を用意しているわけではない。
ただ、このウイスキー、頂きモノなのだけど、12年物のスコッチで、なかなかの美味。
また、なかなかの値段。
特別なことでもないかぎり、自腹では手が出ない。
それが、私の飲ペースで2~3か月分くらいもあり、私の気分を上げてくれている。

ありがたいことに、そんな具合で、私の場合、飲んでいる量に比べると かかる酒代は少なく済んでいる。
つい先日も ある人がテネシーウイスキーを送ってくれた。
もともと私はスコッチ派なので、こういう機会でもないかぎりバーボン系を口にすることはない。
ただ、今は、前記の12年物スコッチ以外にも結構な在庫があるので この蓋を開けるのは少し先のことになると思う。
次の春か夏か秋か、それとも順番を無視して先に開けることになるか、予定は未定。
何はともあれ、開けた時に感じるであろう風味の違い(新鮮さ)が楽しみだ。

そう言いながらも、毎晩、飲んだくれているわけではない。
これまで何度も書いたように、私は、毎晩のようには晩酌しない。
財布と身体に配慮して、数年前から、日曜から土曜の暦週の中で週休肝二日制を敷いている(それはルール上のことで、近年は、事実上、週休肝三日制にレベルアップさせている)。
これは、自分と交わした約束。
自分に対する義務であり責任。
しかし!今年の正月は、よりによって大晦日の今日が日曜日で暦週の初日。
そして、明日から正月三が日が始まる。
つまり、週休肝三日を死守するのが極めて困難な週構造となっているわけ。

ただ、「正月くらいいいか・・・」と欲に負けてしまうと、後悔必至。
自分の弱さに自己嫌悪感と苛立ちを覚えながら反省することになるはず。
もう何年も、ノンアルコールビールや炭酸水の力を借りたり、余計なことを考えず夕飯を掻きこんだりしながら、我慢に我慢を重ね、辛抱に辛抱を重ねて死守してきた休肝日。
それを、たった数日の正月祝ごときで台なしにするわけにはいかない。
とは言え、気の弱さと意志の弱さは一流の私。
日常において、自分に負けてしまうこともしばしば。
といった始末だから、
「一体、今週は いつを休肝日にするべきなのか・・・」
と、他人から見ればどうでもいいようなことを真剣に悩んでいる。


とにもかくにも、例年のこどく今年も色んなことがあったけど、一年、何とか生き通せた。
細かな悩みや苦しみ、トラブル等は数えきれないくらいあったけど、仕事ができなくなるほどの病気やケガに見舞われてもいないし、日常の生活が壊れるほどの災難にも遭わずに済んだ。
これは、ホント、ありがたいこと。
しかし、ブログは数えられる程度しか更新できなかった。
それだけ、時間と頭に余裕がなかったということ・・・・・生きるうえでの“戦い”が多かったということか。
ただ、それは、私にとって、悪いことではない。
それは、幸せな、楽しい、快適な人生を求める戦いだから。
そして、何かのために、誰かのために、自分のために戦ったのだから。

そんな中で、今年も多くの人との出会いと別れがあった。
一人一人を思い出すことはできないけど、大方の人がいい人達だった。
丁寧に礼を言ってくれた人、泣きながら喜んでくれた人、家族のように励ましてくれた人、私を必要としてくれた人・・・
そんな人達との縁に支えられ、ツラい仕事も頑張ることができ、暗い仕事も明るくやれた。

しかし、残念ながら、少数ながらも そうでない人達もいた。
口のきき方を知らない人、立場を利用して横柄・高圧的な態度にでる人、そして、何の利害関係もないのに偉そうにしてくる人。
特に気になる(気に障る)のは、その類の高齢者。
私くらいの年齢になると、「最近の若い者は・・・」と、つい若者を批難してしまいがちだけど、礼儀をわきまえず、素行がよろしくないのは若者に限ったことではない。
あくまで、私の個人的な出来事に限定したことだけど、「最近の年寄りは・・・」と愚痴りたくなるような人物に遭遇することが多かったし、気にせいか、そういった老人が増えてきているような気がする。

例えば、口のきき方。
内心で“礼儀知らず”と思ってしまうけど、相手が仕事上の関係者(客)なら、初対面でタメ口をきかれても我慢はできる。
しかし、何の関係もない人物にいきなりタメ口をきかれるのは気分が悪い。
いくら年上だからといっても、初対面の他人に敬語を使わないのはいかがなものか。
また、最近流行り(?)の“キレる老人”というヤツだろうか、私とは何の因果関係もないことで、いきなり怒鳴ってくる輩もいる。
多いのは、マンション・アパート・団地等の集合住宅の一室が現場であるケースで、現場の部屋の影響は皆無である離れた部屋(棟)からやってきて文句を言うパターン。
キレるにはキレるなりの理由や目的があるのだろうけど、それでは社会的に生き残れない。やはり、そんな人は、他の住人からも嫌われて、厄介者として敬遠されていることが多い。

ある現場(マンションのゴミ部屋)で作業中、離れた階の離れた部屋に住む老人に
「ホコリが飛んで迷惑しているから、すぐに作業をやめろ!」
と言いがかりをつけられたことがあった。
私は、慎重に作業を進めている旨と、事前に管理会社と管理組合の許可をとっている旨を低姿勢で説明。
しかし、老人は、
「そんなの関係ない!掃除屋の分際で生意気な!」
と私を恫喝。
心ない言葉に私の血は頭に急上昇。
怒り心頭の強面で老人を睨みつけ、応戦の構えをみせた。
が、感情にまかせた不用意な暴言が自分に不利になることは多々ある。
私は、口から出かかった言弾をグッと飲み込み、理事長と管理人に相談するため、一旦、現場を離れた。
結果、この老人は、“厄介者”“嫌われ者”として、マンション住民から村八分に遭っていることが判明。
私は、自分で自分の首を絞めることをやめることができない老人の弱さを不憫に思いつつ、理事長と管理人からの「相手にする必要ない」「無視していい」という指示のもと、作業を再開したのだった。

これは極端な事例だけど、「人の振り見て我が振り直せ」ということわざがある通り、大局的には他人事で済まさないほうがいい。
私も、一年を振り返って、反省すべきことがたくさんある。
気分にまかせて、不快な態度をとってしまったこと、
感情にまかせて、不適切な言葉を発してしまったこと、
怠心にまかせて、楽な道を選んでしまったこと、
欲にまかせて、害を取り込んでしまったこと、
我にまかせて、人を批難してしまったこと、
屁理屈にまかせて、自分に負けてしまったこと、
思い返すと、キリがないくらいのことがある。

言うまでもなく、私は偉人でもなければ聖人でもない・・・
欠点・短所・弱点がたくさんある、ただの人間・・・
限りある善性と限りない悪性をもつ、ただの人間・・・
これは紛れもない事実ではあるけど、それはそれとして、私には、そんな事を言い、自分を卑下しながらも自分の殊勝さや謙遜さに酔うクセがある。
ただ、そうして自分を卑下しても、それは、ただの自己弁護・自己憐憫。
自分を誤魔化すことにしかすぎず、何の実ももたらさない。
一方、反省は、自分を強くし、賢くし・・・自分を成長させてくれる。
卑下はマイナス、反省はプラス。
「卑下と反省は違う」ということを、自分にわからせると後悔が少し明るくなる。


前にも書いた通り、歳のせいだろう、このところ、“人生の終わり”をヒシヒシと感じるようになってきている。
寂しいような、切ないような、怖いような、緊張するような、そんな気分。
だから、一層、「似たような過ち繰り返すことはしたくない」という気持ちが強くなっている。
併せて、今まで以上に時間の使い方や日常の生き方を意識するようになっている。
幸せに生きるため、楽しく生きるため、快適に生きるため、
目の前に現れる岐路を賢く選択し、目の前に現れる仕事に精一杯取り組み、
飽き飽きするほどの日常を宝とし、退屈するほどの平凡さを喜び、
自分の愚かさを省み、自分の弱さと戦い、
唯一無二の時間を噛みしめながら、その美味を味わいながら、
地味でもいいから、充実した時を生きていきたいと思っている。

そのせいなのかどうなのか、「来年は飛躍の年にしたい」とか「変革の年にしたい」とか、そんな考えは湧いてきていない。
とにかく、平和と平穏と、対自分戦の健闘を願っている。
エキサイティングな日々も面白そうだけど、私のような臆病者には向いてないような気がする(違う意味で、エキサイティング過ぎる日々を送っているけど)。
私が残り少ない人生を充実させるには、激しい荒波より静かな凪が向いているような気がする。

しかし、そんな虫のいい話ばかりではないのが人生。
大小の不安が、常に私につきまとっている。
特に、来年は、不本意な大波がきそうな予感がしないでもない。
それがないにしても、どちらにしても、過去に倣って苦労が多い年になるはず、楽に生きさせてはもらえないはず。
そして、それが吉とでるのか凶とでるのか知る由もないけど、これまで同様、否が応でも、それらに立ち向かっていかなければならない。


「負けるなよ・・・」
私は、薄日差す大晦日の曇空に、諦めにも希望にも似た悟りの心情を重ね、心の中で小さな火を燃やしながら、自分にそう囁いているのである。



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老の行方 ~その二~

2017-03-21 07:40:01 | その他
先月下旬、久しぶりに実家に行った。
数えてみると、両親と顔を合わせるのは三年九ヶ月余ぶりで、
「え!?もうそんなに経った!?」
と、自分でも驚いた。
ただ、よくよく振り返ってみると、それも仕方なかった。
私の仕事は、土日祝祭日も盆も正月も関係なく、私には“盆暮に実家に顔を出す”という習慣がない。
おまけに、私などは、あまり休みをとらないものだから、たまの休暇は自分のことをこなすだけで手一杯で、“親の顔を見に行こう”なんて気は起きない。
せいぜい、一~二ヶ月に一度くらい、様子伺いの電話を入れるくらい。
今回も特段の用があったわけではなく、たまたま仕事のタイミングがよかったのと、老い先短い両親ことが ふと頭に浮かんだからだった。

残念ながら、この歳になっても、私達は決して良好な親子関係ではない。
子供の頃から色々なことがあり、高校生の頃は、かなり親を困らせた。
また、大学を卒業してからこの仕事に就くまでの“修羅場”は、過去のブログに書いた通り。
そして、就業から数年間は絶交状態が続いた。
特に、母親とは折り合いが悪く、大喧嘩をしたことも数知れず。
その度に長い絶交を繰り返してきた。
となると、関係が疎遠になるのは必然。
干渉し合わないことが暗黙のルールのように。
結果、関わることも顔を合わせることも極めて少なくなったのである。

もちろん、私に“親を想う気持ち”がないわけではないし、親も“子(私)を想う気持ち”がないわけではないはず。
親の愛情を感じたこともたくさんあるし、感謝していることもたくさんある。
また、生み育ててもらったことに恩義も感じている。
ただ、私も短所欠点を持つ人間だし、親だって同じこと。
反りが合わないところがあっても不自然ではない。
で、私達親子の場合、それが極端なのである。

父親は齢八十。
手本にしなければならないくらい勤勉な人。
趣味らしい趣味を持たず、タバコもギャンブルもやらず、年がら年中、とにかく働いていた。
ただ、酒は好き。
泥酔したときの悪態はヒドく、子供の頃は、嫌な(恐い)思いをすることが年に数回はあった。
そんな始末だったのに、ある小さな失態がきっかけで、十年くらい前に酒はピタリとやめた(酒の誘惑と毎日戦って勝ち負けしている私は心底感心している)。
酒以外の問題が、もう一つあった
それは女性問題。
私が小学校低学年の頃だったと思うから、もう四十年くらい前になるだろうか、一度、浮気がバレたことがあった。
相手は、水商売の女性とか職場の女性とかではなく、よりによって近所の奥さん! しかも、同じ小学校の友達の母親! 更に、その夫は父の同僚!
この状況を見ただけでも、その後、大騒動になったことが容易に想像できると思う。
(実際、短編ブログが書けるくらいのドラマがあった。リクエストが集まれば「戦う男たち ~番外編~」として書くかも。)
そんな父も、老いて性格もまるくなった。
幸い頭もシッカリしており、車も普通に運転できているし、日常生活で人の手を借りなければならないことはないみたい。
近年は、血糖値が高めで、食事前に薬を飲むようになっているけど、健康寿命を意識して、摂生した食事と適度な運動を心掛け、また、ほとんどボランティアのようだけど やるべき仕事をみつけては積極的に動いているようで、“このまま元気でいてほしい”と願うばかりである。

母親は七十四・・・今年で七十五歳。
裕福な家庭ではなかったため、外で働くことが多かった。
外の仕事と家事・育児を両立し、苦労も多かったと思う。
そんな頑張り屋の母だけど、気性には難がある。
人からよく見られたいものだから、世間的には温厚な人柄で通してきたが、実は、感情の起伏が激しい。
わがままでヒステリックな性格は、年老いた今でも変わらない。
そして、上記の女性問題を今だに根に持っており、父に向かって時々悪態をついている始末。
ま、これも、気持ちが若い証拠、元気の源なのかもしれない。
そんな具合に精神は老いない母だけど、五十代で糖尿病を発症。
インシュリンを打つようになって十年くらいは経つと思うけど、医師も褒めるくらいの自己管理ができているため、それ以上は悪化していない様子。
九年前には肺癌を罹患。
片肺の大半を切除。
それでも、酸素量が不足することはなく、軽登山くらいはできるみたい。
何年か前には小さな再発が見つかったらしいが、進行が極めて遅いし歳も歳だし、医師の指導のもと定期健診だけで済ませている。
もっと柔和な性格になってほしいけど、二つの大病を患っているわりには元気にやれているので ありがたいかぎりである。

今は、二人とも、のんびりと年金生活を送っている。
今のところ、要介護認定の必要もない。
しかし、この先はどうなるかわからない。
仮に、人の手を借りなければ生活できなくなった場合でも、私に、親と同居して世話できる余裕はなく、自宅でポックリ逝くようなことでもないかぎり、いずれは病院や老人施設のお世話になることになるだろう。
そんなことを考えると、「死ぬまでの道程って、なかなか楽じゃないよな・・・」とあらためて思う。

世間の感覚では、死は自然なことだけど、孤独死は不自然なこと。
しかし、私の感覚では両方とも自然なこと。
だから、私は、親が自宅で孤独死することを想像することがある。
冷たいかもしれないけど、ポックリ逝くなら、それも悪くないと思っている。
長患いして苦しんだり、死を待つばかりの病院で、窮屈で退屈な日々に苦悩したりするより、死の間際まで愛着のある我が家で暮らし、ポックリ逝くほうがいいのではないかと思う。
その後、時間経過とともにその遺体が腐ってしまうのは自然なこと、仕方がないこと
その身体がおぞましい姿に変容しようと、肉体は、この世で使った“服”みたいなもの。
人生や生き様が朽ちたものでもなければ、魂・霊・心が現れたものでもない。
だから、発見が遅れてしまっても、そんなに悲しむ必要はない。
更に、その身内には“Spacialな奴”がいる。
現場が“ヘビー級”になっていようとも、そいつが掃除すればいいだけのこと。
もちろん、そうなって欲しいわけでも、親の特掃をしたいわけでもないけど、そんなに悲観はしていない。

この感覚は、周囲には理解できないかもしれない。
そして、世間体も悪いだろう。
亡親は“誰にも看取られず、寂しく死んでいった”と同情されるだろう。
子である私などは“冷たい息子”と揶揄されるかもしれない。
それでも、私は、そうなってもいいから、死の間際まで、健康な日々を、喜びをもって楽しく過ごしてもらいたいと思っている。

ただ、老いるのは、親ばかりではない。
私だって同じこと。
若いつもりでいても、あれよあれよという間に中年になっている。
老い先のことばかり心配して 今を暗く過ごしては元も子もない、されど看過もできない。
人に迷惑はかけたくないけど、老い先ながく生きれば人の世話にならざるをえない状況になる。
その弊害を少しでも小さくするためには、少しでも長く健康を維持し、少しでも大きい財を蓄えることが必要。
だから、日々の食生活や消費生活において、大きなストレスがかからない程度で、自制・摂生を心掛けている。

ありがたいとに、今のところ、私は だいたい健康(だと思う)。
振り返っても、半世紀近く生きてきて、大ケガや大病をしたことがない。
霊柩車には何度も乗ったけど、救急車に乗ったことはない。
入院というものもしたことがない。
若い頃、胃にポリープが見つかったり、暴飲暴食の結果 激太りして肝臓を悪くしたりしたこともあったけど、結果的に大事にはならなかった。
中年になってからも、原因不明の胸痛、腰・股関節・膝の不具合、目眩、蕁麻疹、風邪などに悩まされるくらい。
加齢にともなう衰えや不具合は色々とあるけど、とりあえず、身体は ちゃんと動いている。

それでも、私は、日々着実に老いている。
写真にうつる自分を見れば明らか。
白髪が目立ってきた髪はコシがなくなり、肌から艶やハリは消え、逆に、シミやシワは増えてきた。
肥満ではないはずなのに、皮膚もたるみ気味。
視力も低下。
もともと視力はいい方だったのだけど、だんだんと見えにくくなってきている。
次の運転免許更新時には 引っかかるのではないかと思っている。

一体、私は、この先、どんな老い方をするのだろう・・・
知りたいような、知りたくないような・・・
自分では短命と思っていても、そうなるとは限らない・・・
しかし、下手に長生きして苦労するのも難なもの・・・
そうは言っても早死にしたいわけではない・・・
心身ともに健康なら、長生きしたいような気もする・・・

この私、今しばらくは「中年」でいられるけど、「中高年」「初老」と言われるようになるのは、そう遠いことではない。
もちろん、老いた先に悠々自適な暮らしが待っていれば言うことない。
しかし、現実は、前にも書いた通り、年金だけで生活は成り立たないだろうから、どのみち、死ぬまで働く必要はあるだろう。
ただ、これは私だけの個人的な問題ではなく、これからますます深刻化する人口減少・少子高齢化社会において多くの人が潜在的に抱える共通の問題。
結局、将来、多くの庶民が私と似たような境遇で生きることになるのではないかと思う。
だから、この先、不慮の事故はもちろん、働けなくなるほどの病気やケガに勘弁してもらいたい。
そして、働くに必要なだけの体力と精神力は保っていきたい。

一体、自分は、どこに向かって老いていくのか・・・
どこに向かって老いていけばいいのか・・・
老い先のことを考えると、明るい想像はしにくい。
まさか・・・ひょっとしたら、このまま“特掃おやじ”から“特掃じじい”になるかも?
・・・死ぬまで特掃やらなきゃならないなんて・・・そんな人生、気が沈む。
でもまぁ、こんな仕事でも 悪いことばかりじゃない。
“楽しいこと”“嬉しいこと”“感謝なこと”・・・幸せを感じられることも間々ある(人の不幸を前にして言葉の使い方を間違えているかもしれないけど)。

“特掃じじい”か・・・ここまでくると、この人生は、悲劇を通り越して、もう喜劇。
・・・あまりに滑稽で、何だか笑える。
そうして、くだらないことに笑いながら働き続ける・・・
「これも俺の人生・・・“いい老い方”とは言えないけど、わるい老い方でもないのかもな・・・」
と、まるで趣味嗜好のように、今日も悩みながら生きている私である。


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大心災

2017-03-11 16:35:21 | その他
今日は、2017年3月11日。
あれから六年が経った・・・
“六年”という年月は、長いようで短く、短いようで長い・・・
ある人にとっては長く、また、ある人にとっては短かっただろう。
ほとんど第三者の私が、わざわざこのタイミングを選んで大震災のことに触れるのは“ありきたり”で安っぽいことかも。
また、まるで何かの記念日のように、節目の日だけ感傷に浸っているようで、偽善色を濃くするだけかもしれない。
しかし、地震大国に暮す以上、他人事にはできない現実があるわけで、そこのところを啓蒙するため、また、自分(人)にとって大切なことを訓ずるため、繰り返しになる内容を承知で書こうと思い立った。

被災地に比べれば、私の生活圏はほとんど“無傷”。
当初は色々な不自由が発生したけど、どれもこれも早々に解決。
街にも身体にも心にも、コレといった傷跡は残っていない。
ただ、この小さな一生において、あれほどの出来事に遭遇することは稀だろう。
そして、アノ時の衝撃は、生涯忘れることはないだろう。

大きな揺れがきたのは、アノ日の午後。
隣県某市のゴミ部屋を片付けて帰社して少し後、積んできたゴミを車から降ろしているとき。
“ザーザー”というか“ゴーゴー”というか、それまでに聞いたことがない類の騒音のような異音とともに、立っていられないくらいの揺れが襲ってきた。
そして、それは長く続き、また、大きな余震も何度となくやってきた。

「こりゃ、ただごとじゃないぞ!」
そう思った私は、情報を得るためすぐさま車のTVをON。
すると、どこの局も慌てふためきながら地震を報道。
そのうちに、あちこちの港、街、田畑が津波に襲われる映像が流れてきた。
その映像は、あまりに衝撃的で、
「大事になってる・・・」
と、胸が騒ぎはじめ、少し遅れて嫌な予感もしはじめた。

とにかく、揺れは凄まじいものだった。
本震だけでなく、何度もくる余震の揺れも大きかった。
もちろん、それは、それまでの人生で経験したことがないもの。
私は、仕事を切り上げて一刻も早く家に帰るべきか、それとも、このまま会社に留まっていた方が安全なのか、迷いに迷った。
しかし、いつまでも会社で途方に暮れていても仕方がない。
私は、余震が少なくなるのを待って家路についた。
そして、いつもより時間はかかったけど、無事に帰宅することができた。

TVは、どのチャンネルも地震のニュース一色。
バラエティーやドラマ、CMをはじめ、人の顔からは笑顔まで消えてしまった。
悲惨な津波の映像も繰り返し流された。
そんな中で、まったくの想定外だったのは原発事故。
結果的に、これも大惨事に。
「メルトダウン」「爆発」「核」そんな言葉が飛び交い、私の頭には一抹の不安が過ぎった。

その分野に明るくない私は、「爆発」と聞いてすぐに“原爆(核兵器)”を連想してしまった。
そして、そうなると私の生活圏にも影響は及ぶわけで、不安感は膨らんでいった。
しかし、それとこれとはまったく違うことはすぐに判明。
私は、TVの向こうで忙しそうに働く専門家の説明に胸をなでおろした。

そんな中でもデマは流れた。
そして、身近なところにも、それに踊らされる者がでてきた。
「国は情報を操作している!」
「福島原発から半径300km以内は危険だから西日本へ逃げたほうがいい!」
仕事の関係者の中には(同じ会社の人間ではない)、夜中にもかかわらず、私にそんな電話を入れてきた自称紳士もいた。
「東電の幹部は極秘で西日本に逃げているらしい!」
「私も実家(西日本)に帰るための飛行機をおさえた!」
近所には、そう宣う(のたまう)、オシャベリ好きの自称淑女もいた。

当人達は親切のつもりなのかもしれなかったけど、私は、
「余計なお世話! 逃げたきゃ勝手に逃げろ!」
と不愉快に思った。
もちろん、自分の生活圏にまで及んでくるかもしれない放射線が気にならいことはなかったけど、それにしたってレベルは低いはず。
私は、普段、それよりもっと身体に悪そうなものに遭遇しているわけで、あまり気にならず。
また、こんな私でも“責任”ってものがある。
いきなり仕事を辞めて逃げるなんてことできるわけがない。
だから、回りに騒ぐ輩がいても、行政の指示でもないかぎり自主的に避難する気は起きなかった。

スーパーやコンビニは薄暗く、棚の商品は疎(まばら)に。
それでも、
「口に入れられるものなら イザというときの足しになる・・・」
と、先走る不安感によって、普段なら食べないようなモノでも買い求めた。
GSは長蛇の列で、一台あたりの給油量を制限。
それでも、
「イザというとき車が動かせないとどうにもならないから・・・」
と、燃料が半分以上残っていても、給油できるかどうかわからない列に加わった。

いつ電気がとまってもおかしくない状況は続いた(結果的に、会社も家も長い停電には見舞われなかったけど)。
TVでも、節電が頻繁に呼びかけられた。
「俺一人が節電したって何も変わりはしない・・・」
普段ならそのように思ってしまう私だけど、原発のニュースを目の当たりにすると、
「微力でも協力しないよりはマシ!」
と、積極的に節電する気になった。
それで、寒い中でも暖房はつけず厚着でしのぎ、蛍光灯も最小限に早寝を心掛けた。
ただ、依然として、余震も原発も予断を許さない状況。
一刻を争うようなことが起きないともかぎらず、リアルタイムに情報を得るため、目を醒ましている間 TVだけはずっとつけていた。

震災以降の三月と翌四月、仕事は激減。
世の中、それどころではなかった。
ただ、その状態が長く続くと会社は立ち行かなくなる。
そうなると、当然、そこで働く者も職を失うことになる。
「失業・・・」
そんな不安を抱えながらも何の手を打つこともできず、私は、ただ厚着をして、ひたすら暗いニュースばかりを観ては気分を沈ませていた。

幸い(と言っていいのかどうか、ビミョーな仕事だけど)、五月に入ると少しずつ復調。
飽き飽きしていたはずの“日常”が、ありがたさとともに戻ってきて、とりあえず一息つくことができた。
そして、この六年、山もあり谷もあったけど、何とかこうして生きつないでいる。

しかし、この大震災を越えたからといって、先の心配が消えたわけではない。
「首都直下型地震」「東海地震」「東南海地震」「南海トラフ地震」・・・果ては「富士山噴火」等々、まだまだ色々な惨事が想定されている。
私と関わりが深いのは、「近いうちにくる」「いつきてもおかしくない」といわれて久しい首都直下型地震。
平和な日常にいても、私は、常にこのことを頭の隅に置いている。
だから、家には多めの水や米、生活消耗品等を備蓄している。
また、一都三県、あちこちの街に出かけることが多い私は、大地震が起こり、出先で足止めを喰らって帰れなくなったときのことを想定して、車にも水・非常食・防寒具をはじめとする非常用品を備えている。

その目的は、イザというとき、自分が助かること、自分が生きながらえること。
ただ、同時に、ある想いも沸いてくる。
それは、
「水を欲しがっている人がいたらどうするだろう・・・」
「お腹を空かせている人がいたらどうするだろう・・・」
「寒さに震えている人がいたらどうするだろう・・・」
といったもの。
そして、
「そういった人達に、俺は、自分が持っているモノを分け与えることができるだろうか・・・」
と自分に訊いてみる。
・・・残念ながら、返ってくる答は、
「・・・無理だろうな・・・多分・・・」
といったもの。
もちろん、命にかかわるような緊急事態や極限状態だったら、そんな邪心も消えるかもしれな。
だけど、私だって咽は渇くし腹も減る。
寒ければ身体も凍える。
そして、やはり、私は、自分が大事、自分が可愛い。
「自分を守るために自分で用意したモノを自分のために使って何が悪い」
てな具合に開き直って、自分の行いを“良し”としてしまうのではないかと思う。

ブログでは何かとカッコつけてるけど、私は、結構、冷酷非情な人間。
そこのところは、ある程度 自覚もできている。
そういった性質の悪さが、ときに自分を悩ませ、ときに自分を苦しめることもわかっている。
私が、晴々と生きていけない一因でもあると思う。
その証拠に、飢え渇いている人がいる中で、そういった人達の目を盗んでコソコソと咽を潤し空腹を満たす己の姿を想像すると、何ともおぞましく惨めな気持ちになる。
それでも、その性質の悪さは消えない、変わらない。

「人間なんてそんなもの」
「多かれ少なかれ、皆、似たようなもの」
そうやって、自分を慰め、ごまかしてはいるけど、結局のところ、これは一個人の“愛”の問題。
人のそれとは関係ないし、人と比べて優劣を決める類のことではない。

私の悩みが消えないのは、少しでも自分が楽できる方向へ逃げ回るばかりで、利己に対峙する勇気を持とうとしないから。
私の苦しみが消えないのは、人が本当に大切にしなければならないものを蔑ろにし、大切にする必要のないものに執着するから。
私の心が凍えるのは、人が冷たいからではなく自分が冷たいから。

究極の愛は、“自己犠牲”“利他愛”・・・・・つまり“隣人愛”。
「人に、世に、愛がないのは大きな災い」
例によってカッコつけてるみたいだけど、私は、自戒を込めてそう思うのである。



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努め人

2017-03-03 09:07:23 | その他
暦のうえでは、三月は春。
気象の世界でも三月からは“春”とされるらしい。
しかしながら、春暖は、少しずつやってくるもの。
三月に入ったからといって、急に暖かくなるわけではない。
したがって、今、春になってもまだ寒い日が続いている。

寒暖の苦楽はあっても、春夏秋冬には、四季折々の趣と深い味わいがある。
そういった意味では、寒いことも暑いことも悪くはない。
ただ、日々の生活においては、寒冷より温暖のほうがいいし、暑熱より涼冷のほうがいい。
寒暑の酷は心身に堪えるから。

寒さが堪えるのは起床時。
多くの人がそうだろうけど、あたたかい布団から寒空に出ていくのは なかなかツラい。
あとは、入浴(シャワー)時。
水道光熱費を考えると(←ケチでしょ!)、毎晩、熱い湯に浸かるわけにもいかず、ガタガタと身を震わせながらシャワーを浴びている(当然、湯は出しっぱなしにしない)。
熱い湯に浸かるのは、重労働に疲れたときや、余程 身体が冷えたとき。
それでも、湯量は最低限にし、寝そべるように浸かっている。

汗をかくくらい湯に浸かった風呂上りにはビールでも飲みたくなるけど、冬期において、普段の晩酌でビールはほとんど飲まない。
ハイボールは毎度よく飲むけど、ビールは飲みたくならない。
だから、冷蔵庫には何ヶ月か前のビールがそのまま入れっぱなしになっている。
また、部屋には、あちこちでもらったビールがたまっている。
もちろん、賞味期限が切れる前に飲むつもりだけど、今、無理矢理飲んだりはしない。
暖かく(暑く)なってくると飲みたくなるに決まっているから、それまで待機させておくのだ。

ビールに関してはそんなところだけど、今季は、久方ぶりに“にごり酒”を飲んだ。
ここ数年は、コストと糖分を嫌って遠ざけていたのだけど、「たまにはいいか・・・」「少しならいいか・・・」と飲んでみた。
その様は、ついこの前のブログにも書いたとおりで、やはり格別だった。
私が愛飲している品は、アルコールが15度くらいあるのだけどツンとせず、まるでノンアルコールのように風味は極めて優しい。
だから、チビチビやりながらでも、かなりの量をイってしまう。

放っておくと、そのままズルズルと深みにハマる。
そうなっては、元も子もない。
私は、自制心を取り戻すため、スマホを手に「にごり酒 糖分」で検索。
そこで情報を収集して、にごり酒が自分の身体には不向きな酒種であることを再認識しようとした。
すると、トップ画面の上から四番目に、あるモノが映った。
それは、私自身のブログ。
2007年10月20日更新の、「のんだくれ(前編)」という記事がでてきた。
まったく違う世界を検索したのに、思いもよらず“過去の自分”がでてきて、この寄寓には、我ながらちょっと驚いた(妙に嬉しかった)。

それは自分が書いたもので、わざわざ読む必要もなかったのかもしれなかったけど、「このタイミングで目の前に現れたもの何かの縁」と思い、ホロ酔の頭で読んでみた。
内容は、好物の“にごり酒”について懇々と語ったもの。
読みすすめるうち次第に記憶が甦ってきて、十年近くも前のことなのに、まるで昨日のことのように思い出された。
そして、懐かしさとともに、あまりの進歩・成長のなさに呆れたような笑みがこぼれた。

歳をとるばかりで進歩・成長がない・・・
時の只中にいると、目も前のことを追うばかり、目の前のことに追われるばかりの生活で、無意識のうちに、自分が理想とする生き様とは程遠いに生き方をしてしまう。
そして、過ぎた日々を振り返るたび、「こうすればよかった」「あぁすればよかった」と後悔を繰り返す。
そして、過ぎ去っていく時間の中で、進歩のなさを嘆き、成長のなさを悲しむ。

それでも、日々、生きることに努めている。
「全力」とは言えないまでも、皆、それぞれの立場で、何らかのかたちで働いている。
地味な勤めでも、小さな務めでも、生きる努力をしている。
仕事に勤しむこと、勉学に励むこと、病気と闘うこと、人世に奉仕すること、社会の務めを果たすこと等々・・・
人と比べることなく一人一人の努力に目を向けてみれば、その実の美しさと、それがもたらす素晴らしさに気づくことができる。



昨年12月7日更新「万歳!」に登場した工事現場のガードマンのF氏。
今でも、ウォーキング中に顔を合わせることがある。
仕事中、少し離れたところにいても、私の姿を見るとわざわざ近寄ってきてくれる。
そして、その都度、とりとめもない話題で立ち話をし、日を追ってその深度は増している。

「歳はねぇ・・・え~っと・・・来月で76になるんだ」
「もう、いつ死んでもおかしくないよ」
てっきり60代後半くらいだと思っていた私は驚いた。
そして、“もっと若い”と思っていたことを伝えた。

「体か小さいから、そう(若く)見えるだけだよ」
「よく見れば、歳はわかるよ」
と、年甲斐もなく照れる自分が恥ずかしいのか、モゾモゾと落ち着きなく笑った。
その人柄が微笑ましく思えた私も、笑いながら御世辞じゃないことを伝えた。

「年金だけじゃ生活できないんでね・・・」
「(仕事は)楽じゃないけど、やるしかないもんね・・・」
その境遇が気の毒で切なくも思ったが、決して他人事ではない。
自分の老い先が重なり、私は、恐怖感にも似た緊張感を覚えた。

「若い頃から酒は好きでね・・・」
「今でも25度の焼酎をね、毎晩一合、ストレートでチビチビやるんだ」
日々の楽しみは晩酌だそう。
その“味”を知っている私も大きく頷きつつ、休肝日を一大イベントのようにしている自分に苦笑いした。

「今更やめるつもりはないね・・・」
「この歳まで生きると (余命には)もう関係ないからね・・・」
若い頃は健康のためにタバコをやめようと思ったことはあったけど、結局、やめられず。
F氏に残された時間を考えると、私は、即座に否定はできなかった。

「毎晩一緒に寝てるんだよ~」
「かわいいよぉ~!」
トイプードルを飼っているそうで、大層 可愛がっているよう。
今は亡きチビ犬で同じような思い出を持つ私は、目に涙が滲みそうになるくらい聞き入った。
「縁石に乗り上げて、車をオシャカにしちゃったんだよ」
「もう直せなくて、新しいの買ったんだよ」
近年、全国各地で高齢者運転の車による重大事故が多発している。
とんだ災難だったかもしれないけど、私は他人をケガさせなかったこと、またF氏がケガしなかったことを幸いに思った。

「暑いのも寒いのもツラいけど、どちらかというと寒いほうがいいかな・・・」
「暑いのはどうにもならないけど、寒いのは着込めば何とかなるからね・・・」
職種は違えど、私も一介の肉体労働者。
詳しい説明がなくても、その苦境は充分過ぎるほど理解できた。

「もうすぐお別れだね・・・」
「この現場、三月いっぱいで終わるから・・・」
一昨年12月からの長い現場も、今月末で終わるそう。
今生の別れになるのかどうかわからないけど、私は、少し寂しく思った。

「もう、いつ死んでもいいんだ・・・」
「でも、犬より先に死んじゃいけないけどね・・・」
同意するのは失礼、しかし、安易に否定するのもわざとらしくて不親切。
返事に困った私は、ただただ笑って聞いていたけど、諦めながらも、開き直りながらも、悟りながらも、とりあえず、毎日を直向に生きている姿に敬意を覚えた。



「F氏は将来の自分かもしれない・・・」
そんな風に思うことがある。
老齢で身体が衰えるのはF氏ばかりではなく、私だって同じこと。
筋力が弱まるだけでなく、各所に不具合が起きるだろう。
経済的にもそう。
私だって年金はかけているけど、年金だけでは食べていけないのは その受給金額を試算すれば一目瞭然。
そうなると、何らかの仕事に就いて働き続ける必要がある。
ただ、専門スキルや特別なキャリア、有力な人脈がない一般の高齢者がやれる仕事といったら限られている。
残念ながら、楽な仕事に就ける可能性は低い。
とりあえず、就かせてもらえる仕事があるなら、辛抱してそれをやるしかない。

だからと言って、悲観ばかりしているわけではない。
思いもよらない苦があるけど、思いもよらない楽もあるのが人生。
どんな仕事にせよ、“働ける”ってありがたい。
心身が、働けるくらいの健康を持っているわけだし、それで暮らしも少しは楽になるだろうし。
また、社会参加は健康維持に大きく貢献してくれそうだから。

とにもかくにも、まずは時間を大切に生きていきたい。
心身の健康に留意して歳を重ねていきたい。
と同時に、私は、仕事においては ただの勤め人だけど、人生においては ただならぬ努め人になっていきたいと思うのである。



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