このところ、夜が明ける時間が目に見えて遅くなっている。
それにも増して、夕方の暗くなる時間はもっと早くなっているような気がする。
秋の夕焼けは心に優しいけど、この先には暗くて寒い冬が待っていると思うと気が重い。
しばらく前の寒い季節のことだった。
あまりに前のことで、秋だったのか春だったのかよく憶えてないけど、凍えるほどの寒さではなかったので、真冬ではなかったと思う。
晩秋か初春の頃だっただろうか、そんな季節の出来事。
「遺体からの鼻から血がでて止まらない!何とかして!」
ある日の夕暮れ時、そんな呼び出しがあった。
訪問したのは郊外の一軒家。
急いで現場に向かったものの、私が到着する頃には辺りはとっくに暗くなっていた。
「こんな時間に呼び立ててすいません」
インターフォンを鳴らして玄関前に立つと、中年の男性がそう言って出迎えてくれた。
そして、スリッパをだして私を家の中に招き入れてくれた。
故人は奥の和室に寝かされ、その傍には二人の若い女性が寄り添っていた。
部屋には暑いくらいの暖房がつけられ、腐敗体液のニオイがモァ~ッと充満。
暖められた死臭は独特のニオイに変化し不快さを増していたが、遺族はそんなことは気にも留めていないようだった。
亡くなったのは中年女性。
男性は故人の夫、二人の女性は娘だった。
「鼻血が止まらなくて・・・」
女性は困ったように訴えてきた。
見ると、遺体の鼻からは茶色の腐敗体液が少しずつ出ていた。
二人の女性は、生きている人を介抱するかのように、それを拭き取っていた。
「ちょっと拝見させて下さい」
私は、座り位置を女性と代わって、遺体の傍に正座。
そして、顔を少しだけ故人の顔に近づけて、鼻からの体液漏れを観察。
それは、お腹から上がってきている腐敗体液と思われ、浴衣の襟元と敷布団のシーツまで汚していた。
「失礼します」
私は、故人のお腹(体型)を見るため、上半身の掛布団をめくった。
案の定、故人の腹部は膨脹。
それが生前からの体型ではないことは、他人の私にも分かった。
私は、念のために故人の身体に触れる必要を感じたが、遺族の気持ちを考えて浴衣の上から見るだけにとどめた。
他人にとってはただの死体でも、故人は女性であり、遺族にとっては大事な妻であり母である。
その身体を、どこの馬の骨ともわからない男が無神経に触ることは気持ちのいいことではないはず。
だから、私は、遺族の心象を察して故人の身体を触るのはやめておいたのだった。
「あれ?・・・」
遺体の状態を見ながら処置法を考えていると、普通ならあるものがないことに気がついた。
遺体の腹部にのせられているはずのドライアイスがなかったのだ。
「ドライアイスはなかったですか?」
「あ、ありましたけど・・・」
「それは、どこに?・・・」
「・・・」
遺族は気マズそうに口を閉ざした。
故人を自宅まで運んできた葬儀業者は、確かにドライアイスを置いていったらしかった。
しかし、遺族はそれを故人の身体にあてるのを拒否。
葬儀社の担当者はドライアイスの必要性を説明したが、〝あとで自分達でやるから〟と、強引に断ったらしかった。
ただでさえ、朝晩はだいぶ冷え込む時季。
そんな時に故人の身体をドライアイスで冷やすなんてことは可哀相でできなかったらしい。
それどころか、故人が寒くないようにと暖房をフルにきかせていたみたいだった。
通常遺体の場合、最初に腐り始めるのはお腹(内蔵)と言われる。
だから、遺体の腐敗を遅らせるには、亡くなってからは直ちにお腹を中心とした身体を冷やすことが必要とされる。
暑い夏場はもちろん、この時のような寒い季節でも油断はできない。
身体に残った体温や暖房の温度でも腐敗は進むから。
この故人も、暖房のきいた部屋でドライアイスもあてられずに安置されていたものだから、腐敗が急進行したのだった。
「これから処置をしますが、2~3点、御了承いただきたいことがあります・・・」
私は、それから行おうとする作業が、遺族にとって目触りのいいものではないことを説明した。
鼻からの体液漏れを止めるには、鼻の奥から喉の奥にかけて大量の詰め物を入れる必要がある。
綿の他に何を詰めるかは遺体の状態によって異なるのだが、とにかく、ギュウギュウの詰め物が必要なのだ。
その作業は、見ていてもかなり痛々しいもの。
当然、生きている人だったら耐えられるものではない。
だから、私にとっても遺族にとっても、その辺のところを了解し合っておくことは重要だった。
「よく考えて下さいね・・・後で悔やまないように」
三人の遺族は困った表情を浮かべ、しばらく沈黙。
「きれいにして送ってあげようよ・・・お母さんもそれを望むんじゃないかな」
しばらくして、故人の夫である男性が結論をだした。
ただ、見ているのはツラいので、作業の間は席を外していたいとのことだった。
「そんなに時間はかかりませんから、少しの間だけ待ってて下さい」
私は、遺族の退室を確認してから作業にとりかかった。
処置作業自体の難易度は低く、慣れた作業でもあったため速やかに完了。
すぐに遺族を呼び戻した。
「もう終わったんですか?」
「ええ・・・多分、これで大丈夫だと思います」「よかった・・・」
「ただ、ドライアイスをあてることと部屋の暖房を止めることは必要です」
「そうですか・・・」
「でないと、また同じようなことが起こる可能性が高まります」
「はい・・・」
遺族にドライアイスの使用を了承してもらった私は、早速、その準備にとりかかった。
用意されていたドライアイスは、運搬用の梱包がされたままで浴室に置いてあった。
「では、これからドライアイスをあてますので・・・」
「あ、ちょっと、その前にいいですか?」
「はい?」
「汚れた浴衣をきれいなパジャマに着せ替えたいのですが・・・」
「あ、そうですね」
「時間は大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
その日の仕事はその現場で終わりだった私。
少し腹が減っていたこと以外は急がなければならない用がある訳でもなかったので、遺族の申し出を快諾した。
つづく
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特殊な清掃業務をメインに活動しております。
それにも増して、夕方の暗くなる時間はもっと早くなっているような気がする。
秋の夕焼けは心に優しいけど、この先には暗くて寒い冬が待っていると思うと気が重い。
しばらく前の寒い季節のことだった。
あまりに前のことで、秋だったのか春だったのかよく憶えてないけど、凍えるほどの寒さではなかったので、真冬ではなかったと思う。
晩秋か初春の頃だっただろうか、そんな季節の出来事。
「遺体からの鼻から血がでて止まらない!何とかして!」
ある日の夕暮れ時、そんな呼び出しがあった。
訪問したのは郊外の一軒家。
急いで現場に向かったものの、私が到着する頃には辺りはとっくに暗くなっていた。
「こんな時間に呼び立ててすいません」
インターフォンを鳴らして玄関前に立つと、中年の男性がそう言って出迎えてくれた。
そして、スリッパをだして私を家の中に招き入れてくれた。
故人は奥の和室に寝かされ、その傍には二人の若い女性が寄り添っていた。
部屋には暑いくらいの暖房がつけられ、腐敗体液のニオイがモァ~ッと充満。
暖められた死臭は独特のニオイに変化し不快さを増していたが、遺族はそんなことは気にも留めていないようだった。
亡くなったのは中年女性。
男性は故人の夫、二人の女性は娘だった。
「鼻血が止まらなくて・・・」
女性は困ったように訴えてきた。
見ると、遺体の鼻からは茶色の腐敗体液が少しずつ出ていた。
二人の女性は、生きている人を介抱するかのように、それを拭き取っていた。
「ちょっと拝見させて下さい」
私は、座り位置を女性と代わって、遺体の傍に正座。
そして、顔を少しだけ故人の顔に近づけて、鼻からの体液漏れを観察。
それは、お腹から上がってきている腐敗体液と思われ、浴衣の襟元と敷布団のシーツまで汚していた。
「失礼します」
私は、故人のお腹(体型)を見るため、上半身の掛布団をめくった。
案の定、故人の腹部は膨脹。
それが生前からの体型ではないことは、他人の私にも分かった。
私は、念のために故人の身体に触れる必要を感じたが、遺族の気持ちを考えて浴衣の上から見るだけにとどめた。
他人にとってはただの死体でも、故人は女性であり、遺族にとっては大事な妻であり母である。
その身体を、どこの馬の骨ともわからない男が無神経に触ることは気持ちのいいことではないはず。
だから、私は、遺族の心象を察して故人の身体を触るのはやめておいたのだった。
「あれ?・・・」
遺体の状態を見ながら処置法を考えていると、普通ならあるものがないことに気がついた。
遺体の腹部にのせられているはずのドライアイスがなかったのだ。
「ドライアイスはなかったですか?」
「あ、ありましたけど・・・」
「それは、どこに?・・・」
「・・・」
遺族は気マズそうに口を閉ざした。
故人を自宅まで運んできた葬儀業者は、確かにドライアイスを置いていったらしかった。
しかし、遺族はそれを故人の身体にあてるのを拒否。
葬儀社の担当者はドライアイスの必要性を説明したが、〝あとで自分達でやるから〟と、強引に断ったらしかった。
ただでさえ、朝晩はだいぶ冷え込む時季。
そんな時に故人の身体をドライアイスで冷やすなんてことは可哀相でできなかったらしい。
それどころか、故人が寒くないようにと暖房をフルにきかせていたみたいだった。
通常遺体の場合、最初に腐り始めるのはお腹(内蔵)と言われる。
だから、遺体の腐敗を遅らせるには、亡くなってからは直ちにお腹を中心とした身体を冷やすことが必要とされる。
暑い夏場はもちろん、この時のような寒い季節でも油断はできない。
身体に残った体温や暖房の温度でも腐敗は進むから。
この故人も、暖房のきいた部屋でドライアイスもあてられずに安置されていたものだから、腐敗が急進行したのだった。
「これから処置をしますが、2~3点、御了承いただきたいことがあります・・・」
私は、それから行おうとする作業が、遺族にとって目触りのいいものではないことを説明した。
鼻からの体液漏れを止めるには、鼻の奥から喉の奥にかけて大量の詰め物を入れる必要がある。
綿の他に何を詰めるかは遺体の状態によって異なるのだが、とにかく、ギュウギュウの詰め物が必要なのだ。
その作業は、見ていてもかなり痛々しいもの。
当然、生きている人だったら耐えられるものではない。
だから、私にとっても遺族にとっても、その辺のところを了解し合っておくことは重要だった。
「よく考えて下さいね・・・後で悔やまないように」
三人の遺族は困った表情を浮かべ、しばらく沈黙。
「きれいにして送ってあげようよ・・・お母さんもそれを望むんじゃないかな」
しばらくして、故人の夫である男性が結論をだした。
ただ、見ているのはツラいので、作業の間は席を外していたいとのことだった。
「そんなに時間はかかりませんから、少しの間だけ待ってて下さい」
私は、遺族の退室を確認してから作業にとりかかった。
処置作業自体の難易度は低く、慣れた作業でもあったため速やかに完了。
すぐに遺族を呼び戻した。
「もう終わったんですか?」
「ええ・・・多分、これで大丈夫だと思います」「よかった・・・」
「ただ、ドライアイスをあてることと部屋の暖房を止めることは必要です」
「そうですか・・・」
「でないと、また同じようなことが起こる可能性が高まります」
「はい・・・」
遺族にドライアイスの使用を了承してもらった私は、早速、その準備にとりかかった。
用意されていたドライアイスは、運搬用の梱包がされたままで浴室に置いてあった。
「では、これからドライアイスをあてますので・・・」
「あ、ちょっと、その前にいいですか?」
「はい?」
「汚れた浴衣をきれいなパジャマに着せ替えたいのですが・・・」
「あ、そうですね」
「時間は大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
その日の仕事はその現場で終わりだった私。
少し腹が減っていたこと以外は急がなければならない用がある訳でもなかったので、遺族の申し出を快諾した。
つづく
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