特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

隙間風

2016-04-15 07:02:28 | 特殊清掃

「取り壊す予定のアパートに白骨死体があった」
ある年の初冬、不動産会社から特殊清掃の依頼が入った。
“人の死”に慣れてしまっている私は、寒風吹く曇空の下、事務的に支度を整えて現場に向かった。

現場は木造二階建、“超”がつくほどの老朽アパート。
最後の住人が出て行ってから数年がたち、それからは、誰の手が入ることもなく放置。
雨風に晒されるまま朽ちていき、不気味な様相を呈していた。

そこは都会の一等地。
周辺には住宅やマンションが建ち並び、ハイソな雰囲気が漂っていた。
しかし、そのアパートだけは時代を異にし、周囲の景観を不自然なものにしていた。

遺体を発見したのは、アパートの解体業者。
マンションの建替計画を進めるため、解体調査に入ったときのこと。
妙な異臭がすることを怪訝に思いながら一室ずつ検分し、そして、二階の一室で遺体を発見したのだった。

空家にホームレスが入りこんで生活し、そこで孤独死するケースはそんなに珍しいことではない。
私も、その跡片付けをしたことが何度かあった。
だから、その現場で起こったことも、私にとってそんなに珍事ではなく、私は、乾いた感情をぶら下げて、錆びてボロボロの鉄階段を昇った。

玄関に鍵はかかっておらず。
私は、艶のなくなったノブに手をかけ、軋み音を発するドアをゆっくり引いた。
すると、目の前には、異臭と共に、先の見えない暗闇が現れた。

雨戸が閉められていたため、室内は真っ暗。
所々の隙間から光が差し込んではいたけど、外も曇で陽も弱い。
私は、懐中電灯をポケットから取り出し、スイッチを入れた。

暗闇に気持ち悪さを覚えた私は、玄関ドアが自然に閉まらないよう固定してから奥へと前進。
室内は雨漏りがしていたらしく、天井の一部は剥がれ落ち、畳も腐り、床は抜けそうなくらい軟弱。
そして、部屋には、どこからともなく冷たい隙間風が吹き込んでおり、遺体痕を見る前から私の体温と心温を下げた。

間取りは2DK。
私は、懐中電灯の光を四方八方に回しながら、ゆっくり前進。
年数が経っているわりには異臭濃度は高く、甘く考えて専用マスクを持ってこなかった私の鼻を容赦なく突いてきた。

遺体痕は、奥の和室の片隅にあった。
懐中電灯の光が照らし出したそれは、既にクズ状。
腐敗液・腐敗脂・腐敗粘土をはじめ、頭髪や爪などが残留するのが一般的なのだが(腐乱死体現場を“一般的”と言うのもおかしいけど・・・)、ここの遺体痕は数年が経過しており、元肉体のほとんどが乾燥したクズ状態になっていた。

足元に注意しながら遺体痕の傍に進むと、何かが私の頭に当った。
ドキッとした私が視線を上げると、目の前には一本の電気コード。
天井裏の梁からブラ下ったそれが、私にぶつかった反動で、生き物のようにブラブラと揺れていた。

よく見ると、それは、先端が結ばれて小さな輪がつくられていた。
しかも、そこには、見覚えのある汚れが付着。
似たような光景を何度も見てきた私には、それが“何”であるか、すぐにわかった。

どうみても、それは、首を吊るのに使ったもの。
故人は、自然死ではなく縊死・・・
故人の氏名・年齢・性別はもちろん、死因も知らされていなかった私は、一瞬たじろいだ。

不動産会社が、そのことを知らないわけはなかった。
そして、そのことを私に言わなかったのも意図的だと思われた。
ただ、私は、そのことに引っかかりはしなかった。

それは、私への嫌がらせや酷い悪意からきたものではなく、自殺の事実を嫌悪する気持ちが強いことからきたものだと思ったから。
また、自殺の事実を知ったことくらいでオタオタするほど、特掃隊長の心はあたたかくなかったから。
そして、「それが人間・・・」といった冷めた想いが湧いてきたから。

「自死に対して、嫌悪感や恐怖感みたいなものはまったく感じない」と言えばウソになるけど、実際ほとんど感じない(ある意味、死んだ人間より生きてる人間のほうがよっぽど恐い)。
“祟られる”とか“憑依される”とか、そんな恐怖心もない。
冷酷なのか無慈悲なのか、それとも“慣れ”なのか、この時の私の心は微動したのみで、乾いた溜息をついただけだった。

部屋に生活感はなく、故人の遺留物もなし。
残されたコードと遺体痕だけでは、故人の素性はもちろん、年齢も性別も不明。
当然、自死理由も知れるはずはなかった。

仕事か、金か、健康問題か、人間関係か、プライドか、疲労感か、虚無感か、怠け心か・・・
残念ながら、実際、この世に生きるのがイヤになると思われる理由は、その辺にゴロゴロ転がっている。
私は、その辺のところに想いを巡らせながら、また一つ溜息をついた。

故人は、最期の何日か、何週間か、何ヶ月か、ここで生活したのだろうか・・・
それとも、死に場所を探して入り込み、即座に決行したのだろうか・・・
どちらにしろ、故人は、自分に意思でこのボロアパートを最期の場所に決めたはずだった。

できるだけ人に迷惑を掛けないで済みそうなところを選んだのか・・・
一人静かになれそうなところを選んだのか・・・
その存在が消えた事実に誰も気づかないまま、歳月だけが流れていった。

故人の生い立ちや、最期を迎える気持ちを想像する必要はどこにもないのに、凄惨な場所に一人たたずむ私の頭には、そのことがグルグルと巡った。
そして、そっちに気が引っ張られ、そっちに気持ちが傾いていった。
すると、何とも言えない寂しさが心の内に込み上げてきて、同時に、その心は、部屋の暗闇に侵されるように暗くなっていった。


はたして、自殺者は愚か者なのだろうか・・・弱い人間なのだろうか・・・
もともと、人間は、自分がうぬぼれているほど賢くはないし、自分が信じているほど強くもない。
結局のところ、人間なんて皆、賢さや強さを持ってはいるけど、愚かで弱い生き物でもあるのであり、自殺する人が特別なのではない。

あくまで、「自殺は反対」というスタンスに立った上だけど、私は、自殺を、愚行・蛮行・非行だとは思わない。
“自殺”という死に方に虚しさや寒々しさを覚えることはあるけど、自殺者を嫌悪する感情はない。
死に方は否定するけど、その命と、その人生と、その人は否定しない。

自殺を決行する人の事情や心情を察すると、私は、単なる同情を越えた同志的感情を覚える。
もちろん、それは、“独り善がりの感傷”“その場かぎりの薄っぺらい同情心”かもしれない。
それでも、悩み多き私は、故人の一部を自分に重ね、また、自分の一部を故人に重ね、きわどいところで一対を成す生と死を真摯に直視しようと試みると同時に、このようなことが日常的に起こってしまうこの現実を深々と噛みしめながら、故人の過去と自分の未来をプラスに転じさせようと心を働かせるのである。


世の風、人の風、時の風・・・
今日は今日の風が吹き、明日には明日の風が吹く・・・
人生、生きていれば色んな風が吹く・・・

背中を押してくれる順風・追い風ばかりではない。
進路を阻む逆風・向かい風もある。
心に、冷たい隙間風が吹き込むこともある。

生きることが面倒臭くなるときがある。
生きることに疲れるときがある。
生きることがイヤになるときがある。

それでも、人は生きる。
生きる意味もわからないまま、苦悩を背負い、ただ生きるために生きる。
命は生きるために生まれ、命は生きたがるのだから、命は生かしてやらなければならない。

自分が可愛くて義を欠き、人を裏切ってしまうことはある。
自分が弱くて理を欠き、自分を裏切ってしまうこともある。
しかし、最期の最期まで、命は裏切ってはならないのである。

苦しいのに、辛いのに、悲しいのに、何故、生きなければならないのか。
その答(意味・意義・理由)が見えないからといって、“答はない”と思ってはいけない。
答がわからないからといって、悲観する必要はない。

自分という人間に、自分の人生に、自分の命に答がないのではない。
ただ、自分(人)にそれを解く力と、それを突き止める力がないだけのこと。
頭を抱えるほどの問題ではない。

そのことを謙虚にわきまえれば、答は見えなくても、それに近いものが見えてくる。
苦しみも、辛さも、悲しみも、遭って然るべきことがわかってくる。
そして、心に吹き込んでくる隙間風の冷たさにも、静涙の向こうに見える明日に向かってジッと耐えることができるようになるのである。



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