先月下旬、久しぶりに実家に行った。
数えてみると、両親と顔を合わせるのは三年九ヶ月余ぶりで、
「え!?もうそんなに経った!?」
と、自分でも驚いた。
ただ、よくよく振り返ってみると、それも仕方なかった。
私の仕事は、土日祝祭日も盆も正月も関係なく、私には“盆暮に実家に顔を出す”という習慣がない。
おまけに、私などは、あまり休みをとらないものだから、たまの休暇は自分のことをこなすだけで手一杯で、“親の顔を見に行こう”なんて気は起きない。
せいぜい、一~二ヶ月に一度くらい、様子伺いの電話を入れるくらい。
今回も特段の用があったわけではなく、たまたま仕事のタイミングがよかったのと、老い先短い両親ことが ふと頭に浮かんだからだった。
残念ながら、この歳になっても、私達は決して良好な親子関係ではない。
子供の頃から色々なことがあり、高校生の頃は、かなり親を困らせた。
また、大学を卒業してからこの仕事に就くまでの“修羅場”は、過去のブログに書いた通り。
そして、就業から数年間は絶交状態が続いた。
特に、母親とは折り合いが悪く、大喧嘩をしたことも数知れず。
その度に長い絶交を繰り返してきた。
となると、関係が疎遠になるのは必然。
干渉し合わないことが暗黙のルールのように。
結果、関わることも顔を合わせることも極めて少なくなったのである。
もちろん、私に“親を想う気持ち”がないわけではないし、親も“子(私)を想う気持ち”がないわけではないはず。
親の愛情を感じたこともたくさんあるし、感謝していることもたくさんある。
また、生み育ててもらったことに恩義も感じている。
ただ、私も短所欠点を持つ人間だし、親だって同じこと。
反りが合わないところがあっても不自然ではない。
で、私達親子の場合、それが極端なのである。
父親は齢八十。
手本にしなければならないくらい勤勉な人。
趣味らしい趣味を持たず、タバコもギャンブルもやらず、年がら年中、とにかく働いていた。
ただ、酒は好き。
泥酔したときの悪態はヒドく、子供の頃は、嫌な(恐い)思いをすることが年に数回はあった。
そんな始末だったのに、ある小さな失態がきっかけで、十年くらい前に酒はピタリとやめた(酒の誘惑と毎日戦って勝ち負けしている私は心底感心している)。
酒以外の問題が、もう一つあった
それは女性問題。
私が小学校低学年の頃だったと思うから、もう四十年くらい前になるだろうか、一度、浮気がバレたことがあった。
相手は、水商売の女性とか職場の女性とかではなく、よりによって近所の奥さん! しかも、同じ小学校の友達の母親! 更に、その夫は父の同僚!
この状況を見ただけでも、その後、大騒動になったことが容易に想像できると思う。
(実際、短編ブログが書けるくらいのドラマがあった。リクエストが集まれば「戦う男たち ~番外編~」として書くかも。)
そんな父も、老いて性格もまるくなった。
幸い頭もシッカリしており、車も普通に運転できているし、日常生活で人の手を借りなければならないことはないみたい。
近年は、血糖値が高めで、食事前に薬を飲むようになっているけど、健康寿命を意識して、摂生した食事と適度な運動を心掛け、また、ほとんどボランティアのようだけど やるべき仕事をみつけては積極的に動いているようで、“このまま元気でいてほしい”と願うばかりである。
母親は七十四・・・今年で七十五歳。
裕福な家庭ではなかったため、外で働くことが多かった。
外の仕事と家事・育児を両立し、苦労も多かったと思う。
そんな頑張り屋の母だけど、気性には難がある。
人からよく見られたいものだから、世間的には温厚な人柄で通してきたが、実は、感情の起伏が激しい。
わがままでヒステリックな性格は、年老いた今でも変わらない。
そして、上記の女性問題を今だに根に持っており、父に向かって時々悪態をついている始末。
ま、これも、気持ちが若い証拠、元気の源なのかもしれない。
そんな具合に精神は老いない母だけど、五十代で糖尿病を発症。
インシュリンを打つようになって十年くらいは経つと思うけど、医師も褒めるくらいの自己管理ができているため、それ以上は悪化していない様子。
九年前には肺癌を罹患。
片肺の大半を切除。
それでも、酸素量が不足することはなく、軽登山くらいはできるみたい。
何年か前には小さな再発が見つかったらしいが、進行が極めて遅いし歳も歳だし、医師の指導のもと定期健診だけで済ませている。
もっと柔和な性格になってほしいけど、二つの大病を患っているわりには元気にやれているので ありがたいかぎりである。
今は、二人とも、のんびりと年金生活を送っている。
今のところ、要介護認定の必要もない。
しかし、この先はどうなるかわからない。
仮に、人の手を借りなければ生活できなくなった場合でも、私に、親と同居して世話できる余裕はなく、自宅でポックリ逝くようなことでもないかぎり、いずれは病院や老人施設のお世話になることになるだろう。
そんなことを考えると、「死ぬまでの道程って、なかなか楽じゃないよな・・・」とあらためて思う。
世間の感覚では、死は自然なことだけど、孤独死は不自然なこと。
しかし、私の感覚では両方とも自然なこと。
だから、私は、親が自宅で孤独死することを想像することがある。
冷たいかもしれないけど、ポックリ逝くなら、それも悪くないと思っている。
長患いして苦しんだり、死を待つばかりの病院で、窮屈で退屈な日々に苦悩したりするより、死の間際まで愛着のある我が家で暮らし、ポックリ逝くほうがいいのではないかと思う。
その後、時間経過とともにその遺体が腐ってしまうのは自然なこと、仕方がないこと
その身体がおぞましい姿に変容しようと、肉体は、この世で使った“服”みたいなもの。
人生や生き様が朽ちたものでもなければ、魂・霊・心が現れたものでもない。
だから、発見が遅れてしまっても、そんなに悲しむ必要はない。
更に、その身内には“Spacialな奴”がいる。
現場が“ヘビー級”になっていようとも、そいつが掃除すればいいだけのこと。
もちろん、そうなって欲しいわけでも、親の特掃をしたいわけでもないけど、そんなに悲観はしていない。
この感覚は、周囲には理解できないかもしれない。
そして、世間体も悪いだろう。
亡親は“誰にも看取られず、寂しく死んでいった”と同情されるだろう。
子である私などは“冷たい息子”と揶揄されるかもしれない。
それでも、私は、そうなってもいいから、死の間際まで、健康な日々を、喜びをもって楽しく過ごしてもらいたいと思っている。
ただ、老いるのは、親ばかりではない。
私だって同じこと。
若いつもりでいても、あれよあれよという間に中年になっている。
老い先のことばかり心配して 今を暗く過ごしては元も子もない、されど看過もできない。
人に迷惑はかけたくないけど、老い先ながく生きれば人の世話にならざるをえない状況になる。
その弊害を少しでも小さくするためには、少しでも長く健康を維持し、少しでも大きい財を蓄えることが必要。
だから、日々の食生活や消費生活において、大きなストレスがかからない程度で、自制・摂生を心掛けている。
ありがたいとに、今のところ、私は だいたい健康(だと思う)。
振り返っても、半世紀近く生きてきて、大ケガや大病をしたことがない。
霊柩車には何度も乗ったけど、救急車に乗ったことはない。
入院というものもしたことがない。
若い頃、胃にポリープが見つかったり、暴飲暴食の結果 激太りして肝臓を悪くしたりしたこともあったけど、結果的に大事にはならなかった。
中年になってからも、原因不明の胸痛、腰・股関節・膝の不具合、目眩、蕁麻疹、風邪などに悩まされるくらい。
加齢にともなう衰えや不具合は色々とあるけど、とりあえず、身体は ちゃんと動いている。
それでも、私は、日々着実に老いている。
写真にうつる自分を見れば明らか。
白髪が目立ってきた髪はコシがなくなり、肌から艶やハリは消え、逆に、シミやシワは増えてきた。
肥満ではないはずなのに、皮膚もたるみ気味。
視力も低下。
もともと視力はいい方だったのだけど、だんだんと見えにくくなってきている。
次の運転免許更新時には 引っかかるのではないかと思っている。
一体、私は、この先、どんな老い方をするのだろう・・・
知りたいような、知りたくないような・・・
自分では短命と思っていても、そうなるとは限らない・・・
しかし、下手に長生きして苦労するのも難なもの・・・
そうは言っても早死にしたいわけではない・・・
心身ともに健康なら、長生きしたいような気もする・・・
この私、今しばらくは「中年」でいられるけど、「中高年」「初老」と言われるようになるのは、そう遠いことではない。
もちろん、老いた先に悠々自適な暮らしが待っていれば言うことない。
しかし、現実は、前にも書いた通り、年金だけで生活は成り立たないだろうから、どのみち、死ぬまで働く必要はあるだろう。
ただ、これは私だけの個人的な問題ではなく、これからますます深刻化する人口減少・少子高齢化社会において多くの人が潜在的に抱える共通の問題。
結局、将来、多くの庶民が私と似たような境遇で生きることになるのではないかと思う。
だから、この先、不慮の事故はもちろん、働けなくなるほどの病気やケガに勘弁してもらいたい。
そして、働くに必要なだけの体力と精神力は保っていきたい。
一体、自分は、どこに向かって老いていくのか・・・
どこに向かって老いていけばいいのか・・・
老い先のことを考えると、明るい想像はしにくい。
まさか・・・ひょっとしたら、このまま“特掃おやじ”から“特掃じじい”になるかも?
・・・死ぬまで特掃やらなきゃならないなんて・・・そんな人生、気が沈む。
でもまぁ、こんな仕事でも 悪いことばかりじゃない。
“楽しいこと”“嬉しいこと”“感謝なこと”・・・幸せを感じられることも間々ある(人の不幸を前にして言葉の使い方を間違えているかもしれないけど)。
“特掃じじい”か・・・ここまでくると、この人生は、悲劇を通り越して、もう喜劇。
・・・あまりに滑稽で、何だか笑える。
そうして、くだらないことに笑いながら働き続ける・・・
「これも俺の人生・・・“いい老い方”とは言えないけど、わるい老い方でもないのかもな・・・」
と、まるで趣味嗜好のように、今日も悩みながら生きている私である。
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