特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

勉学の行方

2018-05-15 07:29:12 | 腐乱死体
「しっかり勉強しろ!」
「でないと、大人になって苦労することになるぞ!」
子供の頃、親や教師によく言われた。

小学校のときはトップクラスだった私の成績。
私立中学に入ると“中の上”から“中の下”をウロウロするように。
高額な学費を捻出するための共働きがストレスになっていたのか、両親は、上位にいないことに激怒した。

学期が終わって順位が発表される度に、ひどく叱られた。
そして、自分の努力不足・能力不足が原因とはいえ、その都度 悲しい思いをした。
が、高校に入ると一変。

「高校なんて いつ辞めてもいい」と開き直った。
愚かなことに、虚勢やハッタリではなく、本気でそう思っていた。
で、中退を恐れた親は、成績が悪くても怒ることはなくなった。

そこそこ高いレベルの進学校だったけど、私の成績は下の方。
それでも、実態のともなわない能書きと屁みたいな理屈だけは一人前。
俗にいう「不良」とはタイプの違う“不良”で、教師も その取り扱いに苦慮していた。

それ以降は、これまで何度か書いてきた通り。
三流私大に入り、そこを卒業し、早二十数年、この始末。
無駄な後悔と自業自得の不安に もがき苦しんでいる。



季節は初夏、日中には気温が30℃を超える季節。
とある賃貸マンションで異臭騒ぎが発生。
間もなく、元となった一室で腐乱した遺体が発見された。

応急処置で管理会社が貼ったのだろう、玄関ドアには目張り。
それでも、玄関前には、鼻(腹)を突く異臭が漏洩。
ベランダ側の窓には無数の蠅(今風にいうと“インスタ蠅”)が“黒いカーテン”のごとく集っていた。

私は、預かってきた鍵を鍵穴に差し込み ゆっくり開錠。
周囲に人がいないことを確認して、静かにドアを引いた。
そして、異臭の噴出とハエの脱走を最小限にするため、私は、影のように素早く身体を室内に滑り込ませた。

汚染痕は、重異臭を発生させながら寝室のベッドに残留。
腐敗した肉体は、各種暖色系の色彩を重なり合わせながら人の型を形成。
枕は丸く凹んだままで、まるで そこから生えているかのように頭髪が黒々と残されていた。

ベッドの隅に放られた毛布や枕の下にはウジがビッシリ。
私という天敵に動揺した彼らは、手足のない身体を器用に動かしながら右往左往。
あまりの数の多さに捕獲駆除は諦めざるを得ず、一旦は その逃走を見逃した。

床や窓辺にはハエの死骸がゴロゴロ、蛹(さなぎ)の殻もゴロゴロ。
食糧不足が祟ってだろう、生きているハエも非力。
飛び回る力もないようで、壁や窓にへばり付いているのがやっとのようだった。

羽化していない蛹カプセルの中はクリーム状で、誤って踏んでしまうと床を汚してしまう。
しかし、相手は極小で無数、いちいち避けて歩いていては仕事にならない。
結局、後で掃除するということで、彼らの存在は無視して(ときには踏み潰して)歩を進めた。

部屋は、半ゴミ部屋。
整理整頓も掃除もできておらず、特に、水廻りの汚れは顕著。
亡くなった住人に対して批判的な感情を抱かせるには充分な汚損具合だった。

亡くなったのは40代後半の男性。
私より一つ若く働き盛りの年代。
ただ、私と違うのは一流私大卒であり、かつては一流企業に勤めていたということ。

男性に妻子があったのかは不明。
ただ、最後の数年は一人暮らしで日雇派遣の仕事をしていたよう。
部屋にあった書きかけの履歴書とくたびれた作業着がそれを物語っていた。

男性は、新卒で入った一流企業に二十年近く勤務した後に退職。
出世競争に敗れたのか、職場で不倫でもしたのか、上司に恵まれず窓際に追いやられたのか・・・
以降、職を転々とし、最後は日雇派遣の仕事に就いた。

他県の実家には高齢の両親が健在。
ただ、賃貸借契約の保証人にもなっておらず、相続も放棄するとのこと。
親子関係は、あまり良好ではなかったようだった。

部屋には、故人の学位記(卒業証書)と学位授与式(卒業式)の写真があった。
大学の正門前だろう、写真の中央には、「平成○年○月○○日 ○○大学 学位授与式」と書かれた大きな看板。
そして、その傍らには、若かりし日の故人と その両親らしき男女、正装の三人が笑顔で写っていた。

「皆、嬉しそうな笑顔だな・・・」
「希望に満ち溢れてるって感じだな・・・」
「でも、今となっては ただのゴミが・・・」

最期の一場面だけをみて その人の人生を決めつけてはいけない。
にしても、“他人の不幸は蜜の味”。
私は、深い感慨・・・というか、後味の悪そうな美味を覚えた。

努力して一流大学に入ったことも、頑張って一流企業に勤めたことも、それはそれで素晴らしいこと。
無駄なことは何もなく、晩年の生活ぶりや最期の死に様が否定できるものでもない。
“人生の幸or不幸”は、他人が勝手に想う(判断する)ことはできても、決めることはできない。

にも関わらず、人(私)は、過去と現在を+-で相殺してしまう。
しかも、最期の方が強印象になるため、結果として、“終わり良ければ すべて良し”の逆で“終わり悪ければ すべて悪し”という具合になってしまう。
そして、「不幸な人生、不遇の人生だったんだろう・・・」という風に考えてしまう。

私は、故人の人生と対比して、後悔だらけの自分の人生を肯定し、自分を慰めた。
故人に対して抱いた優越感を美味として味わった。
故人に対して、あたたかく礼儀正しい感情は抱かなかった。

結局のところ、これが“人間”というものなのかもしれないけど、“あるべき姿の人間”でないことくらいはわかった。
けど、“想い”というものは、自分ではどうにもならない・・・感情はある程度コントロールできても、自然と湧いてくる想いはコントロールできない。
他人の不幸と自分の幸せをリンクさせてしまう“人間悪”には、どうにもできないものがある。


私は、努力らしい努力をしてこなかった。
行動がともなわない能書きを垂れ、言い訳にもならない屁理屈をこね、その場その場を誤魔化しながら逃げ回ってきた。
また、能力や根性がないことを棚に上げ、自分の不遇を他人のせい・世の中のせいばかりにしてきた。

勉学の大切さを、努力することの大切さを、もっと若いうちに、学生のうちに気づいていればよかった。
だけど、我々に与えられるのは、過去でも未来でもなく“今”。
後悔は教訓にするしかない。

「自画自賛」と笑われ、「自慢話」と嫌われるのを承知のうえで書く。
中年になり 手遅れの感も否めなかったけど、私は、四十になって一念発起。
仕事の役に立ちそうな、遺族や関係者の役に立つことができそうな資格を取得するための試験勉強を始めた。

仕事をしながらの独学は、意志の強さや自制心、自己管理能力を試されるものだった。
過酷な夏場等、心身ともクタクタに疲れて思うようにできない時もあった。
しかし、苦しみながらも、自分に課した学習ノルマをこなしたときは清々しくもあった。

ありがたいことに、数年がかりで、目指した資格はすべて手に入れた。
二つ目に挑んだ試験の合格通知を受けたときは感謝感激して涙が滲んだ。
ただ、今になると、資格自体にも価値はあるけど、努力したことにはもっと大きな価値があり、努力した時間には更に大きな価値があるように思う。

努力とは、時間や楽しみを犠牲にすることではない。
“今”を充実させること、“今”を精一杯生きること。
そして、引き換えにするものより はるかに価値のあるものを掴むこと。

人生、何かを成し遂げることも大切、何かを残そうとすることも大切。
だけど、その時 その時、“今”をいかに生きるかは、もっと大切。
“人間悪”を寄せつけないくらい まっすぐな情熱をもって自分と向き合い 活きることに努めることは、人生を謳歌する上でとても大切なことのように思う。

卒業写真の親子三人の笑顔を否定できるものは何もない。
今を懸命に生きれば過去は輝き、未来が照らされる。
そして、その人生の輝きはいつまでも失われない。

終わりが近づきつつある私の人生。
半世紀近く使ってきた身体は4S(白髪・シミ・シワ・脂肪)に覆われ、半世紀近く痛めてきた精神は4M(無気力・無思慮・無関心・無感想)に狙われ、輝くには程遠い状態。
それでも、自分次第で、いつでも その内に輝きを放つことはできる。

「努力・忍耐・挑戦 vs 怠惰・逃避・保身」「勝利・強・賢 vs 敗北・弱・愚」、そして、「善 vs 悪」「生 vs 死」。
この歳になっても、まだまだ色んなことを学ばされている私。
“でも、こういう学びが 人生を彩る薬味として、自分を味のある人間にしてくれるのかもしれないよな・・・”と、清々しい気持ちで受け入れているのである。



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