人生は色んな人との出会いと別れの繰り返しである。
私が書く「別れ」だからといって、なにも死別とは限らない。
別れの中の死別はごく一部。
学校・仕事・生活etcを通じて色んな人との出会いと別れがある。
考えてみると、私のような者でも、数えきれない人達との出会いと別れを経ている。
その中でも、一生を通じて付き合える人とはなかなか出会えないでいる。
「この人は一生の友だ!」「ずっと仲良くしていたい!」と、熱くなっていてもそれは一過性のもの。
一時期、どんなに仲良くしていても、学校・会社・住居などの所属コミュニティーを異にすると、またそれぞれに新しい出会いがあって、旧来の人間関係は次第に希薄になっていくパターンが多い。
特に、それ自体が淋しい訳ではないが、人との出会いに早々と別れ想像してしまう自分にどこか淋しさを覚える時がある。
こんな私と同じような経験を持つ人は、少なくないのではないだろうか。
私の場合は生きている人と同じくらい、いやそれ以上に?死んだ人との出会いが多い。
おかしな表現だか、出会う前に別れていると言った方が正確かもしれない、そんな出会いだ。
ある日の午後、特掃依頼の電話が入った。
故人の遠い親戚からだった。
他の仕事を抱えていた私が現場に着いたのは夜だった。
外はもう完全に暗くなっていた。
現場は狭い路地の奥、古い木造アパート。
玄関ドアの前に立っただけで、いつもの腐敗臭がプ~ン。
私は、教わった場所の隠しキーを使ってドアを開けた。
中はかなり暗くて、珍しく不気味さを覚えた。
例によって余計なことは考えないよう努めて私は中に入った。
とりあえず、電気ブレーカーを上げて明かりをつけた。
余談だが、このブレーガーがやたらと落ちやすくて困った。
いきなり落ちて部屋が真っ暗になる度に、心臓が止まりそうになった。
「故人の仕業か?」と、余計なことを考えてしまったものだから、そりゃもう大変だった。
さて、いつもの腐乱現場を想像していた私は驚いた。
床を埋め尽くす程のウジ・ハエの死骸はいいとして、汚腐団が木屑のような粉状のもので覆われていたのだ。
「ん?この状態は前にもどこかで見たことがあるぞ」
よく思い出してみると、死後経過日数がかなり経っていた現場だった。
私は依頼者に電話して、警察が推定した死後日数を尋ねてみた。
「約二ヶ月」
「白骨化していた」
依頼者の返答自体には驚かなかったが、「なんで、そこまで発見が遅れたんだ?」と、そっちの方に驚いた。
現場は住宅が犇めき合っているような所で、同じアパートにも住人はいるのに。
近隣には、随分前から悪臭が漂っていたはずなのに、誰も関わろうとしなかったのか・・・。
私も無用な人間関係を煩わしく感じる(敬遠する)タイプなので、近隣住民を「冷たい」と批判する気持ちは毛頭ない。
ただ、「腐乱臭によく我慢できたな」と、そっちの方に感心した。
他人と関わるより腐乱臭を我慢した方がマシだったのか・・・?
都市部を中心に「地域社会」というコミュニティーも崩れてきているのは事実だと思う。
私もそれに加担している一人。
これも、時代の流れか。
日本は人口が少なくなっていく傾向にあるようだし、人同士の関わり方も浅いものになっている。
その分、出会いと別れの機会もだんだんと少なくなっていくのだろうか。
時が経ってみると、「あの人と出会えてよかった」と思うことより「あの死体と出会えてよかった」と思うことの方が多い現在。
あくまで、「時が経ってみると・・・」だが。
残された人生にも、色々な人・死体との出会いと別れがあるだろう。
それが、いい出会い・いい別れであって欲しいと思う。
そして、死体との出会いがない人が可哀相でもあり羨ましくもある。
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2006-09-02 14:54:09投稿分より
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