特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

マ田力気 ~後編~

2015-11-05 09:11:57 | ゴミ屋敷 ゴミ部屋 片づけ
私には、忘れたい過去でありながらも、忘れてはいけない過去がある・・・
その一つが、引きこもりの経験。
これまで何度か書いてきた通り、この仕事に就く直前、私は、実家に引きこもっていた。
それは、大学卒業後、23歳のとき。
衣食住、家事雑用から生活経費まで、すべて両親が負担。
生産性のあることは何もせず、人目を気にして外出もせず、実家の一室にいるだけ。
ただ飯を食べ、用を足し、寝るだけの毎日を過ごしていた。

PCや携帯はもちろん、自室にはTVもなかった。
(ちなみに、PCや携帯電話が一般に普及したのは、この数年後。)
読書は嫌いだった(今も嫌いだけど)から、本を読むこともなく。
部屋に閉じこもって一日をどう過ごしていたのか・・・細かくは思い出せない。
ただ、当り前の話だが、実家といえども居心地が悪かったことは憶えている。

もちろん、楽しいことなんて何もない。
夢も希望も何もない。
頭に浮かんでくるのはネガティブなことばかり。
危機感、絶望感、劣等感、敗北感、罪悪感、虚無感・・・
自意識過剰、履き違えた自尊心、精神不安定、そして極度の欝状態・・・
上向きなことを考えようとしても気力がともなわず、すぐに萎えてしまっていた。

悩みながら生きることの意味、苦しみながらも生きなければならない理由・・・
そんなことばかりが頭を過ぎる毎日。
そして、そういう状況では、当然、悲観的・否定的な考えばかりが頭に浮かんでくる。
「無理して生きる必要なんかない!」
「誰か俺のこと殺してくれ!」
そんな思いに苛まれて、心を掻きむしっていた。

それでも、私は親の庇護のもと甘い環境に置いてもらっていた。
何もしなくても、とりあえずは食べていけるのだから。
しかし、それは、他人からすると、理解に苦しむ堕落した生活。
そして、それは、とりあえず外に出て、好き嫌いを言わず働けば解決するはずの問題。
にも関わらず、気力が失われていく中で、いつまでも燻ぶっている。
誰がどう見ても、マトモな人間に見えるわけはなかった。

自分でもそれがわかっていた。
だから、余計に落ち込んだ。
それでも、社会に出る勇気が持てなかった。
それよりも、この現実から逃れない・・・生きることの虚無感のほうが圧倒的に強かった。
何故だろうか・・・
そこには、自分の行く手を阻む自分がいたから・・・自分の本心を潰す邪心があったから。

引きこもりって、経済的基盤がないとやれない。
どんなに節約に努めても、生活していくためには金がいる。
そんな私を支えてくれたのは両親。
ただ、実家は、ごく普通のサラリーマン家庭。
決して裕福な家ではなかった。
そこに一人前の御荷物がいるわけだから、親も大変。
経済的なことはもちろん、精神的にもかなりの負担だったはず。
それでも、親として放っておくことができず、先の見えない苦渋の日々に耐えてくれていた。

甘やかしてばかりでは本人のためにならない。
ときには厳しく接することも必要。
しかし、それが吉とでるとはかぎらず、凶とでる場合がある。
私は、明らかにフツーじゃなくなっており・・・厳しく接して社会復帰を果たせればいいけど、ひとつ間違えば生きることをやめる道・・・つまり死を選択する可能性もある。
両親は、それを怖れていた。

もちろん、何もしないでいても退屈な日々ばかりではない。
両親だって、ただの一人間。
忍耐力にも限界があり、堪忍袋の尾が切れることもあった。
当然、私と両親との間には色々なことがあった。
親に苦言を呈され、叱られ、励まされ、慰められ、ときに罵倒され、私の方は、屁理屈で反論し、言葉がなくなると逆ギレし、沈みこみ・・・修羅場は何度となくあった。
ここに書くことも躊躇われるくらい嫌悪する出来事だけど・・・自分だけでなく母親に刃物を向けたこともあった。

しかし、アノ時、一人暮らしで親から経済的援助を受けていたら・・・
誰の目もなく、誰も干渉もなく、毎月そこそこのお金が入っていたら、私もそこから脱出できなかったかもしれない。
そして、私も、故人と同じような道をたどった可能性は充分にある。
それを思うと、とても神妙な気持ちになる。


楽しく生きられない人生に意味はない?
愉快に生きられない人生に意味はない?
幸せに生きられない人生に意味はない?
・・・そんなことはない。
苦楽は表裏一体、泣笑も表裏一体、幸不幸も表裏一体。
時々や瞬間の一面だけをみて軽々しく判断してはならないと思う。

生きていることに素晴らしさを感じることいくつもある。
しかし、私には、他人に「生きていることは素晴らしい!」と言い切れる力はない。
ただ、「生きていることは不思議なこと」とは言える。
そして、「生きるということは面白いこと」とも。
楽しいことも苦しいことも、嬉しいことも悲しいことも、幸せなことも不幸せなことも、全部含めて、本当に、本当に色んなことがあるから。
とにかく、この「面白い」は幸せのベース。
そう感じられないことも多いけど、とにかく、人生は面白いのである。

その一方で、
「そもそも、“生きることの意味”なんて人が考えるべきことじゃないんじゃないか?」
なんて思うこともある。
答があり過ぎて、答がなさ過ぎて、いつまでたっても廻ってばかりだから。
しかし、多分、こうして、生きることの意味を考えながら生きることも、また生きることの大きな意味の一つなのだろうと思う。
だって、それによって、その心は、また一つ、生きてて面白いことを探そうとするのだから。
そして、その種を手にするのだから。

人間の感情なんて、結構いい加減なもの。
ちょっといいことがあると人生バラ色になり、ちょっと悪いことがあると人生真っ暗になる。
しかし、実際は、自分が喜んでいるほど良いことでもなく、自分が嘆いているほど悪いことでもないことが多いのではないだろうか。
そして、そんなことに振り回されながら、泣き笑う・・・それもまた人生の面白みかもしれない。


前編の続きに戻ろう・・・

引き出しの中にあったのは何十通もの手紙。
封筒裏の差出人欄には故人の母親らしき人の名。
顔を合わせたがらない息子(故人)、話をしたがらない息子のことを案じて母親が書いたものだろう・・・
他の郵便物は、部屋中に放り投げてあったのに、この手紙だけは一つの引き出しにきれいに収められていた。

故人は、母親の気持ちがわかっていたはず。
それが重いものであることも。
しかし、どうあがいても、弱い自分を、嫌悪する自分を脱ぎ捨てることができない。
そして、そいつらが社会復帰するために必要な勇気を削ぐ。
その格闘で乾いた心が、また、故人を酒に走らせたのかもしれなかった。

両親は、「本人のためにならない」とわかっていても、故人を突き放す勇気を持てなかったのか・・・
戸惑い、苦悩しながらも、結末が吉ではなく凶とでることを怖れて。
結果、不本意なかたちの生活が終わるより先に、故人の人生が終わってしまった・・・
私は、最初の電話の態度から、男性(父親)が、正体不明の怒りに身を震わせていたことを想像し、自分の過去と重なる他人の人生を憂いた。


私の引きこもり生活は、死体業に就くことによって終わりを迎えた。
そして、それを機に、私は実家を出ることに。
家を離れる日・・・
壊れてバラバラになった生きる勇気をハリボテのように組み立てての再出発・・・
ほとんど投げやり、やけっぱち・・・夢も希望を持てないまま・・・
散々世話になり、散々心配と迷惑をかけたのに、私は礼の一つも言わず、愛想笑いの一つも浮かべず、フテ腐れた態度。
それでも、母は、振り向きもしない私の背中をポンポンと叩き、泣きそうな声を絞りだして「がんばるんだよ・・・」と言ってくれた・・・

あの時、母の言葉は、私の心には響いていなかった。
自分のことばかり考えて、社交辞令的に聞き流していた。
その心は冷たく乾き、人間らしい温かみを失っていた。

あれから23年・・・
少しは人の道がわかってきた。
それでも、私の生きる勇気には傷跡が残っている。
補修はできているが、無傷なものに比べたら壊れやすい。

しかし、あの時の母の言葉は、その後の人生において、何かにつけ壊れそうになる生きる勇気を組み立てなおしてくれているのである。


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