誰も死も、どのような死も、ある人にとっては辛く悲しいもので、ある人にとってはそうとは限らないものでもある。
大方の人はそうであろうと思うが、私にとって若者や子供の死は特に重い!
ちょっと注意。
「老人や中高齢者は、若者や子供と比べると命が軽い」とか「価値がない」と思っている訳ではないので、その辺はくれぐれも誤解のないように。
さすがに、経験豊富?な私でも、子供の腐乱死体にはお目にかかったことはない。
当然、お目にかかりたくもない!!
ただ、そうではない遺体には何度も遭ってきた。
当然のことながら、子供用の布団は大人のものに比べて小さい。
身体が直接見えなくても、小さな布団を見ただけで、気持ちにズシリ!とくるものがある。
そして、掛布団をめくると、小さな子供が眠るように目を閉じている。
死因は、病死・事故死・突然死など色々。
顔色が蒼白の子もいれば、唇が紫色になっているような子もいる。
科学的根拠はないのだろうが、老人の遺体に比べると、子供の遺体は顔色が悪いことが多いような気がする。
そして、その親の嘆き悲しみ様は、とても言葉(文字)では表しきれない。
私にとって、初めての子供遺体は小学校中学年の男児だった。
もらい泣きはしなかったものの、とても複雑な心境になったのを今でもよく覚えている。
片手で持ち上がるくらいの小さな子もいた。
痩せ細って苦悶の表情を浮かべている子もいた。
痛々しいくらいの注射痕・点滴痕がある子もいた。
手術の傷が治りきっていない子もいた。
事故に遭い、身体の損傷が激しい子もいた。
将来の夢を書いている子もいた。
親が我が子の額と自分の額をくっつけて、いつまでも、いつまでも別れを惜しんでいる姿もあった。
幼い弟妹から、「○○ちゃん(兄姉の名前)はどこへ行ったの?」と問われ、返す言葉に詰まったこともあった。
親と一緒に泣いてしまい、仕事にならなかったこともあった。
「人生は細く長い方が良い」とか「人生は太く短い方が良い」とか言うことがある。
この類は、誰しも一度くらいは考えたことがあるのではないだろうか。
人間には生存本能がある。私は思う。人生は太く長い方がいい。
しかし、現実には、長くない人生を送って逝った子供達がたくさんいる。
そしてまた、今日もどこかで人生を終える子供がいる。
私にとって、子供の死に直面するひと時は、生きているのことの夢幻性を強く感じる瞬間でもある。
そして、人間一人一人が生き、生かされていることに、何か意味があるように感じる時でもある。
人生と格闘しているのは、我々大人だけではない。
子供達も、日々、目に見えない色々な敵と闘っている。
そして、死ぬことは敗北ではない。
偽善的かもしれない・・・
でも祈る・・・
天国に行ってくれ・・・。
トラックバック 2006/07/05 08:20:59投稿分より