2015年も、もう師走。
朝晩は、めっきり冷え込むようになってきた。
朝、布団をでるのが億劫だし、外にでても寒さで身体が縮こまってしまう。
だからと言って、ジッとしていてはいけない。
身体に怠け癖がついてしまうし、何より、私の場合は精神がやられるから。
しかし、幸いなことに、ジッとしているヒマはなく、12月は雑用やイベントが多い。
現場仕事はそう忙しくなくても、何かとやることはある。
御歳暮を贈ったり、会社のカレンダーを配ったり、暮の挨拶に出向いたり。
餅つき、クリスマス、正月仕度、大晦日、そして忘年会もある。
(ちなみに、年賀状は出さないから、その準備はない。)
30歳前後の頃は、毎週のように外で飲んでいた私だが、近年、外で飲むことはめっきりなくなった。
余計な金もかかるし、とにかく面倒臭い。
“家飲み”が懐にも身体にも一番優しい。
だから、「外に飲みに行きたい」と思うことはほとんどない。
ところが、そんな私でも、この時季は付き合わなければならない忘年会がある。
先週一回目が終わり、今週二回目が予定されている。
そして、あと一回ぐらいあるのではないかと思う。
ま、どれも社交辞令的な付き合いで行くものだから、飲む量もほどほどにするつもり。
深酒・泥酔しても何もメリットはないから。
しかし、その昔、学生時代は、飲み会のたびに無茶な飲み方をした。
友人宅での宴会の際、客間で吐いたり、バイト先の忘年会の帰りに駅のホームで吐いたり、居酒屋で他校の学生と揉めたり。
社会人になっても、飲酒運転をしたり、タクシーで吐いたり、仲間を連れていった警官に悪態をついたりしたこともあった。
そんな具合に、若い頃は節操なく飲んで、醜態を晒したことが何度となくあった。
ただ、もう、この歳で、若い頃と同じような醜態を晒すわけにはいかない。
そんなの、社会的にも道徳的にも許されないし、身体的にも精神衛生にも害がある。
が、幸い、今の私は、自分で酒量をコントロールできている。
自分と交わした休肝日契約もキッチリ守っているし、ごくたまに、歴史・政治・思想・哲学等の人間論で興奮することはあるけど、酔うことによって機嫌が悪くなることもない。
愉快に騒ぐこともなく、極端にテンションを上げることもなく、一定量を静かに飲むのが私のスタイルだから、油断は大敵ながらもトラブルを発生させるリスクは高くないと思っている。
ただ、そんな私でも“酔い”に頼らざるを得ないこともある。
もともと人づき合いが苦手で、話題をつくることが下手なのに、人とうまく話して楽しい空気をつくらなければならないときがあるのだ。
外での忘年会もそんな感じなのだが、私は、そんなときに酒の力を借りる。
寡黙で口下手なキャラクターを明るく多弁なキャラクターに変えるため、早く酔いが回るようハイピッチで飲む。
そして、ホロ酔いになって口が滑らかになってきたところでペースを落とす。
そして、あとは深酒・泥酔にならないよう、タイミングを見計らって、適宜、ウーロン茶等のソフトドリンクを挟む。
そうすることによって、適度なところに酔いを置き、宴会の雰囲気を壊さないようにするのである。
ある晴天寒冷の日、特殊清掃の依頼が入った。
といっても、誰かが亡くなった現場ではなく、居住中の御宅。
汚れは生活上のものらしかったが、どれほどの汚染なのかは実際に見てみないとわからない。
私は、いつものごとく、事前調査のため現地を訪れた。
依頼者は独居の高齢男性。
男性は、玄関の外にまで出て私を出迎えてくれた。
そして、
「ご苦労さん!ご苦労さん!」
と、Welcomeムードを漂わせながら、初対面の私にもニコニコと笑いかけてくれた。
ただ、少し耳が遠いのか、隣の人が苦情を言ってくるんじゃないかと思うくらい声のボリュームは高め。
しかも、よく笑う人で、とにかく賑やか。
「酒でも飲んでるのか?」と思わせるくらい、事あることに「ガハハ ガハハ」と大きな笑い声をあげた。
現場は老朽マンションの一室。
間取りは1LDK、一人で暮らすには充分な広さだった。
ただ、風呂・トイレ・キッチンシンク等の水廻りはヒドい汚れよう。
足腰が不自由で、普段、掃除なんてほとんどできないらしく、フツーのクリーニング業者では引き受けないくらい重症。
それで、当方に声がかかったようだった。
部屋の見分は10分程度で終了。
水廻りのみの清掃で見積書を作成。
汚れ具合があまりにヒドかったため、作業時間は不確定で、費用も一般のクリーニング代と比べて割高となった。
それでも、男性は、その清掃を私に依頼。
契約は成立となり、作業日時の打ち合わせが済んだところで、現地調査業務は終了となった。
しかし、話はそこからが長くなった。
相手が人生の大先輩ともなると、仕事とは関係ない話をするのが得意(?)になる私。
椅子とお茶をすすめられたこと、そして、次の現場まで時間があることもあって、私は図々しく腰を落ち着けた。
私と男性が腰掛けたのは、台所のダイニングチェア。
そして、目の前のテーブルには、大きめの写真立てが一つ。
中におさまった写真には年齢の異なる男女四人の姿があり、その雰囲気は家族。
印字された年月日は昭和5○年1月○日。
それは、30年余前の正月に撮られた家族写真のようだった。
食卓に飾るにはその写真があまりに古いものだから、私は、気になって目をとめた。
すると、それに気づいた男性は、
「その写真はね、俺の家族・・・イヤ、“元”だね “元”家族・・・ガハハハハ・・・」
「部屋の片付けをしたら、たまたま出てきたんだよね・・・」
「昔のことだから飾るつもりはなかったんだけどね・・・捨てるのもなんでしょ?」
と、別に悪いことをしているわけでもないのに、ちょっと気恥ずかしそうに説明。
そして、
「え~と・・・これは女房、いい女でしょ?」
「これは長女で・・・確か・・・このときは短大の○年生だったな」
「これは次女で高校○年、そしてこれは息子で中学○年」
と、ニコニコ笑いながら、写真の中の元家族を一人一人指差しながら私に紹介。
更に続けて、
「今はもう長女は○○歳で、次女は○○歳で、息子は○○歳になってんだよね・・・もう、みんな、いい歳だよ・・・ガハハハハ・・・」
と、豪快に笑った。
男性が家族と別れたのは30年ほど前。
「なんか悪いことでもしたんでしょぉ~」
と、男性の温度に合わせてジョークっぽく問いかけると
「コレだよ、コレ!」
と、口元に手を近づけ、杯を傾ける仕草をした。
そして、
「コレじゃないよ、コレじゃ!ガハハハハ・・・」
と、立てた小指を私のほうに突き出して笑った。
一緒に笑っていいものどうか迷うところだったが、一人で神妙な顔をするのも空気に合わない。
私は少し遠慮がちに笑みを浮かべ
「そうですか・・・ま、人生、色々ありますよね・・・」
と、声のトーンを落とし、慰めにもならないことを知りつつ、それっぽい言葉をかけた。
正月ということもあってか、写真の家族は皆キチンとした服装。
そして、皆、笑顔。
こちら側でシャッターを押していたであろう男性も、多分、正装で笑っていたと思われた。
たった一枚の写真から受けた印象だけど、男性は、普段から酒癖の悪い亭主・父親だったとは思えなかった。
なのに、酒が原因で別れることになったとすれば・・・
飲酒運転で事故を起こしたとか、酔って傷害事件を起こしたとか・・・
何か、取り返しのつかない大きな問題を起こしたのかもしれなかった。
酔うと気分が大きくなる。
理性や自制心が効かなくなり、剥き出しになった欲望が暴走する。
そして、それが、取り返しのつかない悲劇を生むことがある。
些細なこと、たった一回のことがきっかけで人生が狂ってしまうことがある。
そのことが想像された私の心持ちは急に神妙に。
同時に、野次馬の好奇心が頭をもたげてきた。
しかし、人の心に土足で上がり込むようなマネをしてはならない。
時に、相手の話を聞いてあげることが親切になることもあるけど、ここでは、その判断がつかなかった。
だから、具体的に何があったのかまでは訊かなかった。
結局、男性は、最後まで過去の出来事を口にしなかった。
もちろん、単に初対面の他人に話したくないだけかもしれなかったけど、それよりも、男性は、その出来事を具体的に思い出したくないのかもしれなかった。
ただ、部屋を見渡しても、酒の缶も瓶もなく、酒を飲んでいるような形跡はなかった。
「酒?飲んでない!飲んでない!」
「もともと飲めるほうじゃないし・・・さすがに、そこまでバカじゃないよ」
「でも、バカはバカだな・・・ガハハハハ・・・」
そう言って、男性は、また大声で笑った。
事情から察したところ、男性と元家族にとって、互いの連絡先や居所を知ることはそんなに困難なこととは思えなかった。
が、過去に余程の出来事があったのだろう、男性に連絡をよこす者はなく、もちろん、会いにくる者もいなかった。
また、男性のほうから接触を試みることもしなかった。
「もう、30年会ってないね・・・30年・・・30年・・・」
「俺も、もう長くないだろうし・・・もう、会うことはないね・・・」
男性は、30年余という月日を噛みしめるように、そして、“会いたい”という感情を押し殺すようにそう言った。
家族と別れて30年、男性は、どういう人生を歩いてきたのか・・・
過酷な仕事、定まらない住居、偏見に満ちた社会の目・・・苦難多き人生だったかもしれない・・・
それでも、男性は、笑って生きてきたのかもしれない・・・
心では泣きながらも、笑うことによって自分を保ってきたのかもしれない・・・
そして、そうしないと、生きてこれなかったのかもしれない・・・
・・・そう思うと、男性の笑い声が心の泣き声のようにも聞えて、ちょっと切ない思いがしたのだった。
嫌悪しても過去を消すことはできない。
悔やんでも過去をやり直すことはできない。
望んでも過去を取り戻すことはできない。
時間には、そういう冷酷さがある。
私にも、忘れたい過去、消したい過去はある。
そして、逃げだしたくなるような今と希望を持ちにくい未来がある。
悩みが多いせいか、考えすぎるせいか、気分が暗くなることが多い。
しかし、悔いてばかり、憂いてばかりでは何も変わらない。
微力(無力)な自分でも、できることがある。
それは笑うこと・・・とりあえず、笑ってみること。
気分が暗くなったとき、本心でなくても、作り笑顔でも、何でもいいから、ちょっと笑ってみるといいかもしれない。
ひょっとしたら、それが、暗い心にさしこむ陽になるかもしれないから。
そして、わずかでも、何かを好転させるきっかけになるかもしれないから。
身も凍えるような冬の寒い朝。
気温が同じでも、陽があるのとないのでは体感温度がまるで違う。
同じように、重荷を背負いながら生きる毎日、愉快に生きられない毎日でも、ちょっと笑ってみるだけで心感温度が変わってくるかもしれない。
そして、いつものつまらない毎日が、少し楽しくなるかもしれない。
そう思うと、現場仕事や雑用が待っているばかりで楽しい予定が何もない私の今日一日が、少し楽しいものになるような気がしてくるのである。
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朝晩は、めっきり冷え込むようになってきた。
朝、布団をでるのが億劫だし、外にでても寒さで身体が縮こまってしまう。
だからと言って、ジッとしていてはいけない。
身体に怠け癖がついてしまうし、何より、私の場合は精神がやられるから。
しかし、幸いなことに、ジッとしているヒマはなく、12月は雑用やイベントが多い。
現場仕事はそう忙しくなくても、何かとやることはある。
御歳暮を贈ったり、会社のカレンダーを配ったり、暮の挨拶に出向いたり。
餅つき、クリスマス、正月仕度、大晦日、そして忘年会もある。
(ちなみに、年賀状は出さないから、その準備はない。)
30歳前後の頃は、毎週のように外で飲んでいた私だが、近年、外で飲むことはめっきりなくなった。
余計な金もかかるし、とにかく面倒臭い。
“家飲み”が懐にも身体にも一番優しい。
だから、「外に飲みに行きたい」と思うことはほとんどない。
ところが、そんな私でも、この時季は付き合わなければならない忘年会がある。
先週一回目が終わり、今週二回目が予定されている。
そして、あと一回ぐらいあるのではないかと思う。
ま、どれも社交辞令的な付き合いで行くものだから、飲む量もほどほどにするつもり。
深酒・泥酔しても何もメリットはないから。
しかし、その昔、学生時代は、飲み会のたびに無茶な飲み方をした。
友人宅での宴会の際、客間で吐いたり、バイト先の忘年会の帰りに駅のホームで吐いたり、居酒屋で他校の学生と揉めたり。
社会人になっても、飲酒運転をしたり、タクシーで吐いたり、仲間を連れていった警官に悪態をついたりしたこともあった。
そんな具合に、若い頃は節操なく飲んで、醜態を晒したことが何度となくあった。
ただ、もう、この歳で、若い頃と同じような醜態を晒すわけにはいかない。
そんなの、社会的にも道徳的にも許されないし、身体的にも精神衛生にも害がある。
が、幸い、今の私は、自分で酒量をコントロールできている。
自分と交わした休肝日契約もキッチリ守っているし、ごくたまに、歴史・政治・思想・哲学等の人間論で興奮することはあるけど、酔うことによって機嫌が悪くなることもない。
愉快に騒ぐこともなく、極端にテンションを上げることもなく、一定量を静かに飲むのが私のスタイルだから、油断は大敵ながらもトラブルを発生させるリスクは高くないと思っている。
ただ、そんな私でも“酔い”に頼らざるを得ないこともある。
もともと人づき合いが苦手で、話題をつくることが下手なのに、人とうまく話して楽しい空気をつくらなければならないときがあるのだ。
外での忘年会もそんな感じなのだが、私は、そんなときに酒の力を借りる。
寡黙で口下手なキャラクターを明るく多弁なキャラクターに変えるため、早く酔いが回るようハイピッチで飲む。
そして、ホロ酔いになって口が滑らかになってきたところでペースを落とす。
そして、あとは深酒・泥酔にならないよう、タイミングを見計らって、適宜、ウーロン茶等のソフトドリンクを挟む。
そうすることによって、適度なところに酔いを置き、宴会の雰囲気を壊さないようにするのである。
ある晴天寒冷の日、特殊清掃の依頼が入った。
といっても、誰かが亡くなった現場ではなく、居住中の御宅。
汚れは生活上のものらしかったが、どれほどの汚染なのかは実際に見てみないとわからない。
私は、いつものごとく、事前調査のため現地を訪れた。
依頼者は独居の高齢男性。
男性は、玄関の外にまで出て私を出迎えてくれた。
そして、
「ご苦労さん!ご苦労さん!」
と、Welcomeムードを漂わせながら、初対面の私にもニコニコと笑いかけてくれた。
ただ、少し耳が遠いのか、隣の人が苦情を言ってくるんじゃないかと思うくらい声のボリュームは高め。
しかも、よく笑う人で、とにかく賑やか。
「酒でも飲んでるのか?」と思わせるくらい、事あることに「ガハハ ガハハ」と大きな笑い声をあげた。
現場は老朽マンションの一室。
間取りは1LDK、一人で暮らすには充分な広さだった。
ただ、風呂・トイレ・キッチンシンク等の水廻りはヒドい汚れよう。
足腰が不自由で、普段、掃除なんてほとんどできないらしく、フツーのクリーニング業者では引き受けないくらい重症。
それで、当方に声がかかったようだった。
部屋の見分は10分程度で終了。
水廻りのみの清掃で見積書を作成。
汚れ具合があまりにヒドかったため、作業時間は不確定で、費用も一般のクリーニング代と比べて割高となった。
それでも、男性は、その清掃を私に依頼。
契約は成立となり、作業日時の打ち合わせが済んだところで、現地調査業務は終了となった。
しかし、話はそこからが長くなった。
相手が人生の大先輩ともなると、仕事とは関係ない話をするのが得意(?)になる私。
椅子とお茶をすすめられたこと、そして、次の現場まで時間があることもあって、私は図々しく腰を落ち着けた。
私と男性が腰掛けたのは、台所のダイニングチェア。
そして、目の前のテーブルには、大きめの写真立てが一つ。
中におさまった写真には年齢の異なる男女四人の姿があり、その雰囲気は家族。
印字された年月日は昭和5○年1月○日。
それは、30年余前の正月に撮られた家族写真のようだった。
食卓に飾るにはその写真があまりに古いものだから、私は、気になって目をとめた。
すると、それに気づいた男性は、
「その写真はね、俺の家族・・・イヤ、“元”だね “元”家族・・・ガハハハハ・・・」
「部屋の片付けをしたら、たまたま出てきたんだよね・・・」
「昔のことだから飾るつもりはなかったんだけどね・・・捨てるのもなんでしょ?」
と、別に悪いことをしているわけでもないのに、ちょっと気恥ずかしそうに説明。
そして、
「え~と・・・これは女房、いい女でしょ?」
「これは長女で・・・確か・・・このときは短大の○年生だったな」
「これは次女で高校○年、そしてこれは息子で中学○年」
と、ニコニコ笑いながら、写真の中の元家族を一人一人指差しながら私に紹介。
更に続けて、
「今はもう長女は○○歳で、次女は○○歳で、息子は○○歳になってんだよね・・・もう、みんな、いい歳だよ・・・ガハハハハ・・・」
と、豪快に笑った。
男性が家族と別れたのは30年ほど前。
「なんか悪いことでもしたんでしょぉ~」
と、男性の温度に合わせてジョークっぽく問いかけると
「コレだよ、コレ!」
と、口元に手を近づけ、杯を傾ける仕草をした。
そして、
「コレじゃないよ、コレじゃ!ガハハハハ・・・」
と、立てた小指を私のほうに突き出して笑った。
一緒に笑っていいものどうか迷うところだったが、一人で神妙な顔をするのも空気に合わない。
私は少し遠慮がちに笑みを浮かべ
「そうですか・・・ま、人生、色々ありますよね・・・」
と、声のトーンを落とし、慰めにもならないことを知りつつ、それっぽい言葉をかけた。
正月ということもあってか、写真の家族は皆キチンとした服装。
そして、皆、笑顔。
こちら側でシャッターを押していたであろう男性も、多分、正装で笑っていたと思われた。
たった一枚の写真から受けた印象だけど、男性は、普段から酒癖の悪い亭主・父親だったとは思えなかった。
なのに、酒が原因で別れることになったとすれば・・・
飲酒運転で事故を起こしたとか、酔って傷害事件を起こしたとか・・・
何か、取り返しのつかない大きな問題を起こしたのかもしれなかった。
酔うと気分が大きくなる。
理性や自制心が効かなくなり、剥き出しになった欲望が暴走する。
そして、それが、取り返しのつかない悲劇を生むことがある。
些細なこと、たった一回のことがきっかけで人生が狂ってしまうことがある。
そのことが想像された私の心持ちは急に神妙に。
同時に、野次馬の好奇心が頭をもたげてきた。
しかし、人の心に土足で上がり込むようなマネをしてはならない。
時に、相手の話を聞いてあげることが親切になることもあるけど、ここでは、その判断がつかなかった。
だから、具体的に何があったのかまでは訊かなかった。
結局、男性は、最後まで過去の出来事を口にしなかった。
もちろん、単に初対面の他人に話したくないだけかもしれなかったけど、それよりも、男性は、その出来事を具体的に思い出したくないのかもしれなかった。
ただ、部屋を見渡しても、酒の缶も瓶もなく、酒を飲んでいるような形跡はなかった。
「酒?飲んでない!飲んでない!」
「もともと飲めるほうじゃないし・・・さすがに、そこまでバカじゃないよ」
「でも、バカはバカだな・・・ガハハハハ・・・」
そう言って、男性は、また大声で笑った。
事情から察したところ、男性と元家族にとって、互いの連絡先や居所を知ることはそんなに困難なこととは思えなかった。
が、過去に余程の出来事があったのだろう、男性に連絡をよこす者はなく、もちろん、会いにくる者もいなかった。
また、男性のほうから接触を試みることもしなかった。
「もう、30年会ってないね・・・30年・・・30年・・・」
「俺も、もう長くないだろうし・・・もう、会うことはないね・・・」
男性は、30年余という月日を噛みしめるように、そして、“会いたい”という感情を押し殺すようにそう言った。
家族と別れて30年、男性は、どういう人生を歩いてきたのか・・・
過酷な仕事、定まらない住居、偏見に満ちた社会の目・・・苦難多き人生だったかもしれない・・・
それでも、男性は、笑って生きてきたのかもしれない・・・
心では泣きながらも、笑うことによって自分を保ってきたのかもしれない・・・
そして、そうしないと、生きてこれなかったのかもしれない・・・
・・・そう思うと、男性の笑い声が心の泣き声のようにも聞えて、ちょっと切ない思いがしたのだった。
嫌悪しても過去を消すことはできない。
悔やんでも過去をやり直すことはできない。
望んでも過去を取り戻すことはできない。
時間には、そういう冷酷さがある。
私にも、忘れたい過去、消したい過去はある。
そして、逃げだしたくなるような今と希望を持ちにくい未来がある。
悩みが多いせいか、考えすぎるせいか、気分が暗くなることが多い。
しかし、悔いてばかり、憂いてばかりでは何も変わらない。
微力(無力)な自分でも、できることがある。
それは笑うこと・・・とりあえず、笑ってみること。
気分が暗くなったとき、本心でなくても、作り笑顔でも、何でもいいから、ちょっと笑ってみるといいかもしれない。
ひょっとしたら、それが、暗い心にさしこむ陽になるかもしれないから。
そして、わずかでも、何かを好転させるきっかけになるかもしれないから。
身も凍えるような冬の寒い朝。
気温が同じでも、陽があるのとないのでは体感温度がまるで違う。
同じように、重荷を背負いながら生きる毎日、愉快に生きられない毎日でも、ちょっと笑ってみるだけで心感温度が変わってくるかもしれない。
そして、いつものつまらない毎日が、少し楽しくなるかもしれない。
そう思うと、現場仕事や雑用が待っているばかりで楽しい予定が何もない私の今日一日が、少し楽しいものになるような気がしてくるのである。
公開コメント版
特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター