「今朝ほど、マンションの上から人が転落しまして・・・」
ある日の昼下がり、毎度のごとく会社の電話が鳴った。
私の頭には、男性の次の言葉を待たずして、“自殺”の文字が過ぎった。
「私?・・・私は、ですね・・・」
電話の男性は、管理組合の責任者。
自分の身分を明かし、この役割をやることになった事情を私に説明した。
「明け方、“ゴン!”って鈍い音が響いたんですよ」
故人の縁者ではないからだろう、男性は、淡々とした口調でその時のことを説明。
発生から発見に至るまでの経緯は私の知りたいところではなかったが、とりあえず、一方的に話す男性に合わせて相槌だけ打つことにした。
「遺体は警察が運んで行ったので、あとの掃除をお願いしたくて・・・」
うちが特掃屋だと知った上で連絡してきている男性は、現場の詳細説明を省略。
“詳しいことは現場に来ればわかりますよ”といった雰囲気を漂わせながら話を進めた。
「どのくらいで来ていただけます?」
凄惨な現場を放置したくないのは、当然のこと。
“早めに来てほしい”という要請を受けて、私は、すぐに事務所を飛び出した。
到着した現場は、高層の大規模マンション。
落下地点は、建物の横のくぼんだ部分。
階段の真下に位置し、普段は、設備会社や管理会社の関係者がよく立ち入るスペースだった。
そこは、工事現場にあるような柵とロープで囲われていた。
そして、遺体の主要部分があったであろう中核部分は、ブルーシートで覆われていた。
しかし、骨片・肉片・血液は広範囲に飛散しており、どうやっても隠しきれるものではなかった。
床面には、赤インクをひっくり返したような鮮血。
大小の肉片は壁面にまで飛び散り、細かく粉砕された骨片も無数に散乱。
黄色い脂身に至っては、数メートルの高さにまで撥ね上がっていた。
それは、まさに、熟した果物を床に叩きつけたような状態。
その光景を脳裏から消すため空を見上げると、故人が飛び出したであろう上階が視界に入り・・・
イヤでも、人体がバラバラに砕け散った様が頭に浮かんできた。
そこは、正面玄関からは死角になるところだったが、通りに面した場所。
通りとマンション敷地を隔てるのは、スカスカの生垣のみ。
通りを歩く人の視線が、ダイレクトに届く位置だった。
「ヒドイでしょ?」
一般の人でも、飛び降り現場を見ても動じない人はいる。
この男性もそうで、まるで日常の清掃を依頼するかのように、淡々と現場に立ち会った。
「とりあえず、費用は管理組合が立て替えますので、このままやっちゃって下さい」
管理組合は、かかる費用を故人の遺産から捻出させるつもりで、作業を依頼。
仮に、遺産がなくても、身内の誰かに負担させる算段をしているようだった。
「何かあったんですか?」
通りを歩く人達は、立ち止まったり歩みを遅くしたりしながら、私の作業を見物。
自制心が好奇心に負けるのだろう、中には、私に声をかけてくる人もいた。
「誰かが飛び降りたんですって」
お互い見ず知らずの関係だろうに、無言の私に代わって誰かが説明。
まるで伝言ゲームでもやっているみたいに、人々は口々にそう言っては立ち去った。
野次馬の視線は目障り、野次馬の声は耳障り。
作業の過酷さはミドル級でも、野次馬への忍耐はヘビー級。
私は、完全に見世物になってしまい、気恥ずかしさを通り越した苛立ちを覚えた。
同じ飛び降り現場でも、経過時間によって作業効率は異なる。
時間が経てば経つほど、血液や肉片は乾いて固まり、しっかり付着。
その汚れは、格段に落としにくくなるのである。
しかし、ここは発生から半日も経っておらず。
血液も肉片も半乾きの状態。
その分、作業の難易度は低く抑えられた。
一通りの作業が終わると、私は、男性に現場確認を依頼。
幸い、故人が落ちたことで破損した部分もなく、汚染痕も残らず。
結果、何もなかったかのような状態に戻すことができ、一息つくことができた。
男性は、作業の成果に満足。
丁寧に礼を言ってくれ、私を管理人室に案内。
私の向かいに腰掛け、相変わらずの淡々とした口調で話し始めた。
「ありがとうございました」
「どういたしまして・・・」
「これで、住人の皆さんにも安心してもらえると思います」
「そう言っていただけると、急いで来た甲斐があります」
「それはそうと、(故人は)どうもここの住人じゃないらしいんですよぉ」
「そうなんですか・・・」
「今、警察が身元を調べてますけどね」
「はぁ・・・」
「まったく、いい迷惑です!」
「・・・」
「人気のない崖じゃないんだから、迷惑かかるってわかりそうなもんでしょ?」
「まぁ・・・」
「“下に人がいたら・・・”なんて考えると、ゾッ!としますよ」
「・・・」
「しかし、何でこんなことするんでしょうね・・・」
「・・・」
「そういうお仕事をされてて、何か思うところはないですか?」
「まぁ・・・楽になりたかったんじゃないかと思いますよ」
「楽に?」
「そう、虚しくて疲れるばかりの人生から逃れて楽になりたいんですよ」
「まぁ、“そういう人から見ると、地面が楽園に見える”って話を聞いたことがありますけど、それで、ホントに楽になれるんでしょうか」
「それはわかりませんけど、とりあえず、このツラい現実からは離れられるじゃないですか」
「そりゃそうですけど・・・死ぬ気になれば、何だってできると思いますけどねぇ・・・」
「それは、死ぬことが嫌な人の理論なんですよ」
「そうですかねぇ・・・」
「死を望む人にとっては、死は最悪のことじゃないんですよ」
「そうなんですかぁ・・・だけど、死ぬのって恐くないですか?」
「恐くないわけじゃないけど、生きてく方がもっと恐いわけですよ」
「へぇ~・・・そんなもんなんですかぁ・・・」
男性は、私と同年代。
社会経験もそこそこ積み、独自の人生観も持っていた。
しかし、今まで一度も死願望を持ったことがないらしく、私の説明が、理屈ではわかっても心底の部分では理解できないようだった。
10年くらい前になるだろうか・・・
仕事帰りに、同僚何人かと居酒屋で飲んでいたときのこと。
“自分の死期・死に方”という話題が上ったことがあった。
色々な意見がでたが、結局、ほとんどの人が、“長寿老衰を期待しながらも中年病死を覚悟する”という、非常に無難な結論に着地。
死体業に従事する者ならではの人生観を共有したのだった。
しかし、私は違っており・・・
私は、思わず「いつになるかわからないけど、俺の死に方は、自殺のような気がする」と言ってしまった。
しかし、そんな話を聞かされた仲間は、放っておくわけにはいかない。
「悩み事があるの?」「心配事でもあるの?」等と、心配してくれた。
が、当時、この仕事に就いて数年が経ち、何とか一人前に社会生活を安定させていた私は、特段の問題や悩みを抱えていたわけではなかった。
・・・少なくとも、不安や苦悩は、今よりずっと少なかった。
しかし、何となくそんな気がしたため、とっさにそんなことを口走ったのであった。
生きたいだけの人間に死にたい人間の気持ちはわからない。
生きたいだけの人間は、死にたい気持ちを持ったことがないから。
私は、この仕事をしているから、死願望を持つ人の気持ちがわかるのではない。
私は、持ってしまった死願望を消せない人間だから、同じような人の気持ちがわかるのである。
死にたい気持ちを生きたい気持ちで埋めるのは至難。
だから、死にたい人間の行為は、簡単には止められないのである。
大学を卒業した後、この仕事に就く前、私が強い自殺願望を持っていたことは、以前のブログにも書いたことがある。
死体業に就き、それを何とか捨てることができたつもりではいるけど、完全に捨てきれたわけではない。
自殺願望は死願望にかたちを変え、心の片隅で、燻り続けているのである。
もちろん、今でもそう。
自殺願望はなくなっても、死願望は残っている。
そんな具合だから、特段のことがなくても、夜闇・布団の中で、「このまま逝けたら楽かもな・・・」なんて、すぐに思ってしまう。
「自殺はダメ!!」と訴えていても、我が身を振り返ればいつも崖っ淵なのである。
“死亡率100%”と言われる人間社会において、死の引力は、はかり知れない。
人生に長短はあっても、結局、最期は死に引っ張られていく。
そしてまた、死願望の引力も決して侮れない。
一度持った死願望は、そう簡単には消えない。
影を潜めることはあっても、生涯のどこかに居座り続ける。
そうして、心が弱くなるときを見計らって罠を仕掛けてくる。
しかし、自然の摂理で死ぬまで必死に生きることに、人生の価値と意味がある。
そう簡単に崖下に引きずり込まれるわけにはいかない。
だからこそ、
こうして自分が打っている文字を心に刻みながら、
先に逝った人を想いながら、
今日も、踏ん張っているのである。
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ある日の昼下がり、毎度のごとく会社の電話が鳴った。
私の頭には、男性の次の言葉を待たずして、“自殺”の文字が過ぎった。
「私?・・・私は、ですね・・・」
電話の男性は、管理組合の責任者。
自分の身分を明かし、この役割をやることになった事情を私に説明した。
「明け方、“ゴン!”って鈍い音が響いたんですよ」
故人の縁者ではないからだろう、男性は、淡々とした口調でその時のことを説明。
発生から発見に至るまでの経緯は私の知りたいところではなかったが、とりあえず、一方的に話す男性に合わせて相槌だけ打つことにした。
「遺体は警察が運んで行ったので、あとの掃除をお願いしたくて・・・」
うちが特掃屋だと知った上で連絡してきている男性は、現場の詳細説明を省略。
“詳しいことは現場に来ればわかりますよ”といった雰囲気を漂わせながら話を進めた。
「どのくらいで来ていただけます?」
凄惨な現場を放置したくないのは、当然のこと。
“早めに来てほしい”という要請を受けて、私は、すぐに事務所を飛び出した。
到着した現場は、高層の大規模マンション。
落下地点は、建物の横のくぼんだ部分。
階段の真下に位置し、普段は、設備会社や管理会社の関係者がよく立ち入るスペースだった。
そこは、工事現場にあるような柵とロープで囲われていた。
そして、遺体の主要部分があったであろう中核部分は、ブルーシートで覆われていた。
しかし、骨片・肉片・血液は広範囲に飛散しており、どうやっても隠しきれるものではなかった。
床面には、赤インクをひっくり返したような鮮血。
大小の肉片は壁面にまで飛び散り、細かく粉砕された骨片も無数に散乱。
黄色い脂身に至っては、数メートルの高さにまで撥ね上がっていた。
それは、まさに、熟した果物を床に叩きつけたような状態。
その光景を脳裏から消すため空を見上げると、故人が飛び出したであろう上階が視界に入り・・・
イヤでも、人体がバラバラに砕け散った様が頭に浮かんできた。
そこは、正面玄関からは死角になるところだったが、通りに面した場所。
通りとマンション敷地を隔てるのは、スカスカの生垣のみ。
通りを歩く人の視線が、ダイレクトに届く位置だった。
「ヒドイでしょ?」
一般の人でも、飛び降り現場を見ても動じない人はいる。
この男性もそうで、まるで日常の清掃を依頼するかのように、淡々と現場に立ち会った。
「とりあえず、費用は管理組合が立て替えますので、このままやっちゃって下さい」
管理組合は、かかる費用を故人の遺産から捻出させるつもりで、作業を依頼。
仮に、遺産がなくても、身内の誰かに負担させる算段をしているようだった。
「何かあったんですか?」
通りを歩く人達は、立ち止まったり歩みを遅くしたりしながら、私の作業を見物。
自制心が好奇心に負けるのだろう、中には、私に声をかけてくる人もいた。
「誰かが飛び降りたんですって」
お互い見ず知らずの関係だろうに、無言の私に代わって誰かが説明。
まるで伝言ゲームでもやっているみたいに、人々は口々にそう言っては立ち去った。
野次馬の視線は目障り、野次馬の声は耳障り。
作業の過酷さはミドル級でも、野次馬への忍耐はヘビー級。
私は、完全に見世物になってしまい、気恥ずかしさを通り越した苛立ちを覚えた。
同じ飛び降り現場でも、経過時間によって作業効率は異なる。
時間が経てば経つほど、血液や肉片は乾いて固まり、しっかり付着。
その汚れは、格段に落としにくくなるのである。
しかし、ここは発生から半日も経っておらず。
血液も肉片も半乾きの状態。
その分、作業の難易度は低く抑えられた。
一通りの作業が終わると、私は、男性に現場確認を依頼。
幸い、故人が落ちたことで破損した部分もなく、汚染痕も残らず。
結果、何もなかったかのような状態に戻すことができ、一息つくことができた。
男性は、作業の成果に満足。
丁寧に礼を言ってくれ、私を管理人室に案内。
私の向かいに腰掛け、相変わらずの淡々とした口調で話し始めた。
「ありがとうございました」
「どういたしまして・・・」
「これで、住人の皆さんにも安心してもらえると思います」
「そう言っていただけると、急いで来た甲斐があります」
「それはそうと、(故人は)どうもここの住人じゃないらしいんですよぉ」
「そうなんですか・・・」
「今、警察が身元を調べてますけどね」
「はぁ・・・」
「まったく、いい迷惑です!」
「・・・」
「人気のない崖じゃないんだから、迷惑かかるってわかりそうなもんでしょ?」
「まぁ・・・」
「“下に人がいたら・・・”なんて考えると、ゾッ!としますよ」
「・・・」
「しかし、何でこんなことするんでしょうね・・・」
「・・・」
「そういうお仕事をされてて、何か思うところはないですか?」
「まぁ・・・楽になりたかったんじゃないかと思いますよ」
「楽に?」
「そう、虚しくて疲れるばかりの人生から逃れて楽になりたいんですよ」
「まぁ、“そういう人から見ると、地面が楽園に見える”って話を聞いたことがありますけど、それで、ホントに楽になれるんでしょうか」
「それはわかりませんけど、とりあえず、このツラい現実からは離れられるじゃないですか」
「そりゃそうですけど・・・死ぬ気になれば、何だってできると思いますけどねぇ・・・」
「それは、死ぬことが嫌な人の理論なんですよ」
「そうですかねぇ・・・」
「死を望む人にとっては、死は最悪のことじゃないんですよ」
「そうなんですかぁ・・・だけど、死ぬのって恐くないですか?」
「恐くないわけじゃないけど、生きてく方がもっと恐いわけですよ」
「へぇ~・・・そんなもんなんですかぁ・・・」
男性は、私と同年代。
社会経験もそこそこ積み、独自の人生観も持っていた。
しかし、今まで一度も死願望を持ったことがないらしく、私の説明が、理屈ではわかっても心底の部分では理解できないようだった。
10年くらい前になるだろうか・・・
仕事帰りに、同僚何人かと居酒屋で飲んでいたときのこと。
“自分の死期・死に方”という話題が上ったことがあった。
色々な意見がでたが、結局、ほとんどの人が、“長寿老衰を期待しながらも中年病死を覚悟する”という、非常に無難な結論に着地。
死体業に従事する者ならではの人生観を共有したのだった。
しかし、私は違っており・・・
私は、思わず「いつになるかわからないけど、俺の死に方は、自殺のような気がする」と言ってしまった。
しかし、そんな話を聞かされた仲間は、放っておくわけにはいかない。
「悩み事があるの?」「心配事でもあるの?」等と、心配してくれた。
が、当時、この仕事に就いて数年が経ち、何とか一人前に社会生活を安定させていた私は、特段の問題や悩みを抱えていたわけではなかった。
・・・少なくとも、不安や苦悩は、今よりずっと少なかった。
しかし、何となくそんな気がしたため、とっさにそんなことを口走ったのであった。
生きたいだけの人間に死にたい人間の気持ちはわからない。
生きたいだけの人間は、死にたい気持ちを持ったことがないから。
私は、この仕事をしているから、死願望を持つ人の気持ちがわかるのではない。
私は、持ってしまった死願望を消せない人間だから、同じような人の気持ちがわかるのである。
死にたい気持ちを生きたい気持ちで埋めるのは至難。
だから、死にたい人間の行為は、簡単には止められないのである。
大学を卒業した後、この仕事に就く前、私が強い自殺願望を持っていたことは、以前のブログにも書いたことがある。
死体業に就き、それを何とか捨てることができたつもりではいるけど、完全に捨てきれたわけではない。
自殺願望は死願望にかたちを変え、心の片隅で、燻り続けているのである。
もちろん、今でもそう。
自殺願望はなくなっても、死願望は残っている。
そんな具合だから、特段のことがなくても、夜闇・布団の中で、「このまま逝けたら楽かもな・・・」なんて、すぐに思ってしまう。
「自殺はダメ!!」と訴えていても、我が身を振り返ればいつも崖っ淵なのである。
“死亡率100%”と言われる人間社会において、死の引力は、はかり知れない。
人生に長短はあっても、結局、最期は死に引っ張られていく。
そしてまた、死願望の引力も決して侮れない。
一度持った死願望は、そう簡単には消えない。
影を潜めることはあっても、生涯のどこかに居座り続ける。
そうして、心が弱くなるときを見計らって罠を仕掛けてくる。
しかし、自然の摂理で死ぬまで必死に生きることに、人生の価値と意味がある。
そう簡単に崖下に引きずり込まれるわけにはいかない。
だからこそ、
こうして自分が打っている文字を心に刻みながら、
先に逝った人を想いながら、
今日も、踏ん張っているのである。
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