特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

Photograph

2016-11-25 07:31:10 | 特殊清掃
寒暖の差に振り回されつつ、早、11月も下旬。
今年も、残すところ一ヵ月余り。
昨日と打って変わって、今朝の東京は、気持ちのいい快晴。
しかし、その爽快感をよそに、私は、相変わらず、目眩(めまい)と付き合っている。

この目眩、発症してから三週間経つけど、治る気配はない。
前ブログを書いた前後、二日くらいは治まっていたのだけど、三日目の作業中に再発。
「治った?」と期待したところだっただけに、治っていないことが判明して少し元気をなくしてしまった。
ただ、発症当初のように、天井がグルグル回るようなことや、視界がハイスピードでスライドしていくような深刻な症状はなくなった。
更に、フラつくことに身体も慣れてしまって、結構、うまく操ることができるようになっている。
だから、今は、他に注意しなければならないこともたくさんあるし、目眩は気にしないようにして生活している。

昨日の雪も、目眩を忘れさせてくれた。
それどころか、季節はずれの雪に、私は、ちょっとテンションを上げた。
“雪”というものに、特別な想いがあるわけではないのだが、11月に雪が降るのが珍しくて、何だか新鮮な感覚をおぼえた。
晩秋の街に深々と降り続く雪を見ながら、
「“儚さにこそ輝く風情”ってあるよなぁ・・・」
「道路に積もると困るけど、しばらく降り続いてほしいなぁ・・・」
なんて思ったくらい。
そして、季節の情緒を撮ること多い私は、これもまた一つの想い出にするつもりで、この雪模様をスマホの写真におさめた。

そう言えば、この時代は、写真を撮るということが、随分と日常的になり手軽になった。
今は、スマホを持っていれば、気の向くまま、好きなように撮ることができる。
また、試し撮りもどんどんできるし、気に入らない写真もどんどん捨てられる。
しかし、昔は、写真を撮るにはカメラが必要だった。
しかも、フィルム枚数にも限りがあり、撮影は、特別な日・特別な場面に限られ、写り具合の良し悪しも一発勝負だった。
今思うと、そんな昔が滑稽に感じられる。

私は、自撮り棒を持つほどの写真好きではないけど、どこかに出掛けたときとかは記念に写真を撮ってもらうことがある。
そして、写真の自分を見て思うことがある。
写真の自分は、普段、鏡で見る自分とは、また違う感じ。
ハッキリ言うと、写真の自分は、鏡の自分より老けて見える。
もちろん、この歳になって若いつもりはないけど、写真の自分の老け具合は、その覚悟を越えてしまっている。
「俺って、こんなんなっちゃってるんだ(こんな酷い有様なんだ)・・・」
と、自分だけが一人で歳をとっていくような寂しさ覚えて、ちょっとしたショックを受けてしまう。
だからといって、歳に似合わない若作りをしたってイタイばかり。
写真に写る老顔は事実として素直に受け入れ、それよりも面構え(つらがまえ)を気にするほうに気持ちを切り替えて生きたいと思っている。



郊外の分譲マンションで一人暮らしをしていた老齢男性が亡くなった。
お互い干渉せず、一定の距離をあけた社交辞令的な付き合いをするのが、マンション生活のマナーなのか、近所付き合いもなく、同じマンションに親しい人もおらず。
また、故人は高齢で無職、介護・家事援助サービス等も利用しておらず。
そんな暮らしぶりで、発見がかなり遅れたのだった。

依頼者は、故人の兄。
妻子のない故人にとって、最も近い血縁者。
故人も高齢であり、当然、依頼者(以降、男性)も高齢で、八十を迎えようとしていた。
しかし、男性は、足腰も丈夫で話の受け応えもしっかりしていた。
そして、「血の遠い親族に迷惑は掛けられない」と、率先して事の後始末にあたっていた。

遺体痕は、玄関を入って左側の寝室、ベッドではなくドア付近の床にあった。
視界を和らげるためか、靴が汚れないようにするためか、警察が掛けたのだろう、そこはシーツで覆われていた。
しかし、大量の腐敗液を薄いシーツで隠しおおせるわけはない。
そのシーツ自体も腐敗液を吸いきれず、ほぼ全部が赤黒色の腐敗液に染まった上、濡湿してベトベトになっていた。

そんな状況だから、室内には著しい悪臭が充満。
それは、鍛えられた私の鼻を生々しく突いた後、更に腹までえぐってきた。
また、ウジ・ハエも大量発生。
ただ、その峠は越えており、ほとんどは死骸となって部屋のあちこちに転がり、無数の黒い点になっていた。

汚れたシーツの下からでてきた遺体汚染はミドル級よりもやや重いものだったが、私にすれば見慣れた汚れ。
しかも、ベッドの脚やタンスの下に絡んではいたものの、大半は平な床面に付着。
汚腐呂や汚便所に比べれば、その作業は格段に楽。
腐乱死体痕を見てホッとする自分を妙に思いながら、私は、作業の段取りを頭で組み立てた。

部屋中の建材や家財に浸透付着した悪臭を除去するのは一朝一夕にはいかないけど、腐敗液や腐敗粘度を除去するだけなら、そんなに長い時間は必要ない。
私は、
「フローリングにシミが残る可能性が高いですが、一~二時間もらえれば、ほぼきれいにできると思います」
と説明。
すると、男性は、
「是非、お願いします! このままだと気持ちも落ち着かないので・・・」
「ちょっと持って帰りたいものがあるので、作業の間、私は他の部屋でそれを探しますから」
と、即座に返答。
それを聞いた私の頭には、
“こんなにクサイ中で探し物をするなんて・・・よっぽどの御宝でもあるのかな・・・”
と下衆な考えが浮かんできた。
けど、そんなこと作業には関係ない。
とにもかくにも、話はまとまったわけで、私は、早速、準備を整え、作業に取り掛かった。
そして、我ながら感心するくらいスマートに、遺体痕を消していった。

男性には、どうしても探し出したいモノがあった。
それは、写真。
私が考えていたような金品や貴重品類ではなく、古い一冊のアルバム。
昔の思い出がたくさん詰まったもので、男性にとって大切なモノのようだった。

「しまってありそうなところは見たんですけど、見つからなくて・・・」
「確かに、弟(故人)が持っていたはずなんですが・・・」
「弟にとって大切なものですし、どこかにしまってあるはずなんです」
と、男性は、困惑した表情に寂しげな雰囲気を漂わせながら、そう言った。
「家財を片付ける中で見つかる可能性はあると思いますけど・・・」
「申し訳ないのですが、見つけ出すことを約束することはできません・・・」
「ただ、“見つけ出す努力はする!”ということはお約束できます!」
と、私は、後々のトラブル回避を担保しつつ、できるかぎりの誠意をみせた。

その数日後、家財を片付ける過程でアルバムは見つかった。
それは、問題の部屋に置いてあったベッドの枕元にある小さな引き出しに収まっていた。
かなりの年季が入ったもので、片手で持てるほどの小さなサイズ、ページ数が多くて分厚いもの。
そして、その中にはたくさんの白黒写真が貼ってあった。
私は、それが見つかってすぐにそのことを男性に電話し、現地にやってきた男性に手渡した。

「これ!これ!これを探してたんですよ!」
「どこにありました!?」
「実は、諦めかけてたんですよ・・・」
「よく見つけてくれました!ありがとうございます!」
「いや~・・・ホントに嬉しいなぁ!」
男性は、かなりのハイテンションで喜び、何度も何度も礼を言ってくれた。
一方の私の、男性がそこまで喜ぶことは想定しておらず、少し戸惑いつつも、嬉しさがこみ上げてきた。

男性一家は、両親と男性と弟(故人)と妹の五人家族。
戦後、旧満州から一家で引き上げてきて父親の実家があった町に移り住んだ。
男性は、そのとき小学生。
戦中から戦後にかけて、何もかもが変わった国での新しい生活は、相応の苦労をともなうものだった。
特に、男性の両親をはじめとする大人達は苦労に苦労を重ね、辛酸を舐めるのも日常だった。
しかし、子供達は違っていた。
窮々とした世の中にあっても、悠々と過ごしていた。
貧しさも空腹もそっちのけで、楽しく闊歩していた。
そして、アルバムの写真には、そんな時代の家族や友達が写り、その情景は、白黒にもかかわらず色を感じさせるくらい鮮やかに甦っていた。

撮った経緯、場所、季節、時代、社会、写っている人物等々、男性は、アルバムのページを一枚一枚めくりながら、写真一枚一枚に詰まっている想い出を語ってくれた。
それから、男性は、
「大変な時代でしたけど、この頃は、とにかく元気でしたよ! そして、楽しかった!」
「先の短いじいさんだけど、この写真を見ると、まだまだ楽しく頑張れるような気がしてきますよ!」
と、晴々した表情で笑った。
そして、その精気を見た私は、アカの他人のことながら、長い時空を越えた人生の機微と妙味を懐かしみ、また、深い感慨とともに、自分がたどってきた道とたどっていくであろう道に想いを馳せながら、一度きりの人生(時間)が恐ろしいくらい貴重なものであることを、しみじみと噛みしめたのだった。



私にも、似たような憶えがある。
今は、身体的(健康)不安、経済的(仕事)不安、将来的(老齢生活)不安など、生きていくうえでの不安を多々抱えているけど、子供の頃はそんなものなかった。
育ったのは裕福な家ではなかったけど、身体の心配も、お金の心配も、将来の心配もなく、嫌なことと言えば、学校の授業や宿題、家の手伝いくらいで、多少の見栄はあり世間体も気にはしていたけど、屈託なく気楽・呑気に生きることができていた。
今と同じく臆病で神経質ではあったけど、感受性は豊かで小さな楽しみを大きな喜びに変えることができていた。

しかし、残念ながら、今はもう、アノ頃のような軽い身体や軟らかい感性は失ってしまっている。
人の温かさと世間の冷たさ、生きられる喜びと生活の厳しさ、人の成功と自分の失敗・・・
努力の夢と不確実さ、忍耐の期待と報われなさ、挑戦の果実とリスク・・・
・・・そんなものに志を託し、裏切り裏切られ、疲れ老い、身体は重くなり、感性は固くなってしまっている。
それでも、ここまで生きてきた・・・
こうして生きている・・・
そして、これからも生きられる限り生きる。

「アノ頃はよかったなぁ・・・」
と、過去を羨むのではなく、
「アノ頃は楽しかったなぁ・・・」
と、過去を喜び、今と未来の糧にしたい。
そしてまた、二度とない今日 一度きりの今日、未来の自分を励ますことができるようなPhotographを残したい。

そのために、私は、目の前のことを頑張れるだけ頑張りたい・・・
頑張れないことが多いのも現実だけど、それでも、頑張りたいという思いは持ち続けていたいと思っているのである。



特殊清掃についてのお問い合わせは
0120-74-4949

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