【霊告日記】第一回 北一輝の霊告「大海ニ波立ツ如シ」
北一輝(明治16年4月3日―昭和12年8月19日)
2・26事件直後警視庁に出頭した際警視庁写真班が撮影
昭和11年2月28日午後1時、北一輝は自らの日記帳に最後の霊告の文字を記した。大きな文字で、大海ニ波立ツ如シ、と。「大海ニ波立ツ」とはどのような意味の比喩であろうか。大海は、時代の深層とも、民衆の無意識とも、思想家の精神の真髄とも、どのような解釈も可能であろう。だが、大海は、時間空間を超越した地球時間の永遠とも解釈できるし、現代にまで射程を伸ばすならば地球全体を覆うWEB空間とみなすことも可能である。
大海と聞いてまず私が思い浮かべるのはロートレアモンである。この引用は、そのままで北一輝の霊告の正確無比の注釈になっている。
年老いた海原よ、おまえは自己同一のシンボルだ、いつも自分自身と一致している。おまえは本質的に変わってしまうことはなく、おまえの波はどこかで猛り立っていても、遠く離れたほかの海域では完全な静寂の中にある。おまえは人間のようではない。奴らは二匹のブルドッグが首に噛みつき合っているのを見るためなら道のまん中に立ち止まるくせに、葬式が通る時には止まりはしない、今朝つきあいがよかったかと思うと、夕方には機嫌が悪い。今日笑っているかと思うと、明日は泣くのだ。おれはおまえに敬礼する、年老いた海原よ!
(渡辺広士訳『マルドロールの歌』ロートレアモン)
あるいはランボーだ。
見つけたぞ。
何をだ? ――永遠だ。
太陽に溶け込んでいる
海だ。 1872年5月
(小林秀雄訳「永遠」A.ランボー )
】大海ニ波立ツ如シ 北一輝 【
「霊告日記」第四冊最終頁・昭和11年2月28日
この後、霊告を続けることは北一輝にはできなかった。昭和11年2月28日午後3時頃、憲兵隊の手で逮捕され、翌年の夏北一輝は処刑されてしまったからだ。いま北一輝の霊は安心立命して沈黙を願っているであろうか。そうではあるまい。北一輝の意志は霊告の続行を求めている。それはほとんど私の確信である。
もし他に誰も引き受け手がいないのなら(現に今迄引き受け手はいなかった!)、誰よりも北一輝の意志と気概を熟知している私が名乗りを上げ、霊告の続行を引き受けよう。そのように考え思念してこの霊告シリーズを発案した。
「大海ニ波立ツ如シ」とは最後の言葉ではありえない。それは始まりの言葉である。最初の著書『来たるべきアジア主義』を公開したばかりの私にとって、今日こそ真の始まりの日であると思っている。最初の書で何が足りなかったのか、言い残したことは何か。そのような問いと共に、本当の言葉、真実の言葉、最初の言葉が探求される。そしてその探求に終わりはありえない。
ハンス=ゲオルグ・ガダマーは、ソクラテス以前の哲学者についての講義の中で「始まり」の真の意味について「多くの継続が可能であること」と解釈を施し、次のような補足説明を試みている。
或る事の始まりが知られるということは、その事がその青春期において、つまり、人間の生涯において、具体的な特定の発展の歩みがまだ成し遂げられていない段階を意味する青春期において、知られることを言うのです。若者は不確かではありますが、同時に自分の前にあるさまざまな可能性に対して全力を尽くそうという熱意を感じているのです。この類比は、最初に未決定のまま開かれており、まだ固定していない方向性が次第にますます明確性を増して具体化の道を辿る一つの運動を暗示するのです。
(箕浦恵子/國嶋貴美子訳『哲学の始まり』ハンス=ゲオルグ・ガダマー)
ロートレアモンとランボーによって真の青春の可能性が切り開かれた。その可能性は北一輝によって引き継がれた。人類の青春相続人は誰か? いま問われているのは、そのような問いである。今後「霊告日記」を毎週金曜日午前十時に連載することに致します。ご期待下さい。
夏の海。
デュカスをのせた船は、モンテヴィデオへと向かう。
あらゆるものが漂流する場所、夏の海。
デュカスは、その航海で、ありとあらゆるものを見た。
パリの一室にこもって、やがて
彼は自分の見たものを記すことになろう。
が、しかし、ここもまた電子の海である。
あらゆる人が、想念が、漂流可能なのだ。
(「非ユークリッド文学宣言」より)
【反撃のミッドナイトブルー】
■『来たるべきアジア主義』は世界を変えるための書物です。この本は無償で公開します。
アジアの新しい歴史の創造を祈念しつつ。⇒ 【来たるべきアジア主義】
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なぜならば、ロートレアモンやランボー、ドストエフスキー・北一輝・橋川文三といったそうそうたる星座がこの舟を導いてくれているからです。
マックスさんのご健闘を祈ります。