好日9 アメリカとの決別
欧米と一口に言うけれども、欧州、とりわけ西欧とアメリカでは、なにかが違う。それも些細な違いではなく、文明そのものが根底から異なっている気がする。私がこういうことを考えたのは、イラク戦争を巡っての西欧とアメリカの対応の違いが見えたのがきっかけになっている。単なる政策の違いといったレベルにとどまるのではなく、人間観・歴史観をも含む、根本的には文明そのものの違いが露呈されたのではないかという直観があった。
西欧とアメリカの文明の違いは、根本的にはどういうところにあるのか。それは近代に入る以前に〈ルネサンス〉を経験したかどうかが決定的であると思う。「アメリカとの決別」という言葉を発する私の志にあるのは、この〈ルネサンス〉という経験の尊重、ないしは〈ルネサンス〉の叡智の獲得である。
エルンスト・カッシラーの『英国のプラトン・ルネサンス』は最近読んだ中で最も目を蒙かされた書物である。その内容を簡単に述べるならば、プラトンが〈ルネサンス〉に精気を吹き込み、プラトン哲学がフィレンツェ・アカデミーの中で復活し、やがてシェイクスピアや啓蒙思想にまで影響を及ぼしてゆく。そうした経緯が精神史の光景として描かれているのであった。
プラトンとシェイクスピアを繋ぐ糸をついに見つけたという感動は大きかったが、それ以上に〈ルネサンス〉の精神の中心にプラトンが鎮座しているという発見は衝撃的であった。科学と宗教の壮大な規模での邂逅と融和を説くのが、プラトン哲学の着地点であり、それこそ世界史レベルに於ける〈寛容の精神〉の獲得に他ならなかったのである。
転機は、誰の人生にも突如としてやってくる。きっかけはさまざまであっても、世界が違ったように視え、ものごとが異なったふうに感じ取られる。それが〈新生〉である。晩年のバルトのエッセイに〈新生〉という言葉がキーワードのように用いられ、バルトの思索と生活はこの〈新生〉という概念を巡って展開していた。
ところで、バルトの〈新生〉は、『失われた時を求めて』という作品を書いたプルーストにモデルを持っていた。作家にとって、いままで誰も書いたことのない新しい作品を書くことが〈新生〉であると、バルトは主張する。プルーストにとっては『失われた時を求めて』という作品を書くことが〈新生〉であった。プルーストの人生は、〈ルネサンス〉の理念の反復ではなかったか。
バルトの死はプルーストの人生の反復の試みの挫折であった。
プラトンの〈新生〉はソクラテスの死の日から始まっている。
ラザロの〈復活〉はキリスト〈復活〉の序曲であった。
「アメリカとの決別」という言葉を、私がいま発する時、それは単なる政治的発言ではない。〈ルネサンス〉の精神を、日本人が真に獲得し、世界に実現できるかどうかを問題にしている。それは、「アメリカには無理だが、日本ならやれる」そういう自信を、文学・思想・政治のすべての領域で獲得できるかどうかを問うているのだ。生命の呪文として、「アメリカとの決別」という言葉を、私はあなたへ投げ付けよう。お別れだ、友よ。
「ところで、まだ前夜だ。生気と真の愛情の流れ入るのをくまなく受け入れよう。夜明けに、おれたちは、焼けつくような忍耐で武装して輝く町へ入ってゆこう。」(アルチュール・ランボー『地獄の一季節』「別れ」高橋彦明訳)
アルチュール・ランボー 最も高い塔の歌 金子光晴訳
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます