【霊告月記】第五十七回 紫式部のDNA
来月の第三土曜日にある研究会で研究報告を行う。タイトルは「紫式部のDNA」にするつもりだが最終決定はまだだ。報告の準備にいまとても忙しい。コロナ禍のパンデミック二波が来るかもしれない状況なので研究会が無事ひらかれるかどうかも定かではない。しかし準備だけは万端ととのえておきたい。研究会の報告で引用する予定の三つの著作を紹介しておく。下の三冊だ。
1 宮嶋繁明『橋川文三 野戦攻城の思想』
2 子安宣邦『日本人は中国をいかに語ってきたか』
3 野口あや子『くびすじの欠片』
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1 宮嶋繁明『橋川文三 野戦攻城の思想』は弦書房より今月下旬に刊行される。宮嶋繁明は学生時代に橋川文三に師事した。この書は橋川文三研究家としての宮嶋繁明の決定的な到達点を示すものと言えよう。弦書房のホームページにはこの書の紹介が次のように述べられている。簡にして要を突いた紹介文である。必読を請う。
「戦後日本の最大の思想的課題は、日本を敗戦にまで突き進ませた「ナショナリズム(昭和超国家主義)」の解明だと言われました。橋川文三(1922〜1983)はそのテーマに正面から取り組み、自身の戦争体験をふまえてその課題の本質を初めて示したことで知られています。独学者として野戦攻城を続けるごとく思索の旅を続け、極めてオリジナリティの高い精神史を紡ぎ出したその足跡を克明にたどる力作評伝です。さらに橋川を知ることは丸山眞男、柳田国男、吉本隆明、鶴見俊輔、三島由紀夫、竹内好らの精神を考えることでもあります。」
ちなみに昨年11月に私は近代の超克をテーマに研究発表を行ったがその冒頭で橋川文三を論じたことがある。来月の報告はその続編にあたる。
※参考☛ 宇波彰現代哲学研究所HP
2 子安宣邦『日本人は中国をいかに語ってきたか』
中国語に翻訳された子安氏の書 ☛
子安宣邦の『日本人は中国をどう語ってきたか』は青土社から2012年の11月に刊行された。この書が中国語に翻訳され子安宣邦作品集の5冊目の本として昨月に中国で出版されたのである。子安氏のこの書を目下私は再読しつつあるのであるが、子安氏が論じた対象の原典にも当たり自分なりの原典理解を持った上で、子安氏の論点を批評してみたいと思っている。したがって次月の私の研究会での報告は子安氏の『日本人は中国をどう語ってきたか』という著作の研究が中心となる見込みである。
3 野口あや子歌集『くびすじの欠片』
今回の報告の準備として俵万智の『恋する伊勢物語』を読み始めている。俵万智は現代語訳の『伊勢物語』を著している。古典の現代語訳はめずらしいことではないが、俵万智訳の伊勢物語のオリジナリティは作品中の和歌をすべて現代語の五七五七七の短歌に翻訳していることだ。これは国文学者には逆立ちしてもできない芸当であって、俵万智によって歌物語としての『伊勢物語』が21世紀の現代に初めて蘇ったのだと言っても過言ではない。
時代の最先端を走る歌人野口あや子の存在を知ったのは下の動画によってである。さすが短詩形文学で鍛えられているだけあって最初に野口のあいさつに魅せられた。あいさつのために選び取られた言葉の簡潔さ新鮮さはどうだ。素晴らしいの一語である。俵万智に関しては挨拶やホスト短歌の寸評に見られるごとく既に巨匠の風格を漂わせている。俵万智の発するすべての言葉が歌になっている。
野口あや子や俵万智を私は紫式部のDNAを受け継いだ人として研究会で報告しようと思っている。その内実はもっか鋭意準備中であるがあと一か月半かけて中身を深めていき立派な報告をしたいと願っている。以上
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】 野口あや子の霊告 【
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