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【ダンスポ】No.32 亜細亜維新の会、党名変更を検討=「維新48」へ。

2014年06月03日 06時00分00秒 | ★第一篇 断トツに面白いダンスポ

№32 【断トツに面白いダンスポ】
■亜細亜維新の会、党名変更を検討=「維新48」へ
(ダンボール新聞社 2013-06-26 08:44:00 ) 

亜細亜維新の会共同代表の意志原氏と橋元氏は本日未明都内某所で緊急の記者会見を開き、これまで使用してきた「亜細亜維新の会」の党名変更を参院選後に検討すると発表した。改名検討に至る経緯は以下の通り。

この会見にはダンスポ編集長のダンボール氏も立ち会った。ダンボール氏と橋元市長とは学生時代から旧交を温めた旧知の仲とのことであるが、詳細は不明である。

亜細亜維新の会が都議選の惨敗(当選合計2名!)から立ち直れないまま、一ヶ月後の参院選をどう戦えばいいか、幹部にもこれといった名案が浮かばない状態が続いていた。「このまま逆風が続けば都議選と同じく参院選も惨敗必至だ」と維新関係者のあいだにも急速に動揺の声が広がり始めていた。

ダンボール氏は、「一昨日、橋元さんから〝元気がなくなりました。何も食べられません〟と電話があった。都議選惨敗を気にして思い悩んでいるようだった」と話している。24日夜にはダンボール氏の元へ意志原慎太郎氏から「橋元君の携帯に電話してもつながらない。思いつめていなければいいが」と相談があったという。

ダンボール氏はそこで橋元市長に党名の変更を検討するよう提案した。「亜細亜維新の会」の名称を捨て、参院選終了後の然るべき時期に「維新48」で再スタートしたらどうかとアドバイスした。党名変更は維新国会議員48名以上の当選が前提になる。

一晩考えて橋元市長は改名を決断。意志原代表に相談して賛同を得た。維新は2トップが決断したら後は早い。こういうこと維新はさすが素早い対応ができる政党である。維新伝心でどんどん物事が進んでいく。

まず幹部会で了承。末端の組織でも次々と政党名改称を歓迎する決議が続き、本日の「亜細亜維新の会」解消、「維新48」へと改名決定の発表の運びとあいなったのである。

亜細亜維新の会は7月20日に行われる参院選の候補者として48名の名簿を公表。来たる参院選では候補者48名全員の当選をめざす。それによって「維新48」の名称と実質を一挙に獲得することを目指すこととした。

なお維新では、これまで「弱い」とされてきた日本の外交政策について「アジア主義」の理念と理想を高く掲げると発表した。記者会見の席上、「アジア主義」とは何かという記者の質問に対して橋下氏は例の激しい口調でまくし立てた。

 
□■□■ 橋元市長記者会見 □■□■

 ~~ 維新48はアジア主義の旗を高く掲げよ ~~
 
         維新48  不動のセンター ハシモト・トオル氏
         

記者:維新の掲げる「アジア主義」について詳しくご説明願えませんでしょうか。

橋元市長:詳しい説明はこんな場では言えませんよ。研究してないわけじゃないですよ。でもアジア主義っていったら有名でしょう。記者の皆さん、知らない方いないでしょ? え、あなた知らないの。勉強して下さい。今後は維新の記者会見でアジア主義に関して何も知らない方は発言してもらっては困ります。だって理念=理想としてのアジア主義が何かなんて、とっくに解き明かされてるじゃないですか。いいですか。正しい歴史認識を持つことによって、そのことによってのみ我々は未来を解き放つ力を手に入れることができるのです。その意味で歴史は未来を拘束する力なんです。この点で私も説明の努力が若干足りなかったことは認めます。そうですね。竹内好なら「近代の超克」と「日本のアジア主義」は必読文献です。橋川文三ならば北一輝についての三論文「北一輝と大川周明」「北一輝と高畠素之」「北一輝と宋教仁」は重要です。皆さんは必ず読んでおいて下さい。もしかして竹内好や橋川文三をまだ一度も読んだことのない記者さんがいるんでしょうか? もしそうなら日本の将来が不安になります。皆さん、歴史認識をもっと深めましょうよ。

橋元市長:ちょうど良い機会ですので、従軍慰安婦問題と並んで大きな歴史認識の課題とされている南京事件について私の考えを述べておきます。私は歴史家ではありません。しかし政治家として行動する際に、その前提としての南京事件に関する歴史認識はどのようなものであるか。それをあらかじめ示しておきたいというのが、今回またもや懲りずに歴史的イシューである南京事件まで語ろうとする動機です。

橋元市長:「支那事変」の経過についてここで述べますと、昭和十二年七月に始まったいわゆる盧溝橋事件の後、戦火は上海に拡がり、中国軍の抗戦は大いに日本軍を脅かしました。しかし十一月五日の杭州湾上陸の後、中国軍は上海を退き、十二月十三日、日本軍は南京を占領し、そこで当時世界を驚かせるような虐殺事件をひきおこしたのです。少し前のことになりますが、鈴木明氏の『南京大虐殺のまぼろし』が出ており、いわゆる「南京虐殺」が今では証拠曖昧な幻のようなものになっていることを説いています。しかし佐々木到一氏の『ある軍人の自伝』があり、石川達三氏の『生きている兵隊』があり、『松井石根日記』があり、また当時朝日新聞にいた今井正剛氏が書いています。それが或は総数三十万人と推定しているのが不正確であろうとも、当時すでに世界に拡がったニュースをただ不思議なニュースとして無視することは許されないはずです。少し奇妙な話ですけれども、たとえば田中上奏文の実在に疑いをもち、従ってその前後関係から生じた日本の大陸侵略がありえなかったと論ずる人がいるとすれば、誰しも怪訝な思いがするはずでしょう。南京虐殺についても同じように考えていいはずであると僕は考えています。以上です。

※注※この記者会見時における橋元市長の南京事件についての歴史認識は橋川文三氏に負うところが大きい。『昭和思想集2 』(筑摩書房刊)橋川文三「解説」参照 by 編集部

橋元市長:アジア主義に関して言うならば、我々政治家がなすべきことは、その理念=理想をいかに実現していくか。具体的な方策の提示を行う。これに尽きます。理念=理想が解き明かされたからといって、その理念=理想を実現する具体的な方法&手段が提示されなかったら、所詮それは絵に描いた餅に過ぎません。

橋元市長:真正アジア主義は太平洋戦争終結いらい現在に至るまで絵に描いた餅に過ぎなかったんです。今日この日からそれは絵ではなくなります。その歩みが本日からスタートするのです。維新候補者48名が全員当選したら我々は党名も「維新48」に変更して再出発します。期待してください。この日本どうにかしなけりゃいけませんよ。我々は今後アジア主義の旗を高く掲げて戦っていきたいと思っています。

橋元市長はこのように力強く言葉を結んで会見を閉じたのであった。亜細亜維新の会、果たして48名全員当選して、「維新48」にバージョンアップなるか。あぁ! 滔天三十三年の夢よ! (文責:つむじ風のジョー) 


【反撃の南十字星】 すべてのアジア主義者に告ぐ!  これは命令である! 最初の指示である!

この歌を心に秘め 直ちにアジアに進撃せよ!   維新48・不動のセンター ハシモト トオル


【反撃の快傑ハリマオ】 ハリマオ、南へ アジア主義宣布の航海に


※断トツに面白いダンスポ」は、5月2日より6月13日まで、ダンボール新聞社によって配信されている連載小説です。一話完結を心がけてはいますが、それまでの流れを追わないと分からない、一つの記事だけでは了解しにくい謎の部分を含んでいます。DJ小説ですので、音楽を主体に聴き、文章の部分は多少分からない部分があっても、気にしないで読み飛ばす、という手もあります。ダンスポ全文の目次はこちらです↓ (文責;ダンスポ編集部)
これは便利 『断トツに面白いダンスポ』全四十三編 目次&本文へのリンク

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『アルトー24時 再び』 脚色・構成・演出 芥正彦
於:東京芸術劇場 2014年5月29日~6月1日

 狂気の天才 芥正彦氏の肖像   
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