馬場あき子の外国詠 20(2009年8月)【牛】『ゆふがほの家』(2006年刊)94頁~
参加者:N・I、Y・I、泉可奈、S・S、T・S、曽我亮子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
163 カトマンズ今宵満月顔白く牛ら遊行す巷ひろらに
(レポート)
今宵、カトマンズは満月である。今、牛たちは、その大きな顔に満月の月明かりを受けて、街道をゆったりゆったり歩いている。「遊行す」「巷ひろらに」がミソである。(T・H)
(まとめ)
牛の顔が白いのは満月に照らされているせいであろう。「遊行」は、仏教用語で「僧が修行・説法のために諸国を巡りあるくこと」の意味だが、「巷ひろらに」歩いている牛たちを遊行ととらえたところが優れている。月光に照らされて歩む牛たちは聖なるものの原点のようだ。ゆるやかな調べであるが格調が高い。ところで、同じ旅行詠中ムスタンでもニルギリの満月を詠っているので、別の日に満月ということは現実にはないのだが、詩的真実として受け取っておく。「顔白く牛ら遊行す」という情景はどうしても満月でないと成立しないだろう。(鹿取)
参加者:N・I、Y・I、泉可奈、S・S、T・S、曽我亮子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
163 カトマンズ今宵満月顔白く牛ら遊行す巷ひろらに
(レポート)
今宵、カトマンズは満月である。今、牛たちは、その大きな顔に満月の月明かりを受けて、街道をゆったりゆったり歩いている。「遊行す」「巷ひろらに」がミソである。(T・H)
(まとめ)
牛の顔が白いのは満月に照らされているせいであろう。「遊行」は、仏教用語で「僧が修行・説法のために諸国を巡りあるくこと」の意味だが、「巷ひろらに」歩いている牛たちを遊行ととらえたところが優れている。月光に照らされて歩む牛たちは聖なるものの原点のようだ。ゆるやかな調べであるが格調が高い。ところで、同じ旅行詠中ムスタンでもニルギリの満月を詠っているので、別の日に満月ということは現実にはないのだが、詩的真実として受け取っておく。「顔白く牛ら遊行す」という情景はどうしても満月でないと成立しないだろう。(鹿取)