かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 84

2020-09-03 20:49:51 | 短歌の鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究⑩(13年11月)
     【からーん】『寒気氾濫』(1997年)36頁~
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明(紙上参加)、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター 渡部慧子    司会と記録:鹿取 未放


84 湯を溢れさせいるはかの妣(はは)ならんバスクリンの湯溢れつづける

      (レポート)
 「バスクリンの」「湯を溢れさせ」ている人がいて、それは「かの妣(はは)」だろうという。「かの」とは存命中の母の失敗談として同様のことがあったのかもしれない。現在「溢れつづける」単純な事実を「妣」がそうさせているのだろうと虚構を用いる。「かの」は〈あの〉よりも文語的表現であり、「妣」の表記と共にこの部分に一首の味がある。(慧子)


     (記録)
 ★書き落としましたが、「妣」は「亡き母」という意味だそうです。(慧子)
 ★私は別に失敗とかは思わなくて、亡くなったおかあさんがきてバスクリンのお湯に浸
  かって楽しそうにお湯を溢れさせているという設定。「批ならん」って推量なので、
  お湯のあふれる音だけを聞いているんですね。そしてさっきバスクリンを入れたけど、
  そのお湯があふれ続けているなあって。温泉かなんかでもたっぷりのお湯を溢れさせ
  る時の豊かな、幸せな気分。(鹿取)
 ★「かの」を辞書で引いたら以前に何かがあったことをいう語とあったので、こんなふ
  うな失敗があったのかと思ったのです。(慧子)
 ★「かの」はここでは「妣」に掛かっています。だから内容までは含みません。英語で
  も話題に初めて出てきた人やものを指す冠詞と既知の人や物を指す冠詞は違うでしょ
  う。それと同じで、ここでは特定の(幾度も話題にのぼっている)「かの」妣なわけ
  です。歌の解釈としてお母さんの失敗談を想像してもかまわないけど、「かの」から
  それを引き出すのは違います。(鹿取)

コメント
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