ブログ版清見糺鑑賞 25回 罪と罰
鎌倉なぎさの会 報告 鹿取 未放
172 川とともに人のくらしがありし日の窈窕として河口堰見ゆ
かりん2001年全国大会
この歌は、一転、日本の川である。しかし、七月にロシアへ行って、八月の大会に出した歌だから、ヴォルガ河やモスクワ川を見た体験からの思索から導かれた歌だろう。野菜を洗う、種籾を浸ける、鍋や農具を洗う、洗濯をする、水浴びをする、日本の川もかつてはそんなふうであった。それが今ははるか昔のことになってしまって、河口付近は無機質な堰が連なているばかり。もう、人々の生活の中に欠かせなかった親しみある川の顔は見えなくなった。それを惜しんでの「窈窕として」であろう。
この後、鶴見川の源流を尋ねて山の中を分け入ったり、上流から下流まで川に沿って歩いたり、何度も繰り返していた。ロシアの川に触発された、人間の暮らしと川にたいする哲学的考察の歌。
鎌倉なぎさの会 報告 鹿取 未放
172 川とともに人のくらしがありし日の窈窕として河口堰見ゆ
かりん2001年全国大会
この歌は、一転、日本の川である。しかし、七月にロシアへ行って、八月の大会に出した歌だから、ヴォルガ河やモスクワ川を見た体験からの思索から導かれた歌だろう。野菜を洗う、種籾を浸ける、鍋や農具を洗う、洗濯をする、水浴びをする、日本の川もかつてはそんなふうであった。それが今ははるか昔のことになってしまって、河口付近は無機質な堰が連なているばかり。もう、人々の生活の中に欠かせなかった親しみある川の顔は見えなくなった。それを惜しんでの「窈窕として」であろう。
この後、鶴見川の源流を尋ねて山の中を分け入ったり、上流から下流まで川に沿って歩いたり、何度も繰り返していた。ロシアの川に触発された、人間の暮らしと川にたいする哲学的考察の歌。