かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 69

2020-08-19 19:53:08 | 短歌の鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究 ⑧(13年9月)
      【からーん】『寒気氾濫』(1997年)30頁~
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、高村典子、渡部慧子            
司会と記録:鹿取 未放


69 敗走の途中のわれは濡れてゆくヤンバルクイナの脚をおもいぬ

      (意見)
 ★ヤンバルクイナは今、絶滅危惧種に指定されていますね。(鹿取)
 ★敗走の途中というのは作者の人生のことを言っているのだと思う。人生の負の面を重
  ねているのかなと思いました。(慧子)
 ★ヤンバルクイナの脚に注目していて、その脚が強力だということで何か分かりやすい
  気がする。渡辺さんの知識がすばらしいと思いました。(高村)
 ★クイナの脚というのはやっぱり強烈ですよね。鮮紅色の脚というのが適切に使われて
  いる。あと敗走の途中については現実の生活で作者自身がそういう場に置かれたとい
  うこともあるし、この場において前の歌「白き兵さえぎるもののなき視野のひかりの
  向こうがわへ行くなり」の白き兵とダブらせているところもあるのかなという感じが
  する。現実に自分自身の問題としてまず捉えて敗走と思っている部分もあるし、前の
  歌と絡めて自分を重ねてもいる。実際、戦争は終わったと言っているけど、沖縄はほ
  んとうはまだ終わっていないし。(鈴木)
 ★これはやっぱり白き兵からの続きで敗走と出てきているんだろうと思うけど、〈われ〉
  が出てきているから人生途上で挫折を経験して、そのときすがるようにヤンバルクイ
  ナの力強い脚を思っている。ヤンバルクイナは降る雨にぐっしょり濡れながら歩を進
  めているんだけど、〈われ〉はそれに望みをつないで進んでいく、そんな感じ。もち
  ろん〈われ〉はイコール渡辺松男ではないので、作中主体が挫折して、っていうこと
  だけど、圧倒的なヤンバルクイナの映像を読み手に見せる力がすばらしいと思う。ヤ
  ンバルクイナの歌のきっかけは沖縄に旅行された事かもしれないけど、そしてそこで
  聞いた鳥の生態だったかもしれないけど、知識そのままを提示するんじゃなくて、こ
  んなふうに本質をつかんで物語つくちゃうというのがすごい。(鹿取) 
 ★人生に敗れてみじめなかっこうで歩いていてヤンバルクイナの強靱な脚をみて自分の
  人生をもう少し考えてみようと思ったんだろう。(曽我)
 ★励まされますよね。(鹿取)




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