かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 105

2023-08-28 16:24:23 | 短歌の鑑賞
 2023年版渡辺松男研究⑫ 【愁嘆声】(14年2月)まとめ
        『寒気氾濫』(1997年)44頁~
       参加者:渡部慧子、鹿取未放、鈴木良明(紙上参加)
        レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取 未放
       

105  しんぶんに軍というものめだつなり愁嘆声(しゅうたんしょう)はなに色なるや

     (レポート)
 掲出歌がいつの時点で詠われ、「しんぶん」にみえる「軍」とは、どこのどのような状態を指すのかつぶさにわからないのは、作者の意図するところだろう。それによって、普遍性に繋がり、説明ではなくとらえられている。人々にすれば、震撼させられ「愁嘆声」をもらすであろう。それを「なに色なるや」と問う。声の色を問うとは、生きている命の層を観念ではなく、とらえようとしている。(慧子)


      (意見)
 本歌集をまとめたのが九十七年であるから、その前に新聞に「軍」という文字が目立つとしたら、九十一年の湾岸戦争やソ連邦の解放をめぐる各国の軍隊や我が国の自衛隊の動き、のことだろうか。いずれにしても、そこから「愁嘆声」、人々の愁い嘆く声が聞え、それは何色なのだろうか、と飛躍する。(鈴木)


     (当日発言)
★直接には日本が戦争に巻き込まれる事に対する危惧をうたっているのかもしれません
 が、この歌が作られた頃、湾岸戦争とかは実際に行われていたわけで、日本の新聞に
 外国の軍隊のことも書くわけですよね。当然そこでも愁嘆声はあったのですね。「愁
 嘆声」って造語だと思いますが、いやはや、よく思いつくねという感じです。慧子さ
 んがレポートの最後で触れていますが、嘆きの声が何色かと問うところ、声という肉
 体に引きつけているのが歌い方として面白 いです。(鹿取)


      (後日発言)  
 *2014年2月のブログ掲載後、読者から以下のような、表記の線から迫った優れ
  たコメントをいただきました。

 ひらがなの中に軍一字を際立たせて目にとびこませています。幼稚にさえ見えるような書きぶりをわざと選択した、と受けとります。しんぶん(メディア)も、顔の無いひらがなのわらわらとした羅列として表されているのかもしれません。


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