かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞  303

2021-09-03 17:41:37 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究37(2016年4月実施)
    【垂直の金】『寒気氾濫』(1997年)124頁~
     参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放

303 こちら向きにおみなの祈る絵をみれば祈るおみなの背後は怒濤

      (レポート)
(解釈)作者の方を向いて祈る姿をしているおみなの絵がある。その絵に向かい合っていると、おみなの背後は、怒濤だというのだ。
(鑑賞)「怒濤」には、荒れ狂う波が描かれているのか。多分そうではなく、祈る者の背後の苦しみを感じているのだろう。このおみなになってみた作者の驚愕と同情がある。(真帆)


     (当日発言)
★レポートの「このおみなになってみた作者」というのはどういうところから出ているんでしょ
 う。(鹿取)
★私はこの絵の背後に怒濤は描かれてないのじゃないかなあと思って。祈っている女性の絵を見て
 いたらだんだんと自分がその女性の中に入っていって、その女性になりきった時、ああこの背後
 は怒濤じゃないかと感じたと。(真帆)
★をみなになってみなくても、祈っている背後にはものすごい苦しみがあるんだろうなあと想像で
 きますよね。(慧子)
★私が「このおみなになってみた作者」と書いたのは結句に怒濤という強い言葉をもってきて響か
 せているので作者が自分の実感のように感じたのじゃないかと思ったのです。(真帆)
★絵の背後に怒濤は無かったと思うんです。見た人の、作者の印象だと思うのです。祈るだとどう
 しても天国に向かって祈りますよね。地獄に向かって祈る人はいない。祈りの姿勢の中にはやっ
 ぱり背後に怒濤を抱えているのじゃないかな、と作者は見ている。(鈴木)
★私はね、マリア様に向かって祈っているような状況を想像しました。暗い闇のような背景の絵を
 何回か目にしましたが、それを怒濤と言われた。作者の想像ではないかと。(石井)
★前作(顎下腺胡桃のごとく腫れたるをおみなの医師の手に晒すなり)に続いて、この歌も「おみ
 な」ですね。祈る姿の絵があって、その背景は具体的な怒濤が描かれていてもいなくてもいいか
 なと思います。祈る人のこころは荒れ狂っていて、その心象を描けばまあ怒濤になるのでしょう
 ね。何か祈るということの本質を表現したかったのかなと思います。だからマリア様に向かって
 いても仏様に向かっていても祈りの本質は同じかなと。(鹿取)


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