かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 91

2020-09-10 15:38:42 | 短歌の鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究⑩(13年11月)
     【からーん】『寒気氾濫』(1997年)36頁~
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明(紙上参加)、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター 渡部慧子    司会と記録:鹿取 未放


91 赤ん坊花びらのような声を呑みはじめての重き月を見にけり
     
          (レポート)
 掲出歌の「けり」は、上の句の描写から「事実を前にして詠嘆を込めて述べる」だと思う。「赤ん坊」と月の出会いが詠まれる。「赤ん坊」が喃語であろうその「声を呑み」とはすごい事実だ。浮かぶ「月」を「重き」、「声」を「花びらのような」としている表現の独自性もさることながら、掲出歌は初めて月を見し赤ん坊はや、なのだ。(慧子)

  ※三輪山の背後から不可思議の月たてりはじめに月と呼びしひとはや
                   山中智恵子『みずかありなむ』   

         (記録)
 ★花びらのような声っていうねえ月の存在の不思議さというのをとらえてねえ。表現の
  美しさに感心するばかりです。(崎尾)
 ★重い月を見るっていうのは、赤ん坊がほんとうに大人のような感覚を持っていて渡辺
  さんの歌はすごいなと思いました。(曽我)
 ★先に「けり」ですが、慧子さんのレポートに付け足すと「見にけり」の「に」は完了
  の助動詞だから、直訳すると「見たことだなあ」となります。私はこの歌大好きで、
  赤ん坊のかわいらしさがとってもよく出ている。「声」は聴覚なのに「花びらのよう
  な」という視覚イメージで比喩していることで、花びらのようにやわらかくてつやが
  あって美しい声を出している赤ん坊の愛くるしい全体像が読者に手渡される。その赤
  ん坊が、初めて月を見てびっくりしてふっと声をのんだ一瞬が捉えられている。重き
  月というのは、美しくて大きくて神秘的な感じ、それを赤ん坊は体感した。赤ん坊も
  大事だけど、赤ん坊を通した月への賛歌でもあると思う。さらに月を通して存在とい
  うものを問うている、美しくて、優れた名歌だと思う。存在という重いテーマを、こ
  んなふうにかわいらしく詠って、渡辺さんってすごいと思う。慧子さんが揚げられた
  山中さんの歌も、言葉の不可思議、月や天体や存在の不可思議を美しく詠いあげてい
  てうっとりする大好きな歌です。(鹿取)
 

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