かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 87 スペイン③

2024-09-02 09:36:31 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子の外国詠10(2008年7月)
    【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P55~
    参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・H まとめ:鹿取未放
          

87 黒きグレコのぎしぎしの腸の犇きを逃れんともがけり東洋の思惟

      (レポート)
 エル・グレコ:(1541~1614)ギリシャ生まれのスペインの画家。本名はドメニコス・テオトコプロス。奔放で、神秘的、怪奇的な画風の宗教画・肖像画を描く。馬場達はたぶんプラド美術館にいて、これらの作品群を観たのだと思う。(いや、グレコの作品はトレドに多く残されているので、トレドで観たのかもしれない。)
 グレコの絵を観て、「黒き・ぎしぎしの腸の犇き」のように感じられた。この呪文のような絵画を理解するためには、東洋のとりわけ日本人の思想では理解できないなあと嘆息している姿が目に浮かぶようだ。彼のぎしぎしした腸の犇きのような作品とは、「三位一体」「オルガス伯爵の埋葬」「聖衣剥奪」「キリストの復活」などであろうか。(T・H)


     (まとめ)
 場面は移ってプラド美術館であろう。スペインの空や教会の尖塔に圧倒されていた作者は美術館に行ってもまだ西洋思想にがんじがらめになっているようだ。西洋の美術も文学もキリスト教の理解なしには解読できないものだが、グレコの絵に作者は東洋の思惟をもって対峙している。そして黒いが基調のその絵を「ぎしぎしの腸の犇き」と形容している。その強い身体的な形容によって作者がグレコの絵にいかに圧倒されているかが伝わってくる。
プラド美術館には膨大なグレコの絵のコレクションがあるようだが、彼の絵にはプロポーションを無視した細長い奇妙な人物像が描かれる。たとえば、「聖三位一体」「十字架を抱くキリスト」「オルガス伯の埋葬」など地上・天上を同一画面にたくさんの神や聖人や地上の人物が描かれている。それらの過剰な錯綜は、東洋の思惟では解けない「ぎしぎしの腸の犇き」を内包している。釈迦をとりまいて一様に悲しんでいるような涅槃図とは全く違う趣のものなのである。(鹿取) 

コメント
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