かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 34

2022-03-27 10:02:12 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の5(2017年10月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【白根葵】P28~
     参加者:曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子    司会と記録:鹿取未放


34 尾瀬唐檜(おぜとうひ)見上げてわれらめまいせり恋人よいかに近くとも雲

     (レポート)
 高木である尾瀬唐檜を見上げていてわたしたちはめまいした。実景であろうが、その高さに理想や志などを作者はかさねていよう。そこから「恋人よ」と言葉をおき、「いかに近くとも雲」と告げたかどうか、とにかく作者の胸中をここに示す。私達はこんな近くいるが互いに雲のようなものだ。うつろいやすく、消え去りやすく、掴みがたい…と。(慧子)


    (当日意見)
★尾瀬唐檜は40メートルくらいになるそうです。そんな高木を見上げて〈われ〉と恋人はめまい
 をした。そこから雲にいくには飛躍がありますよね。そんな高い木だから雲が降りてきたらとて
 も距離が近くなる。だから「いかに近くとも」と言っているのは直接には木と雲の距離だと思 
 うのですが。(鹿取)
★恋人との関係が雲のようだと言っているのではないですか。(曽我)
★雲のようだは比喩だとしたら具体的にはどうだというのでしょう?(鹿取)
★木はしっかり高く立っているが、私達の関係はそんなにしっかりしていない。だから雲のよう。
  (慧子)
★うーん、作者、そういう理屈や対比では歌は作らないと思います。(鹿取)

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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 33

2022-03-26 11:46:51 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の5(2017年10月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【白根葵】P28~
     参加者:曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子    司会と記録:鹿取未放


33 夕焼けの谷川岳を押したおし逢いにゆきたきはなのかおばせ

    (レポート)
 逢いにゆきたいと思っている。谷川岳を押し倒しゆきたいという。この強さが暴力的ではなくゆたかな広がりをもつのは「夕焼けの」にあるのだろう。夕焼けの色を受けているであろう。またその時の人恋しくなるころを考えあわせると、一首にやさしさ、なつかしさがそなわっている。このような景を設定して逢いにゆきたきとは、他国の王女へ寄せる思いのようでもあるが、実はあえかな「はなのかおばせ」である。美しい花のような人と思ってもいいし、実際の美しい花かもしれない。9番歌【蟹蝙蝠(かにこうもり)大群生して霧深したれに逢いたくて吾は生まれしや】でも言われたように壮大なロマンを感じる。(慧子)


    (当日意見)
★普通「かんばせ」っていいますよね。押し倒しって凄いですね。(曽我)
★辞書にはどちらも出ていますね。「かおばせ」がもともとで、「かんばせ」は音便。(鹿取)
★夕焼け時の人恋しい情趣がうまく出ています。夕焼けを受けて谷川岳が美しく輝いているのでし
 ょうか、それとも夕焼けを背景にした山でしょうか。そんな「谷川岳を押したおし」ってダイナ
 ミックですね。万葉集の柿本人麻呂の「…夏草の思ひ萎えて偲ふらむ妹が門見む靡けこの山」を
思い出しました。(鹿取)
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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 32

2022-03-25 13:31:29 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の5(2017年10月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【白根葵】P28~
     参加者:曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子    司会と記録:鹿取未放


32 このところ白根葵(しらねあおい)がわれである きみをおもえばそよぐそよかぜ

    (レポート)
 ある時見かけた花にいたく惹かれる。それは白根葵で、作者はその花になる。「このところ」という時間のゆるい捉え方、「白根葵がわれである」という自意識をひそめた物言いとともに上句の味わいがいい。白根葵はやわらかそうなはなびらで、いかにも風をよく感じるであろうと思われる。そのようだから下句は、
 ①「きみをおもえば」わたしは「そよぐそよかぜ」になるとまず思う。だが
 ②「きみをおもえば」きみは「そよぐそよかぜ」とも考えられる。あるいは
 ③「きみをおもえば」あたりは「そよぐそよかぜ」になるとの想像もできる。
 このように考えがまとまらない。だがこれ32番歌の味わいではないか。恋心はありながら
「そよぐそよかぜ」のように自分自身へ絞り込まず融通無碍である。(慧子)


       (当日意見)
★松男さんの歌は難しくて。①かなと思います。(曽我)
★①だと、〈われ〉は「白根葵」なのに、きみを思ったら途端に「そよかぜ」に変身してしまうっ
ておかしくない?(鹿取)
★私が白根葵で、相手はそよ風。そこにいるのは白根葵とそよ風だけ。(慧子)
★それだとレポートの②ですよね。②は、「きみをおもえば」という条件付きなのに、その条件の
「きみ」は「そよかぜ」なの?白根葵がそよかぜのことを思うと、そよかぜがそよいでくれた、
と解釈すればつじつまは合うけど。私はこの分類でいえば③だと思いますよ。白根葵の〈われ〉 
がきみを思っていると心地よいそよ風が吹いてきた、ということじゃないですか。白根葵はピン
ク色の可愛らしい花ですね。(鹿取)
★次の歌(夕焼けの谷川岳を押したおし逢いにゆきたきはなのかおばせ)にはリアルなあこがれが
 あるし、一連には(こいびとの林檎学われのゲーデル論 霧晴れて別の尾瀬沼はあり)と、とて
も具体的な恋人が登場しますから、その導入の歌みたいですね。(鹿取)
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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 31

2022-03-24 09:54:21 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の4(2017年9月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【大雨覆】P24~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、渡部慧子、A・Y、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取未放

     
31 まぼろしがおき去りにせししんじつのひとつの尾羽足元に見る

       (レポート)
 「真実の尾羽」とは、作者の足もとに、ひらりと落ちている羽のことだろうか。いや、前の30番のうた(地に落ちしわれ人間となりきりて夕鶴のごと生きたかりしを)の夢想を受け、それが幻と消えてしまったことを詠み、尾羽の具体を余情とともに目にみせたのだろう。(真帆)


      (当日意見)
★はい、前半はわりとリアルの歌なので、30番歌(地に落ちしわれ人間となりきりて夕鶴のごと
生きたかりしを)をこの歌は受けているのでしょうね。人間となりきれなかった、というのか夕
 鶴のように献身しきれなかったというのか、その両方か、解釈が難しいですが。(鹿取)
★夕鶴の「つう」というのは実は幻だったんだ、本当は足元に一枚の尾羽があるだけだ。だから悔
 いがないように生きたいなって。この一連幻想的で美しいですよね。(A・Y)
★するとこの歌は与ひょうさんの目から歌っているのですか?(T・S)
★いや、自分も鳥になりたかったのだから重なっているのでしょう。(A・Y)
★歌は人生訓ではないので、悔いが無いように生きようとか、松男さん、そういうメッセージを歌
 に盛り込む人ではないです。映画などでも、ではあれは全て幻だったのかと思っていると、幻で
 はなかった証拠のように現実のモノ(この歌では尾羽)が残っている、みたいな謎を残しつつ終
 わる手法がありますね。幻とも現実ともつかないような、そのあわいのようなところで呆然とし
 ている、そんな感じです。(鹿取)

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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 30

2022-03-23 14:21:54 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の4(2017年9月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【大雨覆】P24~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、渡部慧子、A・Y、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取未放

     
30 地に落ちしわれ人間となりきりて夕鶴のごと生きたかりしを

       (レポート)
 夕鶴のように身の羽を一本一本抜きながら愛しい者へ贖罪しながら生きてゆきたいというのだろうか。空をとぶ鳥は尊いが、自分は原罪を負う人となり地に在るのだ、と詠っているのだろうか。
  (真帆)


        (当日意見)
★贖罪ではないような気がしますね。むしろ逆じゃないですか。自分を犠牲にして生きられるだろ
 うかという問いかけの歌でもあるんですね。(A・Y)
★そうですね、鶴は罪を犯したわけではないので、贖罪は違いますよね。(鹿取)
★夕鶴のように生きたかったけれど生きられなかったと歌っている。(T・S)
★罪深い人間として生まれてきたので、せめて他人のために生きたかったがそれも出来なかった。  (真帆)
★自由自在に時空を超えた自分がいて、生きていた自分をみているような感じ。(慧子)
★うーん、この一連、全て鳥の歌で、今までの4首(26 ひかりより繊きおもいというものを鳥
 は知りつつ天翔るらん)(27 鳥と呼びはてしなき空見上ぐればきらきらと神の花粉は飛べり) (28 呼びかけてかならず寒くなるわれに茜の雲よ鳥消えてゆく)(29 やすらぎのなきこ 
 とを地に庇いあい鳥はひろげる大雨覆(おおあまおおい))は、人間の視点から鳥を客観的に見て 
 うたっています。でも30番歌の主体はもともとは鳥ですよね、「人間となりきりて」というん 
 だから。でも、人間にはなりきれなかったし、相手の為に自分を捧げ尽くすことは出来なかった。
 終わってしまった生を俯瞰しているような感じですね。初句の「地におちし」はどう取ったらよ
 いのでしょう。神の花粉である鳥が、神の怒りを買うような罪を犯して、人間界に落ちてきたの
 でしょうか。私にはもう一つ、この歌、掴みきれないです。(鹿取)

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