かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 20

2022-03-13 10:25:57 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の3(2017年8月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【四葉鵯】P19~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子    司会と記録:鹿取未放


20 おろかなるゆたけさは知るあたわねど仰ぎていたり秩父のみどり

       (レポート)
「おろかなるゆたけさ」という観念的なもの、それを知ることはできないけれど「秩父のみどり」を仰いでいたという。意志的ではなく自然に仰いでいたのであろうが、「おろかなるゆたけさ」とどことなくかかわりのありそうな「秩父のみどり」である。「おろかなるゆたけさ」が指すものを思うに、功利的な現在性を離れた何か原初的な生命や死ではないかと考える。結句「みどり」という命へ繋がる色を置いているので、死も生も含んだ循環性ではないだろうか。それならば、まさしく「ゆたけさ」である。「おろかなるゆたけさ」という大きな観念に、生も死も山々も含まれている。(慧子)


    (当日意見)
★「知るあたわねど」って「知ることはできないけれど」という理解でいいんですか?(T・S)
★はい。19番歌(静止せる蒼き山々見わたせば死にてゆたかになれる山々)の続きの歌ですね。
 死んで豊かだと言っておいて、でもそれは「おろかなるゆたけさ」なんだって。だからその内実
 を〈われ〉は完全に把握することはできないけれど、目の前にそれを体現している秩父があって、
 それを自ずと仰いでいるという。尊崇とかあがめるとかそういう気分が仰ぐにはあるんですね。
      (鹿取)
★「秩父のみどり」を何でおろかというのか分からないんです。作者は直観なんでしょうね。
      (T・S)
★秩父の緑が豊かで思わず仰いでいた、というのだったら誰にも分かるけど、「おろかなるゆたけ
 さ」って言われるととたんに難しくなりますね。19番歌では「死にてゆたかになれる」って言
 っていてよく分からなかったのですが、「おろかなるゆたけさ」はまだ分かる気がする。軽蔑と
 かでななくて、何か生命力の肯定なのでしょうね。やみくもに生を実現しようとして緑を生い茂
 らせている山、それをきっとすごいなあと思って仰いでいるのでしょう。(鹿取)
コメント
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