かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 35

2022-03-28 11:53:26 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の5(2017年10月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【白根葵】P28~
     参加者:曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子    司会と記録:鹿取未放


35 こいびとの林檎学われのゲーデル論 霧晴れて別の尾瀬沼はあり

    (当日意見)
★レポーターは「ゲーデル論とはゲーテについての学究だろう」と書いていますが、ゲーデル論が
 なぜ名前からして違うゲーテについての学究になるのか乱暴すぎます。きちんと調べてください。
 ゲーデルというのは数学者です。不完全性定理という難しい論を打ち立てた人だそうです。松男
 さんは高校時代「数学の渡辺」と言われていたほど数学が好きで得意だったそうですから、ゲー
 デルについても詳しいのでしょうね。恋人の「林檎学」の方は専門に研究しているというのでは
 なく、おそらく恋人が林檎についてあれこれしゃべっている程度のことだろうと私は思いますが、
 林檎学を専攻しているのではないという証拠も歌の中にはないので、レポーターの解釈もありだ
 と思います。
 霧の中で君と林檎やゲーデルについてお喋りしているうちに、霧が晴れて素晴らしい景が現れた
 というのでしょう。「霧晴れて別の尾瀬沼はあり」はゲーデルの打ち立てた不完全性定理の裏側
 の比喩になっているのかもしれません、いろんな見え方があるって。ただ定理自体は読んでみて
 も私には難しくて分かりませんでした。(鹿取)


     (レポート)
 恋人は農学に携わり、特に林檎について深く研究しているのだろう。作者の造語であろう「林檎学」が新鮮にひびく。そして、作者のゲーデル論とはゲーテについての学究だろう。日々研鑽を積んでいるらしい三句まで。下句「霧晴れて別の尾瀬沼はあり」ときれいな風景に託されている内容は、霧が晴れるように理解したり成果を上げてもまた新しい不可解点、問題が起こり、さらに学び続けなければならない。そんな状況を「別の尾瀬沼はあり」としていよう。まなざしを先に置いている二人なのだろう。
   (慧子)

コメント
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