<※本当の投稿日時
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クリスチャンは豚肉を食べる
律法の行いによるのでは無く、ただイエス様への信仰と天恵によってのみ救われる
Christians eat pork.
Salvation can't get by conduct of Torah, can get by only belief to Jesus and Heaven's blessing.
世界三大宗教とされる、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、皆、旧約聖書が根拠となっている。よって、ユダヤ教徒もクリスチャンもムスリムも、呼び方は異なっても、同じ唯一の神様である創造主、ヤハウェ、アッラーを信仰する。
ただ、ユダヤ教徒は、今から約2500年前のバビロン捕囚以来、「タルムード」という聖書とは別の書物を持つ様になり、却って聖書を読まずにタルムードだけを読むという、曲がった信仰を持つ様になっている。
更に、ユダヤ教徒は、「ミシュナー法」として文書化された「ハラハー」という口伝律法を持つ。その言い伝えの伝統は、聖書に書かれているモーセの律法に付け足しをするもので、元々の御言葉の意味を編集してしまって曲解する事となっている。
そんな律法学者やパリサイ人らに対して、今から約2000年前に降臨されたイエス・キリストは、旧約聖書に信頼し立脚した言葉を述べ伝えた。
イエス様が降臨された後の事が記されている新約聖書に於いては、定型句として「……と書いてある」というのはモーセの律法を、「……と言われていたのをあなた方は聞いています」というのは口伝律法の事を指している。
ユダヤ教徒やムスリムは、豚肉(ポーク)を食べない。それは、聖書に食物規定が載っており、その中で禁じられているからだ。旧約聖書のレビ記11章1節~47節と、同・申命記14章3節~23節には、食べても良いものと、食べてはいけないものが書いてある。
その記述を根拠として、ユダヤ教徒は「カシュルート(コーシャ)」を、ムスリムは「ハラール」を規定している。聖書には、一定の種類に限って、肉や魚を食べても良い事が書かれている。
一方、クリスチャンは豚肉を食べる。それは一見すると、聖書に書いている事に忠実ではないから良くないと、律法を守らない事は悪い事だと、思えて来る。
イエス様は、タルムード思想のユダヤ教徒達が、口伝律法、自分勝手な言い伝えの方を固く守るが故に、却ってモーセの律法、神様の戒めを蔑ろにしてしまっていると述べながら、人の内に入るものが汚すのでは無く、人の内側から外に出るものが汚すと述べられた。
その上で、食物は人の心に入らず腹に入り、その後、トイレに出てしまうものなので、全ての食物は清いものだとされた。
つまり、人の内面は食物には依らず、豚肉を食べても心を汚す事はないとされた訳だ。
イエス様が天に帰られた後のA.D.49年、初代キリスト教会に於いて、イエス様をキリスト(救世主)として信仰する、ユダヤ人であるパウロやバルナバ等の使徒達と、ユダヤ教から改宗してイエス様を受け入れたパリサイ派や律法学者、長老といったメシアニック・ジュー達との間で、会議が行われた。
ルカによって書き留められた歴史書の「使徒の働き」(新改訳、「使徒行伝」(文語訳)、「使徒言行録」(新共同訳))の内、15章にその模様が書かれている。その「エルサレム会議」の中で、異邦人への伝道に向かうに当たり、その宣教の内容についての公式な見解が与えられた。
その結果、異邦人は律法を守る事から解放され、ただ信仰によってのみ救われる事が確認された。
そして、衆議一決して選んだユダヤ人のユダとシラスを、パウロやバルナバと共にシリアのアンテオケ(アンティオキア)やトルコのキリキヤという、異邦人の居る所へ伝道の為に派遣した。その時に持たせた手紙は、次である。
イエス様を受け入れてキリスト者(クリスチャン)となった者に対して、偶像に提供される食物、血、絞め殺されたもの、性的不道徳等の不品行から身を守ることを除いて、他の事は問題にしてはならないと述べている。よって、律法の中で定められている割礼等の行いをする必要が無いと言っている。
異邦人や異教徒は、唯一の創造主ではない他の間違った神々や偶像を拝み、偶像に備えた肉を食べて来た。
知識や肩書や権威を持っている者が誤解を招く様な事をして、それを見聞きした知識に薄い者が鵜呑みにしてしまう恐れが有る。
それ故、肉を食べるとか食べないとかは、本来は、特にイエス様の降臨以降は、神様に近づく為の事とは関係無いのだが、それでも、その食べ物によって異邦人等、未だ信者にはなっていない人々に誤解やつまづきを与え、信仰への道を閉ざしてしまうのならば、見本となるべくクリスチャンは肉を控えた方が良いとも言っている。
身体の割礼を必要とせず、洗礼を受け、御霊によって心の包皮を取り除き、イエス様への全き信仰と神様との契約を持つという、心の割礼こそ大事だ。
天国に入る為の資格を持つ事が出来る救い、心の内の平安が得られ、また、神様との和解となる罪の赦しが得られる救いは、この世での業、職業や行動、実績、律法の行いによるのではなく、ただ神様からの恵みと救い主であるイエス様への信仰のみによって得る事が出来る。
この「コロサイ人への手紙」の中に出て来る肉は食物の事では無く、人の身体、人の欲望、人の権力や能力、誇り等の事を表す。
神の御国では、飲み食いでは無く、義と平和と聖霊による喜びにだけ意味が有る。
自分の為に生きるのでは無く、神様の為に生きる。食べるのも飲むのも、自分の命を永らえようとする為では無く、神様の為に、神様の栄光を表す事が出来る様に行う。
そういう、信仰を持ってイエス様と繋がり、神様に感謝して食事をするのであれば、食べるのも飲む事も良い事だ。
タルムード思想と口伝律法を基にパフォーマンスを行う、律法学者やパリサイ人。
人、世間から気に入られようとして、評価、承認を得る為に、とかく目立つように、人目に付きやすい様に、外側に在る見栄や体裁、持ち物、ファッションばかりを繕う偽善者達。
イエス様は、ただただ、内側のものを用いよと、聖霊が宿る心、信仰心を持ってせよと仰られた。
引用文献
・新改訳聖書(発行:日本聖書刊行会)
・新改訳新約聖書(1965年版)(発行:日本聖書刊行会)
・World English Bible(eBible.org)
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クリスチャンは豚肉を食べる
律法の行いによるのでは無く、ただイエス様への信仰と天恵によってのみ救われる
Christians eat pork.
Salvation can't get by conduct of Torah, can get by only belief to Jesus and Heaven's blessing.
世界三大宗教とされる、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、皆、旧約聖書が根拠となっている。よって、ユダヤ教徒もクリスチャンもムスリムも、呼び方は異なっても、同じ唯一の神様である創造主、ヤハウェ、アッラーを信仰する。
ただ、ユダヤ教徒は、今から約2500年前のバビロン捕囚以来、「タルムード」という聖書とは別の書物を持つ様になり、却って聖書を読まずにタルムードだけを読むという、曲がった信仰を持つ様になっている。
更に、ユダヤ教徒は、「ミシュナー法」として文書化された「ハラハー」という口伝律法を持つ。その言い伝えの伝統は、聖書に書かれているモーセの律法に付け足しをするもので、元々の御言葉の意味を編集してしまって曲解する事となっている。
そんな律法学者やパリサイ人らに対して、今から約2000年前に降臨されたイエス・キリストは、旧約聖書に信頼し立脚した言葉を述べ伝えた。
イエス様が降臨された後の事が記されている新約聖書に於いては、定型句として「……と書いてある」というのはモーセの律法を、「……と言われていたのをあなた方は聞いています」というのは口伝律法の事を指している。
ユダヤ教徒やムスリムは、豚肉(ポーク)を食べない。それは、聖書に食物規定が載っており、その中で禁じられているからだ。旧約聖書のレビ記11章1節~47節と、同・申命記14章3節~23節には、食べても良いものと、食べてはいけないものが書いてある。
その記述を根拠として、ユダヤ教徒は「カシュルート(コーシャ)」を、ムスリムは「ハラール」を規定している。聖書には、一定の種類に限って、肉や魚を食べても良い事が書かれている。
* 旧約聖書・レビ記11章7~8節 それに、豚。これは、ひづめが分かれており、ひづめが完全に割れたものであるが、反芻しないので、あなたがたには汚れたものである。 あなたがたは、それらの肉を食べてはならない。またそれらの死体に触れてもいけない。それらは、あなたがたには汚れたものである。 The Old Testament・The Book of Leviticus 11:7~8 The pig, because it has a split hoof, and is cloven-footed, but doesn’t chew the cud, is unclean to you. You shall not eat their meat. You shall not touch their carcasses. They are unclean to you. |
旧約聖書・申命記14章8節 豚もそうである。ひづめは分かれているが、反芻しないから、あなたがたには汚れたものである。その肉を食べてはならない。またその死体にも触れてはならない。 The Old Testament・The Book of Deuteronomy 14:8 The pig, because it has a split hoof but doesn’t chew the cud, is unclean to you. You shall not eat their meat. You shall not touch their carcasses. |
一方、クリスチャンは豚肉を食べる。それは一見すると、聖書に書いている事に忠実ではないから良くないと、律法を守らない事は悪い事だと、思えて来る。
イエス様は、タルムード思想のユダヤ教徒達が、口伝律法、自分勝手な言い伝えの方を固く守るが故に、却ってモーセの律法、神様の戒めを蔑ろにしてしまっていると述べながら、人の内に入るものが汚すのでは無く、人の内側から外に出るものが汚すと述べられた。
その上で、食物は人の心に入らず腹に入り、その後、トイレに出てしまうものなので、全ての食物は清いものだとされた。
つまり、人の内面は食物には依らず、豚肉を食べても心を汚す事はないとされた訳だ。
* 新約聖書・マルコの福音書7章8節~23節 あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。」 また言われた。「あなたがたは、自分たちの言い伝えを守るために、よくも神の戒めをないがしろにしたものです。 …(10~13:中略)… イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「みな、わたしの言うことを聞いて、悟るようになりなさい。 外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです。 イエスが群衆を離れて、家にはいられると、弟子たちは、このたとえについて尋ねた。 イエスは言われた。「あなたがたまで、そんなにわからないのですか。外側から人にはいって来る物は人を汚すことができない、ということがわからないのですか。 そのような物は、人の心には、はいらないで、腹にはいり、そして、かわやに出されてしまうのです。」イエスは、このように、すべての食物をきよいとされた。 また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、 姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、 これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」 The New Testament・The Gospel of Mark 7:8~23 “For you set aside the commandment of God, and hold tightly to the tradition of men—the washing of pitchers and cups, and you do many other such things.” He said to them, “Full well do you reject the commandment of God, that you may keep your tradition. …(10~13:中略)… He called all the multitude to himself and said to them, “Hear me, all of you, and understand. There is nothing from outside of the man that going into him can defile him; but the things which proceed out of the man are those that defile the man. If anyone has ears to hear, let him hear!” When he had entered into a house away from the multitude, his disciples asked him about the parable. He said to them, “Are you also without understanding? Don’t you perceive that whatever goes into the man from outside can’t defile him, because it doesn’t go into his heart, but into his stomach, then into the latrine, making all foods clean?” He said, “That which proceeds out of the man, that defiles the man. For from within, out of the hearts of men, proceed evil thoughts, adulteries, sexual sins, murders, thefts, covetings, wickedness, deceit, lustful desires, an evil eye, blasphemy, pride, and foolishness. All these evil things come from within and defile the man.” |
イエス様が天に帰られた後のA.D.49年、初代キリスト教会に於いて、イエス様をキリスト(救世主)として信仰する、ユダヤ人であるパウロやバルナバ等の使徒達と、ユダヤ教から改宗してイエス様を受け入れたパリサイ派や律法学者、長老といったメシアニック・ジュー達との間で、会議が行われた。
ルカによって書き留められた歴史書の「使徒の働き」(新改訳、「使徒行伝」(文語訳)、「使徒言行録」(新共同訳))の内、15章にその模様が書かれている。その「エルサレム会議」の中で、異邦人への伝道に向かうに当たり、その宣教の内容についての公式な見解が与えられた。
その結果、異邦人は律法を守る事から解放され、ただ信仰によってのみ救われる事が確認された。
そして、衆議一決して選んだユダヤ人のユダとシラスを、パウロやバルナバと共にシリアのアンテオケ(アンティオキア)やトルコのキリキヤという、異邦人の居る所へ伝道の為に派遣した。その時に持たせた手紙は、次である。
新約聖書・使徒の働き15章23~29節 彼らはこの人たちに託して、こう書き送った。「使徒および長老たちは、アンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人の兄弟たちに、あいさつをいたします。 …(24~27:中略)… 聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。 すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。」 The New Testament・The Acts of the Apostles 15:23~29 They wrote these things by their hand: “The apostles, the elders, and the brothers, to the brothers who are of the Gentiles in Antioch, Syria, and Cilicia: greetings. …(24~27:中略)… For it seemed good to the Holy Spirit, and to us, to lay no greater burden on you than these necessary things: that you abstain from things sacrificed to idols, from blood, from things strangled, and from sexual immorality, from which if you keep yourselves, it will be well with you. Farewell.” |
イエス様を受け入れてキリスト者(クリスチャン)となった者に対して、偶像に提供される食物、血、絞め殺されたもの、性的不道徳等の不品行から身を守ることを除いて、他の事は問題にしてはならないと述べている。よって、律法の中で定められている割礼等の行いをする必要が無いと言っている。
新約聖書・使徒の働き21章25節 信仰にはいった異邦人に関しては、偶像の神に供えた肉と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けるべきであると決定しましたので、私たちはすでに手紙を書きました。」 The New Testament・The Acts of the Apostles 21:25 But concerning the Gentiles who believe, we have written our decision that they should observe no such thing, except that they should keep themselves from food offered to idols, from blood, from strangled things, and from sexual immorality.” |
新約聖書・コリント人への手紙 第一8章1~13節 次に、偶像にささげた肉についてですが、私たちはみな知識を持っているということなら、わかっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。 人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。 しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。 そういうわけで、偶像にささげた肉を食べることについてですが、私たちは、世の偶像の神は実際にはないものであること、また、唯一の神以外には神は存在しないことを知っています。 なるほど、多くの神や、多くの主があるので、神々と呼ばれるものならば、天にも地にもありますが、 私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。 しかし、すべての人にこの知識があるのではありません。ある人たちは、今まで偶像になじんで来たため偶像にささげた肉として食べ、それで彼らのそのように弱い良心が汚れるのです。 しかし、私たちを神に近づけるのは食物ではありません。食べなくても損にはならないし、食べても益にはなりません。 ただ、あなたがたのこの権利が、弱い人たちのつまずきとならないように、気をつけなさい。 知識のあるあなたが偶像の宮で食事をしているのをだれかが見たら、それによって力を得て、その人の良心は弱いのに、偶像の神にささげた肉を食べるようなことにならないでしょうか。 その弱い人は、あなたの知識によって、滅びることになるのです。キリストはその兄弟のためにも死んでくださったのです。 あなたがたはこのように兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を踏みにじるとき、キリストに対して罪を犯しているのです。 ですから、もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べません。それは、私の兄弟につまずきを与えないためです。 The New Testament・The First Epistle to the Corinthians 8:1~13 Now concerning things sacrificed to idols: We know that we all have knowledge. Knowledge puffs up, but love builds up. But if anyone thinks that he knows anything, he doesn’t yet know as he ought to know. But anyone who loves God is known by him. Therefore concerning the eating of things sacrificed to idols, we know that no idol is anything in the world, and that there is no other God but one. For though there are things that are called “gods”, whether in the heavens or on earth—as there are many “gods” and many “lords”— yet to us there is one God, the Father, of whom are all things, and we for him; and one Lord, Jesus Christ, through whom are all things, and we live through him. However, that knowledge isn’t in all men. But some, with consciousness of an idol until now, eat as of a thing sacrificed to an idol, and their conscience, being weak, is defiled. But food will not commend us to God. For neither, if we don’t eat are we the worse, nor if we eat are we the better. But be careful that by no means does this liberty of yours become a stumbling block to the weak. For if a man sees you who have knowledge sitting in an idol’s temple, won’t his conscience, if he is weak, be emboldened to eat things sacrificed to idols? And through your knowledge, he who is weak perishes, the brother for whose sake Christ died. Thus, sinning against the brothers, and wounding their conscience when it is weak, you sin against Christ. Therefore, if food causes my brother to stumble, I will eat no meat forever more, that I don’t cause my brother to stumble. |
異邦人や異教徒は、唯一の創造主ではない他の間違った神々や偶像を拝み、偶像に備えた肉を食べて来た。
知識や肩書や権威を持っている者が誤解を招く様な事をして、それを見聞きした知識に薄い者が鵜呑みにしてしまう恐れが有る。
それ故、肉を食べるとか食べないとかは、本来は、特にイエス様の降臨以降は、神様に近づく為の事とは関係無いのだが、それでも、その食べ物によって異邦人等、未だ信者にはなっていない人々に誤解やつまづきを与え、信仰への道を閉ざしてしまうのならば、見本となるべくクリスチャンは肉を控えた方が良いとも言っている。
新約聖書・コロサイ人への手紙2章11~23節 キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。 あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。 あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、 いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。 神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。 こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。 これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。 あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません。彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り、 かしらに堅く結びつくことをしません。このかしらがもとになり、からだ全体は、関節と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるのです。 もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、 「すがるな。味わうな。さわるな。」というような定めに縛られるのですか。 そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。 そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。 The New Testament・The Epistle to the Colossians 2:11~23 In him you were also circumcised with a circumcision not made with hands, in the putting off of the body of the sins of the flesh, in the circumcision of Christ, having been buried with him in baptism, in which you were also raised with him through faith in the working of God, who raised him from the dead. You were dead through your trespasses and the uncircumcision of your flesh. He made you alive together with him, having forgiven us all our trespasses, wiping out the handwriting in ordinances which was against us. He has taken it out of the way, nailing it to the cross. Having stripped the principalities and the powers, he made a show of them openly, triumphing over them in it. Let no one therefore judge you in eating or drinking, or with respect to a feast day or a new moon or a Sabbath day, which are a shadow of the things to come; but the body is Christ’s. Let no one rob you of your prize by self-abasement and worshiping of the angels, dwelling in the things which he has not seen, vainly puffed up by his fleshly mind, and not holding firmly to the Head, from whom all the body, being supplied and knit together through the joints and ligaments, grows with God’s growth. If you died with Christ from the elemental spirits of the world, why, as though living in the world, do you subject yourselves to ordinances, “Don’t handle, nor taste, nor touch” (all of which perish with use), according to the precepts and doctrines of men? These things indeed appear like wisdom in self-imposed worship, humility, and severity to the body, but aren’t of any value against the indulgence of the flesh. |
身体の割礼を必要とせず、洗礼を受け、御霊によって心の包皮を取り除き、イエス様への全き信仰と神様との契約を持つという、心の割礼こそ大事だ。
天国に入る為の資格を持つ事が出来る救い、心の内の平安が得られ、また、神様との和解となる罪の赦しが得られる救いは、この世での業、職業や行動、実績、律法の行いによるのではなく、ただ神様からの恵みと救い主であるイエス様への信仰のみによって得る事が出来る。
この「コロサイ人への手紙」の中に出て来る肉は食物の事では無く、人の身体、人の欲望、人の権力や能力、誇り等の事を表す。
新約聖書・ローマ人への手紙14章1~23節 あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。 何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。 食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。 あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。 ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。 日を守る人は、主のために守っています。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。 キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。 それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。 次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」 こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。 ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。 主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。 もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているのなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。 ですから、あなたがたが良いとしている事がらによって、そしられないようにしなさい。 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。 このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。 そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。 食べ物のことで神のみわざを破壊してはいけません。すべての物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような人のばあいは、悪いのです。 肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いことなのです。 あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。 しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。 The New Testament・The Epistle to the Romans 14:1~23 Now accept one who is weak in faith, but not for disputes over opinions. One man has faith to eat all things, but he who is weak eats only vegetables. Don’t let him who eats despise him who doesn’t eat. Don’t let him who doesn’t eat judge him who eats, for God has accepted him. Who are you who judge another’s servant? To his own lord he stands or falls. Yes, he will be made to stand, for God has power to make him stand. One man esteems one day as more important. Another esteems every day alike. Let each man be fully assured in his own mind. He who observes the day, observes it to the Lord; and he who does not observe the day, to the Lord he does not observe it. He who eats, eats to the Lord, for he gives God thanks. He who doesn’t eat, to the Lord he doesn’t eat, and gives God thanks. For none of us lives to himself, and none dies to himself. For if we live, we live to the Lord. Or if we die, we die to the Lord. If therefore we live or die, we are the Lord’s. For to this end Christ died, rose, and lived again, that he might be Lord of both the dead and the living. But you, why do you judge your brother? Or you again, why do you despise your brother? For we will all stand before the judgment seat of Christ. For it is written, “ ‘As I live,’ says the Lord, ‘to me every knee will bow. Every tongue will confess to God.’ ” So then each one of us will give account of himself to God. Therefore let’s not judge one another any more, but judge this rather, that no man put a stumbling block in his brother’s way, or an occasion for falling. I know and am persuaded in the Lord Jesus that nothing is unclean of itself; except that to him who considers anything to be unclean, to him it is unclean. Yet if because of food your brother is grieved, you walk no longer in love. Don’t destroy with your food him for whom Christ died. Then don’t let your good be slandered, for God’s Kingdom is not eating and drinking, but righteousness, peace, and joy in the Holy Spirit. For he who serves Christ in these things is acceptable to God and approved by men. So then, let’s follow after things which make for peace, and things by which we may build one another up. Don’t overthrow God’s work for food’s sake. All things indeed are clean, however it is evil for that man who creates a stumbling block by eating. It is good to not eat meat, drink wine, nor do anything by which your brother stumbles, is offended, or is made weak. Do you have faith? Have it to yourself before God. Happy is he who doesn’t judge himself in that which he approves. But he who doubts is condemned if he eats, because it isn’t of faith; and whatever is not of faith is sin. |
神の御国では、飲み食いでは無く、義と平和と聖霊による喜びにだけ意味が有る。
自分の為に生きるのでは無く、神様の為に生きる。食べるのも飲むのも、自分の命を永らえようとする為では無く、神様の為に、神様の栄光を表す事が出来る様に行う。
そういう、信仰を持ってイエス様と繋がり、神様に感謝して食事をするのであれば、食べるのも飲む事も良い事だ。
タルムード思想と口伝律法を基にパフォーマンスを行う、律法学者やパリサイ人。
人、世間から気に入られようとして、評価、承認を得る為に、とかく目立つように、人目に付きやすい様に、外側に在る見栄や体裁、持ち物、ファッションばかりを繕う偽善者達。
イエス様は、ただただ、内側のものを用いよと、聖霊が宿る心、信仰心を持ってせよと仰られた。
新約聖書・ルカの福音書11章37~45節 イエスが話し終えられると、ひとりのパリサイ人が、食事をいっしょにしてください、とお願いした。そこでイエスは家にはいって、食卓に着かれた。 そのパリサイ人は、イエスが食事の前に、まずきよめの洗いをなさらないのを見て、驚いた。 すると、主は言われた。「なるほど、あなたがたパリサイ人は、杯や大皿の外側はきよめるが、その内側は、強奪と邪悪とでいっぱいです。 愚かな人たち。外側を造られた方は、内側も造られたのではありませんか。 とにかく、うちのものを施しに用いなさい。そうすれば、いっさいが、あなたがたにとってきよいものとなります。 だが、忌まわしいものだ。パリサイ人。あなたがたは、はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を納めているが、公義と神への愛とはなおざりにしています。これこそ、実行しなければならない事がらです。ただし他のほうも、なおざりにしてはいけません。 忌まわしいものだ。パリサイ人。あなたがたは、会堂の上席や、市場であいさつされることが好きです。 忌まわしいことだ。あなたがたは、人目につかぬ墓のようで、その上を歩く人々も気がつかない。」 すると、ある律法の専門家が、答えて言った。「先生。そのようなことを言われることは、私たちをも侮辱することです。」 The New Testament・The Gospel of Luke 11:37~45 Now as he spoke, a certain Pharisee asked him to dine with him. He went in and sat at the table. When the Pharisee saw it, he marveled that he had not first washed himself before dinner. The Lord said to him, “Now you Pharisees cleanse the outside of the cup and of the platter, but your inward part is full of extortion and wickedness. You foolish ones, didn’t he who made the outside make the inside also? But give for gifts to the needy those things which are within, and behold, all things will be clean to you. But woe to you Pharisees! For you tithe mint and rue and every herb, but you bypass justice and God’s love. You ought to have done these, and not to have left the other undone. Woe to you Pharisees! For you love the best seats in the synagogues and the greetings in the marketplaces. Woe to you, scribes and Pharisees, hypocrites! For you are like hidden graves, and the men who walk over them don’t know it.” One of the lawyers answered him, “Teacher, in saying this you insult us also.” |
引用文献
・新改訳聖書(発行:日本聖書刊行会)
・新改訳新約聖書(1965年版)(発行:日本聖書刊行会)
・World English Bible(eBible.org)