AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

「男女を超えられるか」

2019年02月27日 | 女性であること、のあれこれ
いつになったら、
女性が女性として権利だとか、平等とか、
Me tooとかって主張しなくてもいい時代が来るのかなあと思う。

いつになったら、女性たちがわざわざグループとか作って、
「女性○○のためのシンポジウム」とか開かなくてもいい時代が来るのかなって。

男性はそのようなことをしなくてもいい社会を男性が作ってきたからだと思うが、
そしてそれを変容させていくためには、
極端なことをして、大きく分かりやすく主張しなければいけないのであろうけれど。

ただ、なんとなく、
女性同士でタッグを組んで、女性であることを主張しながら、
男性陣に対抗しているように見える姿は、
その後に『溝』が本当に埋まるのか、と疑問に思ってしまう。

これまで、男性たちは女性の「入〜れ〜て」に対して、
「や〜だ〜よ」をしてきたのだとしたら、ある意味、
女性は今、同じようなことをしようとしているようにも見える。

私は職業上(歌手)、社会的男女差別を受けたことがないから、
こんな生易しいことが言えるのかな。

男性だから、女性だから、というのを取っ払って、
男女の違いを認識しながらも、
ただ一人の人間としての意識を持って、真の主張をする、
というのは可能なのだろうか?

男女を超えたところで、互いの、個々の苦しみや悲しみを、互いに感じ取ってあげる・・・
そんな風な思いやりを持つという余地は今の社会にはないのだろうか、まだ。

(すいません、勉強不足、知識不足だから、
トンチンカンなことを書いているかもしれません)
ご教授願います。


<エキサイティングなお知らせ>
3/19LIVEやります!@原宿クロコダイル
私の十八番ジャンル、Soul&Funk Nightであります。
同級生であった、やんちゃドラマー故John Blackwellと彼をこよなく愛したPrinceへのTribute Liveです。
主催者は同じく同級生だったベーシストLyn Tatsuno!
「どんな姐ちゃんがこの生真面目なブログ書いてんだ?」と思ってるアナタ、是非遊びにいらしてください^^





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「美魔女」

2019年02月10日 | 女性であること、のあれこれ
・・・という言葉をすっかり忘れたいたのだが、
今でも毎年「美魔女コンテスト」があるらしい。

というのも、今朝、昨年優勝した女性のコンテストでの様子が、
たまたまテレビで流れていたのだ。
その女性、なんと47歳(私と同じ)。
ビキニ姿で見事なプロポーションを披露していた。
うわ〜〜〜〜!

もう2年前になるだろうか、
ブログで『美魔女という種族の方々』というタイトルで
彼女たちについて色々書いた記憶がある。
ブログに書いたことはもうここには書かないけれど、
確かに彼女たちの自分の身体への手のかけ方は半端ない。
ある意味、あっぱれである。

でも、「美への執着」というのは美しくないなあと思った。
私はそれを美魔女たち(を目指している人たち)に感じる。
執着というのはなんでも美しくない。
ダークで苦しくてドロドロしたようなものを感じる。
目が血走っちゃってるようなね。
そこには決して手放せない「恐怖」のようなものがある気がしている。

「自分のために」自分に手をかけてあげるのか、
それとも「人の評価のために」自分に手をかけてあげるのか・・・

おお、またここでやっぱり「自分への愛」の話になるのかねえ・・・

キラキラ輝く美というのは、執着からずっとずっと遠くにあるものだと思う。
もしかしたら、真の美というのは、それを目的にした途端に、
どこか手に届かないものになるのかもしれない・・・と思ったり。

そんな私も顔マッサージをやってみたり、
毎朝ヨガやってみたりしてるけど、
そんて程度では美魔女になどなれるわけがない(なりたいのか、私!?)。

執着するには、あまりにもめんどくさがりやの私であった。

おーわーり。


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「シミ」

2019年01月17日 | 女性であること、のあれこれ
結婚したての頃だったろうか(ちょうど10年前)、
当時私はふくらはぎにでき始めていたシミ
(今やすごいことになっている)に悩んでいた。

そんなことを知ってか、
ある日夫が確信したような顔で、
今やロングセラー、大ヒット商品の『激落ちくん』を持ってきて、
「これでこすったら落ちるかもしれない」と言うではないか。

それにピンときた私は(明らかに間違った直感)、
マジで消せるかもと思い、早速、夢と希望で心を震わせながら、
とりあえず手始めに一つのシミをこすりまくった(夫まで参戦)

・・・結果、激落ちるどころか血が出て、かさぶたになり、
後日、かさぶたの下からは微塵も消えていないシミがそのままの姿を現した・・・

という愚かなエピソードを、今日の昼下がり、
ソファーに寝転びながら「ああ、顔のシミなんとかなんないかなあ」と思いながら、
ふと思い出したのであった・・・。

警告・キケン:「激落ちくん」は決して人体の皮膚に使ってはいけません。

(全然ディープじゃなくてすみません。)


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「愛され女子」後編

2018年12月26日 | 女性であること、のあれこれ
「愛されたい、じゃなくて、愛すればいいじゃない。」

でも、人に、誰かに「愛されたい」という気持ちはみんな持っているし、
至極自然で、決して否定することではない。
でも同時に、「人からの愛を受け取る」というのとも、ちょっと違う。

I receive and accept love.
I want to be loved.

ね。ちょっと違う。
「愛を受け取る」というのは、
人がWHOLEの状態の時にできることで、
人が差し出してくれるものを喜んで受け取る、
というとても肯定的なことだと思う。

「愛されたい」と思う時、感じる時、
人はちょっと自信がなくて、ちょっと寂しい時なのかなあと思う。
WHOLEじゃなくて、ちょっと「欠けちゃってる」(と本人が思っている)時。

で、生きてりゃそんなのしょっ中あるわけで、
人恋しいと思ったり、誰かの愛に助けてもらいたい、
そして実際助けてもらえることもたくさんある。
だから、私は「愛されたい」という気持ちは否定しない。
でも、その「愛されたい」という気持ちの根底に流れるものを見つめたら、
もうちょっと「先」に行けるかもしれない。

ただ「愛され女子」という言葉は、そこから滲み出る、
「愛されない女子たちよ。お前らはそもそも何かが欠けている。
だから、愛に値しない。」というところから、
完全自己否定に誘導し、
そこから当然「自分が愛される条件をクリアして、
自分以外の誰かに愛されさえすれれば、自分の価値が上がる」となるわけで、
この一見可愛らしい「愛され女子♡」という響きの言葉は、
自信のない女の子たち、
でもどうやって自己肯定をしたらいいか分からない女の子たちを
「愛されたい。愛されなければ。」という他人からの愛を渇望させるのだ。

渇望というのは「自分の中に無い」が前提だ。
「無い」んじゃなくて、「満ちてる」。
いつだって。本当は。

だから、キラッキラの「愛する女子♡」が世界に溢れかえればいい。

Wouldn't it be loverly?


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「愛され女子」

2018年12月25日 | 女性であること、のあれこれ
ここ数年「○○女子」という言葉がよく使われるようなったが、
私はたまに聞く「愛され女子」という言葉が大嫌いだ。

ある条件をクリアした女性だけが愛される、
そうでない女性は愛されない、
というその線引きは一体どこにあるのだ。
で、誰が決めたんだ。
そんで、「誰に」愛されるのを前提にしてんだ。
それは一人なのか、大勢なのか。

処世術としての、「人に良い印象を残す」という
振る舞いや言葉遣いなどはあるだろうが、
それはあくまでも「術」な訳で、
その人の本質そのものではないし、
「愛」という世界ではそんな見掛け倒しの上っ面なことは何の意味もない。


「愛され女子」という言葉がなぜ大嫌いなのかというと、
その対として「愛されない女子」(そんなのいない)が存在することになるし、
それによって、先に言ったように
「愛されるためには条件がある」という式ができてしまうからだ。

「愛される」ということに貪欲にフォーカスするということは、
I want to be loved by ○○の「○○」に魂を売るようなものだ。

愛という言葉を使いながら、
結果愛からどんどんかけ離れるという、まさに本末転倒。

「愛される、されない」という受動態は、外側の人間に左右される。
けれど「愛する、愛さない」というのは自分の「意志」だ。

愛されたい、じゃなくて、愛すればいいじゃない。

『愛する女子』

うむ。なかなか良いんじゃない?

つづく(あんの!?)



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