AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

「メイクについて」

2018年12月23日 | 女性であること、のあれこれ

・・・を語るほど、私には技術などないんだけど、
「メイクして、口紅付けて、最後に香水をつける」というのは私の日課である。

って書くと、いかにも「ちゃんとした女」って感じがするかもしれないが、
歯磨きと同じように日課にでもしないと、
若くないので、ほんと、マジで、真っ逆さまに下降してヨレヨレになるから、
そんな自分を見て受ける精神的ダメージを考えると、
律してでもやっておいた方がいいという、判断である。

それと、昔から母に「どんなに疲れていても、お化粧だけはしなさい」と言われていたこともある。
(そんな母も祖母からそれを言われていた)

まあ、今更、母に反発して我が道行ったところで問題はないのだが、
母がどうのというより、毎朝メイクの日課をやることで
、私は「目が覚める」。
最後に香水を付けて、「Ready to go」モードに入る。

そもそも性格なのだろうが、
私は休日でも「いつまでもパジャマ」でいることが嫌なのだ。
だったら、寝る。
じゃなくて起きているのなら、シャキーンとしていたい。
特に結婚して子供ができてから、そうなったのだと思う。

正直母親、妻に「休日」なんてないのだ。
気持ちが休日モードに入って、いつまでもパジャマでいたら、
タスクをこなす時にだるくて辛い。
なので、平日だろうが、週末だろうが、私はとっとと着替えて、
メイクをして、最後に香水をつける。(まあ、香水は単に好きだから)

メイクというのは、私にとって、
要はヨレヨレ防止と、目を覚ますという目的なのだけれど、
「自分の顔をちゃんと見てあげて、綺麗にしてあげる」という行為は
女性にとってはとてもポジティブなことだなあと思う。
特に口紅など「色を付けてあげる」と、
途端に顔も心もパッと明るくなったりする。
不思議なものである。

なぜ急にこんなことを書くに至ったのかというと、
今日、久しぶりにPLAZAに行って、
メイク用品のめくるめくキラキラワールドに久しぶりに触れて、
「やっぱりこういうのってワクワクときめくものだなあ」と、
なんだかうっとりしてしまったからだ。

もちろん、ノーメイクの美しい女性もいっぱいいるわけだし、
それがその人のスタイルということもあって大いに結構なのだが、
私の場合はいろいろな意味でメイクに救われるなあと、改めて感じたのだった。
あと、もう少しメイクテクとやらを勉強してもいいのかなと思った。

クリスマス、ご自分のために(奥様や恋人のために)新しい色の何かを買ってあげるのはいかがでしょう?



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「私はプリンセスになりたかったのだ」3 完結編

2018年11月18日 | 女性であること、のあれこれ
さて、例の先生による「黒禁止令」で、私は変わったのか?変わらなかったのか?
そして、それは「女性性」とどう関係があるのか?

つづき

遠い記憶ではあるのだけれど、
とにかく私は黒を身につけるのを従順にやめたのだ。
ボトムスに黒が多かったけれど、まずは手持ちのブルージーンズであったり、
「黒じゃなきゃいいんだろ!」みたいな感じで「黒じゃない色」を選んでいった。

「まずは外側から固めろ」攻略は、想像以上の効果があった。
色のパワー(エネルギー)を侮ってはいけないのだ。
多分、生まれて初めて、ベージュや(それこそ)薄いピンク、薄い黄緑や水色なんかの
「柔らかい色」を身につけた。
(ここでは、まだ、長いフレアスカートに手を出す勇気はなかったけど)

すると、(マジで)、その柔らかく優しい色は、
私のガチガチであった心を溶かしていったのだ。
そういう色を着るだけで!
あゆちゃんの心、大変身!


今まで感じたこともなかった「柔らかさ」が私の中で生まれてきたのである。
そして、その柔らかさはなんて優しく甘く心地よいものなのだろう。
これこそが、私が小さい時に求めていたものではないだろうか。
この感覚こそが、私が長年封じ込めていた女性性なのではないか。

「柔らかさ、優しさ、可愛らしさ」は、「弱くて、幼稚なもの」ではないのだ。
女性性というのは「受容」というエネルギーの質であり、
それは男性性の「外に向かう力強さ」と同じくらい大切なものなのだ。

もちろん「黒は着ない」作戦だけでなく、
その後、先生の元でありとあらゆる「自分と女性性を見つめる苦行」があったわけだが、
おかげで私の中ではようやく、この美しい女性のエネルギーが循環するようになり、
「小さい亜由子」の悲しみが癒され、彼女の願いが叶えられ、
過去と現在が繋がった、仲直りした、
やっと「ひとつ」になった、

やっと女性としてのスタートを切った、そんな感じだった。

今でも私は「プリンセスになりたかった私」を大事にしている。
「プリンセスは永遠です!」とかって本気で思う。
なぜなら、「小さい亜由子」はいつでもこれからも私の中にいて、
大人の私とは切ってもきれない仲なのだから。

30年も抑圧したからこそ、私にはその「抑圧の苦しみ」、
と同時に「女性性を大切にしたときの喜びと素晴らしさ」も知っている。
私はそんなことをもしかして伝えていきたいのかな、と
歌手として、また教える者として最近思っているのである。

おーしーまいっ!(読んでくださってありがとうございました!)



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「私はプリンセスになりたかったのだ」2

2018年11月16日 | 女性であること、のあれこれ
なぜ、今の私にとってピンクは一番好きな色なのに、
その時まで「あり得ない色」だったかは、私の幼少期まで遡る。


つづき


私は小さい頃、ぬいぐるみではなくて、断然「お人形」派だった。
リカちゃん人形を始め、リカちゃんのお友達にまで手を伸ばし、
着せ替えをしては彼女たちの可愛さにうっとりしていた。

リカちゃんが着ていたようなお洋服を着てみたいというのは、
当然ながら当時のリカちゃんファンの少女たちにとっては「夢」であった。

家族といいところにディナーを食べに行った時に、
たまにヒラヒラのドレスを着た女の子を見ると心から羨ましく思ったが、
母は「あんなのは田舎臭い」と、私にはサンローランかなんかの、
大人好みのシックな紺色とか茶色の子供服を着せた。
(まあ、今なら母の気持ちはよく分かる)
いつも「良い服」を着せられていたが、
「夢のピンク色」はついぞ着せてもらえず、
完全に母好みのシックなお嬢様スタイルだった。
でも、私は母に自分の思いは言わなかった。

そしてもう一つは髪型だった。
最高権力者の祖母と母の好みで持って、
髪はいつも短く切られていた。
でも、髪の長い女の子たち、それを可愛く結ってもらってる女の子たちが、
とても羨ましかった。
とにかく「とっても可愛かった」のだ。
それでも、私は母には何も言わなかった。

「可愛いもの」を一切着せてもらえず、
その分サンリオグッズとかで可愛いものに触れていたけれど、
「私自身が可愛くしてもらえる」(私が当時「思っていた可愛さ」ね)ことはついぞなかった。
思えば、女の子カラー「ピンク」は一度も身につけたことはなかったと思う。


たったそれだけで?と思われるかもしれないが、
私の「可愛いもの、お姫様みたいなもの」への憧れは相当強かったのだろう、
それを叶えてもらえなかったので、
いつしか「それはダメなもの」として、
私の心の奥にギューーーっと押し込まれることになった。

そして、「ダメなもの」は、10代に入ると「あり得ない」という「強い反発」へと変わる。
その頃はさすがに髪型も自由にやっていて、少し伸ばしたり、
おしゃれにだってものすごく興味はあったし
、私なりに「女の子」をエンジョイしていた。(つもりだった)

可愛さへの反発から、私のスタイルは「かっこいい女」へと突き進む。
アメリカ生活(バークリー時代)で、それに拍車がかかり、
当然ながら自分の「歌のスタイル」にまで影響が及んだ。
私の中の「可愛い女の子」は「かっこいい女」によってドンドン奥へと押しつぶされていった。
(もちろん当時の私はそんなのに気づいているわけがない)


それが「黒」がベースとなるファッションとなり、
20代は「かっこいい街道」まっしぐらの「とんがった」時代となったのだ。
(当然、恋愛にもその私の「在り方」が影響したが、そのことはまたいつか)


「可愛い女の子」という大きな忘れ物をしてしまった私は、
まさに「魂の救出作戦」として、ヒーリングの先生のところに「連れて来られた」・・・
としか、今は言いようがない。

さて、例の先生による「黒禁止令」で、私は変わったのか?変わらなかったのか?
そして、それは「女性性」とどう関係があるのか?

(まだ)つづく。




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「私はプリンセスになりたかったのだ」1

2018年11月13日 | 女性であること、のあれこれ
「私はプリンセスになりたかったのだ」

その「私」とは、私です。

超長編投稿シリーズ、
前回は「私にとって女性性・セクシュアリティーは大切だ」なんていうことを、
歌手としてのスタイルやテーマのことを話しながら書かせていただいた。

「私はプリンセスになりたかったのだ」が分かるまで、
生まれてから30年以上もかかってしまった。

30ちょいの時に、不思議な導きでヒーリングの先生と出会い、
彼女の元で、4人の生徒が一年かけて
ボイス・ヒーリング(声の波動を使うヒーリング)を学んでいったわけだが
最初のセミナーの時に「皆さんの課題は女性性ですね」と言われた。

つまり、おんなじ課題を持った女子たちが集まってしまったわけだ。

ヒーリングを学ぶと言っても、
最初からヒーリングの技術を教えてくれるわけではない。
ヒーラーになるためには、まず己を知り、
クリアすべきところをクリアしていかなければならないのだ。
それは「完璧な人間になる」ではなく、
自分を知らないと、簡単に自分の「影」を
ヒーリングを施す相手に投影させてしまうからだ。
自分の状態を知ること、自分のシャドウを知ること。
それに随分時間をかけた。

インナーチャイルドと対峙するのが一番きつかった。
隠していたつもりの思いがボロボロ出てくる。
母のこと。父のこと。とにかく色々。
どんだけってほど泣いたが、
今思えば、あれは私の歴史の大掃除であり、
散らかっていたものから「もういらない」ものを
「なぜいらないか」を理解し、手放し、
そして、全てをあるべきところへ戻してゆく・・・
そんな作業だった。

先生からの我々への最初のミッションは

「黒いもん着るな。なんならピンク着て。
あ、スカートも履いてみてね」

であった。ひ〜〜〜〜〜!
みんな「必ず」黒ベースファッションだった。
「そ、そんな。持ってないですーーーー!」

でも、私は「この一年間は」先生を信じると決めたので従うことにした。
女性性が課題である我々は「黒がないと生きていけない」人生を送っていた。
「ピンク」ほど「あり得ない色」はなかったのだ。

なぜ、今の私にとってピンクは一番好きな色なのに、
その時まで「あり得ない色」だったかは、私の幼少期まで遡る。

つづく。




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蓮の花がフワ〜〜〜っと開くような

2018年11月06日 | 女性であること、のあれこれ
昨日、出会ってもう15年は経つ、
私のソウルメイト(彼女も歌手)と
久しぶりにゆっくりお酒を飲みながら語らうことができた。

とにかく色々なことを語らったのだが、
その中に「歌手としてのテーマ・スタイル」みたいな話があった。
我々も長く歌ってきているので、
若かりし頃の暗中模索も終了し、
「軸」が出来上がってきた昨今である。

私は、「ベタだけど、私のテーマは愛です!」と言ったら、
「わかってる(笑)」と彼女。
でも、そこから先がとても興味深かったのだ。
さすが、彼女は私をよくわかってるし、知っている。


「でもね、愛といっても色々な形があるけど、
あゆちゃんの場合は男女の愛というか、
女性生、セクシュアリティーを大切にしているというか」と言い、そして、
「なんか、あゆちゃんって王子様に向かって歌ってるみたいなのよね」と言うではないか。


47歳にして「愛をテーマに、王子様に向かって歌う」歌手、AYUKO・・・


予想されるあなた方の失笑、苦笑は許そう。


でも、ここでまたまた興味深い過去のこととリンクしたのだ。
30代の前半、私は不思議な導きでボイス・ヒーリングの先生(私の師匠)と出会った。
一年間のヒーリングを学ぶコースに参加することになったのだが、
集まった私を含む4人の生徒は、
ズバリ、テーマ(その時の人生の課題)が「女性性」だったのだ。
どんなワークだったかは今回は割愛するとして
(もし彼女に出会ってなかったら、きっと今でも全身真っ黒な服を着ていたことだろう)、
その頃、個人的にセッションをさせてもらった時に、
(実はその頃のノートがまだあるのだが)彼女に言われたのは、


私が歌ってきた「わけ」というのは、
「たった一人の人に愛してもらうため」で、
その人は小さい頃から願う「王子様」であり、
そして「とても『男』な人」だ・・・
ということだ。


昨日友達が言ったことと、完全にリンクしている。


「で、その王子様は結局どこにいるの!?誰なの!?架空なの!?」
と鼻息荒くなるのを抑えつつ、
「今も、昔も、これからも、私は王子様に向かって歌い続けるのか」と疑問に思う。


それはさておき、「女性性・セクシュアリティー」を謳歌するというのは
私にとってとても大切なことなのだ。
でも、セクシュアリティーというのは別に
「セクシーであること」とか「sexをエンジョイする」
とかいうことに直結することではなく、
それらはセクシュアリティーが表れる「アスペクト」のうちだと思っている。

ハルちゃん(お友達)が
「あゆちゃんのテーマが、愛の中でも男女の愛」と言ったのは、
女性としてのセクシュアリティーを最も感じやすい、
花開きやすいのが「男女の愛」と、私が思っているからだろう。

蓮の花がフワ〜〜〜と開くような、
そして甘美な香りが漂ってくるような・・・
私にとって女性のセクシュアリティーのイメージはそんな
甘く優しく、美しくて、官能的なものなのだ。
(とっても素敵でうっとりしない?)

もちろん男性の存在がなくても、
女性性やそのセクシュアリティーを謳歌することはできるけれど、
男性という「対極」の存在がいるからこそ「引き出される」ものもあるように思う。
まさに「陰陽」のマジック!

そういう意味で、ハルちゃんの「直観」は合っている。

私は決してマザーテレサのような歌手にはなれない、
ならないかもしれない。
でも、先日LIVEをやって感じたことは、
ようやく意識が「自分だけ」から「自分以外の存在へ」とシフトしてきたような感覚だ。
「私、少し成長してきたかもしれない」と少し思っている今日この頃。

とは言え、「女性であることを謳歌する」という意味での
「愛のテーマ」というのは
、きっとこれからも私にとって大切なものであり続けることだと思うし、
歌を通して、皆さん(女性も男性も!)の中の
「蓮の花」がフワ〜〜っと開いてくれたらなあという思いで歌を届けていきたいと思ってる。


「で、王子様はどこなわけ!?」で締めくくる・・・っと!







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