昨日の「さっむ〜〜〜!」から一変して、
今日はポカポカ。ありがたや。
今日は何を書こうかなあと思いながら、
家中をクイックルワイパーで掃除していたのですが、
「これ(↑タイトル)で行こう」と思いついたのでした。
あえて『犠牲者』に『』を付けたのは、
いわゆる事故などで本当にその犠牲者になってしまうという意味としてではなく、
『犠牲者』という「意識」を持つことを意味したかったのです。
私たちは日々、色々な境遇に足を突っ込むというか、
運命なんだか、ご縁なんだか、それが起きちゃうんだか、自分で実は選んでるんだか、
その辺のところはミステリーゾーンとして置いておくとして、
とにかく「非常にきつい。辛い。どうしよう。」という事態が
「降りかかってくる」時があります。
「はっきり言って私が悪いんじゃない!」的なね。
それは仕事のことであるかもしれません。
家庭・家族のことかもしれません。
「状況」であったり、「人間関係」であったり。
そこで今日のタイトル「『犠牲者』になってはいけないよ」のお話ですが。
つまり、『犠牲者という意識』を持ってはいけないよ」ということなのですがね。
『犠牲者という意識』を持つということは、
カオスの根源となっている(と、自分が思っている)状況や人に対して
「これのせいで〜〜!!!」
「あいつのせいで〜〜〜!!!」
と、呪っている状態だと思うのです。
良いでしょう!!!
とにかく憤慨しまくって、呪いまくれ!!!
(マジで。本当に。とりあえず。)
しかし、最近、気づいたのです。
それって・・・
それら(状況とか人とか)に自分の全パワーを譲渡するということなのだ、と。
自分の全パワーを譲渡するということは
「自分の意志で自分を生きられない」ということなのです。
だって、『犠牲者』ってそういうことでしょう?
外界で起きたカオスに「持っていかれる」ってことでしょう?
何かのせい・・・確かに何かの、誰かのせいかもしれない、けれども、
ひたすら「○○のせい」という意識の中にい続けると、
その代償として、「それでも自分はこう生きるのだ。こう在るのだ。」という、
自分の幸せは自分で責任を取るという意志のパワーを
手放すことでもあると思うのです。
・・・ということに私自身が気づいたのは、
その「カオス」が今年自分の身に起こった(今も真っ只中)からです。
『ツレがうつになりまして』
という映画化もされたエッセイ漫画をご存知の方も多いかと思いますが、
はい、私の主人がうつになりました。
共に暮らしている人が日に日に変わってゆく様、
別人のようになってゆく様、
どんどん幽霊のようになってゆく様・・・
ここでは詳しいことは書きませんが、
その様をすぐそばで見続ける、共に生活する、のは
かなりキツい。
限界まで来てようやく治療を始めて会社を休むことになって、
そこからもまた、かなりキツい。
この夏、私はどんどん主人の有様に引っ張られ、
不安や恐怖にかられ、何度も何度も大泣きし、疲弊し、
「私は私」と頑張りながらも、やっぱり引っ張られ、
二人の子供たち(小学生)がいるんだから
せめて私は元気でいないと、というプレッシャーが更に不安に拍車をかけ・・・
はい。つい最近、私も限界が来ました。
私の場合は自分の判断で病院に行って、
ここを乗り越えるために必要な薬を飲んでいくことにしました。
乗り越えるためなら手段は選ばねーぜ。
(この手のはね、実は慣れっこなのです。
そんな話はいつかまた。)
で、決めた。
私はもう犠牲者になんねえ。
確かに「まさか私に降りかかるとは」な出来事ではあるけれど、
自分の日々を自分で幸せにする責任だけは絶対放棄すまい、と。
主人のせいにするわけでもなければ、
彼を突き放すということでもないのです。
どんな環境に身を置くことになっても、
マイワールドを守れるのは自分だけなのです。
でも、マイワールドを守る、というのはね、
決してガードを固くする、とか、誰かを入れない、ということではないのです。
簡単に言えば、
外界で起きていることとマイワールドの間に、
きちんと境界線を置いて、
引っ張られることなく、中に取り組んでしまうこともなく、
私は私でブレない。
ということです。
それが、自分のパワーを外に譲渡しない、
『犠牲者』という意識を持たない、という
最初の方に書いたことの意味です。(今、繋がった、笑)
そしてね、
自分がちゃんと自分のパワーを保持しているからこそ、
幸せを選択でき、またその選択が周りをも幸せに導くことができる・・・
私はそう信じることにしたのです。
(よく思い出すのは、飛行機での酸素マスクについての説明です。
「まずは自分が」マスクを装着して、その後、自分で装着できない子供達とかを
手伝ってあげる、というアレです。)
私の場合は、降り掛かったカオスは「主人のうつ」ですが、
皆さんもきっと、それぞれ辛く大変な体験をなさった、
もしくは体験していらっしゃる、かもしれません。
「は?夫がウツ?あんた、そんなでカオスなんて言ってんじゃないよ、
こっちわねえ!・・・」というお声もあるかもしれません。
どんな状況であれ、苦しさとしばし付き合わなければならないのでしたら、
どうか手放さないでください。
あなたのパァ〜〜ワァ〜〜〜!!!
追記;ルール(勝手に決めた)
何度でも「バカヤローー!」と(心の中で)罵っても良い。
ひとしきり罵った後は、己の無限のパワーを思い出す。
そして、声に出して泣きじゃくって良い。
ひとしきり泣いた後は、また己の無限のパワーを思い出す。^^
ね。
がんばろ!
ほら、生きてる、ちゃんと!
今日はポカポカ。ありがたや。
今日は何を書こうかなあと思いながら、
家中をクイックルワイパーで掃除していたのですが、
「これ(↑タイトル)で行こう」と思いついたのでした。
あえて『犠牲者』に『』を付けたのは、
いわゆる事故などで本当にその犠牲者になってしまうという意味としてではなく、
『犠牲者』という「意識」を持つことを意味したかったのです。
私たちは日々、色々な境遇に足を突っ込むというか、
運命なんだか、ご縁なんだか、それが起きちゃうんだか、自分で実は選んでるんだか、
その辺のところはミステリーゾーンとして置いておくとして、
とにかく「非常にきつい。辛い。どうしよう。」という事態が
「降りかかってくる」時があります。
「はっきり言って私が悪いんじゃない!」的なね。
それは仕事のことであるかもしれません。
家庭・家族のことかもしれません。
「状況」であったり、「人間関係」であったり。
そこで今日のタイトル「『犠牲者』になってはいけないよ」のお話ですが。
つまり、『犠牲者という意識』を持ってはいけないよ」ということなのですがね。
『犠牲者という意識』を持つということは、
カオスの根源となっている(と、自分が思っている)状況や人に対して
「これのせいで〜〜!!!」
「あいつのせいで〜〜〜!!!」
と、呪っている状態だと思うのです。
良いでしょう!!!
とにかく憤慨しまくって、呪いまくれ!!!
(マジで。本当に。とりあえず。)
しかし、最近、気づいたのです。
それって・・・
それら(状況とか人とか)に自分の全パワーを譲渡するということなのだ、と。
自分の全パワーを譲渡するということは
「自分の意志で自分を生きられない」ということなのです。
だって、『犠牲者』ってそういうことでしょう?
外界で起きたカオスに「持っていかれる」ってことでしょう?
何かのせい・・・確かに何かの、誰かのせいかもしれない、けれども、
ひたすら「○○のせい」という意識の中にい続けると、
その代償として、「それでも自分はこう生きるのだ。こう在るのだ。」という、
自分の幸せは自分で責任を取るという意志のパワーを
手放すことでもあると思うのです。
・・・ということに私自身が気づいたのは、
その「カオス」が今年自分の身に起こった(今も真っ只中)からです。
『ツレがうつになりまして』
という映画化もされたエッセイ漫画をご存知の方も多いかと思いますが、
はい、私の主人がうつになりました。
共に暮らしている人が日に日に変わってゆく様、
別人のようになってゆく様、
どんどん幽霊のようになってゆく様・・・
ここでは詳しいことは書きませんが、
その様をすぐそばで見続ける、共に生活する、のは
かなりキツい。
限界まで来てようやく治療を始めて会社を休むことになって、
そこからもまた、かなりキツい。
この夏、私はどんどん主人の有様に引っ張られ、
不安や恐怖にかられ、何度も何度も大泣きし、疲弊し、
「私は私」と頑張りながらも、やっぱり引っ張られ、
二人の子供たち(小学生)がいるんだから
せめて私は元気でいないと、というプレッシャーが更に不安に拍車をかけ・・・
はい。つい最近、私も限界が来ました。
私の場合は自分の判断で病院に行って、
ここを乗り越えるために必要な薬を飲んでいくことにしました。
乗り越えるためなら手段は選ばねーぜ。
(この手のはね、実は慣れっこなのです。
そんな話はいつかまた。)
で、決めた。
私はもう犠牲者になんねえ。
確かに「まさか私に降りかかるとは」な出来事ではあるけれど、
自分の日々を自分で幸せにする責任だけは絶対放棄すまい、と。
主人のせいにするわけでもなければ、
彼を突き放すということでもないのです。
どんな環境に身を置くことになっても、
マイワールドを守れるのは自分だけなのです。
でも、マイワールドを守る、というのはね、
決してガードを固くする、とか、誰かを入れない、ということではないのです。
簡単に言えば、
外界で起きていることとマイワールドの間に、
きちんと境界線を置いて、
引っ張られることなく、中に取り組んでしまうこともなく、
私は私でブレない。
ということです。
それが、自分のパワーを外に譲渡しない、
『犠牲者』という意識を持たない、という
最初の方に書いたことの意味です。(今、繋がった、笑)
そしてね、
自分がちゃんと自分のパワーを保持しているからこそ、
幸せを選択でき、またその選択が周りをも幸せに導くことができる・・・
私はそう信じることにしたのです。
(よく思い出すのは、飛行機での酸素マスクについての説明です。
「まずは自分が」マスクを装着して、その後、自分で装着できない子供達とかを
手伝ってあげる、というアレです。)
私の場合は、降り掛かったカオスは「主人のうつ」ですが、
皆さんもきっと、それぞれ辛く大変な体験をなさった、
もしくは体験していらっしゃる、かもしれません。
「は?夫がウツ?あんた、そんなでカオスなんて言ってんじゃないよ、
こっちわねえ!・・・」というお声もあるかもしれません。
どんな状況であれ、苦しさとしばし付き合わなければならないのでしたら、
どうか手放さないでください。
あなたのパァ〜〜ワァ〜〜〜!!!
追記;ルール(勝手に決めた)
何度でも「バカヤローー!」と(心の中で)罵っても良い。
ひとしきり罵った後は、己の無限のパワーを思い出す。
そして、声に出して泣きじゃくって良い。
ひとしきり泣いた後は、また己の無限のパワーを思い出す。^^
ね。
がんばろ!
ほら、生きてる、ちゃんと!