昨日のブログ『自分の「本当の好き」を見つける』で、
私はここからアーティストとしての歌手としてやっていく上での
課題について書きました。
善は急げ?
急ぐ必要はないのですが、
私は昨日から早速「私の好きな音楽徹底解析」を始めました。
パソコンのPagesを新規で開き、
色々なカテゴリーを作りながら
これまで自分が好きになった音楽、
歌った曲を振り返り、カチャカチャと打ち始めました。
その作業を始めると止まらないのでした。
つまり、私は「今やりたいことをやっている」ということです。
私もやり出すと、
炭二郎に負けず劣らずの(いえ、劣りますが)「全集中」が可能になるのですが
久しぶりに脳みそをフル回転したがために
疲れた・・・。
が、やる気は満々でして、
今朝もその全集中でもって解析を進めました。
私はこれまである意味、
その場その場で「歌いたい曲」を選んできたので
このように客観的に自分の傾向やスタイルを
分析、解析をするのは初めてです。
ですが、
色々なものが早速見えてきました。
その場その場、と言いつつも、
(当たり前ですが)好みがあるわけで、
その傾向がはっきりと見えてきた。
音楽的にです。
「〜だろうな」と薄々分かっていたのが
「やっぱりな」という感じです。
始動二日目で随分と見えてきましたよ。
(全集中のなせる技、ふふ。)
でもまだ分析段階ですから、
ここから実技といいますかね、
ここから「オリジナルに落とし込む」作業、
つまり頭だけではできないクリエイティブ作業が待っています。
きっと一筋縄では行かないと思います。
でもね、やらないといけないのです。
やってみないと分からない。
(曲を)書いてみないと分からない。
だからまずはやるしかない。
そんな感じで腹を括りましたよ。
そして私は驚くべきことに気づいたのでした。
過去に封印したことすら忘れていたことでした。
当時、私は封印したつもりはなかったのです。
でも・・・私は封印したのですね。
あの頃。
昨日今日と色々分析してみるとね、
私はやっぱりSoul Musicが大っ好きなんだ。
ということが分かりました。
いや、私に近しい人々たちにしてみれば、
「は?今更何言っちゃってんの?そんなの明らかじゃない。」かもしれない。
けれど、
私の中では違いました。
もちろん大好きなのだけれど、
自分がその音楽を本気でやることは・・・
私はとうに諦めていたのです。
そうだ。
あの頃、私は「諦めた」んだ、と。
それに気づいたのでした。
「諦めた」という言葉が出てきた時に
正直、私はびっくりしました。
そこから私は遠い過去を思い出しました。
ボストンでの音大時代。
入学してすぐに観たGospel Choirのコンサートに衝撃を受け、
私はすぐに虜になって、そこからあらゆるSoul Musicを聴き始めました。
「私もあんな風に歌えるようになりたい」という一心で。
本場アメリカで、しかも音楽の専門大学。
「本場のSoul Singer」が周りにたっくさんいるわけです。
今更何を学ぶ必要があるの?っていうくらいすごい歌手もたくさんいました。
私はというと・・・
自分は日本人で、それを聞いて育ったわけもなく、
何から何まで最初から身につけなければいけない。
叶いっこないじゃん。
彼らに。
劣等感です。
凄まじい劣等感。
それでも虜になって、大好きになって、
私なりにとにかくいっぱい聞いて、練習して、
2年生ではようやく「夢のGospel Choir」の試験に受かって・・・
頑張ったさ。
なぜなら、大好きだったから。
なかなか伸びなかった歌のスキルも
3年生で出会った先生のおかげで
卒業する頃までには随分と身につきました。
けれど、
私はいつも「私はまだまだ」だった。
決して自信を持つことはできませんでした。
最後まで劣等感を手放すことはできませんでした。
そう。
それはね。
私自身が自分に偏見を持っていたからです。
日本人だし。
彼らの音楽に手を出すこと自体が図々しい。
恥ずかしい。
彼らみたいになれるわけないだろうが。
真似っこにしか見えないよ。
かっこわる。
そしていつしか
本当に「必死に真似している」自分に気づいて、
それ以上Soul Musicを追求するのはやめました。
でもずっと好きで、
ずっと歌っていたけれど、
今度は帰国した時に、
レコードデビューを狙っていましたが、
結局「日本語で歌わないといけない」と言われ、
そういえばとあるレコード会社のA&Rに声をかけられて
デモとして当時華々しくデビューしたUAの歌を歌わされて、
随分と違和感を感じたなあ。
アメリカの音楽が好きで
わざわざアメリカまで勉強しに行って、
なぜアメリカ由来の音楽を
日本語で歌わなきゃいけないんだ。
そうじゃないと売れないから。
(日本はそういう時代が長く長く続きましたね。
今も相変わらずその傾向は強いですが、
今は発信の仕方がたくさんあること、
多様性の広がり、自由があります。)
私はその辺りで、
多分、全部諦めたのです。
自分がアーティストとしてやりたいことを。
オリジナルを書くという発想もなかったですしね。
時折やるLIVEで好きなものを歌って
後は職業歌手として(こちらは)色々活躍させていただきました。
そして時間は過ぎて
時は今。
学生時代から30年経った今、
私は新たに本気で音楽をやろうとしている。
私の「オリジナルの世界」を音楽で表現しようとしている。
そしてね、
あの時の私と違うところは、
彼らみたいにならなくてもいいじゃないか。
っていうかなれないし、なる必要もない。
私のスタイルで私オリジナルのSoul Musicをやればいいじゃないか。
言語だって英語で書きたいならそうすればいいじゃないか。
だって、好きなんだから。
っていうところに辿り着いたということでしょうか。
そして、今は、自分が持っているもの、培ってきたものに、
ちゃんと健全な自信を持っている。(認めることができるようになった)
そして冷静に考えてみますと、
クラシック音楽はヨーロッパの人たちにしか演奏ができないのか。
いやいやオーケストラでもオペラでも
世界中の人がやっているじゃないか。
きっと、好きだからでしょ?
オペラだってその元々の言語でやってる。
だって、多分、それが一番美しいから。
私はアメリカ由来の音楽を
日本語で歌うことを否定しません。
それはそれで「新しいジャンルのへ挑戦」であり、
多くの日本のアーティストたちが
切り開いてきました。
ただ、私の場合は、
それらの音楽を英語で歌うのが好き。
というだけの話。
「〜が好き、というだけの話。だからそれやる。」に落ち着くまで
あ〜あ、30年もかかっちゃったよ。
自分への偏見や劣等感や自信のなさ・・・
周りにどう見られるか、どう評価されるのか・・・
オリジナルなんて書けないという思い込み・・・
それらが「好きを追求する」をずっと妨げてたのでした。
でも今回の作業で
パンドラが開いて
中から出てきたものがこれだったとは
私は予想もしていませんでした。
でもあの時「諦めた」自分を許そうと思う。
そうするしかなかった自分を。
けれど私はまだ生きている。
生きているということは、
「あの時できなかったことに挑戦できる」
ということです。
そしてもう一つ思い出したこと。
30代の頃だったでしょうか。
「私は一度でいいから
本気で音楽に取り組んでみたい。」
ということを思いました。
それはその結果として成功する、しない、よりも
何よりも、
私の「夢」だったのではないかと。
その夢を叶えるチャンスが
ようやく訪れているのかもしれません。
本来パンドラの箱というのは
「触れてはいけないもの、
実行すれば何が起きるか分からないもの」
という、ちょっとおどろおどろしい意味らしいですが、
私のパンドラの箱は
開けてもらうタイミングを
ずっと待っていたのかもしれません。
今だから触れられるもの。
そこに新しい発見をする。
怖くないやい!
*聴くブログ!?「Soul Quest Sound Blog」という
ラジオなようなものを勝手に作って展開しております!
このブログの調子が、そのまんま私のトークと音楽で展開されています。
このブログのカテゴリー「Sound Blog」から是非どうぞ!
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私はここからアーティストとしての歌手としてやっていく上での
課題について書きました。
善は急げ?
急ぐ必要はないのですが、
私は昨日から早速「私の好きな音楽徹底解析」を始めました。
パソコンのPagesを新規で開き、
色々なカテゴリーを作りながら
これまで自分が好きになった音楽、
歌った曲を振り返り、カチャカチャと打ち始めました。
その作業を始めると止まらないのでした。
つまり、私は「今やりたいことをやっている」ということです。
私もやり出すと、
炭二郎に負けず劣らずの(いえ、劣りますが)「全集中」が可能になるのですが
久しぶりに脳みそをフル回転したがために
疲れた・・・。
が、やる気は満々でして、
今朝もその全集中でもって解析を進めました。
私はこれまである意味、
その場その場で「歌いたい曲」を選んできたので
このように客観的に自分の傾向やスタイルを
分析、解析をするのは初めてです。
ですが、
色々なものが早速見えてきました。
その場その場、と言いつつも、
(当たり前ですが)好みがあるわけで、
その傾向がはっきりと見えてきた。
音楽的にです。
「〜だろうな」と薄々分かっていたのが
「やっぱりな」という感じです。
始動二日目で随分と見えてきましたよ。
(全集中のなせる技、ふふ。)
でもまだ分析段階ですから、
ここから実技といいますかね、
ここから「オリジナルに落とし込む」作業、
つまり頭だけではできないクリエイティブ作業が待っています。
きっと一筋縄では行かないと思います。
でもね、やらないといけないのです。
やってみないと分からない。
(曲を)書いてみないと分からない。
だからまずはやるしかない。
そんな感じで腹を括りましたよ。
そして私は驚くべきことに気づいたのでした。
過去に封印したことすら忘れていたことでした。
当時、私は封印したつもりはなかったのです。
でも・・・私は封印したのですね。
あの頃。
昨日今日と色々分析してみるとね、
私はやっぱりSoul Musicが大っ好きなんだ。
ということが分かりました。
いや、私に近しい人々たちにしてみれば、
「は?今更何言っちゃってんの?そんなの明らかじゃない。」かもしれない。
けれど、
私の中では違いました。
もちろん大好きなのだけれど、
自分がその音楽を本気でやることは・・・
私はとうに諦めていたのです。
そうだ。
あの頃、私は「諦めた」んだ、と。
それに気づいたのでした。
「諦めた」という言葉が出てきた時に
正直、私はびっくりしました。
そこから私は遠い過去を思い出しました。
ボストンでの音大時代。
入学してすぐに観たGospel Choirのコンサートに衝撃を受け、
私はすぐに虜になって、そこからあらゆるSoul Musicを聴き始めました。
「私もあんな風に歌えるようになりたい」という一心で。
本場アメリカで、しかも音楽の専門大学。
「本場のSoul Singer」が周りにたっくさんいるわけです。
今更何を学ぶ必要があるの?っていうくらいすごい歌手もたくさんいました。
私はというと・・・
自分は日本人で、それを聞いて育ったわけもなく、
何から何まで最初から身につけなければいけない。
叶いっこないじゃん。
彼らに。
劣等感です。
凄まじい劣等感。
それでも虜になって、大好きになって、
私なりにとにかくいっぱい聞いて、練習して、
2年生ではようやく「夢のGospel Choir」の試験に受かって・・・
頑張ったさ。
なぜなら、大好きだったから。
なかなか伸びなかった歌のスキルも
3年生で出会った先生のおかげで
卒業する頃までには随分と身につきました。
けれど、
私はいつも「私はまだまだ」だった。
決して自信を持つことはできませんでした。
最後まで劣等感を手放すことはできませんでした。
そう。
それはね。
私自身が自分に偏見を持っていたからです。
日本人だし。
彼らの音楽に手を出すこと自体が図々しい。
恥ずかしい。
彼らみたいになれるわけないだろうが。
真似っこにしか見えないよ。
かっこわる。
そしていつしか
本当に「必死に真似している」自分に気づいて、
それ以上Soul Musicを追求するのはやめました。
でもずっと好きで、
ずっと歌っていたけれど、
今度は帰国した時に、
レコードデビューを狙っていましたが、
結局「日本語で歌わないといけない」と言われ、
そういえばとあるレコード会社のA&Rに声をかけられて
デモとして当時華々しくデビューしたUAの歌を歌わされて、
随分と違和感を感じたなあ。
アメリカの音楽が好きで
わざわざアメリカまで勉強しに行って、
なぜアメリカ由来の音楽を
日本語で歌わなきゃいけないんだ。
そうじゃないと売れないから。
(日本はそういう時代が長く長く続きましたね。
今も相変わらずその傾向は強いですが、
今は発信の仕方がたくさんあること、
多様性の広がり、自由があります。)
私はその辺りで、
多分、全部諦めたのです。
自分がアーティストとしてやりたいことを。
オリジナルを書くという発想もなかったですしね。
時折やるLIVEで好きなものを歌って
後は職業歌手として(こちらは)色々活躍させていただきました。
そして時間は過ぎて
時は今。
学生時代から30年経った今、
私は新たに本気で音楽をやろうとしている。
私の「オリジナルの世界」を音楽で表現しようとしている。
そしてね、
あの時の私と違うところは、
彼らみたいにならなくてもいいじゃないか。
っていうかなれないし、なる必要もない。
私のスタイルで私オリジナルのSoul Musicをやればいいじゃないか。
言語だって英語で書きたいならそうすればいいじゃないか。
だって、好きなんだから。
っていうところに辿り着いたということでしょうか。
そして、今は、自分が持っているもの、培ってきたものに、
ちゃんと健全な自信を持っている。(認めることができるようになった)
そして冷静に考えてみますと、
クラシック音楽はヨーロッパの人たちにしか演奏ができないのか。
いやいやオーケストラでもオペラでも
世界中の人がやっているじゃないか。
きっと、好きだからでしょ?
オペラだってその元々の言語でやってる。
だって、多分、それが一番美しいから。
私はアメリカ由来の音楽を
日本語で歌うことを否定しません。
それはそれで「新しいジャンルのへ挑戦」であり、
多くの日本のアーティストたちが
切り開いてきました。
ただ、私の場合は、
それらの音楽を英語で歌うのが好き。
というだけの話。
「〜が好き、というだけの話。だからそれやる。」に落ち着くまで
あ〜あ、30年もかかっちゃったよ。
自分への偏見や劣等感や自信のなさ・・・
周りにどう見られるか、どう評価されるのか・・・
オリジナルなんて書けないという思い込み・・・
それらが「好きを追求する」をずっと妨げてたのでした。
でも今回の作業で
パンドラが開いて
中から出てきたものがこれだったとは
私は予想もしていませんでした。
でもあの時「諦めた」自分を許そうと思う。
そうするしかなかった自分を。
けれど私はまだ生きている。
生きているということは、
「あの時できなかったことに挑戦できる」
ということです。
そしてもう一つ思い出したこと。
30代の頃だったでしょうか。
「私は一度でいいから
本気で音楽に取り組んでみたい。」
ということを思いました。
それはその結果として成功する、しない、よりも
何よりも、
私の「夢」だったのではないかと。
その夢を叶えるチャンスが
ようやく訪れているのかもしれません。
本来パンドラの箱というのは
「触れてはいけないもの、
実行すれば何が起きるか分からないもの」
という、ちょっとおどろおどろしい意味らしいですが、
私のパンドラの箱は
開けてもらうタイミングを
ずっと待っていたのかもしれません。
今だから触れられるもの。
そこに新しい発見をする。
怖くないやい!
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