アラフォーとか、アラフィフとかって言いますが、
私の個人的な定義として、
アラフォーは38歳〜43歳。
アラフィフは48歳〜53歳。
一般的定義はわからないんだけど、
何となく私の中では上記の通りでして。
私は現在46歳で今年47になるんだけど、
私の定義からいえば、アラフォーでも、アラフィフでもないお年頃でして、
でも確実に50は近づいている、という。
20、30、40、50、とかっていう、10の位が変わる時って、
毎度ドキドキするというか、節目感があるというか、
確かに10年間というなかなかの期間を共にしてきた10の位の数字が変わるわけだから、
まあそれなりに感慨深いことなのかもしれない。
それに40を過ぎると、
「ああ、いよいよ人生も折り返し地点か〜」とかなったりして、
同時に「ああ、いよいよ歳を取ってゆくのだわ〜」とかなったりして、
特に女性にとっては、美しくエイジングか!アンチエイジングか!とかなったりして、
どうも40を過ぎると、何やら様変わりするような感じがする。
とは言え、
60代とか70代のお姉さま方からしたら、
私などは「あら〜〜、まだ若いわね〜〜、今が一番綺麗なときよ〜」
ってな感じかもしれないが、
私はまだお姉様方の「域」に行ったことがないので、
「ぎゃ〜〜50が確実に近づいている〜〜」とおののくわけだ。
思えば、40になる時もそんな感じだったような気がするが、
未知の世界の恐ろしい40代も、なってみれば楽しいもので、
それなりに美の追究も充実し、「なかなか、くるしゅーない」と言った感じで。
しかしながら、
色々な衰えというのが、「40代の道」には現れて来るもので、
それは30代にはなかったものだ。
で、40代の真ん中を過ぎると、いよいよそれらが顕著に出てきて、
「もしや、これって、どーにもなんないじゃねえ?」という、
もはやにっちもさっちも行かないような現象を認めざるを得ない状態となり、
「己を受け入れる」という、「自己啓発系の先生方」が口を酸っぱくして言い続けているアレの意味が、
ようやく分かってくるというか、
「TO BE OR NOT TO BE」くらいの選択を迫られる事態の中、
ほぼ敗北感に近い形で、己を受け入れる訳である。
さて、以前の投稿でもふにゃふにゃ書きましたが、
私にとって「どうしたらキレイに見えるか。いい感じに見えるか」という
女としての美の追究みたいのは、諸々のコンプレックスが原動力となる「趣味」な訳ですが、
これから益々「コンプレックス(?)」が増えていくであろう中、
どうしたものかと。
そして、「そうだ!参考にできる、目指したみたいと思えるRAW MODELが私に必要だ!」と思い立ち。
私よりも若い方々は今や参考にはできないので、40代50代というところで、考えました。
そして。
先日はダイアン・レイン。
昨日は、キム・ベイシンガーなんかをググって、画像なんかを拝見しましたよ。
はい。目標は高く。夢は大きく。
ふむふむ。
彼女たちはナチュラル系と言いますかね。
ナチュラルに美しく、セクシーで、大人の女ってこうなんだわ、という。
Sex And The CityのSamanthaとか、はたまた叶恭子さんまで行くと、
もはやアッパレとしか言いようがなく。
Sexualityをいくつになっても全面に出してゆくというのは、
なかなか勇気がいることだし、リスクもあるし、賛否両論にもなるだろうけど、
我が道を全くの迷いなしに進んでいる人たちはすごいし、強い。
また個人的にかっこいいなと思うのはロックミュージシャンでしょうか。
若い頃からのロックスピリットというのが損なわれることなく、
おばさまになってもロックしてて、それまたかっこいい。
まさにロングランで培った賜物だ。
なので急にロックなおばさんには絶対なれないので、私は無理です。
で、結局ね、
それでもみなさま「おばさま」なのです。
どう見ても、おばさまなのです。
若い女の人ではないのです。
「対若い女の人」という、変なこだわりを捨てない限り、
本当の意味で素敵なおばさまにはなれないのではないかと。
それでも。
いつまでも美しい肌で、美しい髪で、美しい肉体で、と願い、
色々手をかけるというのが、女性なのかもしれないけど。
ただ一つ言えるのは、
男女に関係なく、歳をとればとるほど、
その人が生きてきた様が「雰囲気」に出るということでしょうか。
「雰囲気」だけは、外側の飾りだけではカバーできないもので、
また一日二日で身につけられるものでもない。
ある意味、自己啓発的「己を受け入れる」、
つまり自分が歩いてきた道を、生きている様を受け入れる、
ということが、「だからこそこの人はこの人で、それが素晴らしい」という、
確固たる空気が雰囲気に出るのかもしれない。
で、おばさま街道をこのまま歩んでいく私ですが、
「どうありたいか」というのは、多分、ずっと続く、
というか、その時の自分の有様や、人生の有様に応じて、
暗中模索
右往左往
七転八倒
絶体絶命
危機一髪
(その他、それっぽい四文字熟語全部)
しながらやっていくのだろうな、と。
でも、ここからもう死ぬまで「ALL SET」よりは、
あーでもない、こーでもないしてる方が楽しそうだ。
ダイアン・レイン・・・キム・ベイシンガー・・・
どーやったら、あーなるんだ。
なんなら、叶恭子さん・・・うっひゃひゃー
ってんな感じで。うふふ。
歌手AYUKOのページはこちら♪
私の個人的な定義として、
アラフォーは38歳〜43歳。
アラフィフは48歳〜53歳。
一般的定義はわからないんだけど、
何となく私の中では上記の通りでして。
私は現在46歳で今年47になるんだけど、
私の定義からいえば、アラフォーでも、アラフィフでもないお年頃でして、
でも確実に50は近づいている、という。
20、30、40、50、とかっていう、10の位が変わる時って、
毎度ドキドキするというか、節目感があるというか、
確かに10年間というなかなかの期間を共にしてきた10の位の数字が変わるわけだから、
まあそれなりに感慨深いことなのかもしれない。
それに40を過ぎると、
「ああ、いよいよ人生も折り返し地点か〜」とかなったりして、
同時に「ああ、いよいよ歳を取ってゆくのだわ〜」とかなったりして、
特に女性にとっては、美しくエイジングか!アンチエイジングか!とかなったりして、
どうも40を過ぎると、何やら様変わりするような感じがする。
とは言え、
60代とか70代のお姉さま方からしたら、
私などは「あら〜〜、まだ若いわね〜〜、今が一番綺麗なときよ〜」
ってな感じかもしれないが、
私はまだお姉様方の「域」に行ったことがないので、
「ぎゃ〜〜50が確実に近づいている〜〜」とおののくわけだ。
思えば、40になる時もそんな感じだったような気がするが、
未知の世界の恐ろしい40代も、なってみれば楽しいもので、
それなりに美の追究も充実し、「なかなか、くるしゅーない」と言った感じで。
しかしながら、
色々な衰えというのが、「40代の道」には現れて来るもので、
それは30代にはなかったものだ。
で、40代の真ん中を過ぎると、いよいよそれらが顕著に出てきて、
「もしや、これって、どーにもなんないじゃねえ?」という、
もはやにっちもさっちも行かないような現象を認めざるを得ない状態となり、
「己を受け入れる」という、「自己啓発系の先生方」が口を酸っぱくして言い続けているアレの意味が、
ようやく分かってくるというか、
「TO BE OR NOT TO BE」くらいの選択を迫られる事態の中、
ほぼ敗北感に近い形で、己を受け入れる訳である。
さて、以前の投稿でもふにゃふにゃ書きましたが、
私にとって「どうしたらキレイに見えるか。いい感じに見えるか」という
女としての美の追究みたいのは、諸々のコンプレックスが原動力となる「趣味」な訳ですが、
これから益々「コンプレックス(?)」が増えていくであろう中、
どうしたものかと。
そして、「そうだ!参考にできる、目指したみたいと思えるRAW MODELが私に必要だ!」と思い立ち。
私よりも若い方々は今や参考にはできないので、40代50代というところで、考えました。
そして。
先日はダイアン・レイン。
昨日は、キム・ベイシンガーなんかをググって、画像なんかを拝見しましたよ。
はい。目標は高く。夢は大きく。
ふむふむ。
彼女たちはナチュラル系と言いますかね。
ナチュラルに美しく、セクシーで、大人の女ってこうなんだわ、という。
Sex And The CityのSamanthaとか、はたまた叶恭子さんまで行くと、
もはやアッパレとしか言いようがなく。
Sexualityをいくつになっても全面に出してゆくというのは、
なかなか勇気がいることだし、リスクもあるし、賛否両論にもなるだろうけど、
我が道を全くの迷いなしに進んでいる人たちはすごいし、強い。
また個人的にかっこいいなと思うのはロックミュージシャンでしょうか。
若い頃からのロックスピリットというのが損なわれることなく、
おばさまになってもロックしてて、それまたかっこいい。
まさにロングランで培った賜物だ。
なので急にロックなおばさんには絶対なれないので、私は無理です。
で、結局ね、
それでもみなさま「おばさま」なのです。
どう見ても、おばさまなのです。
若い女の人ではないのです。
「対若い女の人」という、変なこだわりを捨てない限り、
本当の意味で素敵なおばさまにはなれないのではないかと。
それでも。
いつまでも美しい肌で、美しい髪で、美しい肉体で、と願い、
色々手をかけるというのが、女性なのかもしれないけど。
ただ一つ言えるのは、
男女に関係なく、歳をとればとるほど、
その人が生きてきた様が「雰囲気」に出るということでしょうか。
「雰囲気」だけは、外側の飾りだけではカバーできないもので、
また一日二日で身につけられるものでもない。
ある意味、自己啓発的「己を受け入れる」、
つまり自分が歩いてきた道を、生きている様を受け入れる、
ということが、「だからこそこの人はこの人で、それが素晴らしい」という、
確固たる空気が雰囲気に出るのかもしれない。
で、おばさま街道をこのまま歩んでいく私ですが、
「どうありたいか」というのは、多分、ずっと続く、
というか、その時の自分の有様や、人生の有様に応じて、
暗中模索
右往左往
七転八倒
絶体絶命
危機一髪
(その他、それっぽい四文字熟語全部)
しながらやっていくのだろうな、と。
でも、ここからもう死ぬまで「ALL SET」よりは、
あーでもない、こーでもないしてる方が楽しそうだ。
ダイアン・レイン・・・キム・ベイシンガー・・・
どーやったら、あーなるんだ。
なんなら、叶恭子さん・・・うっひゃひゃー
ってんな感じで。うふふ。
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