なんだか、今回のタイトルはゴージャス感漂います。
またまたご無沙汰してしまいました!
みなさま、お元気ですか?
AYUKOです。
バタバタの4月ももうすぐ終わり。
花粉もそろそろさようなら。(まだヒノキがいるけど)
ゴールデンウィークに向けて、
美しい新緑の季節がやって来ますよ〜〜
なぜ、急にシャネルなのか。そして、ベンツが来るのか。
今日、Facebookでね、
去年デビューした、14年ぶりの新しい香水である、
シャネルのガブリエルという香水について投稿しまして。
私はシャネルの香水loverではないのですが、
一昨日「COCO CHANEL」という、
彼女の半生を描いた映画を観まして感銘を受けて、
で、彼女の本名であるガブリエルという名前の香水が出たと聞いて、
早速amazonでわざわざサンプルを購入して、
今日届いたという。
投稿では、その香水の印象を書いた、というお話。
なんだけど、
その後、色々考えが(例によって急に)溢れ出てきたわけです。
これ、あくまでも「私の考え」なので、悪しからずよ!
結論から申し上げますと、
日本においてのシャネルって、日本においてのベンツと同じだよね
ここで、「わかる〜〜!」と思った人は、私と感性(?)が同じです。
ポイントは「日本において」ね。これ、世界規模の話じゃないから。
では、説明しよう。
シャネルもベンツも、モノとしては最高級です。
これは誰も否定しまい。
が、しかし。
「日本において」シャネルを(香水も含め)身に付けている人、
「日本において」ベンツに乗ってる人、
って、往々にして最高級ではない・・・ように見える。
もちろん。
最高級のブランドでもって、
自分のステータスを誇示するというのも良かろう。
ご自分がそのようなステータスをお持ちならば。
上流階級の人々はそういうのを社交の場で楽しむわけですから。
が、しかし。
私にとっては、最高級の人々イコール上流階級の人々ではない。
確かに、これらはお金をたくさん持っている人でないと買えないので、
そうなると、その点で言えば、
社会の「経済的上層部」にいないといけないんだけど。
シャネルやベンツクラスのものを携える人というのは、
それらと同等、いやそれ以上の存在感とエレガンスがないとダメなのです
シャネルやベンツを「使って」
自分を誇示したい程度の人がそれらに手を出すと、
はっきり言って品がない。
「そういうクラス」のものだからこそ、
それらのブランドが持ち主よりも主張してしまうようでは、
持ち主の「しょぼさ」が際立つというものだ。
だからこそ、持ち主の「存在感」が大事なのだ。
「モノに呑まれない」、凛とした存在感。
そして、なんと言っても、「エレガンス」。
衣服のことを言ってるのではない。
その人の内側から出て来る、嘘のつきようのないエレガンス。
最高級のブランドが放つ主張に勝ち、
更にそれを制御できる「持ち主の存在感とエレガンス」。
最高級のモノを携えておきながら、
そこに「品のなさ」があるとしたら、
それは「富と名声」に対する「貪欲さ」が持ち主にあるからだ。
それはエレガンスと対局にあると思うし、
持ち主の存在感のなさは「自尊心の欠如」だと思う。
貪欲さが悪いわけでも、
自尊心の欠如が悪いと言っているわけではない。
ただ、
最高級のものを最高級に身につける、
というのは、そうたやすくないのだ。
でも、人には「憧れ」というものがある。
「まずは外側から固める」という手だってある。
そうやって、自分を「高める」という手もあるだろう。
私個人的に、
シャネルやベンツを「自分の一部」という感じで、
嫌味なく、さらりと、ごく自然に、携えている人、
そういう人が「ふさわしい」と勝手に思ってる。
そういう人が「素敵」と勝手に思ってる。
自己顕示と、カッコつけのためというのは、
私にとってはまさに「興ざめ」なのだ。
だから、極端なことを言えば、
キラキラ輝いて生きて、お手頃価格でも自分の好きな香水を付けて、
軽自動車に乗って颯爽とゆく、人の方がよっぽど魅力的なのだ。
まあ、私はベンツを買うお金がないので「遠いお話」ですが、
シャネルの香水ならば、私でも買える。
が、しかし。
「日本においてのシャネル」の立ち位置を考えると、
非常にリスキーなのである。
「シャネルの香水付けてる人」になるのか、
「素敵な香りの人」になれるのか。
もちろん後者でないと、私にとってはバッテンなのだ。
で、我、思う。
己のエレガンスと存在感を・・・あぁ。
歌手AYUKOのページはこちら♪
またまたご無沙汰してしまいました!
みなさま、お元気ですか?
AYUKOです。
バタバタの4月ももうすぐ終わり。
花粉もそろそろさようなら。(まだヒノキがいるけど)
ゴールデンウィークに向けて、
美しい新緑の季節がやって来ますよ〜〜
なぜ、急にシャネルなのか。そして、ベンツが来るのか。
今日、Facebookでね、
去年デビューした、14年ぶりの新しい香水である、
シャネルのガブリエルという香水について投稿しまして。
私はシャネルの香水loverではないのですが、
一昨日「COCO CHANEL」という、
彼女の半生を描いた映画を観まして感銘を受けて、
で、彼女の本名であるガブリエルという名前の香水が出たと聞いて、
早速amazonでわざわざサンプルを購入して、
今日届いたという。
投稿では、その香水の印象を書いた、というお話。
なんだけど、
その後、色々考えが(例によって急に)溢れ出てきたわけです。
これ、あくまでも「私の考え」なので、悪しからずよ!
結論から申し上げますと、
日本においてのシャネルって、日本においてのベンツと同じだよね
ここで、「わかる〜〜!」と思った人は、私と感性(?)が同じです。
ポイントは「日本において」ね。これ、世界規模の話じゃないから。
では、説明しよう。
シャネルもベンツも、モノとしては最高級です。
これは誰も否定しまい。
が、しかし。
「日本において」シャネルを(香水も含め)身に付けている人、
「日本において」ベンツに乗ってる人、
って、往々にして最高級ではない・・・ように見える。
もちろん。
最高級のブランドでもって、
自分のステータスを誇示するというのも良かろう。
ご自分がそのようなステータスをお持ちならば。
上流階級の人々はそういうのを社交の場で楽しむわけですから。
が、しかし。
私にとっては、最高級の人々イコール上流階級の人々ではない。
確かに、これらはお金をたくさん持っている人でないと買えないので、
そうなると、その点で言えば、
社会の「経済的上層部」にいないといけないんだけど。
シャネルやベンツクラスのものを携える人というのは、
それらと同等、いやそれ以上の存在感とエレガンスがないとダメなのです
シャネルやベンツを「使って」
自分を誇示したい程度の人がそれらに手を出すと、
はっきり言って品がない。
「そういうクラス」のものだからこそ、
それらのブランドが持ち主よりも主張してしまうようでは、
持ち主の「しょぼさ」が際立つというものだ。
だからこそ、持ち主の「存在感」が大事なのだ。
「モノに呑まれない」、凛とした存在感。
そして、なんと言っても、「エレガンス」。
衣服のことを言ってるのではない。
その人の内側から出て来る、嘘のつきようのないエレガンス。
最高級のブランドが放つ主張に勝ち、
更にそれを制御できる「持ち主の存在感とエレガンス」。
最高級のモノを携えておきながら、
そこに「品のなさ」があるとしたら、
それは「富と名声」に対する「貪欲さ」が持ち主にあるからだ。
それはエレガンスと対局にあると思うし、
持ち主の存在感のなさは「自尊心の欠如」だと思う。
貪欲さが悪いわけでも、
自尊心の欠如が悪いと言っているわけではない。
ただ、
最高級のものを最高級に身につける、
というのは、そうたやすくないのだ。
でも、人には「憧れ」というものがある。
「まずは外側から固める」という手だってある。
そうやって、自分を「高める」という手もあるだろう。
私個人的に、
シャネルやベンツを「自分の一部」という感じで、
嫌味なく、さらりと、ごく自然に、携えている人、
そういう人が「ふさわしい」と勝手に思ってる。
そういう人が「素敵」と勝手に思ってる。
自己顕示と、カッコつけのためというのは、
私にとってはまさに「興ざめ」なのだ。
だから、極端なことを言えば、
キラキラ輝いて生きて、お手頃価格でも自分の好きな香水を付けて、
軽自動車に乗って颯爽とゆく、人の方がよっぽど魅力的なのだ。
まあ、私はベンツを買うお金がないので「遠いお話」ですが、
シャネルの香水ならば、私でも買える。
が、しかし。
「日本においてのシャネル」の立ち位置を考えると、
非常にリスキーなのである。
「シャネルの香水付けてる人」になるのか、
「素敵な香りの人」になれるのか。
もちろん後者でないと、私にとってはバッテンなのだ。
で、我、思う。
己のエレガンスと存在感を・・・あぁ。
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