子供達も今日から学校。
こちらも通常運転にギアチェンジです。
昨年末からずっと考えさせられています。
「こうなりたい、こうでありたい自分」とは。
自分自身のベストバージョンとは。
ベストバージョンと言っても、
それは決して「完璧」を意味するのではなく、
自分の中で本来輝いている部分が
ちゃんと輝いているバージョンの自分です。
そのようなことを深く考えさせられる
きっかけがあったのです。
残念ながらそのきっかけは
嬉しいことでも素敵なことでもなく、
むしろ正反対のことで、
だからこそ「こうありたい自分。ベストバージョンの自分。」について
考えることになったのです。
私は人を傷つけてしまった。
とても嫌な思いをさせてしまった。
なんとも醜い姿で。
その醜い姿を晒した私も私の一部ですが、
果たして、その姿は
「こうありたい自分。ベストバージョンの自分。」であっただろうか。
違う。
本来の私はそんなんじゃない。
言い訳として言っているわけでもない。
ただ、「こうありたい自分でも、ベストバージョンの自分でもない。」
それだけは分かる。
じゃあ、
自分はどうありたいのか。
何が自分のベストバージョンなのか。
つまり、
「自分の中で本来輝いている部分が
ちゃんと輝いているバージョンの自分」って何?
ちゃんと輝かなきゃいけない自分の部分を
一体何がブロックしているの?
それを知ったのは、
それを教えてくれた存在(人)がいたからです。
外側で起きることというのは、
結局、自分の中で起きていることなのです。
それを気づかせるために、
自分以外の存在(人)がいるのだと思うのです。
そういう「めんどくさい役目」を買って出てくれるのです。
無意識であっても、その人はその人の理由があっても、
魂的に言えば、愛の救世主なのです。
自分の輝きをブロックしているもの・・・
かなり痛い方法で教えてくれた。
「傷ついた〜〜〜!うぇ〜〜〜ん!」じゃない。
その「上部のリアクション」のもっと下に隠れているもの、
相手が自分にやったこと、のもっと下に隠れているもの、
それは「どこで」「誰が」「何した」じゃなくて、
「自分は一体、自分に何した?何してる?」という問いだ。
「自分は一体、何で自分の輝きをブロックしている?」という問いだ。
昨年の暮れから悩み苦しんでいたところに、
最後の一発を喰らったようだった。
「いい加減、目を覚ませよ」と。
その一発で、
深いところに沈んでいた「ちゃんと輝いてるバージョンの私」が
声を絞って叫んだように聞こえた。
「輝き」というのは全ての人が、
全ての魂が、それぞれの色で持っている。
その光は決して(言い切る)
消えることも、消されることもない。
例え、上からたくさんのものが覆い被さったとしても。
でも、
人間というのは「上からたくさんのもの」も込み込みで人間だから、
ある意味、生きてゆく上で
何度も何度も見失っては、再び見つける、を繰り返すのかもしれない。
もしかしたら、
「わーーー、こんな色の光を持ってたんだ!」という
初めて見る輝きとの遭遇もあるかもしれない。
ある意味、宝探し、
宝とのかくれんぼ、のようなもので、
それを一緒に助けてくれる人たちが必ずいる。
優しかったり、痛かったり、
その方法は色々だけれど、
「見つけるためなら手段は選ばない」
そんな風に、お互いに契約してるのかもしれない。
それはね、愛の契約だよ。
その契約はある特定の光を見つけるための一回きりの契約かもしれないし、
ずっとずっと続く契約かもしれない。
どちらにせよ、みんな、尊い存在であることは確かだ。
かなり痛い手段で目を覚まさせられた私ですが、
その直後は呆然として、
少ししてものすごいショックで、
一晩明けてパニックに近い形で目を覚まし、
落ち着いたところでしばし声を上げて泣き・・・
という一連の儀式のようなものが行われました。
それは全て「外側で起きたこと」へのリアクションでした。
それをすることが必要だったのです。
でも、最終的に目を向けるところは「自分」であらねばならない。
「自分の内側」です。
答えは全ての自分の中、
自分の中にしかないのです。
それが怖いから、
いつまでも外側に目を向け、
誰かからの答えを求める。
けれど、「自分の外」には何もないのです。
私史上最も辛くて痛い「宝探し計画」が決行され、
私の中の本来の輝きをちゃんと輝かせるために、
私は大きな大きなものを失くしてしまった。
その大きな大きな存在は、
あまりにも大きかったので、
それが無くなってしまった今、
あまりに大きなスペースができてしまい、
それにびっくりしている。
でもね、その大きな大きな存在というのは、
本来は「スペースを取るから大きい」のではないのだ。
存在そのものがそんなものを超えたところにある、
かけがえの無さの大きさなのだ。
私の中で、
「大きなスペースができてしまった」理由は、
私がそれに依存していたからだ。
それをズボッと抜き取られた今、
いかに自分の中でバランスが取れていなかったかが分かった。
スッカスカなの。
私の本来の輝きをブロックしていたのは、
やっぱり私自身であり、
私自身が自分を窮屈にしてブロックしていた。
私の本来の輝きがちゃんと輝いてる時ってね、
自分で言うのもなんだけど、
愛で溢れかえってるんだから(笑)。
その愛は、
自分に対しても、
周りに対しても。
無限なのよ。
私が依存してしまった
その大きな大きな存在はね、
私がそのためにスペースばかり取って、
周りが見えなくらい、
私がちゃんと輝けないくらいになっちゃって、
結果、ちゃんとそこに本当の愛を注ぐことができなかったの。
大事なのはスペースの大きさじゃない。
かけがえの無さの大きさ。
スペース管理は自分の責任。
こうやってスッカスカになっちゃってね、
今バランスを取ろうとしているところ。
でもね、
今までの自分が見ていた景色が
いかに限定されていたかが
既に分かりつつある。
私の世界はもっともっと広くて、
高くて、絶景なはずだ。
そういう絶景を見ることができているのなら、
それは私の本来の輝きがちゃんと輝いている、
こうでありたい、という自分がいる、
そういうことかもしれない。
大きな大きな存在から
大きな大きなヒントをもらい、
自分が自分にしていた「ブロック」に気づいた。
そのブロックを外して
スッカスカになったところに、
今度こそ、素敵なモノ、ヒト、コトをたくさん呼んで、
かけがえの無い存在を大切にする。
私はそういう自分に戻りたい。
ステージに
情熱の花を、
みんなが元気になる花を、
みんながそれぞれの輝きを思い出せる花を、
愛に帰らせてくれる花を咲かすことができる、
歌手でありたい。
そして、そういう人間でありたい。
まだスッカスカで、
足元がフラフラするけれど、
そのうちちゃんと自分の足で立って、
絶景が見えるスポットへちゃんと行こうと思う。
ああ、自分が内側から本来の在り方で輝くということは、
こういう場所へと連れて行ってくれるということなのね、
そんな忘れてしまっていた景色を
もしくはこれまで見たこともない景色を
ここから目指します。
そして、そこで出会える人、
再会する人、
誰が待ってるかな。
待っててね。
どんなに重い荷物で大変な旅でも、
ほら、頂上について振り向けば、
黄金に輝く、祝福のsunsetが待っている。ああ、これを見るために生きてたのねって。
そして、また新しい旅に出て、新たな祝福のsunsetを見るのです。
*聴くブログ!?「Soul Quest Sound Blog」という
ラジオなようなものを勝手に作って展開しております!
このブログの調子が、そのまんま私のトークと音楽で展開されています。
このブログのカテゴリー「Sound Blog」から是非どうぞ!
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それから私のオリジナル曲も試聴できます!
https://www.ayukosaito.com
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↓私の過去のlLIVE映像などはYoutubeでアップしています
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こちらも通常運転にギアチェンジです。
昨年末からずっと考えさせられています。
「こうなりたい、こうでありたい自分」とは。
自分自身のベストバージョンとは。
ベストバージョンと言っても、
それは決して「完璧」を意味するのではなく、
自分の中で本来輝いている部分が
ちゃんと輝いているバージョンの自分です。
そのようなことを深く考えさせられる
きっかけがあったのです。
残念ながらそのきっかけは
嬉しいことでも素敵なことでもなく、
むしろ正反対のことで、
だからこそ「こうありたい自分。ベストバージョンの自分。」について
考えることになったのです。
私は人を傷つけてしまった。
とても嫌な思いをさせてしまった。
なんとも醜い姿で。
その醜い姿を晒した私も私の一部ですが、
果たして、その姿は
「こうありたい自分。ベストバージョンの自分。」であっただろうか。
違う。
本来の私はそんなんじゃない。
言い訳として言っているわけでもない。
ただ、「こうありたい自分でも、ベストバージョンの自分でもない。」
それだけは分かる。
じゃあ、
自分はどうありたいのか。
何が自分のベストバージョンなのか。
つまり、
「自分の中で本来輝いている部分が
ちゃんと輝いているバージョンの自分」って何?
ちゃんと輝かなきゃいけない自分の部分を
一体何がブロックしているの?
それを知ったのは、
それを教えてくれた存在(人)がいたからです。
外側で起きることというのは、
結局、自分の中で起きていることなのです。
それを気づかせるために、
自分以外の存在(人)がいるのだと思うのです。
そういう「めんどくさい役目」を買って出てくれるのです。
無意識であっても、その人はその人の理由があっても、
魂的に言えば、愛の救世主なのです。
自分の輝きをブロックしているもの・・・
かなり痛い方法で教えてくれた。
「傷ついた〜〜〜!うぇ〜〜〜ん!」じゃない。
その「上部のリアクション」のもっと下に隠れているもの、
相手が自分にやったこと、のもっと下に隠れているもの、
それは「どこで」「誰が」「何した」じゃなくて、
「自分は一体、自分に何した?何してる?」という問いだ。
「自分は一体、何で自分の輝きをブロックしている?」という問いだ。
昨年の暮れから悩み苦しんでいたところに、
最後の一発を喰らったようだった。
「いい加減、目を覚ませよ」と。
その一発で、
深いところに沈んでいた「ちゃんと輝いてるバージョンの私」が
声を絞って叫んだように聞こえた。
「輝き」というのは全ての人が、
全ての魂が、それぞれの色で持っている。
その光は決して(言い切る)
消えることも、消されることもない。
例え、上からたくさんのものが覆い被さったとしても。
でも、
人間というのは「上からたくさんのもの」も込み込みで人間だから、
ある意味、生きてゆく上で
何度も何度も見失っては、再び見つける、を繰り返すのかもしれない。
もしかしたら、
「わーーー、こんな色の光を持ってたんだ!」という
初めて見る輝きとの遭遇もあるかもしれない。
ある意味、宝探し、
宝とのかくれんぼ、のようなもので、
それを一緒に助けてくれる人たちが必ずいる。
優しかったり、痛かったり、
その方法は色々だけれど、
「見つけるためなら手段は選ばない」
そんな風に、お互いに契約してるのかもしれない。
それはね、愛の契約だよ。
その契約はある特定の光を見つけるための一回きりの契約かもしれないし、
ずっとずっと続く契約かもしれない。
どちらにせよ、みんな、尊い存在であることは確かだ。
かなり痛い手段で目を覚まさせられた私ですが、
その直後は呆然として、
少ししてものすごいショックで、
一晩明けてパニックに近い形で目を覚まし、
落ち着いたところでしばし声を上げて泣き・・・
という一連の儀式のようなものが行われました。
それは全て「外側で起きたこと」へのリアクションでした。
それをすることが必要だったのです。
でも、最終的に目を向けるところは「自分」であらねばならない。
「自分の内側」です。
答えは全ての自分の中、
自分の中にしかないのです。
それが怖いから、
いつまでも外側に目を向け、
誰かからの答えを求める。
けれど、「自分の外」には何もないのです。
私史上最も辛くて痛い「宝探し計画」が決行され、
私の中の本来の輝きをちゃんと輝かせるために、
私は大きな大きなものを失くしてしまった。
その大きな大きな存在は、
あまりにも大きかったので、
それが無くなってしまった今、
あまりに大きなスペースができてしまい、
それにびっくりしている。
でもね、その大きな大きな存在というのは、
本来は「スペースを取るから大きい」のではないのだ。
存在そのものがそんなものを超えたところにある、
かけがえの無さの大きさなのだ。
私の中で、
「大きなスペースができてしまった」理由は、
私がそれに依存していたからだ。
それをズボッと抜き取られた今、
いかに自分の中でバランスが取れていなかったかが分かった。
スッカスカなの。
私の本来の輝きをブロックしていたのは、
やっぱり私自身であり、
私自身が自分を窮屈にしてブロックしていた。
私の本来の輝きがちゃんと輝いてる時ってね、
自分で言うのもなんだけど、
愛で溢れかえってるんだから(笑)。
その愛は、
自分に対しても、
周りに対しても。
無限なのよ。
私が依存してしまった
その大きな大きな存在はね、
私がそのためにスペースばかり取って、
周りが見えなくらい、
私がちゃんと輝けないくらいになっちゃって、
結果、ちゃんとそこに本当の愛を注ぐことができなかったの。
大事なのはスペースの大きさじゃない。
かけがえの無さの大きさ。
スペース管理は自分の責任。
こうやってスッカスカになっちゃってね、
今バランスを取ろうとしているところ。
でもね、
今までの自分が見ていた景色が
いかに限定されていたかが
既に分かりつつある。
私の世界はもっともっと広くて、
高くて、絶景なはずだ。
そういう絶景を見ることができているのなら、
それは私の本来の輝きがちゃんと輝いている、
こうでありたい、という自分がいる、
そういうことかもしれない。
大きな大きな存在から
大きな大きなヒントをもらい、
自分が自分にしていた「ブロック」に気づいた。
そのブロックを外して
スッカスカになったところに、
今度こそ、素敵なモノ、ヒト、コトをたくさん呼んで、
かけがえの無い存在を大切にする。
私はそういう自分に戻りたい。
ステージに
情熱の花を、
みんなが元気になる花を、
みんながそれぞれの輝きを思い出せる花を、
愛に帰らせてくれる花を咲かすことができる、
歌手でありたい。
そして、そういう人間でありたい。
まだスッカスカで、
足元がフラフラするけれど、
そのうちちゃんと自分の足で立って、
絶景が見えるスポットへちゃんと行こうと思う。
ああ、自分が内側から本来の在り方で輝くということは、
こういう場所へと連れて行ってくれるということなのね、
そんな忘れてしまっていた景色を
もしくはこれまで見たこともない景色を
ここから目指します。
そして、そこで出会える人、
再会する人、
誰が待ってるかな。
待っててね。
どんなに重い荷物で大変な旅でも、
ほら、頂上について振り向けば、
黄金に輝く、祝福のsunsetが待っている。ああ、これを見るために生きてたのねって。
そして、また新しい旅に出て、新たな祝福のsunsetを見るのです。
*聴くブログ!?「Soul Quest Sound Blog」という
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