AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

「罪のない人」

2019年03月13日 | 生きていると
「罪のない人が戦争の犠牲になる」とか
「罪のない人が(悲惨な目に合う)」という言い回しがある。

今朝、現在白血病と闘っている池江さんの
昨日のツイートがニュースで紹介されていた。
その一つで、彼女もその言い回しを使っていた。
「8年前の今日3月11日、罪のない人たちが大勢なくなりました。
違う形ではあるけれどわたしは全力で 生きます。」と。
もちろん、彼女が強調したいところが、罪がない人がなんとか、
というところではないのはわかっている。
そして決して彼女の揚げ足を取るつもりでもない。

ただ、いつから「罪のない人が・・・」という言い回しが始まったのだろう、と。
日本語の一つの表現、いわゆる「言い回し」なので、
あるシチュエーションになると何気なく出てくる、と言ったものなのだろうか。

私はどうもこの言い回しが好きではない。
何かで犠牲になった人たちを「罪もないのに」という理由で憐れむ、というのと、
揚げ足取ってると言われるだろうが、
どうしてもその先に「では、罪のある人であれば、何かの犠牲になっても良いのか。」
という問いが出てくるからだ。

そこから、そもそも「罪」とは何か、とか、
イエスキリストが娼婦の女の人に石を投げる人々に向かって
「罪を一度として犯したことのないものが、あなた方の中にいるのか」
というエピソードを思い出したりするわけだが、
そんなの私に語れるわけがないので、ここでとどまる。

ただ、無意識に、
または当たり前のように使っている言葉や言い回しというものに、
意識をあえて向けてみるというのは大切だなと思った。
言葉というのは使えば使うほど、自分の中に染み入ってくるものだし、
発信された言葉というのも、想像以上に外に、相手に、影響を及ぼすと思う。

だからこそ、自分が使う言葉が
「本当にそれが自分の真意なのだろうか。その意味を本当に理解しているのだろうか」
と問うてみることは、すごく大事だなと、
今朝自分に言い聞かせたしだいである。


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